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「エマ君、患者さんの散歩、付き合ってくれないかな?」
この日もボランティア活動に参加していたエマは、リハビリでお世話になったトレーナーの杉浦に呼ばれた。
「分かりました」
エマは杉浦の後ろを付いて歩く。身長差三十センチ近くある二人が一緒に居るとまるで親子の様で、長い脚でさくさく歩く後ろをちょこちょこと付いて行く様子がまるでカルガモの親子行列といった感じだ。それを遠目で見つめていた久慈は人目もはばからず思わず噴き出してしまい、上司に頭を小突かれていた。
「奥貫さん、お散歩行けそうですか?」
杉浦はノックをしてからドア越しに声を掛けた。
『準備出来てるわ』
女性の声を聞いてから杉浦はドアを開ける。奥貫と言う名の患者は部屋のほぼ中央に位置している椅子に腰掛けてすでに待機していた。彼女はこの日もお洒落な服を着て綺麗に化粧を施していた。
「あら、今日はイイ男が二人もお供してくださるの?」
「またまたご冗談を、今日は歩かれますか?」
「そうね、体調も良いし」
二人は奥貫を間に挟むように立ち、ゆっくりとした歩調で散歩に出掛ける。
「この前はありがとう。お手をお借りしても宜しいかしら?」
「どうぞ」
エマは緊張しながら手を差し出すと白い手でそっと握ってきた。彼はこれまでに無い緊張感を抱えたまま患者の散歩に付き沿い、ふわふわとした時間を過ごしていた。
それからエマと奥貫との交流が始まった。勿論患者とボランティアという立場を逸脱したものではなかったが、彼女と一緒に過ごしているとこれまで感じたことの無かった胸の苦しさに悩まされるようになった。
一瞬病気になってしまったのかと言う考えが脳裏をよぎったが、特に体調が優れない訳でもなく熱がある訳でもない。食欲は多少落ちたが普段通りに動けているので、いつまでも理由が分からないまま一人悶々としていた。
エマは時々奥貫の散歩に同行していた。彼女はキッチンのある部屋を使用しており、時々栄養士の指示を仰ぎながら自炊を楽しんでいる。
「いつもこんなお婆ちゃんに付き合ってくれてありがとう、今日はそのお礼を兼ねてここでお弁当を食べましょ」
二人は院内公園に入り、空いているベンチに腰掛けて小さな弁当を二つ広げた。エマはありがとうございます、と言って綺麗に握られた小さなおにぎりを一つつまむ。それは自身の作るものよりもはるかに美味しく感じられ、あっという間に平らげてしまう。
「美味しいです、僕こんなに美味しく作れません」
「あら自炊なさるのね、だったら今度一緒に何か作らない?」
「えっ? でも……」
「大丈夫、先生には私から許可を頂いておくから」
楽しみが増えたわ。奥貫は綺麗な微笑みをエマに向けた。
そんなある日の夜、病棟内で交流の一環としてダンスパーティーが催され、エマは裏方として忙しく動き回っていた。一方の奥貫はお誘いがひっきりなしで、相手を変えつつ始終踊りっぱなしの様だった。そんな様子を気にしながら軽食を出したり後片付けをしていたのだが、三人ほどと踊ったところで奥貫の姿が見えなくなった。
しのぶさん? エマは仕事が一段落ついたところで持ち場をこっそりと抜け出した。どこ行ったのかな? ロビーやトイレを探しても見当たらず、外に出て病棟の周りを探していると、中庭のベンチに腰掛けて満月を眺めていた。
「外は冷えますよ」
エマの声に反応した奥貫ははにかむ様な微笑みを見せ、月灯りに照らされてとても美しかった。エマの心臓は跳ね上がるような脈を打ち、体が熱くなっていくのを感じていた。
「少し涼んでたの、隣座らない?」
エマは激しく打ち付ける鼓動を抑えながら奥貫の隣に歩み寄る。鎮まらない体の熱を感じ取られたくなくて一人分ほどの間隔を開けたところに落ち着いた。
この気持ちは何なんだろう? すぐには分からなかったが、これまで以上に奥貫と一緒にいたい気持ちが強くなっていた。そんな気持ちを察してか、彼女の方から間隔を詰め、エマの手をそっと握ってきた。
パーティーの夜以降エマは奥貫と更に親密になっていく。彼女と共に料理を作ったり院内公園を散歩したりと些細なものだったが、二人は時間を惜しむ様に小さなデートを楽しんでいた。
「最近何か良い事あった?」
二人の噂は瀬戸山の耳にも届いており、定期診察にやって来たエマを見てニヤリと笑う。
「良い事、ですか?」
「ほら、彼女が出来たとか」
彼女……そう言われてエマの顔が徐々に赤くなっていく。
しのぶさんが彼女……本当にそうなら嬉しいな
「ハハハッ、君も隅に置けないね」
「ち、違います! 彼女だなんて」
と呑気そうな会話をしているところに一人の男が乱入し、エマの名を大声で呼ぶ。
「何やってんだ! 診察中だぞ!」
瀬戸山は乱入男こと久慈に一喝するが、全く怯む様子もなくエマの元にずかずかと入り込む。
「それどころじゃないんだよ! 奥貫さんが!」
「しのぶさんがどうしたの?」
「さっき容態が急変した。瀬戸山先生、エマをお借りします」
急変? 今朝お会いした時はお元気だったのに。
エマは友の言葉が信じられず放心状態となる。
「ホラ行くぞ、きちんとお別れしろ」
「そんな事急に言われても……」
エマは久慈の残酷な一言に泣きそうな表情を見せる。瀬戸山もエマの傍に歩み寄り、立ち上がるよう促した。
「私も行こう、今行かないと後悔するぞ」
エマは二人に引きずられるように診察室を出て、奥貫の待つ緩和ケア病棟の一室に向かった。
部屋に到着すると蕪木と二人の看護師が待っていた。奥貫はただ静かにベッドに横たわり、その時をただ静かに受け入れている様だった。
「しのぶさん……」
エマはフラフラした足取りで奥貫が横たわるベッドに近付いていく。白い服から覗く彼女の腕はすっかりやせ細っており、自力で動かせる力も残っていなかった。
エマは何も考えず奥貫の手を握る。何か声を掛けたいのにこんな時に限って何も思い浮かばない。ただ離してなるものかと握る手に力を込め、剥き出しになった腕を優しく擦る。エマに握られている奥貫の手が微かに反応して弱々しいながらも手を握り返してきた。そしてうっすらと目を開けて口角を上げ、一言呟いてゆっくりと頷いた。
ありがとう……
奥貫の手から力が抜け、そのままピクリとも動かなくなった。蕪木は手首を触り、ペンライトで目の動きを確認すると非情な一言を告げた。
「ご臨終です」
と。




