"元"天才勇者、王と謁見する。
「面をあげよ、ティーア殿」
その声に、跪いていた姿勢を直す。
フレイムハイ、王城。俺は、王の前に呼び出されていた。
「左手はもう癒えたか」
「はい。もうなんともありません」
「そうか。それは良かった」
俺の言葉を聞き、王はほっとしたように口元を緩めた。
俺の主治医であった白銀先生は、実に腕のたつ医師であった。正直、オーガと対人していた時は無我夢中で、試合の後のことは何一つ考えていなかった為、試合が終わって冷静になった直後に、「ああ、もうこの左手は戻ってこないだろうな」とぼんやり考えたものだ。しかし、白銀先生は見事なまでに俺の腕を接合してみせ、今では違和感なくしっかりと動かせる。多少のリハビリは要ったが、少し握力が落ちた程度で、何も支障はない。流石は王専属の医師、といったところか。
「試合中は、実況者が大変失礼した。代わって詫びよう」
「いえ、お気になさらず。事実ですし、私自身、魔力のことについて色々言われるのには慣れておりますから。それに、治療代まで出していただいて......」
「治療代くらい、どうってことはないさ。実況者たちが放った言葉よりは全然軽いものだ。それに......慣れている、と?」
「はい。過去に色々あったもので、その時に」
「ティーア殿の過去は、ウィアレル殿から聞き及んだ。......随分辛い人生を歩んできたのだな」
「過去など、私にとってはどうでも良いものです。今生きていれば、それで良いのですから」
「強いな、お主は」
ほう、と、王は感嘆の声をあげる。
何か言いたげな表情も垣間見えたが、すぐに直って、口を開いた。
「ところで、これからお主はどうするのだ?腕は治ったといえど、まだ本調子ではなかろう」
「いえ、すぐに出発します。私の旅は、勇者ウィアレルを育成するためのものです。私の事情で、彼を長い間待たせるわけにはいきませんので」
「そうか。やはり出発してしまうか」
「......何か問題が?」
「いえ、そうではないのだが......主治医の白銀がいただろう。彼が何か思うところがあるようでな。時間さえあれば、もう少し精密な検査をしたいと申しておる」
精密な検査。その言葉に、ふと反応する。
「と、いうと?」
「お主の肺が酷く傷ついていると言っていた。本来であれば、ここまで傷ついていれば、呼吸困難になって吐血も考えられる、とな。しかし、そこまで傷ついているのに、呼吸はしっかりしているし、入院中も吐血はしたが、それは喉の傷によるものだった。謎が深まるばかりだと、頭を捻っておった。もっと長く滞在出来るようであれば、白銀の治療を受けてはどうかと思ったのだがな」
ふむ、と俺は悩む。
後から聞いた話だが、白銀先生は呼吸器の専門らしい。外科の医師陣は、大会での怪我人の治療で全員が忙しくしており、俺の治療に出れたのは白銀先生だけであったとのことで、専門でないにも関わらず、俺の腕をさらっと治してみせた。
そんなプロ中のプロである白銀先生の見解だ。無視するわけにはいかない。
ただ......肺ともなると、話は別だ。肺の治療は、他の場所に比べても、時間がかかることにも変わりない。そして、白銀先生でさえ原因が分からない病を治すとなると、膨大な時間と費用がかかることに違いないが......
俺の悩む表情を見た王は、再び口を開いた。
「勿論、治療代は私が持とう。現に、ティーア殿に向けて沢山の募金が来ているんだ」
「私に、ですか?」
「ああ。魔力が使えない中でもあれだけの実力があり、そして、先代勇者フィウス様が生み出したとされる『自らの血液を使って魔法を展開する』という高度な技を駆使して戦うお主の姿に感化されたのだよ。そんなお主を失うのはあまりにも惜しいと、大会後に沢山の募金が寄せられたのだ」
なんと迷惑な。
心情が顔に出てしまっていたのだろうか、王は声をあげて笑った。
「そんな顔をするでない。心配せずとも、あの大会の観戦者たちには、決して大会のことを口外しないよう、固く口止めしておる。それが、望みであろう?」
なんと。物凄くありがたいことだ。
「そこまでしていただいて......」
「はっは、気にするでない」
やはり、フレイムハイの王は、代が変わったとしても、気が回るところは変わりないな。フィウスの代の王も、俺が案じていたことを、気づかない内に影から解決してくれたことがよくあった。
「どうだ?少しでもいい、フレイムハイに留まらないか?」
「......とてもありがたいお話ですが、お断りします」
少し悩んだが、やはり留まるわけにはいかない。
王は、驚いたように目を見開いた。
「どうしてだね?」
「先程も申したように、私にはウィアレルを教育しなければならないという使命がございます。それに、私は自らの病の原因に少し心当たりがあるのです」
「なんと。心当たり、とな?」
「はい。確証はありません。前例もいませんし、実際に確かめてもいません。しかし、私はこの原因でほぼ間違いないと思っております」
気がついたのは、13歳の頃だ。
ただ、気付いた頃にはもう手遅れだった。どんな治療法を試したところで、それはただ延命になるだけ。発症してから2年以内だったらまだ話は違ったのだが、フィウスの記憶もなく、2歳の小さな体にその過酷な治療が耐えられるとも思えない。
肺を病んでいることは今日初めて知ったことであるが、その肺の病は、実は俺が魔法が使えないこととも深い関係があることなのだ。
「......詳しくは、聞かないでおこう。しかし、これから旅をするにあたって、少しでも体に異常を感じたら、すぐにフレイムハイに、我らの元に、戻ってくるのだぞ?我らは皆、ティーア殿の味方だ」
その言葉に、俺は、深く頭を下げ、全身で感謝の意を示した。
「ありがたき幸せ」
王が、ふっと口角をあげたのが、見なくとも分かった。
「ティさん」
「......ウィアレル」
謁見の間から出ると、そこには不安げな表情をしたウィアレルが待っていた。
「随分と長話してたけど、何を話してたんです?」
「俺の魔力についてちょっとな。大したことじゃあない」
病の話は省いた。こいつのことだから、きっと心配して、フレイムハイに留まれと言うに違いない。
「それより、ウィアレル。今まで、魔力のことについて言わなくて、済まなかったな」
「......もー、ほんとだよ!!俺がどれだけ心配したと思ってるんですか!?いきなり大会の最中に、魔法が使えないとか言われても困りますよ!!」
「......悪かった」
素直に頭を下げると、ウィアレルが驚いたように「えっ」と声をあげた。
「なんかティさん、いつものティさんじゃないみたい」
「ん?」
「いつも、こんなにすぐ謝らないですもん。いっつも、適当に受け流してるのに」
言われて、ハッとする。
確かに、今日の俺はどこか消極的だ。今日の、というか、王から病の話を聞いてから、だな。
死が近いことが、知らず知らずのうちに精神を戒めているのかもしれない。
「......ねえ、ほんとにどうしたの?」
「大丈夫だ、気にするな」
「ティさん」
「ほら、いくぞ」
ウィアレルの頭にぽんと手を置き、歩き出す。
何か言いたげだったウィアレルも、黙ってついてきた。
フレイムハイの城門まで来たところで、2人の人影が俺を待ち構えていることに気付く。
無視して通り過ぎようとした俺の手を、有無を言わさぬ力でウィアレルが引っ張り、2人の目の前まで連れた。
正直、もう目も合わせたくない人達だ。自然に、鳥肌がたつ。
「......ティーア」
実の、兄たち。
控えめに発せられた声に、俺は振り向かない。
「ティーア」
もう一度、声をかけられる。さらさら聞くつもりのない俺は、再び足を前に向けるも。
「行かせないよ、ティさん」
ぐっと強く手首を捕まれ、よろめく。
ウィアレルが、真顔で俺に向き直っていた。
「聞いてあげて」
そう言って俺の肩を掴み、2人に顔を合わせる形に。
ぞわりとした寒気が無意識に身体中を駆け抜け、顔が引き攣るのを感じる。
そんな俺に気付いたウィアレルが、「大丈夫だから」と汗ばんだ俺の手を強く握った。
「......ティーア」
再び、名を呼ばれる。
「......ん」
小さく、反応を返してやる。
「......今まで、本当にすまなかった」
「...........」
「僕達がティーアにぶつけてきた言葉や言動の数々は、決して許されることじゃないと思うし、許されるとも思ってない。でも、でもね、」
「だからこそ、今、その今までの責任を負わせてくれよ、ティーア。おめぇと2週間一緒にいただけで分かったよ。俺らがお前にしてきたことが、どれだけお前を心の底から苦しめてたかってことがよ。あのお前があんなに怯えるなんて、相当だろ」
俺は、何も言わない。
2人は、俺の顔色を伺いつつ、再び口を開いた。
「これは全部、僕らの本心だ。だから、ティーアの本心も、僕らに教えてくれ。遠慮なんかしなくていい、僕らをさんざん罵倒したっていい。気が済むまで、殴ったっていい。......殺してくれたって、いい」
沈黙が、訪れる。
レオンハルトやオーガが嘘をついていないのは、その真っ直ぐな瞳を見ればわかる。こいつらは、本心で俺に殺されてもいいと思ってる。
俺は、静かにため息をついて、口を開いた。
「殺すわけないだろ」
「え......」
「俺はレオン兄さんにも、オーガ兄さんにも、何も言うことは無い。そもそも許す許さないのこと以前に、俺は今まで兄さんたちに面と向かって怒りをぶつけた時はあったか?こちらから、喧嘩をふっかけたことがあったか?」
試合中も、主に兄たちの言動にキレていたのはウィアレルだ。俺は、兄達の言葉に返すことはあっても、こちらから話しかけたりはしてない。
「兄さんたちは、俺が兄さんたちに怒っていると勝手に解釈しているようだが、別に俺は兄さんたちに何の感情も持ってない。俺を組織に売ったのだって、家に金がないから、仕方の無いことだっただろ」
いちいち過去に振り回されてたら、キリがない。
恨みや邪念は、戦いに於いて邪魔なものでしかないのだ。
「......そんなのは」
オーガが、静かに口を開いた。
「そんなのはっ、お前の本心じゃないだろっ!!」
オーガは勢いのまま、俺の首を掴む。「オーガ、やめろ!!」「オーさん!!」と、周りから焦ったような声が聞こえた。
「俺らはお前に、とんでもないことをしたんだぞ!?入院中も、あんなに苦しそうに魘されてて、俺らに対してすげえ怯えてた癖に、それで俺らに対してなんの感情も無いって、そんなことあるわけねえだろ!!なぁ!!」
道行く人達が、ぎょっとしたように俺らを避けて通る。オーガは俺を睨みながら、今にも泣きだしそうな震えた声でそう言い切った。
「オーガ、やめろ。ティーアを離せ」
レオンハルトが怒りの篭った声で言うと、やっとオーガは俺を離した。
離された瞬間、足の力が抜け、その場にへたり込む。
「ティさん?」
「......はっ、ぁ、」
「......うん、よく頑張ったね。ちょっと休憩しよっか」
ウィアレルは俺を軽々と背負うと、俺に聞こえないくらいの声量でレオンハルトと何か話して、すぐにゆっくりと歩き出した。
「......ウィアレル」
「分かってるよ。ティさんはよく頑張った。充分だよ」
そう、あやすような口調で言われると、体に入っていた力が抜けていった。
ウィアレルはもう一度俺を背負い直すと、再び歩を進める。
「......ウィアレルくん?」
「あっ、白銀先生!ちょうどいい所に!ティさんがさっき倒れちゃって、結構熱もあるみたいで」
盛るな。倒れてない。
そう言おうとも思ったが、もう喋る気力もなくて、ウィアレルの背に体を預けた。ウィアレルの言葉に顔を顰めた白銀先生は、そっと俺の首筋に手を当てた。
「......本当だね。今、時間があるので診ますよ。こっちに」
発熱の自覚は無かったのだが。
ウィアレルの目敏さには、時々目を見張ることがある。
思いの外、熱が高かったらしい。座っていることも困難で、寝台に横になりながら診療を受けた。熱は、39.1℃。道理で消極的な思考になるわけだ。
朝はなんとも無かった。熱も36.9℃くらいで、白銀先生の許しももらって王の面前に出たのだ。それなのに、なんだこのザマは。
さっき、オーガに言われたことを考えてみる。
オーガは、俺が兄達に酷く怯えていたと言った。レオンハルトもそうだ。でも俺は怯えた記憶もないし、そもそも悪夢にうなされた記憶もない。
そもそも、目が覚めたのは3日前なのだ。ウィアレルは「9日前には目が覚めていた」と言ったが、その日の記憶は全くない。......もしや、その6日間に、理性を無くした俺が暴走したりしたのだろうか。
施設で散々実験されていた頃の副作用で、たまに体が弱ると理性が飛ぶことはある。その時に、何か変なことを言っていないだろうか。例えば、フィウスのこととか。
途端に、不安になってくる。手先が震えていくのを感じた。
__まずい、飛ぶ......
「ティさん」
ふわっと、目元を覆われる。
「今は何も考えなくていいよ。ゆーっくり、深く呼吸して。ね?大丈夫」
震える俺の手を優しく握り、ウィアレルは子供をあやすようにそう言った。ウィアレルの声は妙に安心する。緊張が解れた瞬間、代わりに襲ってきたのは強い眠気。
「眠れそうなら寝ちゃいな?怖かったね、よく頑張ったよ。だから、今はゆっくり休もう」
ウィアレルの声に包まれるようにして、俺の意識は途絶えた。
※ウィアレルSide
「うーん、やっぱりストレスでしょうね」
白銀先生はそう、聴診器を首に掛けながら言った。
「ストレス......」
「王様との謁見、その後にトラウマである相手と対峙したら、そりゃあ誰だって疲れますよ。病み上がりなのに、負担が大きすぎましたね」
白銀先生はそう言うと、ティさんの長い髪をそっと梳いた。実に穏やかな寝顔だ。入院中は、毎日のように魘されていたというのに。
「......どうです?やはり、セルティアくんは6日間の記憶がないようでした?」
「はい、聞く限りでは。どうやら、レオンさんやオーさんに酷く怯えていた記憶もないようでした」
「うーん、こればっかりは精神的分野だからなあ......。確かに、あの6日間は院内でも『地獄の6日間』と呼ばれていますからね、本人の記憶になくなるほど暴走していた、という解釈にも頷けます」
苦々しい顔で、白銀先生は言う。
『地獄の6日間』。ティさんが最初に意識を取り戻してから6日間のことを指す。
ティさんは目の前のもの全てに怯え、時には自傷し、時には大声で絶叫し、時には1人で静かに笑っていたこともあった。精神科の先生も頭を抱えるほどで、ティさんを抑えることが出来るのは俺だけ、という過酷な状況で。その時のティさんは全く睡眠を取らず、日に日に酷くなる目の下の隈に、皆が肝を冷やした。唯一ティさんを宥めることが出来た俺も、全く睡眠をとらないのは流石に無理で、できる限りティさんの傍にいるようにはしていたものの、俺が仮眠をとっていた間はティさんは縄で縛り付けられていた。身動きが取れなくなったティさんは余計に恐怖に叫んでいたという。
6日目の夜、いつものように叫んでいたティさんが、急にパタリと動きを止めた。皆が困惑する中、頭を抑えて苦しそうに呻くと、ティさんは苦しそうな眠りについた。
その次の日。ティさんは何事も無かったかのように、あのいつものティさんに戻ったのだ。6日間の記憶は、綺麗に抜け落ちていた。
「先程、王様の使いから連絡がありました。セルティアくんは、王へ向かって『すぐにでも出発したい』『この旅は勇者ウィアレルを育成するためのものだ。自分の都合で彼を待たせるわけにはいかない』と言ったそうですね」
「俺のことなんか......」
いいのに。そう言いかけて、ふと言葉を切る。
「そうか......俺は、勇者だ」
「え?」
「俺は、歴代最弱と呼ばれていても、勇者なんです。どんな都合があったって、世界は待ってくれない。ティさんはそのことを誰よりも分かっていて、自分のことよりも俺のことを優先してくれてるんだと思います」
俺はそう言って、ティさんの方を見る。ティさんは熱に浮かされた真っ赤な顔色であったが、呼吸は比較的穏やかだった。
「俺の特訓をしてる最中に、ティさんはこう言いました。『世界を救う力を持っているのは、勇者であるお前だけだ。俺がどんなに頑張ったって、勇者の力は得られない。世界にはお前の力が必要だ。世界中が、お前の力を心から求めている。それに、一刻も早く応えなきゃならないだろ』って。『立て、ウィアレル。お前は、世界中の期待に応える義務があるんだ』って、何度も何度も、俺が挫けそうになる度に言ってました。厳しい言葉だったけど、俺はその言葉に、やる気を奮い立たせてた。でも、ティさんは......きっと、ティさんは、『世界を救う』という義務が、勇者の師匠である自分にもあると思ってるんです」
ティさんは苦しそうに呻くと、顔を顰めた。未だ震えの止まらないティさんの手をそっと包み込むと、思いの外しっかりとした力で俺の手を握ってきた。
「あの言葉は、自分に向けたものでもあったのかもしれません」
「......そっか」
「俺が、しっかりしなきゃ。もっと頑張って、ティさんの不安を少しでも軽くしてあげなきゃ......」
ティさんの手を、自らの額に当てる。じんわりとした熱が、額に伝わってきた。
ふいに、ぽんと、頭の上に置かれた手。
「白銀先生?」
「1人で抱える必要はありませんよ。いくら勇者って言ったって、きみだって、14歳の男の子なことには変わりないんです。僕からしてみれば、まだまだ小さい子供なんですよ。1人で解決しようとしたって、出来ないことの方が多いんです。無理だと思ったら、すぐに周りの大人を頼ること。セルティアくんのお兄さんたちでも、勿論僕でもいいです。いつだって、僕らは待ってますから」
10個上の医師は、そう言って笑った。
「フレイムハイ、情熱と愛情の街。みんなで、君たちを待っています」
暖かい人達に支えられて、手を差し伸べられて。
俺たちの旅は、まだまだ続く。
To Be Continued!