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刹那  作者: 谷内 朋
3/8

 その後美濃から検査結果が報告され、外傷による記憶障害ではなかったとの事だった。脳内の情報処理も情報伝達も正常範囲内だった様で、相当思い出したくない過去があるのではないかと言った。

「ここからは瀬戸山先生に一任されて良いと判断致しました。ただそれなりの怪我でしたので後遺症が出てくる可能性も考えられます、定期的に検査はさせてください」

「分かりました、宜しくお願いします」

 とそこに若い男性が無作法に勢い良くドアを開けて乱入してくる。

「エマッ! お前学校辞めちまったのか!」

 男性はどこかの高校生の様で、制服を着崩して派手な色のTシャツを着ている。身長も高く見るからに腕っ節の強そうな青年で、生憎蕪木は勤務中の為ここには美濃と進藤姉妹しか居ない。

「静かになさいっ!」

 そんな状況でも美濃は全く怯まない。とにかくエマの身を守ろうと頼子と直子が庇う様に抱き締めた。

「うっせぇ! ババァは引っ込んでろッ!」

「ここは病院です! 医師の私が引っ込む訳無いでしょ!」

 美濃は掴み掛かろうとしてくる高校生の腕を捻り上げてあっさりと取り押さえてしまう。

「何モンだババァ!」

「お口の悪いクソガキね」

 美濃は取り押さえている手を緩める事なくニヤリと笑う。

「一体何事なんだ? って美濃先生?」

 騒ぎを聞き付けた蕪木が室内の状況に唖然としている。

「いえ、大きな()を捕まえただけですのでお気遣い無く」

「そうでしたか。ちょっと宜しいですか?」

 蕪木は床面にへばっている高校生に近付き声を掛ける。

「君ひょっとして桂剛(カツラゴウ)君か?」

「お、おぅ。アンタエマのおっちゃんか?」

「あぁ、蕪木一聖だ。美濃先生、もうこれ以上の騒ぎは起こさないでしょう、彼を私に預けて頂けませんか?」

「分かりました」

 美濃は桂と言う名の高校生を離し、もう大丈夫ですと進藤姉妹に声を掛けた。蕪木は桂を椅子に座らせてエマと面会をさせてみることにする。

「エマ、俺の事忘れたか?」

「う〜ん。でもおにいさんのおかお、しってるよ」

「マジか! 名前は桂剛、覚えてくれな」

「うん」

 エマは彼と話をするのが楽しそうだった。

 蕪木はかつてのエマから喧嘩のノウハウを教えてくれた学校の先輩だ、と桂の事は聞いていた。学校一の不良でありながら一旦気に入った相手に対しては一転、面倒見の良い兄貴分に変貌すると彼の事を尊敬していた様だ。

 こうして出会えたのも何かの縁かも知れない、そして桂は状況把握能力に長けていて空気も読める様だ。蕪木は直観を信じて彼に声を掛けた。

「この後時間取れないか?」

「おぅ、良いけど。エマ、また来るよ」

「うん、またねごうせんぱい」

 エマは嬉しそうに桂に手を振った。桂は照れ臭そうに手を振り返し、別れ際に会釈してきた頼子には珍しく丁寧な一礼をしたのだった。


「手前味噌ですまないが」

 蕪木は桂を連れて社員食堂に入る。ここは見舞い客も含め来院してきた患者にも開放されている。

「いえ良いっすよ。ここマジで安いっすね」

「あぁ、定食メニューは税込三百円で食べられる。時々は弁当も作るんだが、最近は専らここを利用してる」

「うわっ、学食より安いじゃねえか」

 食べ盛り成長期真っ只中の桂は嬉しそうに食券販売機を見つめている。

「今日は奢らせてくれないか、わざわざ時間を割いて貰ってるから」

「んじゃ遠慮無く。今はカツカレーな気分っす」

 了解。蕪木はカツカレーと日替り定食の食券を購入した。

「大盛りって出来るんすか?」

「あぁ、ただおかわりは出来ないから」

 蕪木ははしゃぐ桂を相手しながら食券を女性従業員に手渡す。

「今日は珍しく若い子連れてんだね?」

「あぁ、甥っ子の見舞い客だよ。学校の先輩だったらしいんだ、私も今日が初見でね」

「そうかい。あの子食べそうだね、大き目のカツ見繕ってやるよ」

「ありがとう」

 蕪木は気の良い従業員に礼を言った。

「ああいう子は温かい飯を腹一杯食わしてやれば素直で可愛いタイプだと思うよ、最近は何だかんだで食生活が満たされてない子供が多いからねぇ」

「そうですね、今の子供たちは大人顔負けの分刻みスケジュールに振り回されてますから」

「んじゃごはんよそっておいで、すぐ支度するから」

 彼女は食券を握り締めて厨房に入っていく。桂はごはんを大盛りにして福神漬けをたっぷりと乗せて上機嫌だ、蕪木はさっきまでむしろスレていた桂の変貌に思わず笑ってしまう。

「ん? 何すか?」

「いや、若いなと思っただけだ」

「まぁ、十七なんで」

 このところ大人たちに人間扱いされてこなかった桂にとって、蕪木との会話はなかなか貴重なものだった。見るからに不良少年な自分に対して偏見の視線を向ける事無く、一人の人間として接してくれているのがどことなく歯痒くて気恥ずかしかった。

『今一番信頼できる大人』

 桂もエマから蕪木の事はそう聞いていた。当時はそんなの上っ面だけだと言い返したのだが、今はその言葉の意味がほんの少し分かった様な気がする。

「あの女性の所に持って行けばカツとルーを乗せてくれる」

「さっきアンタと喋ってた人?」

「あぁ、勤続二十五年の大ベテランだ」

「へぇ」

 言われた通り女性の居る列に並ぶと、前に並んでいた客よりも明らかに大判のカツを乗せ、たっぷりとルーをかけてくれた。

「えっ?」

「若いんだからたんと食いな」

「あっどうも……」

 桂は吃りながらも礼を言い、列から離れて蕪木と合流した。


 二人はなるべく人から離れたテーブル席を選び、向き合って座るとまずは黙々と食事を摂る。

「学食のカレーより美味いっす」

「良かった、冷めないうちに食べてしまおうか」

「はい」

 二人は食事の間中一言も言葉を交わさなかった。

 桂は山盛りにしていたカレーをものの十分ほどできれいに平らげてしまい、満足げに腹をさする。

「ごちそうさまでした。って普段こんな事しねぇなぁ」

「敢えて一人の時にしてみると良いよ、少しだけど気分が変わる」

「んー、一人で飯食っても美味くねぇから。それよりエマの奴何かあったんすか?」

 やはり彼は察しが良い。蕪木は最後に残っている味噌汁を飲み干して箸を置く。

「その事なんだが……」

「あの事故で何があったかは知らねぇが、アイツこれまで見せた事の無い目つきしてた。何てぇか、めちゃくちゃ純粋な子供みてぇにキラキラしてて、アレはアレで嫌いじゃねぇよ」

 桂の一言でようやく決心が付いた。ここに誘っておいて何だが、正直に話してよいものかまだ迷っていたのだった。もう少し桂の人となりを見極めるつもりで、先ずは互いに向き合って話をして別れるだけでもいいと考えていた。

「あの事故の影響で五歳までの記憶しか残っていない」

「それでもエマはエマだ、アイツは記憶に関係無く俺を毛嫌いしてねぇ。それなら俺も記憶が云々なんかどうでも良い」

 彼なら大丈夫だ。今エマと面会が出来るのは主治医である瀬戸山と美濃、二人に選抜された二名の男性看護師、親族である蕪木と新藤一家のみで、個室を用意してもらって知人との接触を避けてきた。

「君が自由に面会できるよう手配しておくよ。今日はどうやって潜り込んだかは聞かないことにするが、今度からは必ず受付を通ってくれ」

「面倒臭ぇけど分かったよ。そっちの事情も分かったし、俺の行動でエマが好奇の視線に晒されるのは気分良くねぇわ」

 桂は単純に信用してもらえた事が嬉しかった。だったら俺もそれに答えるまでだ、素行不良で何かに付け誤解されやすいのだが、少なくとも好意を向けてくれる相手には割と素直で聞き分けの良い男であった。


 それから程なくしてエマのリハビリが始まった。担当のトレーナーは杉浦義仁(スギウラヨシヒト)と言う名前の身長二メートルに近い大男だった。

 エマは大層彼に懐いており、杉浦は杉浦で相変わらず脳内五歳児のエマを蔑視することなく可愛がっている。時折桂も見舞いがてらリハビリに付き添っているのだが、なぜか杉浦をライバル視していてエマを取り合っている状態だ。

「リハビリ終わったら昨日の続きしようぜ」

 桂はスマートフォンをちら付かせてエマを釣りにかかる。骨折していた事と一時期の寝たきり生活のせいで初めは立つことすらままならなかったのだが、本来の運動神経の良さのお陰か杉浦による指導との相性が良いのか、わずか数日で歩行の方はほぼ問題無くこなせる様になっていた。

「うん、やろうやろう♪」

 エマは桂に近付こうと嬉しそうに歩行を早めるが、早歩きはまだ難しかった様でバランスを崩しそうになる。桂は慌ててエマに駆け寄ろうと前のめりになるも、そこはさすがプロの対応は迅速で先を越されてしまう。

「エマ君、早歩きの練習は次から。ねっ」

「はい」

 エマは再び棒に掴まってゆっくりと歩行の練習を再開する。桂は先を越された嫉妬も多少あったのだが、杉浦の行動を目の当たりにして自身の未熟さを痛感してしまった。


 俺ひょっとしてエマの足引っ張ってないか?


 これまでの彼であればそこで拗ねて立ち去ってしまっただろう。しかしこの日はぐっと堪えて最後までエマに付き添い、約束通り一緒にゲームを楽しんでから病院を後にしたのだった。


 この日非番だった蕪木は久し振りに沖野家の前に居た。先ずは家の中を片付けよう……そう思い立ってここで業者と待ち合わせをしている。


 それにしても荒れ放題だな。


 たまに進藤姉妹の母晴子(ハルコ)が郵便物を回収したり庭の草むしりはしてくれていたのだが、この時期の雑草は成長著しく既に緑色まみれになっている。

 蕪木と進藤一家で話し合い、一度綺麗に掃除してから最終的にエマを立ち合わせ、売却の同意を得られてから不動産屋と話を進める事になっている。

 それから程なくしてワゴン車と軽トラックが沖野家の前に停車する。車体には派手な色合いで会社名と連絡先がペイントされていた。

「本日のご利用誠にありがとうございます」

「宜しくお願いします、車はそこの車庫と中庭を使ってください。今から開けますので」

 蕪木は車庫のシャッターと外門を開けて車を招き入れる。二台の車からは男女二人ずつ出てきて早速庭から中を覗いている。

「下の階だけでしたら一日あれば」

「あとは二階のお荷物を進藤さん宅にお運びするのに一日、最終的なクリーニングと外の掃除で一日、計三日あればひと通りの作業は終えられますね。本日は一階の清掃を済ませましょうか」

「宜しくお願いします』

 蕪木は業者四名を招き入れた。


 業者に一階の清掃をしてもらっている間、蕪木は二階の一室でエマの記憶が甦りそうなものを探していた。アルバム紀行も進み、小学校時代に突入していたからであった。

 幼少期の頃の記憶は以前よりも鮮明に覚えていてむしろこちらが戸惑うくらいだったのだが、実在する記憶が脳内記憶を追い越した辺りからエマの表情に陰りが見え始めた。謂れの無い罪を突き付けられて困惑している、蕪木にはその様に映っていた。

 それでもここでやめる訳にはいかない、後々困るのはエマ自身なのだ。蕪木は歩みを止める気は無かったが資料は多い方が良い、そしてもっと時間を掛けよう……そんな事を考えていた。

 物置部屋にある収納ボックスやクローゼットを開けまくり、小学校時代にエマが気に入っていた物が無いか探していた。彼が自分で掃除をしていた頃は『もう使わない』と捨てていたのだが、彼の亡母倫子(トモコ)がその一部をこっそりと保存している事は知っていた。

「どこに置いてんだ?」

 倫子は家事が得意ではなかった。幼い頃から身体が丈夫ではなく、少し動けばすぐに疲れてしまう体質であった。だからどうしても家事仕事が追い付かずにゴミが溜まったりする事もしょっちゅうだった。それでも彼女は常に一生懸命だったからこそ、不良少年と言われていたエマが、母に代わって家事仕事をこなしてきた。

「あの、ちょっと宜しいですか?」

 蕪木は業者の女性が二階に上がってきている事に気付かず、思わずわっ! と声を出してしまう。

「驚かせてしまい申し訳ございません、少しだけお時間頂いても宜しいですか?見て頂きたいものがあるんです」

 彼女は蕪木を誘って下に降りていく。何だろう?と思い付いて行くとリビングはすでに片付いていた。この部屋の床を見たのは一体何年振りだろうか?

「これって凄くないですか?」

 女性作業員はオレンジ色のファイルを手に嬉しそうにしている。この家の事はある程度把握しているつもりだった蕪木も、このファイルに見覚えが無かったのでどう『凄い』のか皆目見当が付かない。

「こんなに丁寧な作業をされてる方、なかなかお見受けしませんよ」

 彼女花ファイルを開いて蕪木に見せてきた。それを受け取って中身を見ると、小学校時代の学級通信が綴じられていた。時々クシャクシャになったものもあり、エマが捨てたものを戻して一生懸命シワを伸ばしている姿がすぐに想像出来た。

「他にも同じような物が何冊か見付かりましたよ、ご覧になりますか?」

「えぇ、是非」

 蕪木は他のファイルも受け取って中を見ると学校給食の献立表が綴じられていた。生前であればどうしてこんな物を? と思うだろうが、今はエマの記憶を戻せる可能性のある物であれば何でもいいから残っていてほしいと願うばかりであった。例えすぐに効果が表れなくとも、こうしてきちんと残しておけば何度だって見直す事が出来るのだ。

 倫子がこの世から居なくなってしまったのは残念極まりない事だが、彼女の小さな努力は必ず報われる日が来るはずだ。生き残っている自分たちがエマを幸せにしてみせる、横暴な誓いのような気もしたが、今の甥っ子には守ってやる存在が必要だ。

「このお家、一見荒れてはいますが所々綺麗に片付いているんですよ」

「ご存知でしたか? トイレと風呂は新居レベルの綺麗さですよ。基本的な洗浄のみで充分でしたから」

 業者たちは口々に倫子とエマの頑張りを褒め称えてくれる。蕪木は二人の頑張りを見てきたので、初対面の彼らの言葉は素直に嬉しかった。

「水回りの掃除は今は入院中の甥っ子がしていました、母親は虚弱体質でしょっちゅう体調を崩しておりましたので」

「そのようですね、やりかけの状態も見受けられますから。この調子ですと予定より早く終われそうですので、二階部分の荷物を梱包も済ませてしまいましょう」

「助かります、今のうちに選別しておきますよ」

「でしたらダンボール取ってきます」

 最若手らしき男性が軽い足取りで外へ出て行き、蕪木はファイルを片手に二階へと上がった。

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