圧倒的格差(敗北)
今、俺の視線を捉えて離さないその瞳は美しく、宝石のようでもある。
瞳と同じ薄緑の美しい髪を靡かせる絶世の美女は、どこからどう見ても人間にしか見えないが、明確な"敵"だ。
俺が"冒険者"であり、ここが"異階層大広間"で、この美女がその"主"なのであれば、俺達は敵同士。
しかし、それは俺達にとっての話で、奴からすれば俺達など、"敵"と呼べる程の存在ではないらしい。
「つまらぬ。久しく"挑戦者"が現れたかと思えば……この程度とはのぅ。……しかし」
どこか、がっかりした様子でそう言う樹竜姫。
だが、すぐに視線をユティの方へと向けて言葉を続けた。
「そこのお主の、先の剣閃は面白かったぞ。ただ、その程度ではせいぜいが"200"止まりであろう。この世界の序盤程度は歩むことが出来ようが……」
その言葉に、俺とユティは絶句してしまう。
"200"止まり。
それはつまり200階層という意味なのか? そして"序盤"とは。
この女は、200階層までをこの世界の序盤と、そう言っているのだろうか。
思いがけない言葉を聞いて、俺は思考が少し混乱してしまう。
いったい、巨塔はどこまで伸びている?
この女は、どういう存在だ? この巨塔の何を知っている?
もし今、この女に質問をぶつければ、答えてくれるのだろうか。
「ちょ、ちょっと待ってくれ! いったい――!」
思わず、口を開いていた。
しかし、俺が言葉を最後まで続けるのを、この女は許さなかった。
ジロリと、美しい緑色の瞳を俺に向ける。
冷たく、威圧的な瞳だった。
『黙れ』と、その瞳が声を発しているような気がした。
「"挑戦者"としての資格すら無いお主らが、言葉を発するのは許さぬ」
――勝てない。
そう思わせるのに充分過ぎる程の"圧"が、その瞳と言葉には含まれていた。
冒険者が命を落とす可能性が最も高いのが、"赤"魔法陣によって転移した先の、"異階層主"に敗北すること。
どうやら俺達も、その例には漏れないようだ。
だが、そんな俺の感情とは裏腹に、樹竜姫が微笑みを浮かべて語る。
「ふむ。お主、武具は持っておらぬのか。それであれ程の魔力を有しておるとは中々に面白いのぅ」
俺の、何も印されていない左手に視線を向けながら、そう話す樹竜姫。
そして、その視線は俺とユティを交互に移動する。
まるで値踏みしているかのような瞳に、俺とユティは緊張を強くしてしまう。
「成る程。どうやらお主らは、この場所に踏み込むのが少しばかり早かったようじゃな」
顎に手を当てながら、何か納得したように一人で話している。
全ての所作が美しく、魅力的に写ってしまい、俺は思わず見惚れてしまう。
だが、またしてもそれはすぐに悪寒へと変わる。
何かを思い付いたように、樹竜姫が笑みを深くした。
妖艶で、不適で、不気味。
まるで、とって食われるかのような、得たいの知れない恐怖感に包まれると、すぐにそれは起こった。
目の前に立っていた樹竜姫が、突如として無数の花びらとなって弾け、舞った。
何が起こったのか、全く分からない。
とにかく、そこに立っていた筈の樹竜姫の姿が消え失せた。
その代わりに、その場所と近くに立っていた俺の周りには、無数の花びらが舞う。
樹竜姫が何かを仕掛けてきた。
そう思うには充分過ぎる現状だ。
勿論、俺は身構える。何かしてくるとしたら、今、俺の周りに舞っている無数の花びらを使用した攻撃。
若しくは、既に何か仕掛けた後か、だが……。
……わからない。
俺は、この花びらを目で追うのがやっとだ。
しかし、何かの危機を知らせるユティの叫びで、俺は現状が既に手遅れなのだと理解した。
「――ロワ君ッ!」
ハッとした。
だが、もう遅い。
舞っていた花びらは、俺の周りに集まっていた。
咄嗟に、その場から離れようとした瞬間、全く予想していなかった事が、俺の身に起こる。
「~~ッ!」
ユティが俺を見て、声にならない声を上げているのが、僅かに聞こえてきた。
不意を突かれた。
気付いた時には、花びらが俺の目の前に集まり、再び樹竜姫が姿を現していた。
そして、僅かに花の良い香りを鼻に感じたかと思うと、俺の唇は柔らかな感触に包まれていた。
「――!?」
接吻。
樹竜姫が、俺の唇に強く口づけをしていた。
頭が真っ白になる。
が、それ以上に、体温が急激に上昇していくのを感じる。
心臓の鼓動も、恐ろしく早くなる。
「……ん。ふふ。素晴らしい魔力であるな」
ようやく唇を離す樹竜姫が、妖艶な笑みを浮かべ、舌で唇を拭う。
……ただの口づけではないと、俺はすぐに理解する。
俺の中にある魔力が、あり得ない速度で失われていた。
堪らず、俺は膝から崩れ落ちる。
これは、"魔力全損"。その、ほんの手前だ。
最早、辛うじて生命活動を維持する程度の魔力しか残されていない。
「……………ッ! ぅぅ」
声を出すことすら不可能。
焦点の定まらない瞳で、ただ樹竜姫を睨み付ける。
「ロワ君!?」
ただならぬ俺の有り様に、堪らずユティが駆け寄ってくるが、樹竜姫はそれを邪魔することなく、口を開く。
「お主らに、試練を与えよう。見事その呪いを打ち破り、力を付け"200"へと至ってから、再び訪れるが良い。その時はお主らを"挑戦者"と認めてやろう」
笑みを浮かべながらそう言い放ち、ヒラリと身を翻す樹竜姫。
すると、樹竜姫の目の前の風景に、再び亀裂が走ったかと思うと、またもや奇妙な穴が出現した。
その奇妙な穴へ、樹竜姫は脚を運び、入っていく。
やがて、完全にその穴へ入ったかと思うと、こちらを振り返り再び口を開く。
「ではな。また時が来れば、参るが良いぞ」
そう言い残し、奇妙な穴が完全に閉じ、樹竜姫の圧倒的な存在感も消え失せた。
そして、この異階層大広間を照らしていた水晶の光も弱くなり、再び薄暗くなる。
その一部始終を、消え入りそうな意識の中で俺はなんとか見つめていた。
最後に、再び赤い輝きを取り戻した魔法陣を視界の端に捉えた所で、俺は意識を失った……。
意識を失う寸前に聞いたのは、
「ロワ君! そんな、魔法の効果が……」
ユティの悲痛な声だった……。
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