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第23話 着火

「シャルロ様! 大丈夫ですかっ」


 その行動の速さは、まさに疾風さながらでした。


 シャルロ様は突然目の前に現れた私を、いつになくあっけにとられた表情で見つめていました。先ほどまで隣に立っていたティア様も少し離れたところでぽかんと私の背中を見つめています。


 私は抱えていた野草入りのバスケットを脇に降ろすと、彼が右手で押さえていた左手を優しくちょうだい致しました。シャルロ様は突然のことに全く事態を呑みこめなていないようで、長い睫毛をぱちぱちさせながら私を凝視しています。


 予想通り、その細い指からは真っ赤な血が滴っていました。


「指を怪我されたのでしょう?」


 形の良い中指から真紅の血がちろちろと垂れ落ちる様は見ていて痛々しいものでした。

 シャルロ様は呆然と私にさらわれた自分の手を見つめた後、ややもして、うわずった声で返事をされました。

 

「えっ。あ、ああ。そ、そうだけど……」

「貴方様の御指がこのような怪我を負うなど一大事です。このご様子では、まだ傷口を洗い流していないですね?」


 彼はなにがなんだか分からないという若干怯えた顔をしながらも私の気迫に気圧されて、こくりと頷いたのでした。あっけにとられている彼の手を握り返すと、私はシャルロ様を談話室の中に引っぱってゆきました。


「ネ、ネリ? ちょっと! 引っ張らないで!」


 声を荒げながらも、引きずられるようにしてついてきてくださるシャルロ様。


 談話室のウッドテーブルの下には、綿毛みたいに真っ白な子猫がうずくまっており、どたばたと入り込んできた私たちを視界に入れるなり心細そうに「みゃあ」と鳴いたのでした。

 可愛すぎる……!

 これはシャルロ様が心を撃ち抜かれて手を差し伸べてしまうのも分からなくない可愛さです。


 そのまま二人で流し台の前に立ち、蛇口をひねりました。予想通り、流しの隣に置かれているまな板の上には包丁と剥きかけのままになっている林檎が無残な状態で転がっていました。子猫に林檎とくれば、やはり私の見立ては間違っていなかったようです。


 呆然としている彼の左手をとり、勢いよく流れている水にその患部を当てます。


「ちょっ! 何するの! 痛いったら!」

「少し染みるかもしれませんが、我慢してくださいませ」


 一般的に切り傷を負った場合の処置として、とりあえず消毒液で消毒を施すことが想起されがちですが、実はこの方法は間違っています。皮膚には元来外部からの菌の侵入を防ぐバリアが備わっているのに、消毒液はこのバリアも一緒に洗い流してしまうためです。


 水でしたら、そのバリアまで一緒に洗い流してしまうことはないので、雑菌だけを洗い流すことができます。よって、切り傷を負った場合、まずは水によって患部を洗浄することが先決なのだそうです。

 ちなみにこの豆知識は、全てゲームでのティアが言っていたことの受け売りです。


 シャルロ様は最初私のことを睨んでいましたが、段々と眉尻を下げていき、しょんぼりとした顔つきで私にされるがままになっていました。


 血を綺麗に洗い流した後、蛇口を反対にひねって水を止め、患部を仔細に眺めます。傷はそこまで深くはなさそうです。このくらいの浅い傷でしたら、後はガーゼで止血し、包帯でとめておけば問題ないでしょう。


 私はポケットでしたためておいたミニ救急セットを取りだし、シャルロ様の御指にガーゼを当てました。少ししてガーゼをはずしてみると止血が無事に済んだようでしたので、包帯を丁寧に巻きます。


 ふう。

 これで、応急処置は完了です。

 我ながらうまく負けた包帯を巻けました。

 自画自賛となってしまいますが、手際もかなり速かったように思います。


 達成感に満ちていると、シャルロ様が私に握られている手を見つめながら、ぽつりと言いました。


「ネリ。さっきから言おうと思っていたんだけど…………距離、近くない?」


 隣で徐々に目の下を赤く染めていくシャルロ様を眺めている内に、ぎょっとしました。


 言われてみれば、肩が触れそうなほどに近い距離にシャルロ様がいらっしゃる…………。


 途端、燃え上がるように頬が熱くなりました。


 私としたことが、ティア様がシャルロ様のイベントに関与することを阻止せんと夢中になるあまり、シャルロ様に接近し過ぎた! なんという失態!


「も、申し訳ございません……! 私としたことが、なんと差し出がましいことを」


 即座に彼から手を離し距離を取ろうとしたら、何故だか腕を強く掴まれました。


 なんでっ!?


「ちがう! ダメって言ってるんじゃない」

「ええっ? よ、よくないですよ! 私のような卑しい身分の者がこのような……」

「僕にこんな手荒なことしておいて、今更それ言うの?」

「うぐっ」


 離れようにも、彼の掴んでいる腕の力はこもるばかりで、身動きが取れません。

 恐々と目と鼻の先のシャルロ様の顔を見上げます。


 この磨き抜かれたアメジストの瞳に映るのは、間抜け面をしている私だけ。

 心臓がいつになく脈打ちました。

 ずうっと見つめていたら、なんだかこの瞳の中に吸い込まれてしまいそうだ。

 実は人間ではなく妖魔なのだと告げられたほうがまだ納得できるほどに美しいご尊顔に惑わされまいとうつむきました。


 よし。一旦、落ち着いてとりあえずは非を詫びよう。


「も、申し訳ございません……ただ、貴方様の御指にもしものことがあったらと思ったら、考えるよりも先に身体の方が先に動いてしまいました」


 真の目的はティア様が今の私と同じことをやってのけ、彼らの距離が縮まることを阻止することでしたが、今の私の言い分も全くの口から出まかせというわけではありません。シャルロ様は国が誇る音楽の天使。この指には、国宝級の価値があるのです。


「……なんで僕が指を怪我してたこと、すぐに分かったの?」


 切なげな吐息とともに放たれた言葉が、胸を衝きました。

 動揺を悟られまいと、彼からできる限り視線をそらしつつ愛想笑いを浮かべました。


「それは……シャルロ様が、指を見つめて苦しげに顔を歪めていたからですよ」

「本当にそれだけ? あんなに遠くから、そんなに一瞬で把握できるかな」


 私の心の内を見定める様に、すうっとその宝石にも劣らぬ瞳が細まって、息をすることすら苦しくなっていって。それでも、事実を語るわけにはいかないから、私はなんとか微笑んでみせました。


「ええ。私が普段からどれだけシャルロ様のことを気にかけていると思っているのですか」


 そういうと、いつもは頬を赤らめて憎まれ口を叩くのに、今日ばかりは違っていて押し黙ってうつむいてしまいました。


 それから、ぽつりと一言、消え入るような小さな声で言ったのです。


「……裏庭で、猫にあった。酷く、お腹をすかせていたんだ」

「テーブルの下にいる、あの子猫ですね」

「…………うん。でも、野良猫を拾っただなんて、王族としての沽券に関わるでしょ。だから、今まで生きてきて触ったこともなかった包丁を初めて握ってみたらこのざまだ。無様でしょ。笑いたければ、笑いなよ」


 そう言って唇を噛んだシャルロ様を見ていたら、なんだか微笑ましい気持ちになってきました。瞳は三角に吊り上っているけれども、頬は赤らんでいるのです。私よりもずっとずっと背が高いのに、なんだか急に小さな子供のように思えてくるのだから不思議です。


「そうですか。シャルロ様らしいですね」

「えっ」


 虚を衝かれたように顔をあげ、見開かれた大きな瞳は驚いたように私を見下ろしていました。


 人が第一にシャルロ様に抱く印象は、間違いなく、地に足のついていない女タラシ。

 でも、ホントのシャルロ様は……世間が抱いているイメージとは、全くの別人。

 子供っぽくって、不器用で……ついついからかってしまいたくなるようないじらしい人だ。


 それに……奔放に生きているから悩みなんてなさそうに見えるこのお方も実は、淋しさを抱えている。

 彼がティアに痛ましい表情でその秘密を語った時、前世の私には、彼の気持ちが痛い程に分かった。

 私たちには、似ている部分がある。

 本来なら雲の上に君臨しているシャルロ様にどこか親しみを感じているのは、そのためなのかもしれない。


「だって、シャルロ様はなんだかんだ言いながらも、その子猫を救ったでしょう。私は貴方のそういう不器用な優しさが、好きですよ」


 ゲームの中でこのイベントのオチは、子猫を抱えて廊下を歩くシャルロ様の姿は当然のことながらいろんな人に目撃されており、結局噂が広まってしまうというものなので、この世界でもそうなることでしょう。しかし、今はそのことはあえて黙っておきます。抜けている所も彼の魅力ですので。


 あれ。

 シャルロ様が、急に押し黙ってしまった。


 奇妙な沈黙が私たちを包み込みました。

 なんだか、やけに胸騒ぎがする。心臓に悪いです。


 今すぐにこの場から逃げ出したいような気持ちに傾きかけたその時、彼の形の良い唇から、ぽつりと言葉が漏れました。


「……ネリって昔からホント馬鹿で、間抜けで、能天気」

「ひどすぎませんか!?」


 このシリアスっぽいシーンにそぐわぬ突然の罵倒のオンパレードに目を剥きました。


 毛を逆立てた猫みたいにふーふーと威嚇をしていたら、急にシャルロ様が、私のことをじっと見据えました。紫の瞳の奥には、いつになく真剣な色が揺らめいていました。


「それなのに……ネリといると時折、心臓を直接触られているみたいな気持ちになる」


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