躍進的女神(ユティア・スターレ)
恐怖。
20階層大広間から階段を上がった先で、ユティアが感じた物がソレだ。
正確に言えば、恐怖と不安。
21階層からの巨塔の様子は、19階層までのソレとは大きく異なっていた。
果たして、本当にこの下はあの綺麗で美しい"自然街"が存在していたのかと、疑いたくなるほどに、今ユティアの見ている光景は薄気味悪い物だ。
耳を澄ませば、魔物なのか魔獣なのか分からない呻き声にも似た声が、どこからともなく聞こえてくる。
周りの様子はと言うと、光源は少なく薄暗い。
道幅は狭く、天井も高くはない。
そこは、洞窟に似ていた。しかし洞窟ではない。
ぶよぶよとした質感の壁は、よく見てみると僅かに赤みをおびており、それはまるで"肉壁"のようでもある。
さも生きているかの様に時おり脈打つような動きが、この階層の気色悪さを格段と引き立てていた。
ユティアにとって、このような不気味な階層など、一人で攻略することは不可能だ。
実力がどうこうの話ではなく、生理的に無理。
虫の魔物を見ただけでも腰を抜かしてしまうのだから、こんなおぞましい光景に包まれた道を一人で歩くことなど、あり得ない。
そう……思っていた。少し前までは。
しかし、行かねばならない。
誰かのためではなく、自分のために。
ロワを助けたいと思う、自分のために。
(ロワ君ロワ君ロワ君ロワ君)
目を閉じ、心の中で何度もそう唱えてから、ユティアは意を決して走り出した。
ただただ、前だけを見つめて。
単純に、気色の悪い肉壁を出来るだけ見ないように。
巨塔第21階層からは、比較的難易度が上昇している。
構造は複雑化し、魔物の数も増えている。
そのため、冒険者の間では『単独で巨塔を上がれるのは20階層まで』と言われている。
複雑化した階層を上がるには、やはり仲間は必要不可欠な存在なのだ。
袋小路も多くなり、魔物に囲まれて逃げ場を失ってしまうこともよくある話。
仲間と協力し、確実に、慎重に攻略するのが、冒険者としての正しい在り方だと言える。
……しかしそれは、一般的な冒険者の話だ。
勇者パーティーの一人であり、勇者すらも凌ぐ最強の冒険者であった"王者のロワ"が、"最強"と認める冒険者のユティアは、一般的な冒険者の枠組みには捕らわれない。
目の前に立ち塞がる魔物共を、その手に持つ"女神の長剣"で一閃しながら、ひたすら走る。
上へと続く階段を目指し、ひたすら走る。
その速度を落とすことなく、ただ駆けた。
ユティア本人は気付いていないが、これは異常なことだ。
いくら強力な冒険者と言えども、走り続ければ体力は消耗するし、適性武具を扱うだけ魔力も消費してしまう。
それはユティアとて同じこと。
にも関わらず、ユティアは『少し疲れてきたかも』程度の感想しか出てこない。
それ以上に、ロワのことで頭が一杯だった。
ロワの事を想うと、自然に体力も魔力も漲ってくるように感じていた。
『これが愛の力なのかも』などと気楽に考えているユティアは気付かない。
それがユティアの持つ"適能"の一つなのだと、ロワのことで頭が一杯のユティアは考えが及ばず、気付かない。
いや、『愛の力』などという乙女ちっくな不確かな物と勘違いしたまま、ユティアは巨塔を上がっていった。
~
一時も休むことなく巨塔を上がり続けたユティアの左手に"30"という数字が刻まれた。
既に3日が経過していた。
(この階層を越えたら、流石に少し休もう)
眠気に襲われ、ボーっとしてしまいそうになる意識に鞭を打ちながらここまでやって来たユティア。
本人の気付かない"適能"のおかげで、体力や魔力にはまだ少し余裕があるが、流石に少し疲労を感じていた。
巨塔第30階層最奥の広間へと続く通路。
ユティアはそこを歩いていた。
最奥の広間に待ち受ける"階層主"を、このまま討伐すべく、ユティアは歩く。
広間への門を見据えると、その前に待ち受ける幾人かの冒険者の姿があった。
前にも見た覚えのある光景に、ロワから教わった事を思い出す。
"協力"。
強力な"階層主"を確実に倒すために、幾つかの冒険者パーティー、または幾人かの冒険者で合同で"広間"へと踏み込み、協力して討伐を行うことだ。
階層主の待ち受ける広間の前には、ソレを希望する冒険者が後続の冒険者を待ち受ける事が多いと、ロワから以前に教わっていた。
しかしユティアは、そんな事は特に望んでいない。気にもしない。
今のユティアはロワのこと、巨塔を上がる事しか考えていない。
広間の前で待つ冒険者達を軽く一瞥するだけで、決して足を止めることなく歩き続ける。
――話す時間が勿体ない。
そう思う。
話している時間があるのなら、巨塔を上がるか、少しでも休みたい。
そんな事を考えて、ユティアはそこにいる冒険者達のことは、気付かぬ振りをすることにした。
だが、
「お、おい! アンタ! まさか1人でここまで上がってきたのか!?」
たった1人でやって来た、美しい女性の冒険者であるユティアを見て、"協力"を望む冒険者が声を掛けない訳が無かった。
「……………」
そんな冒険者の声すらも、聞こえない振りをしながら、ユティアは広間への門に手を掛ける。
「――! ちょっ、おい! 待ってくれよ!」
そんなユティアの腕を、1人の冒険者が無造作に掴む。
「――ッ!」
堪らずユティアはその腕を振り払う。
ロワ以外の男に、自分の体に触れさせるなんて、あってはならない。
何故ならば……
――あの時から、自分はロワの物になっている。
"第1階層"でのロワの言葉。
自分の父の目の前でのロワが発した言葉を、ユティアは決して忘れることはない。
「なっ……」
腕を振り払われ、キツい眼差しで睨み付けられた冒険者が、一歩後ずさる。
すると、ユティアはすぐに視線を前に戻し、その手に力を込める。
広間へ続く門が、開け放たれた。
「お、おい! 俺達も行くぞ!」
ユティアの許可を得てもいないのに、その後を追うようにして冒険者達も続いた。
門が閉ざされるまでに入場さえすれば、"協力"は成立する。
たった1人で30階層にまでやって来たユティア。
ただそれだけの事だが、それは確かにユティアが強力な冒険者であることの証明であった。
そのため、この冒険者達は……この機を逃してはならない。と判断して、半ば無理矢理に"協力"を行ったのだ。
本来なら、文句の一つでも言うべきユティアだが、そんな事はどうでもよかった。
ただ、邪魔さえされなければ、好きにすれば良い。
そう思っている。
しかし先程、見ず知らずの男に腕を掴まれたことでユティアは少し機嫌が悪かった。
そもそも、ここまでの道のりで溜まっていた疲労と眠気のせいで既に機嫌は悪かったのだが。
ともあれ、そんなユティアと対峙することになったここの"階層主"は、とてつもなく不運と言える。
冒険者が扱える"魔法"や、その武具による"剣技"や"槍術"、"斧技"と言った"技術"を獲得する要因は様々だ。
適性武具を手にした時点で、ある程度は扱う事が可能だが、本人の精神状態や、能力の成長などで突如獲得することもある。
その全てに共通して言えるのは、獲得した"魔法"や"技術"は、その瞬間から遥か昔から知っていたかのように深い知識を手に入れる事が殆どだということ。
ロワのことを想う女神の如き愛情を持つユティアが、機嫌を悪くしたことで、新たな魔法を獲得していた。
静かに、冷たい視線で階層主を睨み付け、ユティアは魔法を行使する。
手に持つ長剣を、階層主に向け、言葉を放つ。
「――"裁き"」
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