運命的邂逅(エンカウント)
背中に感じるヒンヤリとした冷たい無機質な感触と、頬を撫でる冷たい風が、俺の意識を呼び寄せた。
仰向けに倒れているようだ。
俺の視界には、どこまでも上に続く"大穴"が写っている。
あの途方もない程に遠い所にある光源が、巨塔の最上層の光と言われているが、その真実は誰も知らない。
左手を目の前に運び、その手の甲を確認する。
……そこには何も記されていない。
やはり、さっきの出来事は本当に俺の身に起こったことだ。
となるとここは、アベルの第1階層か……。
ズシリと重たい体を動かす。
全身に走る激痛に顔を歪めながら、なんとか俺は上体を起こした。
……やはり、魔力も残り僅か、体力もほぼ限界に近い。
よくもまぁ、あの高さから落ちて生きているものだと感心した。
全冒険者の頂点である勇者パーティーの一員として、日々修羅場を潜り抜けてきた成果ということか。
辺りを見回す。
そこに広がっていたのは紛れもなく、第1階層"大広間"だ。俺はその中心にいるようだ。
他の冒険者達の姿もある。
皆が、驚いたような表情で俺を見ていた。
「お、おい。アンタ大丈夫か? 今、この大穴の上から真っ逆さまに落ちてきたぞ? 無事なのか?」
大広間に数多くいる冒険者の内の一人が、そう俺に声を掛けてきた。
まるで化け物でも見ているかのような顔だな……。
……まぁ無理もない。
この冒険者からしたら、空から勢い良く落ちてきた人間が、ムクリと起き上がったのだから。
だが、俺の全身は悲鳴を上げている。
クソ! 回復薬などの液体アイテムは、収納に納めることが出来ない。全て、休んでいた107階層に置いてきている。
……どこかで調達するしかないか。
「お、おい。本当に大丈夫なのか? あまり無理して起き上がるなよ」
体に鞭を打ち起き上がろうとする俺に、心配そうに声を掛けてくれるこの冒険者の心遣いが、今の俺には暖かく感じる。
「だ、大丈夫だ。心配かけて済まない。悪いが俺はやることがある。ありがとう」
俺は、この塔の最上層への到達を諦められない。
例え、また初めからの再挑戦だとしてもだ。
早く体を癒し、再びこの塔を上る必要がある。少なくとも、奴等から俺の適性武具である"王者の長剣"を取り戻さなければいけない。
俺の適性武具は"王者の武具"だ。
別に"王者の長剣"でなくとも"王者"と名の付いた武具なら、俺は適性を持っているが、あの"王者の長剣"以外に見たことはない。
珍しい適性武具に恵まれた冒険者は、それだけ強力だが……同時に、その武具を失った時が大変だ。
珍しいだけに、再び見つけるのが困難だからだ。
尚も俺の事を心配してくれる先程の冒険者と、心配そうに見つめる他の冒険者達などに、軽く謝ってから、俺は大広間の入り口に向かった。
街へ出るために。
巨塔アベルを中心に発展した広大な街。アベルヘイムだ。
第1階層の大広間を出た俺は、久し振りに感じる太陽の光に照らされて、目を細める。
……ヤバい、意識が朦朧としてきた。
あ、倒れる……。
今度は、うつ伏せに倒れ付した。
くそ、もう体力が限界だ……誰か、回復薬と魔力薬をくれ。
必死に口を動かすが、声は出なかった。
アベルを行き交う冒険者達が、様々な視線を俺に向けているのが分かる。
アベルの前で倒れる冒険者。
新人の冒険者が無理をしてアベルに挑み、なんとか帰還するも、力尽きて倒れた。
なんて、思われているに違いない。
そんな愚かな冒険者を助けるお人好しなんて、滅多に存在しない――
そこで、俺の意識は途切れてしまった……。
~
パチリと、今度は力強く瞼が持ち上がった。
ここは……どこだ?
またも、俺は仰向けに倒れて……いや、仰向けに寝ていたようだ。
背中に伝わる感触は、無機質な冷たい感触ではない。
柔らかな感触が、俺の背中を包み込んでいる。ベッドだ。
そしてどうやら、体力と魔力もかなり回復しているみたいだ。
ムクリと、俺は上体を起こす。
さっきまで感じていた激痛は今はもう無い。
周囲を見回したみた。
部屋だ。
あまり広いとは言えないが、整理整頓の行き届いた、過ごしやすそうな部屋。
僅かに漂う花の香りが、俺の心を落ち着かせてくれる。
察するに、アベルの前で倒れていた俺を、わざわざ助けてくれたお人好しがいたのだろう。
「あ! 目が覚めましたか?」
と、ふいに扉から顔を覗かせて、女性が声を掛けてきた。
この女性が、俺を助けてくれたようだ。
「貴方、アベルの前で倒れてたんですよ? 大丈夫ですか?」
そう言いながら部屋に入ってくる女性。
歳は、18歳の俺と変わらなさそうだ。
背中まで伸ばした、綺麗な銀色の髪を靡かせて、とても美しい金色の瞳を俺に向けている。
ベッドの横の椅子に腰を下ろし、俺に質問してくる。
「アベルの前にいたということは、冒険者……ですか? でも左手には何も有りませんよね」
金色の瞳を俺の左手に向けて首を傾げている。
そうだ。
適性武具を獲得して初めて冒険者と呼ばれる。
そして冒険者の左手には、アベル最高到達階層である数字が記される。
アベルに踏みいったことのない冒険者でも、必ず"1"が表示されるのは常識だ。
左手に何の数字も表示されていない俺は、冒険者ではないと思われるのも無理はない。
「訳あって適性武具を失ってしまったんだ。紛れもなく俺は冒険者だよ」
俺の言葉に、女性はさらに首を傾げていた。
「失くした? 珍しい適性武具だったんですか? 大抵の冒険者は予備の適性武具を収納に納めているものですよね? もしかして、"達人級"の適性武具とかですか!?」
なんだろう。
この女性、かなり冒険者に詳しいな。
この女性の左手にも、数字は表示されていない。つまりこの女性も、まだ適性武具を獲得していないということ。冒険者ではない証拠なのだが……。
「あ……ごめんなさい。私も、まだ適性武具が見つかってなくて、ずっと探してるんですけど見つからないんです。早く冒険者になりたいんですけどね」
そういうことか。
未だに適性武具が判明していないということは、この女性も珍しい適性武具なのかも知れないな。
ちなみに適性武具でない武具を持って、アベルに入ることは出来る。
だが、自身の魔力で闘う冒険者は、適性武具以外の武具に、魔力を伝わらせるのは困難だ。
戦闘力は、著しく低下する。
「ところで、貴方の名前は?」
そう言えば、まだ名乗っていなかったな。
助けてくれた恩人だ、ちゃんと名乗っておかないと。
「ロワだ。ロワ・クローネ」
「え? ロワ・クローネ? それって」
女性が目を見開いた。
ジッと俺の顔を観察し始めた。
暫く観察して満足したのか、顔を綻ばせて口を開く。
「またまたぁ! ロワ・クローネって言ったら、アベルの第100階層を踏破した勇者パーティーの1人。"王者のロワ"と同じ名前じゃないですかぁ」
あ、そうだった。
アベルの第100階層にまで至った俺達の名は、世界で知らぬ者は存在しないほどに有名になっていたんだった。
「面白い冗談ですね! 本当の名は?」
「……ろ、ロワ・ミッケル?……」
俺がそのロワ・クローネだよ。と言っても信じてくれそうもない。
仕方なく、適当な名を口にした。
「へぇ、ロワは同じなんですね。私はユティア。ユティア・スターレです。暫く、ゆっくりしていって下さいね」
眩しい笑顔を俺に向けてくれるユティアだった。