天海勇人の問題提示
私が天海勇人に出会ったのは、営業で訪れた中部地方にある小さくて寂れた神社でのことだ。初めて訪れた土地に対する好奇心、春先の爽やかな風の解放感、そして仕事に対する嫌悪感、現実に対する諦観、それらが心のなかで渦巻いているのを感じながら、打ち合わせを行った大学のキャンバスを出て、彷徨い歩いている内に、私はその神社に辿り着た。
後からネットで調べても詳細がヒットしないような、時代に取り残された神社だった。
石造りの古そうな階段を数えながら登る私は、その『取り残された感じ』に何かを期待していたように思う。
ずっと昔、まだ幼稚園児だった頃、私は山の向こうにはゲームやアニメのような世界が広がっていて、特撮のライダーやら銀色宇宙人やらが、本当に実在すると信じていたことがある。フィクションと言う言葉の意味を、私はまだ知らなかった。
が、それから十年。実際に日本中を回ってみればそんなことはないと直にわかった。
どの山を越えても、どのトンネルを抜けても、新幹線に乗っても、飛行機に乗っても、その先にあるのは、アスファルトと自動車、そして人、人、人だ。何も変わらない。世界は広くても、現実は矮小だ。どこもかしこも、どこかかしこのコピーでしかない。
しかし、それが全て、と言うわけでもない。
長い年月を存在し続ける本物。数えきれない影響を与える起源。
世界にはそう言った素晴らしい物が残っていることも同時に知った。
贋物ばかりの、詐欺師ばかりの汚れた世界ではあったが、本物と呼べる物が確かに残っていた。
だから、私は古い建物や、山や森が好きだった。勿論、別に専門知識があるわけじゃあない。なんとなく、好き。そんな感じだ。
言葉とは所詮表現であって、口に出すとどうしても嘘っぽい。だから、大切なことはそもそも言葉にできないと言うのが私の持論だった。これは今も変わらない。
この時の私も、歩きにくい階段と、生き生きとした木々の緑に本物を感じていたのだと思う。少しだけ額に汗を浮かべ、五分とちょっとをかけて階段を登り切った私の視界に、古ぼけた神社が見える。なんていうか、地味な建物であったが、その古臭く、時代に取り残された感が堪らなく愛おしい。
さっそく近寄ってみよう。
「ん?」
と、そこで私は先客に気が付いた。
頂上部は階段の正面に神社、その奥に森と言うか林? で、左手には手を洗う所(手水場と言うらしい)があり、右手側は少し歩くと崖になっているようで、木製の頼りない柵が気休めに立ててある。大した高さがあるわけではないが、低地に造られた街を望むにはちょうど良く、青空とコンクリートの対比は、少々趣味ではないが、それなりだ。
そんな崖に、大きなキャンバスに向かって座る一人の男がいた。
背中からなので年齢は分からないが、背の高さや体格、そして雰囲気から二十歳くらいかな。当時の私には随分と大人びて見えた。白いシャツに、ジーンズとスニーカー。特徴のない格好をした彼の足元には、大きめのスクールバッグのような物が一つと、ゲームにありがちな実用性のない剣にも見えるスタイリッシュな松葉杖が転がり、そして数冊の本が積まれている。遠めだが、どれも表紙のしっかりとした本で、何かの図鑑の様に思えた。漬物石にすらなりそうな、本格的な奴だ。
画家? いや。年齢的には美術部員だろうか? キャンバスに向きあい、彼は鉛筆で絵を描いていた。
似顔絵描きや、公園の柄を書くベレー帽を被ったおじさん。そう言った存在は、漫画やドラマでは偶に見る光景だけど、現実に目にするのはこれが初めてだ。現実に存在するからこそ、風景の一部としてフィクションに登場するのだろうけど、私には物凄く衝撃的な光景だった。
幼い頃に夢見た、漫画の世界が本当にあるのだと興奮していた。
作業の邪魔をしては悪いと思いながらも、私は彼に近寄って行く。もしかしたら、私の悩みを芸術家である彼ならば、理解してくれると思っていたのかもしれない。
一歩、また一歩。私と彼の距離が縮まって行く。
そして後五歩と言う距離まで詰めた所で、
「凛か?」
彼は振り向きもせずに言った。
不機嫌そうな低い声。問答無用に他者を寄せ付けない拒絶の意志がそこには感じられる。
気難しい人なのだろうか? まあ、芸術家であるならば、そうであるべきだろう。そんなわけのわからない理屈から、私は少々テンションを上げた。物分かりの良い芸術家なんて、それはただの商売人じゃあないか。
「こんにちは。私は白金深空って言います」
人間関係は第一印象で決まるから、挨拶は必要に合わせて最善の物を選ばなければならない。この時の私は、明るく、爽やかに、如何にも無害な女子高生らしい挨拶をした。
「そうか。珍しいな、こんな場所に人が来るなんて」
対する彼の台詞からは、幾分か棘が丸くなっていた。自分の居場所を『こんな』と評した彼は、足元の杖を拾うと、ゆっくりと立ち上がった。そして、やや不自然な動作で回れ左をした。どうやら足が悪いようだ。
「俺は、天海勇人だ」
左手に握った杖で自分の身体を支える勇人さんは、にこりとも笑わずに言った。
やや強面の顔の右半分は分厚い革の眼帯で覆われており、ここが夏や年末の某所ならコスプレだと思ったかもしれない。
が、勇人さんの全身から漂う雰囲気――何処かアンバランスで、人間離れしている――から、顔の半分を覆う眼帯が趣味の物ではなく、実用品だと嫌が応でも理解できてしまう。
少なくない衝撃を、私はその眼帯に受けてしまい、取り繕っていた笑みが強張るのがわかった。同情? 違う。未だにその理由はわからないが、私ははっきりと恐怖していたのだと思う。
「白金。悪いが、座らせて貰うぞ? この身体は、立っているのも、辛いんでな」
固まった私にそう断ると、返事も待たずに勇人さんは椅子に腰を下ろした。そして直ぐに鉛筆を右手で握ってキャンバスに向かった。革の手袋をした右手は細かったが、力強く、ガリガリとキャンバスを削るように線を走らせている。
その様子を、私はたっぷりと十五秒は見ていた。そして、向こうから会話を振ってくれる可能性はなさそうだと判断し、勇人さんの左後ろに立つ。
「見学しても良いですか?」
「好きにすれば良い。面白いもんじゃあないと思うがな」
何処か皮肉気な勇人さん。しかしキャンバスに描かれた世界を見てしまった私には、それが皮肉ではなく謙遜に聴こえた。嫌味な程の、謙遜にしか思えなかった。
黒鉛筆の線が表現しているのは、崖から見える風景だ。線の太い細い、黒色の濃淡だけで描かれた町並みは、写真なんて目じゃあない程に精巧にして緻密。魔法か何かで、世界から色を奪ったのだと言われてしまえば、ピュアな少年少女ならば信じてしまえただろう。
この一年前、私はテレビ局の天才と言うテーマを扱った企画でサヴァン症候群の少年が記憶だけで描いたニューヨークの街並みを見たことがあった。あれも人間離れした業であったけど、異常なまでの精巧さではあったけども、勇人さんのこの時の絵と比べれば、あれはやはり少年の落書きでしかなかった。
言ってしまえば、あの子の絵は芸術ではなかった。
勇人さんの絵は、疑う余地なく芸術であった。
根本的に技術のレベルが、次元が違う。
根源的に芸術家として格が、核が違う。
そう言う話しだ。
「――――勇人さんは、その、プロの画家なんですか?」
馬鹿な質問だ。こんな絵を描ける人間が在野にいるわけがない。フルマラソンを二時間で走り切った人に『凄いですね。マラソン選手ですか?』と訊く様な物だ。人生を捧げなければ、この領域に辿りつける筈がない。
「一応、絵で喰ってる」
億劫そうに、勇人さんが答える。
予想通りの言葉に私はほっと胸を撫で下ろすが、それも一時。
「これは趣味だ。風景画は発表しない。息抜きと言うか、気分転換と言うか、その程度のもんだ」
私は耳を疑った。
『趣味』
このキャンバスに描かれた圧倒的な存在感を放つ世界が、ただの息抜き? と、言うか。絵を描く息抜きに、風景を描くと言う感覚がまず理解できなかった。塩ラーメンの口直しに、豚骨ラーメンを食べるような物じゃあないだろうか? いや、それは違うか。
しかし、なんとも勿体ない話しだと私は思った。絵の価値について私は全然詳しくないけれども、あの絵がとんでもない物だと言うことは直感的にわかる。わからない奴は、芸術方面の感性がないと断言できる。この絵の価値を理解し、所望する人は数多じゃあないだろうか?
考えなしに、私は勇人さんにそう訊ねた。
返事は直ぐに返って来た。悩む素振りすら見せなかった。ただ、馬鹿にするように吐き捨てたのだ。
「絵には、何の価値もねーよ」
自分の描く絵を顎で指し、勇人さんはキャンバスから眼を切って、私を見た。
そして、問うた。
「お前さ、絵の価格って何で決まると思う?」
さあ。皆も考えてみよう。




