天海勇人の回答
果たして、絵の価格とは何か。私はこの時、
「えっと、技術の高さ、ですか?」
と、答えた。
「惜しい。画材の高さや、でかさだ。高級食材を使えば料理が高くなるのと、同じ理屈だ」
が、勇人さんの答えは私の予想を裏切る単純な物であった。全然、惜しくはない。
「鉛筆で書いただけのこの絵の価格は、小学生が絵具を使って書いた落書きよりも遥かに低くなるだろうな」
「でも、そんな」と、私は反論を口にした。「小学生にこんな絵は描けませんよ」
「小学生の様な絵を、俺も描けないんだけどな」
皮肉気に笑い、勇人さんは続けた。
「確かに、コレは中々のもんだと思う。少なくない時間と労力を費やしている。じゃあ、第二門だ。馬鹿みたいに高い値段の絵は、どうしてそれだけの価格が付くと思う?」
と、この時になって勇人さんはキャンバスに背中を向け、私の方へと身体を向けた。眼帯の下から、私自身の底の低さを見透かされているような錯覚。唾を飲み込み、ぎゅっと拳を握り、続けて出された問の答えを考える。
馬鹿みたいに高い値段。果たして、画家である勇人さんが絵の値段に付いて『馬鹿』なんて付けて良いのかは疑問が残るが、それは後廻しだ。重要なのは目玉が飛び出る程に高値が付く絵が存在する理由だ。
単純に考えれば、それだけの価値があるから、相応しい価格があるのだろ思うのだが、そんなことであったら問題にしないだろう。
私は何とか答えを導き出そうと頭を回転させ、考えを巡らせる。勇人さんには奇妙な魅力があった。眼帯に隠された瞳から感じる迫力もそうだが、声や仕草にも強い重力があった。彼に逆らいたくない、失望されたくない、そんな気持ちが私の心に僅かながら産まれていた。
「えっと、作者が死んでしまってから価値が出るとは聞いたことがあります。これ以上は作品が増えない。つまり供給が途絶えてしまったから、必然的に買い手は残った現物の取り合いになる。だから、どんどん値段が上がってしまう、とかですか?」
そんな心情から出たこの答えは、的を射ていると感じた。百点とは言わずとも、八十点は堅い。そんな確信めいた手応えがあった。
「三十点だな」
あったのだが、それは所詮気のせいだった。
いや。今思えば、これも間違った回答ではないだろう。だが、私は気が付いていなかった。これは正解を当てるクイズではなく、勇人さんの考えを当てるクイズであることに。
「例えば、お前が褒めたこの絵」右手の親指で背後の絵を示す勇人さん。「幾ら出す?」
「…………」
「別に本当に買わなくて良い。ただし、自分の出せる範囲の金額で示してくれ」
果たして、幾らと答えるのが正解なのだろうか? 私にはわからない。財布には二万円も入っていなかったと思うし、自分が自由にできるお金は三百万円もなかったはずだ。あれだけ褒めて置いて、まさか一万円で勘弁して下さいとは言えまい。多分、キャンバス代にもなりゃあしない。
「えっと、三十万円で、その、どうでしょうか? カードでなら、今すぐ払えますけど…………」
悩んだ末に、私は三十万円と言う金額を提示した。勿論、勇人さんの絵にそれが相応しいとは思ないけれど、高校二年生には普通に大金である。衣装やらアクセサリーやら、もっと高い買い物をしたことはあるが、アレは母や会社がお金を出してくれているので、個人の買い物としては断トツ一位の最高級な買い物である。
絵に三十万円も払う高校生なんて、そうそういないだろう。
「え? お前、金持ちだな」
勇人さん自身も、予想外の回答だったらしく目を丸くして驚いている。ちょっと可愛い。
「が、それが答えだよ」
「えーっと、それとは?」
「『金持ち』絵を買う連中が金持ちだから、自然と絵は高くなる。考えても見ろよ。高校生ばかりのオークションに名画が出展されたとしたらどうなると思う? 良くて、十万が限度だろ。三十万なんて値段はまずつかない。金の使い方がわからなくなった金持ちが、オークションで見栄を張るから値段が高くなるだけの話しだ」
さりげなく自分の作品を名画と主張しながら、勇人さんは心底下らないと言う様に表情を歪めて続けた。
「良く、奇妙奇天烈な絵に何十億と値段がつくだろ? 前衛的だとか言われる作品だ」
「はい」私は頷く。こんなことを言ったら怒られるかもしれないけれど、私はあえて踏み込んだ。「なんか、私にも描けそうなのが」
「そうだな。それこそ、幼稚園児の作品みたいな奴が阿呆みたいな値段になる。何故か? 『誰にでも描けそうな作品に何十億もつぎ込む自分の財力』を誇示する為だ。オークションと言う社交の場で、自分の存在感を示す為に敢えてガラクタに金を出すんだ。ああ言うのは大抵、新参者の金持ちが自分の力を示す為に高い金を払っているだけだ。周囲に舐められないようにな。金持って言うのは、金を持っている奴が偉いと思っているからな」
踏み込んだ先は、聴きたくもない現実だった。芸術性なんて欠片もない。
芸術は商品だと言う現実を、私は否定したくて口を開く。
「いや、でも、それって『前衛的な作品』だからじゃあないんですか? 芸術性にそれだけの価値があるから……」
「前衛的? 芸術性? それを決めたのも、金持ちだ。或いは権力者か?」
が、反論は鼻で笑われた。
「俺達が当然のように信じている物なんて、何処にも存在しない。俺達が砂糖を舐めて甘いと感じるのは、砂糖が甘いからじゃあない。砂糖は甘い物だと教えられているからだ。砂糖を舐めて塩辛いと言えば、味覚障害者だからな。本当は、そんなもん決まっていない。好きに表現すれば良いんだ。味覚の問題じゃあない。最初にナプキンを取った者に習うしか、俺達は生き方をしらないんだ。くっくっく。それは表現の問題であって、国語の問題であって、社会の問題であって、哲学な問題なんだ。芸術だって変わらない。最初に誰かがヤーと言えば真で、ナインを掲げれば偽だ。個人の感性なんて物は、公平に公正に暮らすには邪魔でしかないさ。」
今となっても、勇人さんのこの台詞の意味を私は十全に理解できているわけではないと思う。支離滅裂とは言わないけれど、説明が足りない部分が多過ぎて、今一要領を得ない。が、彼がとてつもなく怒っていることは理解が出来た。何に対して怒っているのか、誰に対して憤っているのか、きっとそれは勇人さんしかわからないのだろう。
もしかしたら、何かしらの病に侵されていることに何か関係があるかもしれなかった。勿論、それとは全くの無関係に怒っているのかもしれない。
結局、私には何もわからない。それでも、何故だかその怒りに共感を覚えていた。
言葉ではなく、心で、その意味を理解していたのかもしれない。