少年と苦悩
なんで、俺はこんな得体の知れない少女についてきてしまったのだろう。
少年は目の前を歩くドールを見つめながら、そんなことを考えていた。
今更ながら、彼女はとてつもなく怪しい。
まず、見た目からして、それが言えてしまう。
これでもかといわんばかりにレースやフリルをふんだんに使った黒いドレスは膝までしかない。
これだけ豪奢なのだから、何処かの貴族かと思ったのだが、貴族は丈が短いものは品が無いと言って、身に付けたりしない。
よって、その可能性も薄くなる。
それに、靴もそういった類いのものではなく、底の厚いロングブーツを着用していた。
彼女の服装は動きやすさを重視しながらも、豪奢だ。
正直に言うと、かなりアンバランスだった。
それに、よくよく考えれば、彼女は少年が人を殺そうとしているところを見ている。
普通ならこのまま兵士たちにつき出されてもおかしくはなかった。
しかし、彼女にそんな素振りはない。
相変わらず無表情のまま、少年をどこかへ案内していた。
「おい、どこいくんだ」
「仕事場よ。色々準備が必要だわ」
何よりも少年をその気にさせているのは、彼女が仕事を請け負ってくれるというのが最大の理由だった。
出来ることなら、少年は手を汚したくはない。
それはドールの言うとおり、彼の望んでいないことなのだ。
今の状況に困っていなきゃ、そんな罪深いことは絶対にしたくはなかった。
しかし、こんなに小さな少女が本当に出来るのだろうか。
その懸念があるのは確かだった。
「ねぇ」
少年がそんなことを考えていた矢先、ドールが声をかけてきた。
「貴方があいつを殺したい理由を聞いても?」
「……ああ、いいぞ。村のやつらには知られた話だからな。今更隠す必要もないし」
少年は何でもないように言って、語りだした。
少年の父親はどうしようもない男だった。
彼はろくに仕事もしないで、酒ばかり飲む怠け者だった。
しかし、その男はずっとそうだった訳ではない。
少年の母と結婚する前は類いまれなる商才を持っていた商人だった。
男は結婚して一変した。
きっかけはとても些細なことだった。
それは色々あったので割愛するが、全ては小さな失敗の積み重ねだった。
本来なら、そんなことがあっても人というのは立ち直れるのだろう。
しかし、彼は昔から一度も失敗したことがなかった。
彼は自分が天才だと自負していたこともあり、そこでやさぐれてしまったのだ。
酒を飲みながら、愚痴ばかり吐き続ける日々。
今まではかなりあった金もギャンブルにつぎ込み、遂には底を尽きてしまった。
更には多額の借金まで背負ってしまう始末。
少年の家族は呆れ返った。
しかし、それでもいつかは立ち直ってくれると必死に支えた。
母は家計を支える為に昼夜を問わずに働いてくれた。
だが、父が立ち直る時はいつまで経ってもは来なかった。
彼は少年達を置いて、家を出ていってしまったのだ。
借金を家族に押しつけて、いなくなってしまった。
それから始まるのは、借金地獄と戦うだけの日々。
飢えそうになっても何も食べられない日もあった。
借金取りが扉を叩くのを震えながら聞いていた日もあった。
それでも働ける年になると、少年も必死に働いて妹や弟を食わせた。
そんな忙しい時を過ごしていたある日のことだった。
少年は父親の噂を耳にしたのだった。
「それは、どうやら首都の方で父が商売に成功したらしいというものだった」
少年はそれを聞いて怒り狂った。
なら、なんでこの家に帰って来ないのか。
どうして自分が負うべき責務を果たそうとはしないのか。
少年はしばらくの間、母に仕事を任せて、首都まで父に会いに行った。
そして、それを伝えた。
「どうして、背負っていた借金を返しにこなかったのかと。どうして、俺達を捨てていったのかと。そこでそれなりの理由があって、謝ってくれたなら、俺だって許そうと思ってた。けど……」
男は少年をゴミでも見るような目で見た。
そして、さも迷惑だと言わんばかりの苛立たしげな口調で言った。
「お前たちのような奴等は知らない。俺には家族なんていない」
どう見たってそれは父なのに、彼は違うと言い張った。
虚ろな瞳をして、繰り返し自分に言い聞かせていた。
家族なんていない、お前なんぞ知らないと。
勿論、少年は反論した。
「何言ってんだよ、父さんは俺達の父さんだろ? 早く帰ってきて、母さんを楽にしてやってよ。妹や弟だって、ろくに食べれていないんだぞ」
「だまれ。いないものはいない。さっさとどっかへ行ってくれ。人違いだ。俺は何も失敗しちゃいない!」
そう言って、彼は去っていった。
少年は自分の失敗を無いものにするために、家族まで無いものにしてしまう父に呆れた。
怒りも確かにあったが、それ以前に父を軽蔑した。
少年は村で頼まれた首都での用事を済ませる為に、しばらく首都に滞在していたが、やがて村に帰ってきた。
しかし、村はシンと静まり返っていた。
勿論、人々はいたが、どこか浮かない表情をしていた。
少年は急に心配になって、家に駆け込んだ。
家には弟と妹がいた。
彼らは向かい合って座っていて、何を話すでもなく、途方に暮れたように何もない宙を見つめていた。
それでも、少年が帰ってきたのに気がつくと、弟よりも一つ年上の妹は弱々しく微笑んだ。
「兄さん、お帰り」
「母さんは?」
すると、弟の目にみるみる涙が溜まってきた。
妹も悲しげな顔でうつむいた。
「母さん、いない」
「……どうして?」
少年は妹たちの頭を落ち着かせるように撫でながら、嫌な予感を感じていた。
虚ろな目をした父の姿が脳裏をよぎった。
「連れていかれちゃった。怖い人にっ、それでっ……それで……」
それだけを言うと、妹も泣き出してしまった。
まるで何かに怯えるかのように、肩を震わせて泣き出した。
しかし、それを聞いた少年はというと、不思議と泣かなかった。
自分が守らなくちゃいけない者達がいたからかも知れない。
少年は冷静に妹から情報を引き出そうとした。
「それで、連れて行った奴はどんな奴だった?」
「背が高くって、痩せた怖い顔の男の人だった。でも、そんなに強い特徴はなかったと思う」
どうやら、父ではないらしい。
父は背が低くて、太っている。
そして、顔も見た目は優しげだ。
中身はどうであれ、商売人としてはその方が有利になるからだ。
とはいえ、無関係だと決めつけるのは些か早急だ。
「そいつは……何か言ってたか?」
「父さんの名前……言ってた。父さんの現実を完璧にするって」
そこで、少年の脳裏に不気味な考えが浮かび上がった。
まさか、父はとんでもないことを考えているんじゃないか。
「現実を完璧に?」
「そう。あの人の人生に欠落があってはならない……そう言ってた」
俺は失敗しちゃいないッ! そう叫んで去っていく父の姿が少年の目の前に浮かんだ。
間違いない、父は自分の失敗の証拠たる家族を消そうとしている。
少年はあまりに突飛なその可能性に、戦慄した。
「どうして」
少年はそう思わずにはいられなかった。
いくらなんでもそんなの無茶苦茶だ。
何が、一体何が彼をそうさせてしまったのか。
少年は激しく混乱した。
「兄さん、母さんはどうなっちゃうんだろう。殺されちゃうのかなぁ」
「……わからない」
何か、安心させてあげられる言葉をかけてあげるべきだったのだろうが、少年も気持ちの余裕を失っていた。
不安そうに見上げてくる妹の頭を撫でながら、どこか遠い世界のことを考えていた。
「母さん、ユリメールの町につれていかれちゃったんだって」
しかし、妹の次の言葉で彼は現実に引き戻された。
ユリメール、ここからそう遠くない場所だ。
まだ助けに行けるかもしれない。
微かに見えた希望に少年はグッと拳を握りしめた。
「ノア」
少年は妹の名を呼んだ。
ノアはそれに答えるように見つめ返してくる。
「俺は少し出かけてくる」
「兄さん、まさか」
ノアは不安げに少年の服の裾をギュッと掴んだ。
その瞳は切に、行かないでと伝えてきた。
少年はそんな妹の姿に湧いた未練を振り払うように首を振った。
「ああ、行ってくる。弟のこと、任せたぞ。必ず帰って来るからな。もし何かあっても、お前たちが生きていけるくらいのお金は隣のおばさんに預けてある。そうなったら、それを受け取ってここから逃げろ。大丈夫。お前たちならやっていけるさ。なんとしてでも生きろ」
「そうして、俺はこのユリメールに来た。そして、父さんと再会した」
「で、母親を助けたくば、商売敵を殺せと」
「まぁ、そんなところだ。俺はともかく、ノアたちには母親が必要だ。父さんの身勝手な理由で母さんが殺されるなんてこと、許せない」
少年は足元に転がっていた石ころを怒りに任せて蹴飛ばした。
それでいてその目は迷っていて、彼の心のなかで凄まじい葛藤があるのが見てとれた。
殺したいほど憎い相手だが、殺すという罪深き行為にでる勇気がない。
もし、殺せたとしても、自分のこの後の人生を棒に振ることになる。
少年の考えているのは、そういったところだろうか。
「じゃ、私は貴方の父親を殺せばいいのね。あいつじゃなく」
「えっ?……あっ、そっか」
少年は今更父親を殺すことに気がついたようだった。
動揺したように、その事実を確認した。
ドールはそんな少年の迷いを断ち切ろうとする。
「でなきゃ、貴方は永遠にソイツに使われることになるわよ。その前に貴方の家族も死ぬ。貴方はそれがお望み?」
「そんなことは無いが」
「なら、私はソイツを殺すわよ。安心なさい、手を下すのは貴方じゃないから。殺りたいならやらせてあげるけど」
「いや、遠慮しておく」
生憎、少年はそこまで堕ちてはいなかった。
とはいえ、憎いことにはかわりない。
殺すことに関しては、それ以上のことは言わず、先程から気になっていたことを聞いた。
「なぁ、お前はなんで俺の殺しをしてくれるんだ。メリットなんてないだろう?」
「その気になったから」
「は?」
もっと、お金の為とか言うのかと思っていた少年は驚きのあまり、声をあげた。
そして、再度聞き直す。
「いや、その気って……それだけ?」
「それだけよ。金目当てなら、貴方のお父さんのところに行ってるわ。ただ、その気になっただけ」
少年はもう絶句するしかなかった。
彼女は……ドールは殺しを楽しんでいるのだろうか。
どう反応していいものだろうかと少年が口をパクパクさせていると、ドールがふと立ち止まった。
どうやら、ここが目的地らしい。
目の前には明らかもうやっていないだろう、ボロボロの酒場があった。
「さっ、入って。外見はこんなんだけど、中は意外と綺麗にしてあるから」
そう促されて入ってみると、確かに中は外ほどボロボロではなかった。
埃はそれほど積もっていないし、蜘蛛の巣もはっていない。
普段から人の出入りがあることが安易に想像出来た。
だが。
「なんだこりゃ」
そう言わざるを得ない部屋の様子に、少年は腰を抜かした。
しかし、仕方がない。
なんといったって、この部屋の壁には数えきれないほど、沢山の殺しの道具が飾られていたのだから。
その種類も実に豊富だ。
いかにも切れ味のよさそうなサバイバルナイフ。
どう見ても巨人にしか振れなさそうな大きな斤。
最近流通し始めた一瞬で人を殺せてしまうという、拳銃。
他にも拷問につかうアイアンメイデン等の他にも、少年がいくら想像力を働かせても何につかうのかわからないような道具まであった。
「私のコレクションよ。気に入ってくれた?」
ドールはコテンと首を傾けて、聞いてきた。
一見その表情も無表情に見えるのだが、どこか嬉しそうにしているのは気のせいではないだろう。
少年はそんなドールの様子に何度も首を振った。
恐怖を感じて、反射的にとった行動だったが、それが良かったらしい。
彼女が壁の武器をひっつかんで襲いかかって来るようなことはなかった。
「良かったわ。気に入ってくれたようで。さて、自己正当化が大好きな、ワガママな汚い大人にはどれがお似合いかしら」
目を爛々と耀かせる彼女に、少年は何も言うことが出来ない。
この子は普通じゃない。
殺しを楽しむと言うよりは、その行動そのものに酔っていた。
少年はこの幼き少女に狂気を感じた。
「さて、貴方……」
「ロア、だ」
「そう。じゃあ、ロア。もし、これから貴方の父親を殺したとして、真っ先に疑われるのは誰?」
「俺……では、ないだろうな。たぶん、アイツは色んな商人から目の敵にされているからな。でも、俺がユリメールに向かったことや事情を知ってる人もいる。疑われる可能性は高い」
「なら、正面きって殺しにいくような真似は出来ないわね。暗殺の方がいい」
ドールはそう決めていくと、壁にかかった武器を選び始めた。
少し迷った末、彼女が選びとったのは一メートル程の長い銃身をもつ、スナイパーライフルだった。
「これがいいわね。これなら遠くから打つから誰にも顔はみられない」
他にもサバイバルナイフや、細々としたアイテムをドールは服の至るところに忍び込ませた。
そのうち、一丁の拳銃を取り出すとロアに差し出した。
「これは?」
「護身用よ。貴方もいくでしょ?」
正直、ロアは人を殺す場面には立ち会いたくはなかった。
けれども、その重い罪を押し付けたのは誰でもない、彼自身。
ここで逃げ出すのは卑怯だと思った。
ロアは差し出された拳銃を受け取ると、頷いた。
「ああ、行くよ」
そして、何よりこの少女が心配だった。