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決意と約束


「本当に行くのか?」


エレナがロアの家に来て、三日が経った昼下がり。

天気は良好。

風は冷たいが、青い空が美しいその日、エレナは旅の装備を整えて、家の前に立っていた。

そのまわりをロアの家族が取り囲んでいる。


「ええ、元から決めていたことよ。今更変えられない。私には謝りに行かなきゃいけない人がたくさんいるから」


エレナの強い意志がこもった言葉に、ロアは少し寂しそうな顔をした。

それは彼の母や妹、弟も同じようで、途端に暗い表情になる。

その中ではロアの反応はまだ小さい方だと言えた。

エレナの言葉を聞くと、そっかと呟くだけで笑顔さえ浮かべた。


「うん。エレナの決めた道なら、文句はないよ」

「ありがとう」


それに応えて、エレナも微笑んだ。

そして、今度はロアの家族に向き直ると頭を下げた。


「ごめんなさい、せっかく一緒にいようと言ってくれたのに」

「いいのよ。ロアもこう言っているし、気にしないで。ノアやトアは少し寂しいみたいだけど。困ったらいつでもまた戻ってきていいからね」

「はい」


エレナは深く頷いた。

母もそれを見て、安心できたのだろう、ロアに似た明るい笑顔で手を振った。

それに倣って子供達も無邪気に言った。


「エレナお姉ちゃん、バイバイ」

「エレナお姉ちゃん、どこか行っちゃうの? お母さん?」


トアはまだ小さいせいで、あまり状況が理解出来ないようだった。

だが、それでも自らの姉を真似して手を振る。

エレナはそんな二人を抱きしめて、別れを告げた。


「またね。次に会う時までいい子でいるのよ。貴方達のお兄さんみたいに」

「うん! お兄ちゃんみたいに頑張る」

「おいおい」


ロアは照れくさくなって、口を挟んだ。

片手で自分の頬を掻きながら、もう一方でノアの頭をなでる。

ノアはくすぐったそうにロアから離れると、エレナに抱きついた。


「絶対に帰ってきてね。約束だよ」

「ええ」


エレナはそれを受け止めて、一頻り戯れていた。

しかし、やがて背を向けた。

もうそろそろ太陽が頂点に達する。

次の村に着くには半日ぐらいかかるので、そろそろ頃合いだ。


「じゃあ、行ってきます」

「行ってらっしゃい」

「あっ、ちょっと待ってくれ。俺が村の外れまで送ろう」


歩き出したエレナをロアも追った。

ノアやトアは遊んでもらって満足したのか、それにはついてこない。

エレナとロアは二人きりで歩いた。

しばらく何も話さないまま、ぷらぷらと歩く。

ロアは頭の後ろで手を組んだ。


「はぁ、行っちゃうんだな」

「本当にごめんなさいね。気を使ってくれたのに」

「気なんか使ってないさ。ウチの家族は皆、エレナのことが好きで受け止めていたんだ。母さんもいっていたけど、いつ戻ってきてもいいんだぞ」

「うん。ありがとう。そう言ってもらえるのは嬉しい」

「なんてことないさ」


この村はそんなに大きくない。

そんなことを話していると、あっという間に村の外れまでたどり着いてしまった。

目の前には三日前、エレナと再会した丘が緩やかに続いている。

ロアはそれも一緒に登り、歩き続けた。


「それよりさ、しばらく会えなさそうだし。少し話したいことがあるんだ」

「何かしら」

「俺のこれからのこと」

「……ッ」


エレナは鋭く息を吸い込んだ。

穏やかだった顔を引き締めて、真面目な雰囲気を漂わせる。

ロアも同じように深く息を吸って、話し出した。


「俺さ、あれから少し考えてみたんだ。自分なりの罪の償い方って奴を。やっぱり、何か行動は起こさなくちゃって思ったから」

「で、答えは見つかったの?」


エレナの問いに、ロアは微苦笑を浮かべて首を横に振った。


「わからない。何が正解なのかなんて、俺にはわからなかった。でも、俺はそれが一番の償い方なんじゃないかなって思った」


ロアはそこで少し間を置いた。

いつの間にか、丘の上に着いていた。

二人は特に意識せずにそこで足を止める。

丘の上は気持ちの良い風が流れていた。

冬の乾いた風が向き合う二人の間を駆け抜けていく。


「俺さ」


風に乗って、ロアの声がエレナの耳に届いた。

エレナは表情を変えずに黙っていた。


「父さんの意思を継ごうと思う」


ロアはハッキリと宣言した。

瞳には強い意思が伺える、強い光が宿っていた。

揺らぐことのない、確固たる信念がその声音には含まれていた。


「父さんが目指していた、どんな子供達ものびのびと生きていける世の中を作っていきたいと思う。そのために、俺も商人になりたいんだ。俺に父さんのような才能があるかはわからないけど」

「簡単、ではなさそうね。世の中という大きな世界に変革を起こすのは決して生易しいものではない」

「ああ、わかっているさ。でも、やってみたいんだ。やらなくちゃいけないんだ」


ロアは真っ直ぐにエレナの目を見た。そして、直後に頭を下げた。

エレナは今の話からロアのとった行動が理解できなかったのか、戸惑った様子を見せる。


「そこで、エレナに頼みがある」

「なっ、なによ?」

「俺にも君が持つ、罪の証をつけて欲しいんだ」

「これを?」


エレナは自らの腕にある縫い跡に触れながら、首を傾げた。

ロアは頷いて肯定を示す。


「ああ。俺、もう逃げたくないんだ。罪からも、これからのことも。ずっとずっと、全部覚えていたい。戒めとして」


だから。

と、ロアは腕を差し出した。

袖をまくって肌を冷たい風に晒す。

労働でそれなりに鍛えられた腕が露わになった。


「こんなことを思うなんて、罪を受け止められていないと、君は思うかもしれない。罪を受け止めていないから、その証を欲しいと願うのだと。本当に、臆病だと自分でも思うよ。目に見えるものが無いと、忘れてしまうなんて」

「それを言えば、私だってそうだわ。私があなたにとやかく言う筋合いはない」

「でも、エレナはきっとそんな風に思うためにそれをつけたんじゃ無いだろう? エレナのそれは贖罪の為のプロセスだ」

「大して変わらないことよ。でも、いいわ、あなたがそう言うならつけてあげる。私も貴方の罪を共有する身。それに付き合う義理がある」


エレナは最終的にはロアの頼みに頷いた。

腰に差したナイフを取り出すと、ロアの腕に近づける。

ロアは思わず目を逸らしたくなったが、歯を食いしばって視線を固定した。

ここで、逃げてはいけない。

全てに向き合う覚悟をしたのだから。

そう思ったからだった。


「ジッとしていてね」

「くっ……!」


エレナのナイフが浅く皮膚に食い込んだ瞬間、ロアは呻き声を漏らした。

しかし、エレナは更に奥深くナイフを突き刺した。

半端な深さでは若いロアの治癒力がすぐに治してしまう。

そのため、かなり深く切る必要があった。

エレナはロアの神経を傷つけないように、注意深く刃を入れていく。

ロアはその集中を邪魔しないよう、悲鳴を必死で喉の奥に押し込めた。


「うっ、ぐぁっ」

「あと少し。我慢して」


エレナの声に励まされて、ロアは耐え続けた。

だが、その一秒一秒がやけに長く感じられて、苦痛だった。

ようやく刃が離れた後も、傷口は熱を帯びてロアに痛みを与え続けた。

ロアは涙目になりながら、もう一方の手ーーつまりは右手で額に浮かんだ汗を拭う。

その間にエレナは十字が刻まれたロアの腕に包帯を巻いていた。


「いったぁ」

「しばらくは無理に動かさない方がいいわよ。痛むから」

「ああ。ありがとう」

「私には痛みが感じられないから、なんとも言えないけれどね」


エレナはそう言って、肩を竦める。

ロアはそれに疲れたような笑みを返しながら、疼く傷口の側をさすった。

流石に傷口に触れるのは怖いが、どうしてもロアはそこが気になってしまった。

なんとか意識を逸らそうと、顔を上げると、ふと寂しそうな表情をしたエレナと目が合った。

エレナはロアにそっと微笑みかけて、ポツリと呟いた。


「私、応援しているわ。貴方がこの世の変革者になれること、ずっと遠くから祈っている」

「どれだけかかるかはわからないけど、やれることは全てやるつもりだ」

「ええ、だから私も貴方に一つ、お願いがあるの」

「俺に出来ることなら、なんでも」


ロアは力強く返事を返した。

エレナは少し迷うように俯いた後、覚悟を決めたように勢いよく顔を上げた。


「私は貴方がその思いを叶えた時、ここにもう一度戻ってくる。どんなに遠くにいても、どんな状況に置かれてもありとあらゆる手段を使って戻ってくる。だから、その時は」


エレナはそこで語気を緩めた。

頬を赤らめて、ロアを真っ直ぐに見つめた。


「また、私と一緒にいてくれる?」


エレナの声と瞳は不安でかすかに揺れていた。

驚いて固まってしまったロアは、それを見て我に返る。

少しずつ動き出した思考でエレナの言葉を噛み砕きながら、ロアはそれに答えた。


「いいよ。もう、君は家族だから。俺はずっと君の側にいるよ。エレナがそれを望む限り」


ロアは笑った。

一ヶ月前、いやそれ以前の苦しい毎日も含めた中で、最高とも言える笑顔を浮かべた。

心の底から自然に出た笑顔だった。

しかし、それに対し、エレナは何処か浮かない顔をした。

そして、ボソリと言う。


「家族とか、そういう意味じゃないのに」

「何か言ったか?」

「別に。なんでもないわ」


エレナは別に、と言った割にはまだ怒った様子でそっぽを向いた。

ロアはその原因が分からずに、ただ首を傾げることしか出来ない。

エレナはそんなロアにため息をついていた。


「まぁ、いいわ。次に会う時に気づいて貰えれば。私はそろそろ行くわね」

「ん? あっ、ああ。気をつけてな」

「またね。行ってきます」

「行ってらっしゃい」


結局、ロアはエレナの怒る理由を突き止められなかった。

エレナは背を向けると、どんどん歩いて行ってしまう。

あのペースなら、次の村にも無事日が落ちるまでに辿りつけそうだった。

銀色の少女の背は既に遠く、ロアは案外呆気なかった別れに呆然とそれを眺めていることしかできなかった。


「はぁ、何はともあれ頑張らなくちゃな」


まるで白い花のようにか弱そうなのに、白銀のような強さを持つ少女、エレナ。

彼女と会って、ロアが得たものと失ったものはあまりにも大きかった。

だが、ロアはエレナの会ったことを後悔していない。

彼女との出会いはロア自身を強くしてくれたような気がしていたからだ。

エレナはロアに何よりも大切なことを教えてくれた。

それはお金でも、権力ではないもっと暖かくて重いもの。

人を強くしてくれる、自分の人生との向き合い方だった。

ロアは大きく伸びをしながら、包帯が巻かれた腕に触れた。

まだズキズキと痛む傷は彼女の出会いと自らの罪、両方の証だ。

ロアはそれを愛おしげに眺めながら、ポツリと零した。


「あんなこと、男の方から言わせてくれよ」


かっこ悪いじゃないか。

その声は本人に聞こえることなく、風に攫われて消えていった。




終わり

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