プロローグ
天海勇人と言う人間に私が抱く感情は、とてもではないが言葉で言い表すことが出来る物ではない。
この気持ちを言葉にするには、あまりにも語彙が少なすぎる。
日本語であろうと、英語であろうと、中国語であろうと、ラテン語であろうと、世界中のあらゆる言語を用いたとしても、気持ち一つ言い表すことはできない。
しかしこれは何も、この強い感情に限った話ではない。
一体どれだけの人間が、自分の気持ちを言葉にすることができるだろうか?
全体どれだけの人類が、真に自分の心を打ち明けることができただろうか?
私達の表現力では、自らの想いを百パーセント表現するとのは不可能だろう。
どうしても大気と混ざって薄まってしまう。
何をしても言葉その物の意味と、私の意志が混ざり合うことはない。
当時十六歳であった私と、当時既に完成していた天海勇人の気持ちが一致することがなかったように、想いと言葉は決して混ざり合うことはない。
想いを完全な形で伝えるなんて、それは不可能だ。
十年前のあの日、天海勇人はそんなことを語っていたのかもしれない。
芸術家ならぬ、表現者として、彼は私に何かを伝えてくれた。
たった一時間程の邂逅だったと思う。
一生と比べるまでもなく、一時間は短い。あっという間の出来事だった。
しかしそれでも、私の人生を大きく決めた要因は、他愛ない会話であった。
父でも母でもなく。
友人でも教師でもなく。
トレーナーでもプロデューサーでもなく。
ファンでもマスコミでもなく。
天性でも努力でもなく。
太陽でも月でもなく。
重力でも運命でもなく。
たった一度出会った天海勇人なくして、私が私足り得たとは思えない。
最も尊敬する人間を一人上げろ。と、言われたら私は迷わずに彼の名前を上げるだろう。
不倶戴天の天敵を選べ。と、問われたら私は躊躇わずに彼の顔を思い浮かべるだろう。
では、語るとしようか。
ああ、別に襟を正す必要はない。
どうせ。
人は人の話しを理解なんてできないのだから。