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刹那  作者: 谷内 朋
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『……エマ、……エマ』

 エマは誰かに呼ばれたような気がして目を開ける。視界に入ったのは頼子、直子、瀬戸山の三人だった。

「エマ?」

 先程からずっと声を掛けていたのは直子のようだった。普段滅多に泣き顔を見せない彼女の目は真っ赤に腫れ上がってしまっている。直子はエマの手をぎゅっと握り締めて涙をこぼす。

「直ちゃん?」

「どんだけ心配したと思ってんのよ!」

「ゴメン」

 エマの話し方の変化に気付いた直子は甥っ子の顔を凝視する。

「あんたまさか、記憶戻ったの?」

「あぁ、それより叔父さん……! ってぇ〜」

 エマは蕪木の事が気になって体を起こすも、怪我をしているせいで痛みも伴い思うように動けない。直子と瀬戸山がエマの体を支え、その様子を頼子は怒りを込めた表情で見つめていた。普段滅多に怒りを顔に出さないだけに、自身のしでかした事の重大さを改めて思い知る。

「なんて事してくれたの?」

 叔母の言葉にエマは何も答えられない。否は百パーセント自身にある、ゴメンの一言で済まされる程甘い話ではない。

「叔父さんは?」

「集中治療室、意識は戻ってないわ。このまま逝くのも覚悟しておいた方が良いって」

「そんなの今言わなくていいじゃない! 今だって先生たちが……」

 直子は怒りの治まらない頼子を必死に窘めている。頼子が怒るのも無理はない、だって叔父さんの事……エマは申し訳無さそうに叔母の顔を見た。

「頼ちゃんの気持ちは分かるよ、俺よりも叔父さんが生きててくれてる方が嬉しい……」

「訳無いでしょ!馬鹿な事言わないでっ!」

 頼子は怒りに任せてエマの二の腕を掴む。痛くて悲鳴を上げそうになるが、その手から彼女の思いがひしひしと伝わってきて振り払う事が出来なかった。

「私はエマにも一聖くんにも生きててほしい、何で分かってくれないの?」

 頼子は感情が昂ぶって涙をこぼす。

「頼ちゃん……」

「もう二度とこんな事しないって約束して」

 エマは頼子の言葉にただ黙って頷いてから、傍らで体を支えている瀬戸山の方に顔を向けた。

「瀬戸山さん、我儘なのは分かってんだけど」

「集中治療室に行きたいんだろ? ちょっと待ってろ」

 瀬戸山はエマから離れて病室を出る。少し待つと杉浦を伴い車椅子を用意して戻ってきた。

「今晩が山だそうだ。頼子ちゃんも言ってた通り、覚悟はしておいてくれ」

 エマは杉浦の助けを借りて車椅子に乗り、その場に居た全員で集中治療室に向かった。


 集中治療室では怪我の状態が酷く意識の戻らない蕪木の治療が懸命に続けられている。そこには緊急で系列病院から助っ人として美濃もおり、蕪木の傷は生々しく体中に刻み込まれている。

「本来は立入禁止だが、君に現実を見てもらう為許可を頂いてる」

 エマは集中治療室の隣室からガラス越しに緊急手術の様子を見つめていた。瀬戸山の言葉通り、ここにいるのはエマ、瀬戸山、杉浦の三人だけで進藤一家は外に控えていた。

『俺は死なない、少なくともお前が生きてる間はな』

 蕪木はエマが幼い頃から口癖の様にそう言っていた。長らく忘れていた言葉だったが、いつだってエマの力になって無条件に手を差し伸べてくれた。父親が自身に無関心だった分、蕪木が実の父親であればどんなに良かったかという思いが何度も何度も頭をよぎった。

 蕪木が母倫子に親類以上の情愛を持っていた事は気付いていた。今となってはそれがどんなものなのかなどどうでも良い、両親以上に気に掛けてくれていた叔父の存在だけが絶対的な居場所だった。

 それなのにも関わらず、エマの不用意な行動のせいで蕪木は生死を彷徨っている状態だ。俺に出来る事は何だ? きっと何も無いのだがこうしてただ息を吹き返してほしいと願う事しか出来ない事がたまらなくもどかしかった。

『でもおじちゃんのほうがぼくよりうんととしうえだよ』

『そんなの関係無いさ、俺は不死身なんだ』

 そう言えば祖父が亡くなった時にも幼いエマにそう語りかけていた。父親が玉突き事故に巻き込まれて大怪我をした時も、叔父の存在のお陰でさほど寂しい思いはしなかった。『俺は不死身』その言葉に散々甘えてきたと思う、自業自得だがこんな形で蕪木を失いたくない。

「……にが『不死身』だよ、笑わせんじゃねぇぞ」

 エマは持てる力を振り絞って立ち上がり、ゆらゆらとした足取りでガラスに貼り付く。杉浦が引き戻そうとするもその手をさっと払い除けた。

「あんた死にかけじゃねぇか、まともに動けもしねぇでやんの」


 そうしたのは俺だろうが。


 脳内では自身の発言を批判するが、出てくる言葉は身勝手極まりないものだった。こんな言い方しか出来ないが蕪木に目を覚ましてほしい、エマは蕪木に向け必死に叫んでいた。

「いい大人なら自分の言葉に責任持ちやがれ! こんなとこでくたばりやがったら承知しねぇからな!」

 何年も大声を出してこなかった体はあっさり疲弊してへなへなと力が抜けていった。杉浦に支えられて車椅子に乗せられ、元の悪ガキに戻ったエマに瀬戸山は苦笑いしていた。

「俺始末書で済むかなぁ?」


 エマの願いが届いたのか長丁場だった緊急手術は無事に成功し、一般病棟に移された蕪木は、丸一日眠った後に意識を取り戻した。系列病院にいるはずの美濃がここにいる事に多少の驚きはあったが、それよりも甥っ子の事が気になってエマは? と訊ねた。

「開口一番それですか? あなたの方が重傷なんですよ」

 美濃は患者に対してとは思えない呆れ口調でため息を吐いた。

「そう易々と死ぬつもりはありませんよ」

「はいそうですか。彼散々暴れ回ったらしいですね、今その事で院内はピリピリしていますよ。瀬戸山先生も対応に追われています」

「関係者に迷惑を掛けました。せめて謝罪だけでも……」

「先ずは怪我を治してください、謝罪云々は瀬戸山先生付き添いの元本人がしてるみたいですよ。それにしても記憶の戻ったエマ君ははた迷惑な糞ガキですね、可愛かったあの頃が懐かしいわ」

 美濃は体を起こそうとした蕪木を引き留める。面目無い、蕪木は苦笑いするしかなかった反面、記憶の戻ったエマに早く会いたくて仕方がなかった。

「ご家族への連絡は私がしておきます、今は誰かしらエマ君の病室にいらっしゃるでしょうから」

「お手間掛けます、ただ進藤家にはエマを優先するよう伝えてください」

「そうはいきません、先程申し上げた通りあなたの方が重傷なんです。そうでなくても頼子さんが……」

 美濃はそこまで言って口をつぐむ。つい口が滑った訳ではなくわざと口を滑らせて蕪木の反応を窺っていた。

「頼子がどうかしましたか?」

「いえ、どうもしませんよ。結構な鈍感男ね」

 美濃はそう言い捨てて病室を出て行った。一人残された蕪木は美濃の言葉の意味が分からずキョトンとしている。

「だから頼子が何なんだ?」


 それから程なくしてエマは退院し、これまで通り瀬戸山のカウンセリングは続けている。加えて翌年度の定時制高校編入を目指し、高校教諭となって地元に戻ってきている神林指導の元受験勉強を始めていた。

 一方の蕪木は今回の怪我で歩行は困難になるだろうと診断されていた。このまま医師を辞した方がと思っていた矢先、海外での経験も豊富な整形外科医が赴任してきた事で状況は一変した。彼が言うには再手術が必要だが歩行は可能で、自身が執刀すると願い出てくれた。医師として働きたい蕪木の思惑と一致した形で再手術が行われ、無事に成功して復職に望みを繋ぐ。

「経過は至って順調です、今日からリハビリを始めましょう」

 蕪木は車椅子でトレーニングルームに向かうと、頭一つ分背の高い見慣れた男性が笑顔で手を振ってきた。

「お待ちしてましたよ、蕪木先生」

「私はまだ患者ですよ」

 蕪木は自身のリハビリトレーナーとなった杉浦に笑顔を返す。お互い気心の知れた者同士、医師不足を理由に休業状態の緩和ケア病棟の復興を目標に懸命なトレーニングが行われることとなった。


 再び高校生活を送ることとなったエマは、自身の学費を稼ぐためにアルバイトを始めていた。かつての様に頭痛で悩まされる事もほとんど無くなり、それなりにハードではあったが充実した毎日を過ごしている。

 夏休みに入ったある休日、エマは白いカーネーションと供え物として菓子を持って公営霊園のとある墓を訪ねていた。

「やっと来れたよ、しのぶさん」

 エマは少し前に奥貫の一周忌にあたる昇天記念日に参列したことで、彼女と過ごした日々の記憶を取り戻していた。初めて出会った日の事、院内公園で彼女お手製のお弁当を一緒に食べた事、ダンスパーティーを抜け出した彼女と満月を見た夜の事……。

「出来れば()の時に出逢いたかったなぁ」

 エマは墓の掃除をしながら一人そんな事を呟いていた。マジお前が羨ましいよ……エマは心の中に潜む別人格の“エマ”に毒付いていた。

『だったら彼女みたいな女性を探さないとね』

「そうそう居ねぇだろあんなイイ女」

 脳内に響く声に思わず反応してしまったエマの背後からコツンと音が聞こえてきた。振り返ると蕪木が立っていて、この日は杖の支えを借りている。

「そっちも墓参りか?」

「あぁ、お前もたまには従姉さんに挨拶くらいしろ」

「本当ならそうしなきゃいけねぇんだろうけど。どっか絵空事なんだよ、親の事なのに」

「寂しい事言うんだな」

 蕪木は甥っ子の言葉にため息を吐く。

「自分でも冷たいとは思うよ、けどしのぶさんの墓前で嘘は吐けねぇわ」

 エマは奥貫の墓前に向き合った。ここでなくても蕪木にはいずれ話そうと思っていた事だった。非情な息子だと思われても仕方が無い、それでも世間の常識に合わせて両親を偲ぶ振りをするのは無意味な気もする……そんな考えもあってどうも足が向かないままだった。

「建前だけで墓前に立たれても嬉しかねぇだろ、多分。それにあんたが考えてるほど俺寂しくねぇし」

「そうなのか?」

 蕪木は意外だと言わんばかりの表情を向ける。

「まぁガキの頃は寂しく思う事もあったけど……母親(・・)はそれなりに愛情向けてくれてたし逃げ場もあったから」

「逃げ場?」

「あぁ、俺はあんたを逃げ場にしてたんだ。その分迷惑も掛けてるけどな」

「俺は一瞬たりとも迷惑だと思った事は無いぞ」

「……」

 蕪木はエマの傍に歩み寄り、頭にポンと手を置いた。エマは下を向いて何かを堪えるかのようにぐっと小さく呻き声を上げた。小さく震える甥っ子をそのまま引き寄せると堰を切ったようにエマは嗚咽を漏らして泣き出した。

「大人になったからって一人で生きていけるほど甘い世の中じゃないんだ。辛い時は逃げたって甘えたって構わない、それはお互い様なんだから迷惑掛けてるとか思う必要なんてどこにも無い」

 蕪木はエマの頭をぐしゃぐしゃと撫で回した。

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