天羽翔榎
優鵺「前回のくもはれ! 無事に強敵を打ち破った祥雲と晴姫は、生徒会長が人前に顔を出さんっちゅう噂を聞く。そんな中、生徒会副会長の洸坂雷人が突然登場。そこで告げられたのは、学園警察事実上のお役御免!! どうなっちゃうんじゃ!」
「あーーやることねえなあ」
洸坂雷人の口から衝撃の言葉が飛び出してから数日。
放課後になっても生徒会から見捨てられた学園警察に依頼の一つなど来るはずもなく、二人でやるババ抜きにも飽きがきてしまった。
ゼロウイルスの方も、理由づけに学園警察の肩書きと仕事がなければ感染者を発見しても個人的な暴力としてみなされるため、最早手の出しようもない。
「スピードでもするか」
「やだよ! トランプ以外のことがしたいんだよ! たとえば! 学園警察の任務とか!」
綺麗にそろえられたトランプを組みなおそうと手に取った晴姫にそう言葉をぶつけると、祥雲は顔を覆って大きくため息を吐いた。
「俺だってそうだが、できないもんは仕方ねえしな」
一方晴姫の態度は至極冷静で、祥雲に拒否されてしまったトランプを箱に片付けながら状況に対する彼なりの意見を落とす。
「は!? おまえはそれでいいのかよ!」
反発の意思がない晴姫の言葉に驚き、椅子から立ち上がった祥雲がわずかに声を荒げると、晴姫はトランプの箱を閉める手元から視線を移動させることなく淡々と唇だけを動かした。
「いいわけねえよ。物事をポジティブに捉えてるだけだ。トランプしかすることないこの時間も、姫川先生のゼロウイルスの研究報告を待ってる時間だと思うとあんまり苦しくない」
「実際はそうじゃないのに? 俺らは理不尽に仕事奪われて、そのせいでゼロウイルスの感染者を見逃してるかもしれないんだぞ」
「そうだけど、結果オーライだ。今んところそういう噂は聞いてねえ」
「なんかあってからじゃ遅いんだって!」
「んなのわかってるけど」
「じゃあなんで!」
晴姫の双眸がかなり久しく祥雲の瞳を絡めとったように感じた。
祥雲は口をつぐみ、じっと晴姫の返答を待つ。
「じゃ、どうする?」
呆れたように視線をふいと逸らし、晴姫は静かにそう問うた。
「……それは」
「虱潰しに全校生徒の目の色見て回るか? 無理だろ。悔しい気持ちは俺だって一緒だけど、今俺たちにできることは少なすぎる。嘆くのも喚くのも時間の無駄だ」
厳しい言葉は的を綺麗に得ていた。
二人に沈黙が訪れる。
「……帰るか」
それを短い時間で破った晴姫のセリフに後押しされるように二人は互いに言葉を交わさないまま、肩は並べて教室を出る。
廊下を進み、階段を降り、靴を履き替える。
会話は無い。
そのまま校舎に背を向けようとした二人に、
「晴姫? 祥雲?」
よく聞きなれた音声がかかる。
「おお、風雅か」
彼のクラスメイトでもある晴姫がそれに振り向いて名前を呼べば、資料を抱えた風雅のメガネの奥の瞳が微笑とともにすっと細くなった。
「風雅、委員会?」
「そうだよ。ほら見て。この雑用扱い!」
大げさに肩をすくめて笑って見せる風雅に、二人は少し元気を分けてもらったような錯覚に陥る。
時雨にしろ風雅にしろ、二人の周りを支える人物はいつも楽しそうである。
「がんばれよー」
「ありがとう。二人は? 帰り?」
「まあな。男二人で帰るのも面白みねえけど」
「いいじゃん。お二人さんいつも仲良しそうで」
風雅が荷物を抱えなおしてくすくすと笑いを溢す。
そして、そんな仲良しな二人が聞いてほしくない質問をいとも容易く口に出した。
「今日学園警察は?」
同時に言葉に詰まる。
「無いの?」
目を少しぱちくりさせ、続けて語尾にクエスチョンマークをつけた風雅とは目を合わせず、二人は静かに何度か頷いた。
「…そっか。困ったことがあったら何でも言ってね。二人には、協力したいと思ってる」
少しトーンの下がった声の調子に、祥雲と晴姫が顔を上げる。
彼らの視線の先に描かれていたその表情はどことなく寂しそうで、なぜか辛そうで――――
「だから、」
もう少し話してくれたっていいんじゃないかなあ。
「え…」
祥雲の声にならなかった声をかき消した初夏の風が、三人の間を大胆に通り抜けて行った。
@ @ @
時同じくして―――
「全く困った話じゃのう…」
生徒の間で技術の無駄遣いと名高いコーヒーメーカーで入れた黒い液体を喉に通して、優鵺は思い切り背もたれに体を預けた。
使い古したデスク前の移動式座椅子がぎい、と苦しそうな声をあげる。
どうしたんですか、と心配して声をかけてくれる大学時代の後輩でもある助手に笑顔を作って見せると、優鵺は実験道具が散らかったままの研究室へ繋がる扉を開いた。
「突然活動停止なんて、嫌がらせとしか思えんけえ…」
ぶつぶつと独り言を呟きながら脱ぎっぱなしで放ってあった白衣を羽織る。
そして、本日のゼロウイルス研究を打ち切り助手をディナーにでも誘おうか、と考えつつ実験道具を片そうと顔を上げた。
「先生、これはもしかしてゼロウイルスの研究ですか」
「!!」
刹那、突然鼓膜を揺らした声に、優鵺は体を強張らせる。
誰もいないと思い込んでいたこの薄暗い空間で優鵺を見据える少年が、そこにはいたのだ。
今まで放課後に生徒がこの部屋へ入ってきたことなどものの一度もなかった。
今日もそれは変わらないだろうと不用心にしてしまっていたことを今更後悔する。
無論、時既に遅し。
加えて彼が今しがた発した普通なら知りうるはずのないゼロウイルスという単語が、優鵺の頭を過剰に混乱させる。
「…驚かせてしまってすいません」
優鵺がごくりと唾を飲み込むのと同時に、気だるそうな雰囲気を纏った少年はそう言った。
声音も抑揚がないものであまり感情が豊かなタイプでは無いのだと見受けられる。
「俺、三年A組の天羽翔榎です。お久しぶりです、姫川先生」
「えっと、どっかで…」
とにかく笑顔を作りながら言葉を紡いでみるが、お久しぶり、に違和感を受けた。
二年前からこの学校で教鞭をとっているが今の三年生を受け持ったことは無く、もちろん面識もない。
だがどこかで見たような特徴的な風貌に、優鵺は記憶の海を手当たり次第にかき分けて行く。
夏も近いというのにしっかり着こまれた長袖カーディガン。
右目を覆っている黒髪がふわふわと窓からの風になびいている。
眉をひそめつつしばらく少年を見つめて、
そして、
ついに記憶内検索はヒットした。
「おまえは、こないだの…!」
@ @ @
風雅と別れてからも、二人の間にはやはり会話が無かった。
おそらく思考の内容等は似通っているのだろうが、お互いどうも口に出す気が起こらない。
そのせいで、祥雲も晴姫も周りが見えなくなりそうなほどより深い思慮にふけってしまう。
「……」
風雅が隠さないでほしいと遠まわしに伝えてきた事柄は、活動停止の件についてか、それとも。
どちらにせよ、祥雲としては今まで彼らを危険に巻き込みたくないが故に口を閉ざしてきたつもりだった。
晴姫についてもそれは同意を得られるだろう。
それは友達だからこそ、であり、今も彼らの身を守ることにも直結しているのだと、言うよりは言わない方がいいのだと信じている。
だが、風雅や時雨にとってそれは辛いことなのだろうか。
より深い関係になればなるほど、知りたいと思う風雅や時雨と、守りたいが故に隠す祥雲や晴姫の想いは離れていく。
彼らは選択を迫られているのだ。
他でもない親友から。
友情か、運命か、どちらかを選ばなければならない事態に直面してしまっている。
それは二人にとってとても難しく、できればどちらかになど絞りたくないと思う辛いものだった。
「どうしたらいいんだろな…」
ゼロウイルスの飛躍的な成長。
学園警察の活動停止。
謎の生徒会長。
洸坂雷人。
そして、時雨と風雅の思い。
今の彼らは問題で溢れかえっていた。
二人は自然と俯き、ゆるい歩調で帰路を進む。
ひとつ、何かが崩れる予感がした。
二人を支える柱のどこかが、ぽきりと折れてしまいそうな感覚。
それはとてつもない不安を誘い、今、この瞬間、学園に背を向けることがどうしようもなくためらわれる一種の悪寒のようだった。
もっと強い人間ならば、ここで進行方向を変え校門を再びくぐるために足を動かすだろう。
だが、二人にそれはできなかった。
走るどころか、隣のパートナーに思いの丈をぶつけることさえできていない。
思いが巡り、巡り、巡り、ぐるぐると頭を掻き乱す。
ただそれでも現実から目を背けるように足を前に出したが――――
次の一歩より先に、ひとつ、二人を強制的にひきとめるものが音を鳴らした。
慌ててポケットから携帯電話を取り出した祥雲がディスプレイの上に見たのは、[着信 姫川先生]の文字だった。
@ @ @
「もしもし、僕です」
北校舎の四階に位置する生徒会室の一角で携帯電話を耳に当てるのは、一見するだけでは少年か少女か見分けがつかないような中性的な生徒だった。
「洸坂です」
続けて名乗った彼女の名字は、放課後だというのに制服の如く身に纏っている学校指定の体操服に書かれたものと同じだ。
窓から吹き込む初夏の香りに短い髪をなびかせながら、小さく笑みを浮かべる口元にはいつもの彼女とは少し違うどこか危険な気配が漂う。
「いえ、特に変わりは。定時報告のみです」
窓の外を見下しながら、少女は楽しさを含む穏やかな声音でそう言った。
「先日話した通り実験体は“継ぐ者”達によって完全に討伐されてしまいましたが、その後の状態は良好。弟さんに目立った動きはありませんよ」
おどけるようにセリフを吐きだし、少女はクツクツと笑う。
「そして“継ぐ者”ですが、少なからず動きは封じ込めました。行動範囲は狭まっています」
声色は少し真面目な態度が窺えるものに変化したが、表情は不変だ。
相も変わらず弧を描き続けている。
「しかし…」
次の瞬間、少女は何かを言いかけようとして、一気に顔面から笑みを消した。
何かに気が付いたのか、考えるようなしぐさを取って目線をあちらこちらに散らす。
「いえ、なんでもありません」
そして、数秒後に再び言葉を紡ぎだした唇は、先ほどとは打って変わって真一文字に閉ざされていた。
@ @ @
「天羽翔榎。この間は世話になったな」
「……瑞城、祥雲です。あ、どうも」
「比向晴姫っす」
来た道を引き返し化学研究室の扉を開けると、そこには優鵺の言った通り、先日新型ゼロウイルスに感染していた男子生徒が訪ねてきていた。
彼の瞳にはもう先日のようなぼやけた紫は見られない。
話し方も普段通りなのだろう、猫背な姿勢と感情のこもらない口調はこの間会った時とは正反対である。
「…ゼロウイルスの記憶が?」
「ああ」
通常、大概の感染者は祥雲たちに倒された後、記憶を無くして元の生活に戻っていくものだが、新型に感染していた翔榎は違うらしい。
「じゃあ、俺たちのことも?」
「ただの学園警察じゃ無かったらしいな」
それは当然祥雲や晴姫の力のこともすべて覚えているということである。
翔榎はそれを認めると、ゆっくり瞼を閉じた。
「だが、俺は覚えてたからこそこうやってお前たちに協力したいと思うようになった」
そう、元感染者・天羽翔榎が化学研究室に出向いた理由、それは祥雲や晴姫に協力したい旨を伝えるためだったのだ。
「協力…ですか」
しかし、本人たちからはあまり信用が得られず、先ほどから眉間に皺を寄せた表情を前面に出している。
ゼロウイルスの気配は見られないが、新型の能力は計り知れない。
念には念をの精神で警戒心を持って接する三人に別の手段を取ろうとしたのか、翔榎は少し沈黙した後に再び口を開いた。
「俺は、お前たちの知らない重要なことを知ってる」
「助けたい奴がいるんだ。頼む、俺の話を聞いてくれ」
@ @ @
「ゼロウイルスのさらなる発展を願ってます。天羽先輩」
通話を終了させる間際、洸坂雷人は目の奥に冷たい光を感じる微笑みで、そう言った。