向日葵の咲き乱れる夏に①
物語における「ヒロイン」とはいつの時代も羨望の対象である。
文字に起こすのならそう・・・
「才色兼備でいてクラスの人気者。 彼女が歩けば皆が振り返る存在で、それでいて器量も良い。」
きっと王道たるヒロインとはこう言うものなのだろう。
昨今では、個性として「キャラ」が付随して様々なファン、並びに社会現象を生み出していることだろう。
そう言う世の中の風習を否定するわけではない。
むしろ肯定していた20代を過ごしていたと言っても過言ではない。
郡山 葵はそんな中で、王道を貫いていた存在であった。
最も「2周目の彼女はそうであった。」と言うべきであろう。
1周目、初めて彼女にあった頃の彼女は決して日の目を浴びているような少女ではなかった。
「地味」「無口」「友達が少ない」
容姿や器量は変わらずも、雰囲気を含む「華」がまるでない存在だった。
だからこそ、2周目の彼女を見たときは、同一人物とは思えなかった。
なぜ私が彼女の存在を1周目から認知していたのか。
・・・まぁ、言わずもがな彼女に好意を持っていたわけなのだが。
当時の彼女は私にとって「日陰に咲く雑草に目を向けてくれる太陽」のような人物に見えていた。
地味で無口な彼女だったが、クラスの隅っこにいた私のような人間に声をかける女神だったのだ。
皮肉にも2周目の彼女も「マドンナ」として、その行動は踏襲されているのだが。
8度目に見る彼女の姿は
綺麗に伸ばした長髪をなびかせ、 制服を程よく着崩しスカートを膝上7センチほどに決めた。
『男性受け満点』の マドンナ郡山葵 の姿だった。
彼女の存在認知は、2周目同様に体育館裏の彼女の告白現場での遭遇から始まる。
「付き合ってください!」
隣のクラスの男が無謀にも顔を赤らめて手を差し出す。
好意を向けられた彼女の目は、
前回同様 ただ前方の桜の木を捉えるだけの空虚なものだった。