74話 アンデッド・ジン(エル視点)
邪教徒の姿はかなり小さくなっている。
「みんな生きて帰るぞ!
行くぞ、リゼット!」
私達に声を駆けると、邪教徒を追ってソージ様は走り出した。
かつてお父様だったモノ……『ジン』との戦闘は、
開始から既に20分が経過している。
その間、私たちは苦戦を強いられていた。
「GAAAAAAA!!!」
ジンは咆哮を上げると刀を思いっきり振り下ろす。
その剣速は凄まじく、一瞬たりとも気が抜けない。
しかし……思い出の中にある父の剣は、もっと綺麗なものだった。
敵が斬られたことすら分からないほどの神速の太刀。
だが、今のジンからはそのようなキレは感じられない。
下品なまでに膨らませた筋肉は、最適な太刀筋を打ち出す邪魔をしている。
今のジンの剣は、ただ力任せの一撃なのは間違いない。
しかし、その一撃が私達には速く、重かった。
「ぐっ!!」
ジンの振り下ろしを辛うじて盾で防ぐのは、ソージ様が連れてきたエリック様と言う名の聖騎士だ。
エリック様のレベルは60。
このパーティーの中では、ソージ様に次いで2番目のレベルを持つ。
だが、そのエリック様をもってしても、目の前のジンの剣に攻めあぐねていた。
エリック様は盾でジンの攻撃を防いだが、その威力を完全に殺すことはできなかった。
彼はこらえきれず、一歩後ずさる。
逆にジンは一歩前進、踏み込んだ勢いを刀に乗せ、二回目の振り下ろしを放つ。
「うらぁ!!」
そこに剣を振りかぶったお兄様が突進する。
お兄様の剣はジンの腕を打ち、その衝撃で彼はわずかに体勢を崩す。
その隙を突いて、エリック様は体制を立て直した。
「助かりました。エン。
しかし、これは……」
「はぁ……はぁ……くそ!
刃が全然とおらねぇ!!
どうなってやがる!!」
お兄様の剣は確かにジンの腕に当たっていた。
ジンは上半身をむき出しにしており、鎧どころか服すら身に付けていない。
あるのは溢れんばかりの筋肉だけだ。
だが、その筋肉の鎧が剣で貫けない。
それはお兄様だけでなく、エリック様も同様だった。
もちろん……私の攻撃も……
私は二人がジンを押さえ込んでいるうちに、大きく弧を描くように走り、敵の側面に移動する。
射線が味方に重ならないことを確認すると、ベルトから投げナイフを一本取り出し投げる。
『スローイング・ナイフ』
斥候の基本攻撃であり、奥義でもあるそれは、狙い違わずジンに命中する。
しかし、突き刺さることはなく、浅く傷を付けただけで弾かれる。
こんなことはあり得ない。
いくらなんでも頑丈すぎる。
これがあの女……邪教徒の仕業だと言うのですか……
「――我らに試練に打ち勝つ力を――エリア・エンデュランス!!
焦るな!
作戦自体はうまくいっている!
気合だ!耐えろ!」
アンナは後方から支援魔法を使いつつ、指示を飛ばしている。
彼女もアレで元は、南部教会の司教である。
戦闘開始から今まで、一度も支援魔法が途切れたことはない。
こうして苦戦しつつも、何とか戦えているのはアンナの力が大きかった。
ソージ様の立てた作戦は、エリック様とお兄様と私でジンの攻撃を受け止めながら、
敵のHPを少しずつ削っていくというものであった。
その作戦は正しいと思う。
ジンの俊敏性はかなりのものだ。
好きに動かれては、こちらの陣形はズタズタにされて、各個撃破されるのがオチだ。
だからこそ、ある程度のダメージを受けることを承知で、ジンに喰らい付き、敵の足を止めている。
作戦通り、ジンの足止めは出来ている。
しかし、肝心のダメージは与えられているのだろうか?
この異界の中では、回復魔法である『ヒール』の効果は薄い。
長期戦は私達にとって有利という訳ではない。
このままでは、逆に私達が削り殺されるのではないか……
戦いは膠着状態に陥っている。
私達も有効打を与えることは出来ていないが、ジンからも有効打は与えられていない。
しかし、ジンの攻撃はとにかく重い。
受け損なえば、こちらは致命傷は必至だ。
下手をすれば一撃で戦況が傾いてしまう。
実際には、危うい綱渡りのようなギリギリの戦いなのである。
その死の気配は、幼い頃から戦闘訓練を受けてきた私にも重く圧し掛かる。
ソージ様はアンデッドスライムに対して1人で囮をしていましたが、
その重圧はきっとこんなものではなかったでしょう。
ソージ様のずば抜けた忍耐力は、本当に凄い。
私も負けられない。
「AAAAAAAA!!」
「クッ!!」
繰り出される斬撃を、ギリギリまで引き付けてからかわす。
私もお兄様も盾は持っていない。
防具と呼べるものは、ワーウルフの戦闘装束である黒い皮鎧と篭手のみ。
ワーウルフは、防御よりも回避を重んじる。
だからこそ……防戦はあまり得意ではないのですが……
焦りが募る。
特に私はこのパーティの中で一番レベルが低い。
私はお役に立てているのだろうか?
エリック様やお兄様とは異なり、防御力の薄い私は足を止めた打ち合いには参加できない。
だから、一撃の攻撃と離脱を繰り返す。
手数は減るが、そのかわり敵を観察することが出来る。
何でもいい。
何かこの状況を打開する手がかりはないか。
目を凝らし、ジンのステータスを見る。
--------------------
*v:5X
名ae:ジ/
!P:2XA4
M$:@5
--------------------
ステータスは狂っている。
これもあの邪教徒の仕業。
ステータスからは何の情報も得られない。
どうすれば……
「エル!!逃げろ!!」
「しまっ!!」
敵を観察することに気を取られていた私は、普段よりも一歩前に出ていた。
たかが一歩、されど一歩。
戦いとは間合いの取り合いであり、一歩の差で生死が決まる。
「ッ!」
ジンは右手の刀を真っ直ぐに突く。
それを身体をそらして避けるが、その突きは囮だった。
空いている左手が私目掛けて叩きつけられる。
ワーウルフの手にはナイフの様に鋭利な爪がある。
異常に発達した左手は大きく広げられ、私の視界いっぱいに広がる。
ああ、これは……助からない。
普段の私なら、そう思っていただろう。
私はワーウルフの戦士として訓練されてきた。
その経験から、もう逃げても間に合わないことが分かってしまう。
今から動いたところで、手はかわせても、あの爪は私の首を飛ばすだろう。
でも……今の私は身体が軽い。
普段の私なら絶対にかわせない攻撃でも、今の私ならかわせるはずだ。
そう思わせるほどに力が湧いてくる。
それは奇跡でも魔法でもない。
その力の源は、ソージ様から借りた『フェザー・カッター』。
そのナイフに宿る付与は『素早さの上昇』。
目の前にジンの手が迫る。
その手に刻まれたツギハギのような傷跡が、はっきりと見える程に。
「エル!!」
『ッ!――アサシネイション!』
敵が斬られたことすら分からないほどの神速斬撃。
その技に全てを賭け、手に持ったフェザーカッターを走らせる。
瞬間、衝撃が突き抜ける。
一瞬の浮遊感と、体に走る痛み。
高速で流れる視界には、どす黒い血が飛沫を上げ、
切断された指が宙を舞う。
「AGAAAAAAAAAAA!!!!!」
その指は、もちろん――ジンのものだ。
「ぐっぁ!!」
地面に叩きつけられる前に辛うじて受身を取り、ゴロゴロと転がることで勢いを殺す。
「エル!」
アンナの声が響く。
「っつ……大丈夫……
攻撃が当る直前に、自分から後ろに飛びましたので……
それよりも……」
「すげぇ、今まで全然切れなかったのに!」
「エル、どうやったのですか?」
お兄様とエリック様が感嘆の声を上げる。
「傷跡です!!
ジンの体に走る傷跡が、弱点です!!
その線を、ナイフでなぞれば切断できます!!」
単なる思い付きだったが、うまくいった。
ジンの体に走るツギハギのような無数の傷跡。
これを正確になぞれば、あの頑強な体に傷を付けられる。
「よし、でかした!!」
お兄様はさっそく剣を構え、ジンに斬りかかる。
「GAAAAAAAAAAAAAA!!」
「って、おわあああああ!!
無理だ!!そんな正確に攻撃があてられるか!!」
「これは……確かに厳しいですね」
指を切り落とされたことで、ジンは怒り狂い。
出鱈目に刀を振り回す。
エリック様とお兄様はその斬撃をしのぎつつ、攻撃の機会を待つが、
ジンの猛攻は、それを許さない。
「攻撃はエルに任せて、エリックとエンは、そのままジンを押さえろ!!
エル、お前が切り札だ!」
アンナは後方から指示を飛ばす。
「言われなくても、そのつもりです!
それよりも、もっと支援をよこしなさい!」
私とてジンの猛攻に飛び込むのは容易ではない。
もっと速さが必要だ。
「はっ、ついさっき死にかけたくせに言ってくれるね。
――我らに風の如き俊足を授けよ――エリア・アクセラレイション!!」
アンナの魔法の光が私を包み、さらに身体が軽くなる。
「もう1個。
――不可視の盾よ、我らを守れ――エリア・プロテクション!!」
これなら……いける!
風の様にジンに向かって一直線に疾走する。
ジンは私を迎え撃とうと刀を振るう。
「貴様の相手は……私だ!!『シールド・バッシュ』!!」
盾を構えて突進したエリック様によって、ジンは体勢を崩す。
その隙を見逃さない。
すれ違い様に背中に走る縫い目をナイフで切り裂く。
「GAAAAAA!!!」
「オレの事も忘れるなよ!!『セブン・エッジ』!!」
剣による七連撃、手数重視の攻撃で、狙いは荒く傷跡には当らない。
それでも、何度も斬りつけられるのは嫌なのだろう。
私に向かった敵意が、一瞬お兄様に向けられる。
その一瞬が、命取り。
お兄様に向けて振り下ろされる右腕に、ナイフを振り下ろす。
「GYAAAAAAAAA!!」
「よし、行けます!!」
さすがにナイフでは腕を切断するには至らないが、
それでも確かな手ごたえはある。
この攻撃を続ければ、いずれジンを倒すことができる。
停滞していた戦況に、光明の兆しを得た気分だった。
しかし、ジンもただやられるだけではない。
「GAAAAAAAAAAAA!!!」
「ぐっ!!」
「がぁ!!」
傷を負ったことで、怒りが爆発したのだろう。
これまでに無いほどの豪腕で、エリック様とお兄様を吹き飛ばすと、
一目散に私を追ってきた。
その速度は、魔法で強化された私の速度とほとんど変わらない。
「ッ!!」
振り下ろされる刀を掻い潜り、わき腹の傷跡を切り裂く。
そのまま背後に回りこんだ私に向かって、ジンは振り向き様に刀を振るう。
その刀を横に飛んで避けつつ、投げナイフを右肩の傷跡に目掛けて投げる。
ナイフは傷跡に突き刺さったが、同時に私も体勢を崩してしまった。
その私に対して、飛び掛るように刀を振り下ろす。
ジンの刀を地面を転がりながら避け、敵のふくらはぎにナイフを突き刺す。
だが、私にできるのは、ここまで。
今まで私がジンと戦えていたのは、エリック様とお兄様がジンの攻撃をひきつけていた事が大きい。
私の体勢は崩れている。
エリック様とお兄様は間に合わない。
……もう次は逃げ切れない。
ジンが刀を振り下ろす。
視界いっぱいに刃が広がる。
もうだめだと思った瞬間、魔法の盾が目の前に展開する。
この隙に体を引きずり逃げようとするが、魔法の障壁にヒビが入る。
だめ、盾が持たない……
「恨むなよ――風よ、我が敵を吹き飛ばせ――エア・ブラスト!!」
「ぐっ!!」
私の身体はアンナの魔法で作られた暴風に吹き飛ばされる。
だが、そのおかげでジンの攻撃からは逃れることが出来た。
魔法で打ち付けられた身体の痛みを我慢して、立ち上がる。
「おら、野郎共!!
しっかり、エルを守れ!!」
「ぐ、面目ない!」
「くそが!!だからってエルごと魔法を使うな!」
「うるせーばーか!
お前らが不甲斐ないのが悪いんだよ!!
――太陽の女神サニアよ、癒しの奇跡をここに、その自愛深き御手を我に授けよ――マスター・ヒール!!
最上級のヒールだ、エルもすぐに立て直せ!!」
虹色の光と共に、体中の痛みが消えて行く。
これなら、支障なく動ける。
しかし……
「狙いは私じゃない!アンナです!」
「あ?」
「GAAAAAA!!」
ジンは咆哮を上げると、アンナに向かって走り出した。
体勢を立て直したばかりのエリック様とお兄様。
エア・ブラストによって吹き飛ばされた私。
今、アンナを守る者は何もない。
「はっ、後衛のアタシ相手なら勝てるってか?
いいぜ、相手をしてやる!!」
アンナはハルバートを構える。
「いけない!逃げてください!!」
アンナも実力のある神官であることは知っている。
しかし、前衛であるエリック様とお兄様でも防戦一方だったのだ。
単騎でジンに勝てるわけがない。
「まあ、アタシの評価が低いのはしょうがないけどな。
黙ってそこで見てろ!
教えてやるよ……なんでアタシが杖ではなく、ハルバートを使っているのか!!」
一瞬にして距離を詰めるジンに対して、アンナはハルバートをくるりと回すと、
その勢いのまま、水平になぎ払う。
「アンデッドスライムのようなデカ物相手だと、どうしようもないがなぁ!!
対人戦闘は、爺さんにみっちり仕込まれてんだよ!!」
重いハルバートを軽々と振るう姿は、アンナの技量が相当なものだと分かる。
そして、素早いワーウルフに対して、『点』の突きではなく、
『線』のなぎ払いを選択したのも戦術として間違ってはいない。
ただし、それは相手が通常のワーウルフであったのならだ。
しかし、あのジンにとっては、それは悪手だ。
アンナのハルバートのなぎ払いに対して、
ジンは速度を緩めず大地を蹴り、アンナに飛び掛る。
ワーウルフの跳躍力をもってすれば、ヒューマンの背丈の高さまで飛ぶのは容易。
彼女のハルバートの軌道は、ジンの下。
対するジンは空中で剣を上段に振りかぶる。
このままジンが剣を振り下ろせば、アンナは頭を割られて死んでしまう。
「そう来ると思ったぜ!
『ライジング・スマッシュ』!!」
アンナは水平方法のなぎ払いから、ハルバートを強引に振り上げる。
そのハルバートの一撃は、空中にいるジンに避ける術はない。
「GAAAAAAAAAAAAAA!!」
ジンは足元に迫るハルバートに刀を叩きつけることで、アンナの攻撃を防ぐ。
「ぬぁあああああああ!!」
アンナは構わずに刀ごと叩き割る勢いで、ハルバートを振りぬく。
しかし、ジンはその力を逆に利用して、大きく後ろに跳躍した。
また、これだ。
我々ワーウルフの基本戦略である『ヒット&アウェイ』。
攻撃が失敗したら、即座に見切りをつけ、距離を取る。
こちらも体勢を整える時間ができたが、
これで、また振り出しに戻ってしまう。
だが……
『――灼熱の業火よ、全てを焼き尽くせ――エクスプロージョン!!』
アンナの攻撃は終わっていなかった。
彼女はジンをハルバートで弾き飛ばした瞬間から詠唱を開始。
空中にいるジンに対して、魔法を放つ。
『エクスプロージョン』
炎属性の最上級魔法であり、放射状に爆発が広がる範囲魔法である。
なるほど、空中にいるジンに向けて放てば、私達を巻き込むことはない。
そして、今度こそジンは逃げられない。
アンナの魔力が強烈な熱と炎に姿を変え、ジンを中心に爆発的に膨れ上がる。
「グッ!!」
ドン、という爆発音の後、
強烈な空気の振動と熱気が、地上の私達の元にまで届く。
ジンはこの中心にいたのだ。
ただではすまないだろう。
瞬間、炎に包まれた塊……ジンが地面に落ちる。
彼は受身も取れず、地面に叩きつけられ、蹲るような姿勢のまま動かない。
「やったの……ですか……」
「ッ!!やれてない!!
あの野郎!!舐めやがって!!
奴は刀を守りやがった!!」
アンナは叫ぶと、ハルバートを構えなおす。
刀を……守る……?
彼女の言葉の意味が分からない。
ビクンと、ジンの身体が震えると、震える体を押さえつけるように、
ゆっくりと起き上がる。
ジンの身体は先程とは見る影もない。
炎と熱で焼かれた体は炭化しており、動く度にベキベキと崩れ落ちる。
ゴテゴテと体に張り付いていた筋肉は剥がれ、骨が露出し、血が流れ出す。
そんな有様に関らず、右腕に握られている刀には傷ひとつない。
アンナの言っていたことの意味が分かった。
ジンは、あの爆発の瞬間。
体を丸め、刀を守ったのだ。
だが、いくら刀が無事でも、それを扱うジンの身体は限界だ。
刀を杖にして、ようやく立っているだけ。
しかし、その目に宿る戦意は燃え尽きていない。
「ワタシ……ハ……マケル……ワケニハ……イカヌノダ……」
「お父様……」
言葉を、話した。
「ドウホウノタメ……カゾクノタメ……ワタシハ……マケヌ……!!」
私達に向かって、ボロボロの体で刀を構える。
その目は、敵意に満ちている。
私や、お兄様のことは、もう分からないのだろう……
「何で……こんなことに……お父様……」
目から涙が零れる。
お父様が第五開拓村に旅立ったとき、私はまだ幼かったから多くの事は覚えていない。
それでもお父様の大きな手や、私達に向ける笑顔は覚えている。
不意に後ろから、優しく抱きしめられた。
アンナだった。
彼女は隠密なんて出来ないのに、気付けないなんて……
「……離して下さい」
「泣きたい時は泣いていいんだぞ?」
「……別にいいです」
どうせ泣くなら、ソージ様の胸の中の方がいいです。
それに、まだ戦闘中です。
「何だよ、せっかくアタシが慰めてやろうと思ったのによ。
まあ、いいか……エン!お前がやれ、出来るな?」
「……ああ、任せてくれ」
お兄様は頷くと、お父様と相対する。
「アンナ様、よろしいのですか?
敵はアンナ様の魔法を避けるだけの力はもう残っていないでしょう。
ですが……一刀を振り下ろす力ぐらいは残しています。
わざわざ危険を冒す必要はないのでは?」
アンナと私を守るようにエリック様は前に出ると、
お父様の方を向いたままアンナに尋ねる。
「そりゃそうだけどよ。こういうのは理屈じゃねーんだ」
「エリック様……どうかお兄様を見守っていて下さい」
エリック様の言葉は正しい。
お父様にはもう動き回れるほどの力はない。
アンナの魔法をもう一発打ち込めば倒せる。
でも、これは理屈ではない。
……お父様を止めるのは私達の役目なのだから。
アンナの腕から体を離し、立ち上がる。
もしもお兄様が仕留め損なった時は、私がお父様を倒す。
倒さねばならない。
お兄様とお父様は互いに武器を構える。
お互いの距離は10メートル。
しかし、これはワーウルフにとっては一瞬の距離。
お父様は、深く腰を落とすと刀を腰の位置で構える。
所謂、居合いの構えだ。
対する、お兄様は基本に忠実な正眼の構え。
睨み合いは一瞬、先に動いたのはお兄様。
地面を蹴ると、待ち構えるお父様に構わず、最短距離をまっすぐ駆ける。
一瞬で最高速度に到達する俊足は、まさに放たれた矢の如し。
しかし、お父様はそれに合わせるように刀を振るう。
あのボロボロの体のどこにそんな力があるのか。
振り抜かれた刀の速度はこれまでの最速。
速さと速さの真っ向からのぶつかり合い。
それを制したのは、お父様だった。
お父様の刀の方が、先にお兄様に届いた。
刃がお兄様の右腕に食い込む。
しかし、お兄様は足を止めなかった。
「るあああ!!!」
お兄様は、そのまま身体ごと叩きつける様に突進し、お父様の胸に剣を突き刺した。
お父様の身体は、その衝撃で吹き飛ばされる。
「はぁ……はぁ……どうだ!
ワーウルフはなぁ!足を止めたら終わりなんだよ!!」
お兄様は、右腕から血を流しながら咆哮を上げる。
お父様の刀はお兄様の肉を切ることは出来たが、骨を断つまでには至らなかった。
恐らく半歩の差もなかっただろう。
あの時、少しでも速度を緩めていたら、お父様の刀は腕ごとお兄様を両断していたはずだ。
ほっと息を吐く。
ギリギリの戦いだったが、これでお父様も……
「はは……嘘だろ……まだ……立つのか」
そう言うと、お兄様はベルトに挿しているナイフを左手で構える。
見ると、お父様は胸に剣を突き刺したまま、立ち上がろうと膝を突いていた。
「ワタシハ……マケラレヌ……カゾクガ……マッテ……イルノダ……」
右腕の刀も握られたまま。
いくらアンデッドと言っても……これはいくらなんでも……
本当に不死身なの……
その姿はあまりにも痛々しい。
もう立ち上がったところで、何が出来るわけでもない。
それでも、まだ立ち上がろうとしている。
まだ、諦めていない。
「……いいぜ。こうなりゃ根競べだ。
親父が死ぬまで付き合ってやるよ!!」
その姿にお兄様は、もう一度覚悟を決める。
お兄様だって無事ではない。
もう右腕には剣を振るう力はないのか、武器は左手に構えるナイフ一本のみ。
お互いボロボロの状態での再度の相対。
だが、その時……世界が割れた。
「……え?」
昼間にも関らず薄暗い異界の空に、ヒビが入ったと思った瞬間。
まるでガラスの様に空が砕ける。
黒い瘴気は消え、空には青空が広がる。
「異界が……消えた……」
恐らくソージ様がやったのだろう。
「アガァアアアアアアアアアア!!」
「親父!!」
その声に視線を戻すと、お父様が苦痛に顔を歪め、絶叫を上げていた。
お父様の炭化していた身体が、灰になって崩れていく。
「ア、ガ、ア……ワタシ……ハ……?
エン、エル……ナゼ……ココニ……?」
苦痛に顔を歪めてはいるが、その瞳に理性が宿る。
「親父!オレが分かるのか?」
「お父様!正気に……」
「ああ……そうか……」
お父様は自分の胸に突き刺さった剣を見て、次に朽ち果てた第5開拓村に視線を向ける。
それで何が起きたのか、分かったのだろう。
その顔は深い後悔と絶望が映し出されていた。
「私は……守れなかった……
仲間を……約束を……私は……」
搾り出るように吐き出されるその言葉には、苦渋が満ちていた。
「私は……作りたかった……ワーウルフが……
堂々と生きることが出来る……街を……」
お父様の足が灰となって崩れ落ちる。
「親父!!」
「お父様!!」
崩れ落ちるお父様に駆け寄り、抱きしめる。
だけど、身体はどんどん灰となり、崩れていく。
「ああ……エン……エル……
私の……最愛の……子供達……会いたかった……」
「親父……」
「お父様……」
お父様は刀を……『狼牙』を差し出す。
その顔は、苦痛と後悔、そして、僅かな安堵が浮かんでいた。
「……生きてくれ……ここで死んだ……皆の分も……
それだけが……私の願いだ……」
お父様は、最後に昔の様に微笑むと……その身体は崩れ去った。
「親父!親父!!うああああああああ!!!」
「お父様!!!」
抱きしめる手は宙をきる。
残されたのは遺灰と狼牙だけ。
異界は消え、周りにあるのは朽ち果てた開拓村の跡。
「う……ああ……こんな……」
こんなのは……あんまりだ。
お父様は、私達一族のために、必死で頑張っていたのに。
その思いすら、邪教徒に踏みにじられ、化物にされた。
なぜお父様が、こんな目に合わなければいけない!
「あの邪教徒……絶対に……許さない……!!」
異界が消えた以上、あの邪教徒は、もうソージ様に殺されたのだろう。
でも、それでも願わずにはいられない。
どうか……ソージ様……
あの邪教徒に……お父様が味わった以上の、苦痛と絶望を与えて殺してください。
こうして、私の第5開拓村での戦いは終わった。
次話から視点はソージに戻り、アリスとの戦いになります。