エピローグ
その後、私は何の反論もなく、目的だった神社の参拝もなく、逃げるように山を降りた。
天海勇人。
芸術家ならぬあの表現者の存在は、私には刺激が強過ぎた。自分が贋物だと思い知らされた。
暫くの間、私はあの人について可能な限りを調べた。
恐ろしい絵を描く人だった。
偏り過ぎた価値観から産まれたであろう、無数に存在する『夢の中の怪物』と銘打たれた彼の作品は、海外で『殺人絵画』とまで呼ばれていて、少なくともその絵を直に見たことによって、二十一人もの人間が亡くなったと言われている。
全員が全員。自分の瞳を自分の指で抜き取って死んだらしい。
『死そのものを表現した絵』だと、オカルト界では有名だった。その反面、そう言った付加価値ゆえか、芸術的な面での評価は低く、『胡散臭いグロテスクな絵を描く若造』と言った低い見られ方をしている一面もあった。
しかし正しいのは前者の評価だろう。あの時勇人さん自身が言ったように、桁外れな才能と言うか表現力を正当に評価できる程、芸術界の人間は真っ当ではなかった。嫉妬深い、狡賢い、偽札作りだった。
天海勇人の絵は本物だ。彼は自分の残りの人生を余生だと言っていた。それはつまり、表現者として既に完成してしまったことを示すのだろう。だからこそ、誰も評価を付けたがらない。あれを最高の芸術としてしまったら、あまりにも多くの人間に才能がないことになってしまう。
私自身もそうだった。
たった一度だけ、天海勇人の絵を見てしまった。
見て。視て。観て。
見られて。視られて。観られて。
魅入られてしまった。
私はその場で発狂した。自分の矮小さに耐え切れず、全ての自己を否定した。
まったく記憶にないのだけれども、危うく自分の右手で自分の右目を抉り取ってしまう所だったらしい。奇声を上げる私を取り押さえるのに、大の男が三人も必要だったとか。
私が目覚めたのはその翌日の深夜。病院の清潔なシートの上で、光の一切ない闇の中で、私は早鐘のように打つ心臓の痛みに耐えながら、声を殺して泣いた。
アレが本物なのかと、心の底から、魂の奥から理解が出来てしまった。絶対的な敗北。絶対的な絶望。百年かかったとしても、表現者としての私は彼の足元にも及ばない。才能と言うのはああ言う物のこと指すのか。なるほど、確かに、あの風景画なんてただの暇潰しでしかないだろう。
あんな物を見てしまえば、表現者になんてなろうとは思わないだろう。
しかし。
「ふざけるな」
と、私の心とは裏腹に、口からはそんな言葉が飛び出した。
何故? とも思ったが、しかし意外にもその言葉は、心情を表すにはこれ以上なくぴったりだった。これ以上ない敗北を経験した私の感情を支配するのは、あの俯瞰したようなことばかり言う男に対するべく激しく燃え上がる対抗心。
以降。私は自分の歌詞を歌うのを辞め、曲に声を乗せるのも辞めた。あらゆる芸能活動を拒否し、ただ想いを声に乗せることだけに専念した。
当然ではあるが、事務所の反対は凄まじかった。既に私の歌は私だけの物ではなかった。作曲家が、作詞家が、デザイナーが、イベント企画者が、テレビ局が、ラジオ局が、私の不在とそれが産む損失を嘆き、なんとか私の考えを改めようとした。
が、本物の表現を目の前にして感じとってしまった私の心に、あの拝金主義者共の声は届かず、冷徹にその全てを無視した。
それに騒々しい批判の数々も、私が心の底に在る新しい感情の為だけに歌っている内にそれも消えた。激しい感情を持った私の歌声は、今までよりも遥かに売れるようになったらしい。言語に頼らない声には国境すら関係なかったのだから当然だろう。
しかしそれでも、私の歌声があの人の所に届くまでに長い時間がかかってしまった。
あの出会いから十年と少し。
私の元に一枚のキャンバスが届いた。正確には事務所なのだけれど。
それは歌う女性が描かれた一枚の油絵だった。
精巧な人の絵。女性だった。私の歌声が聴こえる程、その絵は私に相似していた。
「凄いですね。これ。鏡見たいだ」
と、マネージャーが隣で呟いた。本当に、この人はセンスがない。よりによって、光の反射による現象と同列に比べるだなんて。
「送り主に心当たり、ありますか?」
勿論、ある。
私が出し続けた挑戦状に対する返しなのだから、当然だ。これは私を表現者として認めてくれた証。ここ数年。あの人の為だけに歌い続けた私の声に乗った想いの答えなのだから、わからないわけがない。
が、しかし。
「参ったなー」
敵は流石としか言いようがない。ここ数年、私はメディアに一切の露出をしていない。それでなくとも、昨日切ったばかりの髪の毛の長さまで寸分の狂いなくこの絵で表現するなんて普通の手段ではない。
つまりあの人は、私の歌声だけでここまで私の姿を予想し、想像し、再現したと言うことだ。
何が余生だよ。明らかに十年前よりも、その表現力は更に先を進んでいるじゃあないか。
でも、まあ、良い。
私の声をこんなにも正当に評価してくれる人がこの世界には少なくとも一人いるのだから。