鮮血と証明
「なぁ、これであってるのか?」
ロアはもう何度目かもわからない質問を繰り返した。
ドールはそれに相変わらずの無表情で答えた。
「ええ、合ってる。そこの安全装置を外して、トリガーを引くだけよ。ただ、ソイツを使う必要なんて、ないでしょうけど」
今、ロアとドールはロアの父を殺すため、彼がいるという建物の入り口を、暗い路地裏から見張っていた。
もうじき夜が明ける。
ユリメールの商人は朝早いことで有名なので、そろそろだろう。
緊張のあまりガチガチになっているロアに、ドールは同じセリフに最後の一言を新たに付け加えた。
やっぱり、彼女の表情は変わらないが、それでも気を使ってくれているようだった。
「ああ、そうだよな。悪い、同じことばかり聞いて」
「気にしないで。当然のことよ」
ロアは父の最期となるであろう時を待つなか、意識的に父のことを考えないように努めた。
とはいえ、他の家族のことを思い出すと、結果的に父のことを思い出してしまう。
そこで、隣にいる少女のことを考えてみることにした。
ドール。
彼女は名前の通り、本当に人形のようだった。
完璧に整えられた顔は常に無表情。
今こうして会話が成り立っていなければ、本当に人形だと思っていただろう。
それでも、彼女はこうして歩いて、喋っている以上、人間なのだ。
十歳のか弱き少女のはずなのだ。
だが、彼女は十歳の少女とは思えないほど、口調も仕草も大人びている。
なにより、一番の問題は彼女が人を殺し慣れていることだ。
ロアはこうして緊張に震えているのにも拘らず、彼女には全くそんな様子はない。
むしろ楽しそう……実際のところはわからないが、そう思えるくらいだった。
あとは、彼女が殺しをする理由だが、これもまた異常だ。
普通、人殺しはその気になったからといって、行えるものではない。
だが、彼女はそれをやろうとしている。
何の為でもなく、自分がやりたいからやろうとしている。
しかし、ロアは恐怖を感じる前にこの少女の身を案じていた。
一体、何が彼女をこうさせたのだろう。
こうして手慣れているからには、これが初めてという訳ではあるまい。
だとしたら、何処で殺すことの罪深さを忘れてしまったのだろう。
ロアはスコープを覗きこむドールの横顔をボォッと見つめていたが、不意にドールの肩がピクリと跳ねた。
「来た」
ロアはその声にハッと我に返る。
束の間忘れていた緊張が再びロアを襲った。
「いいのね」
ドールの問いかける声にロアは迷った。
決して、父のことを考えた訳ではない。
手を血で染めることになる少女のことを考えた。
いいのだろうか、この少女を止めなくても。
自分が負うべき責務を彼女に丸投げして、良かったのだろうか。
「はやくっ、タイミングを逃してしまう」
ドールの鋭い声を聞いて、ロアは混乱した。
何故、こんな初対面の少女のことが気になってしまうのかわからない。
けれど、今止めなくてはこの少女は永遠にこの行為からは逃れられなくなる。
そんな気がした。
「ドール、銃をおろせ」
咄嗟に出た言葉は自分でも驚く決断だった。
今までずっと無表情だったドールも僅かに目を見開いた。
「何故?」
その様子を見て、ロアは確信した。
やはり、止めるべきだった。
とても小さな変化だったが、彼女にもやはり、感情はあった。
間違いない。
ドールは人形ではなく、人間なのだ。
「お前、どうしてこんなことが出来る?」
ドールはしばらく黙ったままだった。
しかし、小さく口を開くとポツリと言った。
「……それが私だから」
「どういう意味だ」
「殺すことが私が私である証だから」
ドールはパッと路地から飛び出した。
彼女は人通りの少ない朝の大通りをライフルを背負い、片手には大振りのナイフを持って、凄まじい速さでかけていった。
ロアもあわててそれを追うものの、距離は縮まるどころか、離されていく一方だった。
ドールの向かう方向には遠ざかりつつあった、ロアの父の姿があり、その目的は明確だ。
ドールは助手らしき人物と話し込んでいる父の背後に迫ると、大きくナイフを振りかぶった。
「あっ……」
本当に一瞬のことだった。
父の首は簡単に切れ、地面に落ちると、残された体からは噴水のように大量の血が噴き出した。
真っ白な石畳の隙間が紅に染まった。
「ああっ、ああ、なんで」
助手らしき人物は腰を抜かして支離滅裂な言葉で喚いた。
ドールはソイツを一瞥すると、次の瞬間にはまた首を撥ね飛ばしていた。
地獄絵図とはまさにこのことを言うのだろう。
ロアはこのあまりにも残酷な光景に、ただ茫然とした。
「ハハッ」
そのせいかもしれない。
ロアはその乾いた笑い声が誰のものかわからなかった。
ただ、ノロノロと回りだした思考回路にドールの不気味な笑顔が焼き付いて離れなくなる。
そこで、ようやく今の笑い声が彼女のものだと理解した。
「これが私! このときの為に私は存在する!」
ドールは高らかに言って、腕を広げた。
血の雨を浴びた彼女は何処までも恐ろしかった。
そして、何処までも美しかった。
「人を殺す、それが私が生まれてきた理由。人形なんかじゃない、死んでもいない。私は私なのだ」
ロアはフラフラとつられるようにドールに近付いた。
ああ、この少女はもうダメなんだろうか。
一瞬でも彼女を止められると思った自分は愚かだったのだろうか。
それでも、ロアは近付くことを止められなかった。
「ダメだ」
ロアはドールの細い手首を掴んだ。
ヌルリと気色悪い感覚が伝わると、ロアの手も赤く汚れた。
あれほど、こうなることを恐れていたはずなのに、今は気にならなかった。
「ダメだ」
もう一度、強く叫んだ。
朝の町は相変わらずシンとしてまるで時が止まっているようだった。
その風景の中でドールの表情は消え落ちていった。
「ロア?」
「ダメなんだ、もう殺しちゃダメだ」
言いたいことは沢山あるはずなのに、言葉にならない。
ロアはもどかしさを感じながらも、必死に言葉を紡いだ。
「そんな人生、悲しすぎる。人を殺すことでしか自己を肯定出来ないなんて、そんなのおかしい。ドールなんて呼ばれてるけど、君が人間だってこと見てればわかるさ。それなのに、証明しなきゃいけないなんて、そんなことないだろう」
「嘘。そんなことない。私は人形。作られた命。死んでしまった命よ。私の命は殺すことにおいて証明される。ここに私という命がある証」
彼女は頑なにそれを信じている。
僕の言葉を認めようとはしなかった。
「わからないな」
「じゃあ、証明しましょう。こっちの証明は生きていることよりもずっと簡単だから」
ドールはそこで驚くべき行動に出た。
彼女は血で汚れたままのナイフの刃先を自分の心臓に向けて、降りおろした。
「あっ」
止める間もなかった。
というより、誰がこんなことを予想できただろう。
彼女にはなんの躊躇いもなかった。
ナイフはグサリとドールの胸元に突き刺ささると、その小さな胸に穴を穿った。
「ほら、ね」
「きゃあああっ!」
それでも平然としている彼女を見て、ロアは悲鳴をあげそうになった。
しかし、その前に甲高い悲鳴がロアの次の言葉を遮る。
ロアが悲鳴のした方向に視線を向けると、そこにはワナワナと震えて立ち尽くす町娘がいた。
ロアはようやく自分達の状況を思い出した。
彼らは今、血だまりの中に立ち、ドールは凶器を手にしている。
これがどういう状況なのかは一目瞭然だった。
「ドールッ!」
ロアは気がついたときにはドールの手を握って走り出していた。
ドールはそれに引っ張られるように続く。
その表情には戸惑いが浮かんでいた。
「どうして? どうして私を連れていくの? 被害者面してれば、疑われなかったのに」
「そんなこと、今はどうでもいい。あとにしてくれ。お前のほうが足が早いんだから、しっかり走れ」
背後からはパラパラと石畳の上を走る足音がしていた。
少女の悲鳴が町の人々をあの場に集めたようだ。
町中がザワザワとしはじめていた。
「ロア、捕まってて」
息があがり始めたロアにドールがそう声をかけた。
ロアが何事かとドールを振り返った瞬間、彼はフワリとドールに抱えあげられていた。
僅か十歳の少女が十六歳の少年を簡単に持ち上げていたのだ。
その様はこの状況でなければ、滑稽としか言い様がない。
しかし、今のロアにそのようなことを考える余裕はなく、ドールにしがみついていた。
一方、ドールはその状態でも、スピードを落とすことなく走り続けた。
路地裏に駆け込み、散らばった障害物を軽々と飛び越え、軽い……否、軽すぎる身のこなしを見せた。
ざわめきはどんどん遠ざかっていく。
それから数分後、彼らは町の喧騒から完全に逃れきっていた。
ボロボロの酒場に戻ってきたロアは何から考えてよいのかわからなかった。
父は殺された、人形だという少女に。
それだけはわかっている。
しかし、その後に見た光景や自分の行動についてはそれ以上のことを考える余裕はなかった。
まぁ、色々と誤算はあったものの、目的である父殺しは達せられたのである。
その結論に落ち着いて、それ以外は放棄した。
そして、それを引き起こした少女はというと、自分で刺した痕をチクチクと縫い合わせていた。
痛みに顔をしかめるということもなく、作業のように淡々と繕っていく。
こういう光景を見ていると、嫌が否でも彼女が人形であるという事実を認識せざるを得なかった。
「ロア」
しばらく経って、ドールは縫い終えたらしい。
裁縫箱の中に針と糸を押し込めながら、ロアに声をかけてきた。
「なんだ」
「あなたは私を始め、人形じゃないと言った。人間だと言った。それはどうして?」
ロアは一瞬、答えるのに迷った。
あの時は咄嗟に言ったことだ。
何を言ったのか、自分でもわからない。
それでも、自然に答えは出てきた。
「お前、人間ってどういうものだと思ってる? というか、そもそもお前が人を殺す結論に行き着いたのは何故だ」
ドールは答えが返ってこないことに戸惑いながらも、ハッキリとした口調で言い切った。
「人とは命あるもののこと。私は鉄や綿、そういう死んだもので作られて、ここにいる。だから人ではない。でも、人でありたいと願うことは止められない。なら、どうするか。人の命を絶つという『現象』を起こしてしまえばいい。そうすれば、一つの命が消えるという『現象』によって、私の存在が証明される。生きていることを証明できる!」
ドールは興奮したように叫んだ。やはり、殺すということに関係してくると、感情が露になるらしい。
今の彼女は作り物にはみえなかった。
「現象なら人殺しじゃなくてもいいだろう?人に優しくすれば、その人はお前を認識してくれるだろうし」
「あなたはもし、機械に何かをしてもらったとして、それに感謝する? しないでしょう? それと同じで、私は人とは認識されないに決まってる」
「試したのか?」
「……」
ドールは黙り込んだ。
その沈黙は否定、とロアは受け取って、言葉を続けた。
「なら、やってみろ。きっと誰もお前を人形とは思わ……」
「ある」
ドールは唐突に、ロアの言葉を遮った。
ロアは驚いて、黙り込んだ。
「あるわ。人に優しくしたこと。必死に頑張った。認めてほしくって。でも、返ってきたのは暴力だった。長い間、そういう世界が全てだった」
ロアはハッとした。
おそらく、ドールは自分よりももっと劣悪な環境で生きてきたのだろう。
人形として、道具として使われた日々が。
断片的な言葉だったが、それが察せられた。
彼女はきっと、知らないのだ。
優しくされる、ということ。
嬉しいという感情も。
だから負の感情の象徴である殺しを自分に与え、証明した。
自身を証明する現象にそれを選んだ。
そんな結論にたどり着いたとき、ドールは既に背を向けていた。
「私を理解してくれなくていい。きっと、普通の人には受け入れ難いことなのでしょう。私も外の世界に出て、それを知った」
振り返った彼女の瞳は少し悲しげに見えた。
もしかしたら、気のせいかもしれない。
彼女は感情の起伏が乏しい。
ロアのイメージが補完した幻想なのかもしれない。
それでも、ロアはこの少女は救いを求めているのだと思いたかった。
「行きましょう。あなたの母親を助けに。全てはまだ終わったワケじゃないわ」
そう、まだ終わっていない。
少女が変われる可能性も、全て。