第2話
ここは、第8番桟橋。
海上都市<クストーⅢ>に数十ある桟橋の1つに設けられた施設。
俺達の目の前には、複合強化ガラスで覆われた壁があった。
複合強化ガラスの向こうには、青い海と白い雲に覆われた空がある。その青い海の底が俺達の仕事場。
「こりゃ、帰りに一雨来そうだな」
「海の底まで影響が来ないといいが……」
俺の後ろにいた奴らの1人が空模様について何か言っていた。地球と異なり、陸地が殆どないこの惑星の空模様は、荒れると酷い事になる。
俺が<クストーⅢ>に配属されたのと同じ日には、北海洋(北半球全土を覆う海)での嵐で採掘プラントが20基転覆した。
俺は、外の景色に心動かされる事なく、自分の職場へと歩く。1年前は、この桟橋の窓から景色を楽しんだこともあるが、今は慣れてしまっていた。
この第8桟橋は、俺達深海イカ釣りの奴らが出入りするのに使用されている。
俺が第15発進口に着いた時、中では、整備作業が行われていた。
第15発進口には、外への〝出口〟に隣接して深海作業艇や船舶用の格納庫、整備施設も付属している。
第15発進口に設置された格納庫に並ぶ整備ベッドには、流線形の深い青に染まった物体が置かれている。
金属でできたロブスターの様なこれは、俺達、巨人イカ釣りの仕事道具であり、棺桶だ。
深海作業艇 ディープランサー 通称DP。
全長4.5m 全高2.4m 最大で12000mまで潜れる。深海作業艇としては、旧式の部類だが、現在でも整備が容易で機械的信頼性は高い。
俺のディープランサーは、耐圧殻を外されて整備士と作業用ロボットに内部機関の調整を受けている。
俺とビリーは、格納庫に隣接する一室へと歩いていく。そこは管制室だ。
「ジェフのおやっさん、今日は機嫌いいかな?」
ビリーが若干怯え気味に言った。彼は、1週間前、調子に乗って深夜まで酔っぱらって騒いで次の日の仕事を休む羽目になった際、上司のジェフに殴り倒されたことがあった。
その時には、俺も同じ様に懲罰を受ける羽目になった。軍隊時代から体罰は慣れたものだったとはいえ、あの一撃はとても痛かった。手加減してるんだろうが、部屋中に音が響いたのは覚えている。
「今日は遅刻したわけでもないんだ。怒られることはないさ。」俺は、管制室へと入った。
「よう!ビリー、ケン。」
「ビリー、今日は酔ってねみたいだな」
「2人とも今日は早いな」
部屋に入ると同時に同僚達が話しかけてくる。その内数人は、黒い耐圧スーツに着替えている。
「おはようケン!」
全員、俺と同じで、巨人イカ釣り担当の奴らだ。
「ケン!ビリー、お前ら今日は早いな!」
聞きなれた大声が俺とビリーを呼び止める。
俺とビリーは、すかさずその大声の主に挨拶する。この会社は軍隊ではないが、規律は軍隊並みが求められている。
「……はっジェフ隊長」
「はい!昨日は悪酔いしないように注意したんで」
今、俺の目の前には、筋肉の塊の様な黒人系の巨漢が立っている。2m近い体格は、獰猛な熱量を放つ筋肉でコーティングされている。
「おお、そうか。それはありがたいな。お前ら全員に言っておくが、この仕事は、メンバーが1人でも欠けると難易度が大きく変わる。俺達は、チームなんだ。わかるな!」
ジェフは、顔に不似合いな笑みを浮かべて陽気に言った。
この筋肉の塊の様な男 ジェフ・ラングドンは、俺の上司。
俺の所属する第67深海底生体資源収穫隊の隊長だ。俺やビリーと同じで元軍人だ。前の戦争では、激戦となったヴィクトリアの戦いで機甲歩兵部隊指揮官の少佐として戦った。
規律に厳しく陸軍式の訓練を押し付けてくる為、俺を含め何人かは、「メイジャー(少佐)」と現役時代の階級を綽名にしている。
「はい!」
「はい。隊長殿」
5分後、ジェリコーとエミリオ、ロザリアが待機所に顔を出した。これで深海に潜る顔触れが全員揃った事になる。
「よし、全員集まったな。これより今日のイカ釣りについてのブリーフィングを行う」
作業艇に乗るメンバーが全員集まったのを確認したジェフがブリーフィングの開始を告げる。
海に潜る前は、このブリーフィングが欠かせない。
「……今回のイカ釣りは、デビルズクレバスで行う。エミィ、ホログラムを」
ジェフの発言に室内の全員が頷く。ここまでは、予想通り。
ここ数か月はルーチンワークとなっていたからだ。3週間ピラーズバレーで狩ったなら次は、デビルズクレバスでイカを狩る。
「はい。現在のデビルズクレバスの地形データを表示します。」
管制室のオペレーター席に座る銀髪をショートカットにした女性…………エミィことエミリー・キャボットが電子機器を操作する。
メンバーの女性の中でも背が低く、幼さを残した容姿の彼女が両手の指を電子機器に走らせている姿を見ると、ピアノが得意な少女といった想像をしてしまいそうだった。酒の席でそういうことを言ってた同僚がいる。
彼女は優秀なオペレーターだ。俺も何度か助けられている。
ホログラムが待機室中央に置かれた円筒から噴き出す。ホログラムには、海底の地形………海底深く穿たれた海溝が表示されている。作業艇に乗るメンバー達の視線がホログラムに集中する。
「御覧の通りだ。デビルズクレバスは、A-1地点とB-4、B-6地点で2日前に大規模な崩落があった………3日前の哨戒班からの情報では、A規模の巨人イカの群れが海溝に屯ってる。おそらく餌の油魚の群れが通る海域の真下だからだろう。俺達は、奴らが食事の時間になった時に奴らを狩る。潜む個体は、ソニック爆雷を使う。いつも通りのやり方だ。質問は?」
1人が手を挙げた。俺の後ろに立っていた黒髪黒目の男。新米のローウェルだ。この部署には、3か月前に配属された。優秀だが、経験未熟。そして、馬鹿が付くほど危険を恐れないときている。配属されたばかりの俺にそっくりだ。それが苛立たしい。
「なんだ。ローウェル。お前は、デビルズクレバスの辺りで狩りをするのは、初めてだったな」
「あのう………海溝には、潜らないんですか?イカを待つより、こっちから塒に殴り込んだ方が、効率もいいのでは?」
馬鹿かあいつは。俺は、そう言いそうになるのを堪える。俺も何度か考えたことがあるし、やったことのある作戦だった。
「潜らない。デビルズクレバスの辺りの地面は崩れやすい。これまでも数え切れない程の崩落があった。海溝に潜ってイカを狩り出すのは自殺行為だ。ピラーズバレーの時とは違う。それを肝に銘じておけ」
「ローウェル、今回の狩りの炙り出しは、ソニック爆雷でやる。それで十分さ。もし連中が食事に出てこなくても、俺達が上から炙り出せばいい。」
金髪碧眼の男 エミリオが窘める。海溝に潜むイカを炙り出すのに態々潜る必要はない。
「……はいっ」
あいつも釘を刺された後で実行する勇気はないだろう。ないと思いたい。
「地形データは既に各員の艇のコンピュータに転送してある。深海作業班は、各々の艇で待機せよ。」
「はい!」
「了解です!」
「はい!」
「おう!」
「やってやるか!」
俺達は管制室から出ていく。隊長は残る。巨人イカ釣りの収穫隊のリーダーは、1番艇のエミリオがやる。
ジェフは、管制室で、長距離通信で指示を出してくれるわけだ。偉い人は安全な場所で…というのは、軍隊と同じだ。
それについて俺は別に不満を感じたことはない。偉い人なりには、偉い人なりの苦労があるのだということを前の戦争で教えられたからだ。
更衣室で耐G・耐圧スーツに着替えた俺らは、格納庫に並べられたそれぞれの艇………ディープランサーに乗り込んでいく。
メンテナンスベッドに寝かされた巡航モードのこいつは、巨大な青い鏃の様だ。
俺は、6番のメンテナンスベッドに向かう。そこに俺の乗るディープランサーがあるからだ。
あいつは、俺の相棒だ。
「マイク、整備は?」
俺は、メンテナンスベッドの傍らに立つ男に尋ねる。
「ケンさん!ディープランサー、整備完了しています!」
俺の艇の主任整備士 マイク・オルソンは、笑顔で敬礼してくる。戦争マニアのこいつは、元宇宙戦闘機乗りの俺に憧れているらしく、よくあの頃のことを聞いてくる………少し勘弁してほしい。そういう欠点もあるが、整備士としても優秀だ。
「第2マニピュレーターの動作不良は、何とかなったか?」
数日前から4基あるマニピュレーターの1つが動作不良を起こしていた。巨人イカ狩りで腕が1本でも使えないのは、問題である。万全の状態でも危険だというのに。
「はい。根元から別のパーツに交換してるんで、大丈夫です。」
「そうか。ありがとうよ!」
俺は、ハッチが半開きになった、俺は相棒のコックピットに乗り込んだ。
パイロットが操縦席に座ると同時にハッチが閉まり、その上からせり出してきた耐圧殻が閉じる。
<おはよう。ちゃんと規定量の睡眠時間を取れたか>
正面モニターに文字が表示される。
「おはよう。マックス、お前もよく眠れたか。」
おれは、相棒に挨拶を返す。
<コンピュータは、睡眠を必要としません。>
マックスは、俺の乗るディープランサーの操縦補助AIだ。培養した人間のニューロンを使用した生体コンピュータだけあって、ユーモアもそれなりにある。
俺達は、全機の整備が完了するまでコックピットで待機した。5分後、最後の艇の整備が完了した。俺達のディープランサーは、第15発進口の〝出口〟へと作業用アームで運ばれていく。
ディープランサーを運ぶこの巨大なマニピュレーターは、機械の巨人の腕といった感がある。俺の機体も摑まれ、〝出口〟の前に降ろされる。
第15発進口の出口は、艦艇用や無人航空機、無人潜水ロボット用といくつかあるが、俺達の出口は、航空機と同じカタパルトだ。
俺のディープランサーが、爆発式カタパルトにセットされた。
カタパルトから撃ち出されるのは、前の職業と変わらない。リニアカタパルトか、液体爆薬を用いた爆発式かの違いはあるが。
エミリオの1番艇を先頭に巡航形態のディープランサーが一列に並べられる。俺は、2番機だ。こうしてみると、巡航形態のディープランサーの機体は、青い銃弾の様だ。弾倉の中で長い銃身を通り、銃口から敵に向けて吐き出されるのを待つ銃弾。
こうしていつでも発進できる状態になったわけだが、これで直ぐに狩りに出るわけではない。
先行した無人潜水ロボットが、今回の獲物を発見するまで俺達は此処で待機する。
獲物となりうる群れが見つからない場合や天候不順の場合は、そのままお休み。
自室待機という名の休日となる。この場合給料から天引きされる。俺達にとっては、余り嬉しくないことだ。
俺は、この時間が来る度に前の職業の記憶を——————————前の戦争の時、宇宙空母のカタパルトにセットされた状態で待機した時を思い出すものだ。
18歳の訓練生時代に乗り込んだ旧式の練習艦<ジャンヌダルク>から軍を辞める最後の年に編隊長になった最新式の宇宙空母<キリマンジャロ>まで大小6隻の空母にパイロットとして乗り込んだが、カタパルトに並ぶ時は何時もこう思ったものだ。
早く星の海に飛び出したいと。今俺は、惑星の重力の下—————この惑星の地表の9割以上を占める海洋に飛び込むのを待っている。
「各機。デビルズクレバス北西 ポイントA-099で巨人イカの群れを確認した。かなり大規模な群れだ!既に第45と第64の奴らが向かっている。俺達も急ぐぞ!全機遅れるな!発進せよ!」
ジェフの大声が、通信機越しに俺達の艇のコックピットに響き渡る。