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逃げたい気がしました

作者: 栩堂光

私は私のために生きているはずなのに。

目が覚めた。


朝に関する体内時計は正確なので、おそらく今は八時くらいだろう。三時に寝てきっかり五時間だ。ローテーブルに突っ伏していたからか、肩こりがひどい。

ぐるぐると肩を回していると、かけられていたらしいブランケットが肩から滑り落ちた。なるほど、気遣いの出来る友人だ。



ここは弟と同居している我が家ではなかった。



レポートの締め切りに焦ったゼミ仲間の中で、大学に一番近いヤツの家の集まり、泊まり込みグループレポート大会をしていたのだ。…うちも大学からそう遠いわけではないが、その日は弟が彼女を泊めると話していたのでそれとなく断った。


家の主を含めて総勢四名。

しかしパソコンは一台。

紙媒体にまとめるチームと打ち込むチームと二人ずつに分かれて流れ作業をすることで片付ける作戦である。こういう時の学生の団結力というものは素晴らしい。レポートの下書きがあっという間に終わり、夕方頃にはパワーポイント用の打ち込みを残すのみとなって。どうも言い回しが納得しなくて、他のやつらがゲームやり出したりテレビ見始めたりするのをよそに、三時までタカタカタカタカ一人でやっていたわけだ。そして終わってそのまま寝た。


あらかた身体の骨をパキパキ鳴らしたところで部屋の中を見回すと、ゲームをしていた一人はソファで死んでいた。死んでるやつにもブランケットがかかっていたので、家主がやってくれたらしい。ありがたい。



立ち上がって台所へ向かい、冷蔵庫を開いて漁る。寝る前に勝手に使う許可は取ってあるので、適当な朝食を作ることにした。

ご飯は昨日の夕食のお茶漬け用に炊いた残りがあるので、それをレンチン。あとはだし巻き卵と使いかけの玉ねぎとナスと乾燥わかめで味噌汁。まあよその家で簡単に作らせてもらうならこんなもんだろう。


勝手知ったる戸棚から調理器具をいくつか引っ張り出してきた。適当に髪をくくって邪魔にならないようにしてからスタート。鍋に水を張り、顆粒だしを振り入れる。家主は愛知出身なので八丁味噌使いだ。我が家のお安いだし入り味噌とはわけが違うので、作る側としてもかなりわくわくする。

乾燥わかめを水につけて、玉ねぎとナスを適当に切りながら、ふんわりと漂ってくる優しいだしの香りに一人で頬を緩めていると、ソファで死んでいたやつが起き出していた。



「なに、朝飯?」

「いる?」

「食う。なに作ってんの」

「味噌汁とだし巻き卵」

「へえ」



お互い寝起きなので口数は少ない。顔洗ってくる、と短く言い置いて立ち去るそいつに返事をしながら、鍋の中に切った玉ねぎとナスを投入。中火でくつくつとじっくり火を通す。私は味噌汁の玉ねぎはしゃきしゃきしていない、くたくたに煮込まれて甘くなったやつが好きなのだ。薄切りにしたから柔らかくなるまでにそこまで時間はかからないだろう。

煮込んでいる間にボウルに卵と顆粒だしと、醤油と砂糖、ちゃかちゃかと混ぜる。白身は箸で切るように。


鍋の火を超弱火に落としわかめを投入、それからおたまに味噌をとって菜箸でつつきながら溶かす。味見を一回だけして、ほんのちょっと足す。…匂いが普通の麹味噌と違って濃い気がするし、お腹をすごく刺激する。

幸せな気持ちに浸りながら卵焼き用のフライパンを出して、レンジにご飯を放り込んでからだし巻き卵をさくさく作っていく。昔は手こずったけれど、要領を覚えてからは簡単だ。手前側に回転させて、また生地を流して。ここでもじゅわりとだしの匂い。腹の虫がくうっと鳴いた。


平皿に乗せて切り分け、ピーッとレンジも鳴いた時、顔を洗いに行ったあいつがようやく戻ってきた。



「めっちゃいい匂いする」

「長かったじゃん」

「ついでにシャワー入ってた」

「なるほど」



箸とコップを出すように指示を出しながら、味噌汁の火を止める。お椀と茶碗二つに盛って運ぶ。

私が突っ伏していたローテーブル、そこにあったパソコンとレポートの下書きの山があいつによって(かなり雑だが)撤去されていたので、そこに置いた。


だし巻き卵と味噌汁と、ご飯。

目の前に並んだこの上なく質素な朝ご飯に、そいつはきちんと合掌した。ちょっと軽薄そうに見えるのに、育ちはちゃんとしているらしい。



「いただきます」

「めしあがれ」



そういえば、いただきますって言われるの、久しぶりかもしれない。


隣に座りながらぼんやり考える。久しぶりに感じるほど、弟とはもう食卓を共にしていないし、私はしばらく誰かのために食事を作っていない。

そこまで思い出した時、隣に座るそいつが箸を取って私の作ったものに手をつける様子を注視したくなったのは、当然だと思う。


丁寧にだし巻き卵を半分に割って、口に運ぶ。咀嚼。飲み込む。



「うん」



ご飯を口に運ぶ。咀嚼。飲み込む。味噌汁をすする。



「うま」



大したものじゃないけど。

誰かのために続けてきたわけじゃないけど。



「そっか」

「うん、うまい」



そう言ってくれるのは、本当に、本当に。



「これなら昨日お茶漬け大会とかしなくてよかったじゃん」

「作業に追われてたんだからしょうがないでしょ」

「それもそうか」



たまらなく、嬉しい。


私も箸をとってだし巻き卵を口にする。



「…おいしい」

「自画自賛か」

「ホントにうまくできたんだよ」

「だろうな」



めっちゃうまいもん。これ。


ご飯を頬張って味噌汁をすすりながら行儀悪く言われたそれに、思わず泣いてしまわないように涙腺をせき止めるのは苦労をした。




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