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刹那  作者: 谷内 朋
7/8

 親戚縁者のいない奥貫の葬儀は緩和ケア病棟で行われた。エマは憔悴しきっていたものの他のボランティアメンバーと共に葬儀の準備に動き回り、両親の時のようのトラブルを起こす事なくきちんと参列して奥貫の最期を見送った。

 その後最初の昇天記念日でも奥貫を偲ぶ態度を見せ、これまでと変わらずボランティア活動も真面目に参加していた。

 蕪木を始めとした親戚たちはそんな甥っ子の行動を成長と捉えていた。しかしこのタイミングで何故かエマの居ない間に蕪木と頼子が心療内科に呼ばれていた。

「どうした? 本人抜きでここに呼ぶなんて」

 蕪木は瀬戸山の意図が分からず冗談話でもするかの様に軽く訊ねる。ところが瀬戸山の表情は固く、普段飄々としているだけにその態度に妙な違和感を覚える。

「エマ君の診察日数を増やそうかと思ってさ。その了解を得るために二人をここに呼んだ」

 えっ? 蕪木と頼子は顔を見合わせる。

「何でまた急に?」

「奥貫さんが亡くなられたショックが大きいからだよ。只でさえエマ君は全ての記憶を取り戻している訳じゃない、この事をきっかけに何が起こるか分からないからね」

「七年経った今になって……そんな事あるのか?」

 蕪木は一年を過ぎた辺りからエマの記憶が戻った報告を受けていなかったためか、心の何処かでこのまま成長するのではと思っている節があった。

「無いとは言い切れない、葬儀でのエマ君は寧ろ立派な態度だったと言えるが。俺の杞憂で終わればいい、様子を診させてくれないか?」

 蕪木は隣に居る頼子を見る。頼子もその視線に気付いて蕪木の方に顔を向けて小さく頷いた。それで従妹の考えと一致した事を察し、瀬戸山に向き直った。

「宜しく頼む、エマには……」

「俺から話す。二人はいつも通りに接してくれればいいから」

 分かった。三人の間で話がまとまり、蕪木は頼子を見送ってから緩和ケア病棟に戻ると、ボランティア活動でリーダー格の女性が蕪木に駆け寄ってきた。

「少しお話出来ますか? 沖野君の事で」

「エマに何かあったんですか?」

「えぇ。場所を変えても宜しいですか?」

「分かりました」

 蕪木は女性を連れて別室に移動した。


 勤務上在宅ケアで不在の時間も多いし、同居とは言っても時間が不規則で顔を合わせる事もそう多くない。仕事を言い訳にしているのは重々承知しているが、それでも自分なりにエマを気に掛けてきたと自負していただけに、彼女から聞かされた話にショックを受けた。

「ここは私に任せてください、血縁者としての責任もありますがこの状況が続くのは業務に差し支えますので。ただ他言無用でお願いできますか?」

「分かりました。ボランティア内で気付いているのは私だけだと思いますので」

 二人はそれで別れ、蕪木は医務室に戻った。


「ただいまぁ、あら?」

 病院帰りにスーパーに寄ってから帰宅した頼子は、微かにする焦げた匂いに慌てて家に駆け上がる。投げるように荷物を置いて台所に入ると、付きっぱなしのガスコンロの上で鍋が煙を立てており、調理の途中と思われるエマは、水を垂れ流したままの状態で流し台に立っていた。

 兎にも角にも火災は困るとガスコンロの火を消し止めてから水道の水を止める。それでもエマは頼子の存在に気付かず、正面を向いてぼんやりとしていた。

「エマっ!」

 ちょっとした危機感を覚えた頼子はいつもよりも大きな声で甥っ子の名を叫ぶ。それでようやく我に返ったエマの体がビクッと震え、弱々しい笑顔でお帰りなさいと言った。

「ただいま、何か手伝おうか?」

「大丈夫だよよりちゃん……あっ! お鍋!」

 エマは頼子の脇をすり抜けてコンロの前に行くと、調理の途中だった中身は所々黒く焦げていた。炭と言うほどでもなかったが食べるには厳しい状態になっている。

「ごめんなさい」

「こんな事誰にだってあるわよ、今触ると危ないから先にこっちしよう」

 頼子が切ったままの野菜たちを指差してエマを呼び寄せ、二人で何とか夕飯を作り上げた。


 一旦気になりだしたせいか、エマの行動に抜け目が目立つようになってくる。今のところ家事のみだが、このままではボランティア活動でもいつ何をやらかすか分からない。瀬戸山の問診にも上の空だったりする事もある様で、エマをしばらく休ませることにして奥貫の眠る公営霊園に連れ出していた。

 奥貫は生前のうちに自身の墓を購入しており、入院の際に自身が死んだ時はここに埋葬するよう言われていた。葬儀は無縁葬だったので緩和ケア病棟のプロテスタント教会で執り行ったが、霊園側から何も言われる事なく仏式の墓に安置されている。

「ここに奥貫さんのお墓がある」

「そうなの?」

 エマは彼女から聞いていなかったようで驚きの表情を見せている。ここなら病院からは徒歩圏内、心療内科の診察帰りにいつでも立ち寄れると説明した。

 二人は軽く墓の掃除をして花と菓子を供える。風が急に強くなってロウソクに火を灯すのに手間取ったものの、線香を立てて墓前に手を合わせるとエマの顔から笑みがこぼれた。

「僕、病室に行けばしのぶさんに会えるような気がしたんだ」

 エマは蕪木が問い質そうとする前に自ら話を切り出した。

「でも新しい方が入院されるからもう入れないんだよね?」

「あぁ。ここなら誰にも迷惑は掛からない、時間制限はあるがな」

「うん、ここの方がしのぶさんを感じられる気がする」


 また来るね、しのぶさん。


 エマは心の中でそっと呟き、蕪木と共に霊園を後にした。


 奥貫の墓の存在を知った事でエマの精神状態はいくらか安定してきた。瀬戸山の問診を終えてからの墓参りが功を奏している様で、家事仕事もきっちりこなし、笑顔も増えてきてボランティア活動の復帰にも前向きな姿勢を示していた。

 この日も瀬戸山の問診を受ける為心療内科にやって来ていたエマ、いつもの様に第二病棟外来入口から入って心療内科に向かう途中で聞き慣れない子供の叫び声が聞こえてきた。

『おかあさぁーん!』

 その声にエマの体は硬直する。思考が止まり、視界がぼやけ、周囲の音も届かなくなってくる。

「お、母さん……何で……?」

 エマの意識はそこで途絶え、ぱたりとその場に倒れ込んだ。


『クソジジイッ!』

 エマは鍵を壊された自室に飛び込んだが、視界に入った状況に足が竦む。

『何だよこれ……』

 エマの体から血の気が失われていく。これから夏に差し掛かるというのに寒気が襲ってくる。立っている事すら耐えられなくなり、ぺたんとその場に座り込んでしまう。


 我ながら情けねぇな。


 頭の中ではそんな自分を嘲笑っていた。しかし心の中では恐怖心が支配し、体はガタガタと震えている。

 

 どうすればいい?


 とにかく我に返ろうと必死に思考を呼び覚まそうとあれこれ考えようとするも、後が続かず視界までぼんやりと霞んでくる。


 何かしなきゃ!


 そうして考えた末に取った行動は、手にしていたスナック菓子を食べてビールを飲む事だった。

 

 それだけ考えてしてる事がこれかよ?


 腰の立たないエマは、目の前の光景と自身のチキンっぷりにただただ笑う事しか出来なかった。頭はそこそこ冷静でいられるのに行動が全く伴っていない。そんな自分が情けなく今度は涙が溢れてきた。


 ったくどんだけ情緒不安定なんだよ俺。


 エマは部屋の中を凝視してビールを飲む。


 それにしたって夫婦揃ってこんなかよ?


 エマの瞳に映る二つの黒い影、いつの間に準備していたのか部屋の天井に吊るされている二つの紐にぶら下がっている二つの体。それが両親であることは瞬時に判断出来た、本当なら警察と救急を呼んで何らかの処置をしてもらう事だ。


 救急搬送されたところで助からねぇだろうけどな


 視界が霞む中残りのビールを飲み切ったエマ。


 そろそろ何とかしねぇとな。


 そう思って体に力を込めても立ち上がる事が出来ない。すると下の玄関が開く音が聞こえてきた。

『ごめんください、一聖です』

『……さん?』

 エマは蕪木の声に安堵した。甘えには違いないが今はどうやっても体が動かない。

『おじ……さん……』

 エマは再び溢れてくる涙を拭おうともせず蕪木を呼び続ける。本人は叫んでいるつもりなのだが、腹に力が入らず囁き程度の声しか出せなかった。

『おじさん……!』

『エマ?』

  

 やっと届いた。


 朦朧とする意識の中蕪木の足音が段々と近付いてくる。

『エマっ!』

 二階に上がってきた蕪木は虚ろな甥っ子ノ姿に驚きの表情を見せた。

従姉ネエさんは?』

 その問いにエマは部屋の中の物体を指差し、へらっと笑って意識を失った。


「……」

 エマが意識を取り戻したのは瀬戸山と問診をしている心療内科のベッドの上だった。

 

 今のところ誰もいない、ここでする事はただ一つ。


「お気付きになられた……沖野さん!」

 エマの様子を診に来た心療内科の看護師の表情が一変する。意識を取り戻した患者は、五階にあるこの部屋の窓を全開し、正に今飛び降りるかの勢いで片足を窓枠に乗せていたからだ。

「何なさってるんですっ!」

「うっせぇ! 邪魔すんじゃねぇよ!」

 引き留めようと駆け寄ってくる看護師に向け、手当り次第傍にある物を投げ付けていく。彼女は怯まずエマに近付こうとしていたが、百科事典レベルの大型本をぶつけられてバランスを崩し転倒してしまう。

 思わず悲鳴を上げた看護師の声で瀬戸山を始めとした他の医師が病室に集まってくる。警備の男性に引き留められたものの、火事場の馬鹿力を見せたエマはそれをも振り切ってしまった。

「邪魔すんなっつってんだろうが!」

 エマは尚も引き留めようとする警備員に椅子を振り回す。瀬戸山が何やら声を掛けてきているのだが、今のエマには全く届いていなかった。

 このままでは! 瀬戸山は警備員の前に飛び出してエマが振り回している椅子を掴む。

「早まるなっ! ここで飛び降りても何にもならん!」

「今更俺が生きてて誰が喜ぶ! 分かったような口聞くなっ!」

「何言ってる! 君が死んで悲しむ人間はいるんだぞ!」

「んな綺麗事聞きたかねぇ! だったら何ってあいつらわざわざ俺の部屋で首吊ったんだよ!」


 何だって? 記憶が戻ったのか?


 その考えが頭を掠めて瀬戸山の動きが一瞬止まる。エマは隙を突いて彼の腹を蹴り、別方向から駆けつけて来た男性に椅子を投げ付けた。

 腹を蹴られて息が詰まった瀬戸山はその場に倒れて苦しそうに咳き込んでいる。エマは構わず窓枠に足を掛け、すぐにでも飛び降りようとしたところに白衣の男性が駆け寄ってきた。

「エマッ!」

 その声にエマの動きが止まる。男性はエマの腕を掴んで引き寄せようとしたがそれを振り切って窓から身を乗り出していた。

 エマは飛び降りる体制に入っていた、男性も窓枠に足を掛けてエマの腰に腕を回したが……。

「一聖!」

 腹を蹴られて立てる状態ではなかった瀬戸山は白衣の男性の名を叫ぶ。窓際にいた二人の姿はほんの一瞬で跡形も無く消え去っており、次の瞬間外から複数の人間の悲鳴が聞こえてきた。


 それからどれくらい時間が経ったのかは分からないが、意識を取り戻したエマは辺り一面真っ白な場所に一人寝っ転がっていた。


 何処だここ?


 エマはキョロキョロと頭を動かしたが誰がいる訳でも何がある訳でもない。


 あぁ遂に死ねたか。


 エマは安堵の表情で伸びをすると、子供の声で死んでないよ、と聞こえてきた。

 

 何言ってやがんだ、どう考えてもここは現実世界じゃねぇだろうがよ


『うん、違うよ。でもあの世でもないからね』

 先程の子供の声がエマの思考に会話として答えてくる。うっせぇなぁ、そう思って振り返ると自身にそっくりな子供がいつの間にか背後に立っていた。

「誰だお前?」

『僕の名前は“エマ”、普段は君の心の中にいるよ』

「あ"? お前何訳の分かんねぇ事言ってんだ? さっさとあの世に案内しろよ」

 エマは苛ついた口調で子供を睨み付ける。しかし同じ顔をした子供は表情を変えずエマを見つめている。

『残念だけどそれは出来ない、それと言っておくけど叔父さん今かなり危ないよ』

 “エマ”の一言でエマの表情が変わった。


 叔父さんが?


『君を助けようとして一緒に転落したんだよ』

 エマは飛び降りる直前の出来事を回顧する。瀬戸山さん蹴り倒して知らん男に椅子投げた後、俺の名前呼んで腕掴んできたのって……。

『君は死にたい一心で記憶に留まっていないかもしれないけど、叔父さんは君の為なら命を捨てる位の覚悟はいつだって持ってるんだよ。今回は無謀だったと思うけど、叔父さんが死んだら僕と君が殺したようなものだよね』

「……」

『おじさんはもっと生きていたいと思ってるよ、意識は無くても君が一命を取り留めてるのは分かってるからね。例え後遺症が残っても、寝たきりになっても』

 エマは寝転んだ体勢のまま“エマ”の話を聞いていた。

「俺はまだ生きてるんだよな」

 うん。“エマ”は笑顔で頷いた。

「叔父さんまだ助かる可能性、あるんだよな」

『それは君次第、まずは目を覚まそうか』

 “エマ”は白い手をエマに差し出した。叔父さんを助けたい!でもまだ怖い……七年間殻に閉じこもっていたエマは“エマ”の手を取ることが出来ないでいる。

『余り時間は無いよ、今は叔父さんの事だけ考えて』

 分かった。覚悟を決めたエマは“エマ”の手を取って立ち上がった。

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