銀色と月夜
黄金の満月が浮かび上がる、とある冬の夜。
とある小さな町の一角でことは起こった。
その日は何ら変わらないように見えた。蝋燭を買う金を節約するため、既に寝静まったこの町に人の姿はない。
あると言えば、片付けを始める酒場の店主くらいなものだ。
そんな静寂や暗闇はいつも通りだった。
しかし、小さな違いもあった。
神様がもしこの町を見ていても、じっと目を凝らさなければわからないような違い。
けれども、確かな違いだ。
町の中でも一際薄暗い建物の影で、その当事者たる少年は息を潜めていた。
見た目はいたって、平凡。
茶色い色素の薄い髪と瞳を持ち、使い古されたコートに身を包んでいた。
しかし、手には凶器――とはいっても、小さなナイフだが――が握られており、その刃先は少年の震えに合わせて、微かに震えていた。
「もうすぐだ。もうすぐ」
少年は小さな声で自身を落ち着けるように言う。
声変わりしたばかりのその声は誰にも聞かれることなく、夜の闇の中に消えていった。
「やぁ、今宵は良い月の夜だねぇ」
少年が暗闇の中で潜み続けること、数分。
少年の集中力がきれかけた……その時、路上に「奴ら」は現れた。
「確かに良い夜ですなぁ。あとはこの寒ささえ、無くなればなお良いのですが」
「なに、もうちょっとの辛抱ですよ。直に暖かくなるはずだ」
奴らはそんな会話を交わしながら、大通りを歩いていた。
二人の男は上等な毛皮に身を包み、白い息を吐きながら笑う。
少年はそれを憎悪の目で睨み付けながら、裏路地から機会を伺っていた。
そう。彼が手に持つ刃を向ける先はこの男達なのだ。
男達は自分達が刃を向けられていることなど露知らず、ゆっくりと少年の潜む路地まで近付いてゆく。
少年は手が白くなるほど強く、ナイフのグリップを握りしめて「その時」を待った。
三十、ニ十五、ニ十。刻々と両者の距離は近付いてゆく。
「……ッ!」
遂に、少年が飛び出そう……とした時だった。
ナイフをもった少年の手を何かが引っ張った。
冷たく、巻き付いた何かは少年を裏路地へ引き込む。
少年は思わぬ出来事に抵抗する間もなく、その場に尻餅をついた。
「いっ……」
「喋らないで」
悲鳴をあげようとして、今度は違う声に遮られた。
その鋭く、冷たい声に少年は反射的に黙ってしまう。
手首を捕まれたまま、時が過ぎ去ること数十秒。
完全に男たちを攻撃するチャンスを逃し、彼らは潜んでいた路地を通り過ぎていってしまった。
そうして、彼らの姿がようやく見えなくなると、少年はフッと詰めていた息を吐き出した。
そして、彼の行動を止めた人物に向けて視線を向けた。
「何するんだ」
少年から発せられた声は先ほど彼を止めた声よりも冷たかった。
しかし、その相手はというと、平然として、それに答えた。
「貴方のしたくなかったことを止めてあげただけよ」
少年を止めた人物……否、銀髪の少女は全く怯まずに言った。
彼女はまるで人形かと思わせる端正な顔立ちをしていたが、その表情はピクリとも動かない。
鏡のような銀色の瞳でただ、じっと少年を見据えていた。
少年はそんな少女を負けじと睨みながら、更に言葉を重ねた。
「俺が望むことなんて、君にはわかりゃしないよ」
「いいえ、わかる」
彼女はキッパリと言い切った。
思いもよらない返答に、少年は驚いたように、軽く目を見開いた。
「へぇ、それは興味深いね。何が根拠だかは知らないが。でも、俺はこれを望んでる。それは嘘偽りじゃあない」
皮肉を混ぜた言葉にも、やはり少女は表情を変えることはなかった。
淡々とした抑揚のない声で、少年の主張を否定した。
「しなきゃいけないことと、したいこととは違う。君はその意味をすり替えて納得しようとしているだけ」
「だが、やることにはかわりないだろう。この行動そのものは確かに望んじゃいないかも知れない。けど、間接的には俺の望みに繋がるんだ。君にはわからないだろうけどね」
少年は憎々しげに足を踏み鳴らした。
確かに少年がそう思うのも無理もない。なんといったって、少女の外見は十歳程度にしか見えないのだから。
十六歳の少年との身長差は如実にそれを表していた。
「そう、思う?」
「……何が言いたい」
少女の意味深な問いかけに少年は警戒心を露にする。
少年はこの状況でふと一つの可能性にいきついた。
それは、彼女が見た目ほどの年齢ではない可能性だ。
実はこの幼さはフェイクであり、実は相手方が差し向けた敵なのではないか。
という、笑えない話だ。
「アンタ、一体何者なんだ」
「私に名前はない。でも、こうは呼ばれている。ドールと」
ドール、その言葉の意味するところは人形なのだろう。
確かに彼女のビスクドールのような容姿はそれにピッタリだった。
彼女はすっと少年に白い手を差し出して言った。
「私にその仕事、任せてみない?」