70話 異界
「なんだよ……これ……」
ぞわりと、身体に悪寒が走る。
第5開拓村は、村を取り囲むように黒い結界に覆われていた。
「……『異界』か」
第6開拓村の輸送路にあった異界よりも、規模も密度も高い。
どす黒い結界に阻まれ、外からでは中の様子は分らない。
第5開拓村は完全に異界に飲み込まれてしまっていた。
「おい、どうすんだよ……これ……」
「やべぇよ……やべぇよ……」
目の前に広がる光景に、血の気の多いブラックファングの団員達もざわめく。
それも無理はない。
目の前に広がるのは、黒い瘴気を放つ異界。
結界から離れた場所に居るというのに、嫌な悪寒が背中に走る。
黒い靄に阻まれ中の様子は分からないが、十中八九、中は酷いことになっている。
邪教徒、ゾンビ、アンデッド……
今まで、戦ってきた化け物達を思い出す。
いくら強者揃いのブラックファングといえど、物理攻撃主体の彼らでは、
魔法を使う邪教徒、手足を切り飛ばした程度では死なないゾンビ、
物理攻撃の効かないゴースト相手には苦戦するだろう。
つまり、ここからは教会の……聖騎士の出番だ。
「はいはい、うろたえない。
皆さん、ちょっと作戦会議をするので、慌てず、騒がず、落ち着いて待機していてください。
エリック、アンナ、こっちへ」
パンパンと手を叩き、出来るだけゆっくりと平然とした声で皆を落ち着かせ、
エリックとアンナを連れて、話を聞かれないように集団から距離を取る。
「さて、大変な事になった訳だが……エリックとアンナはどう思う?」
今まで邪教徒やアンデッドを見つけた場合、迷わず戦ってきたが、
今はまだ周囲にアンデッドはいないのだ。
まずは二人の意見が聞きたい。
「え、大変なことって……ソージの予想通りなんだろ?
突っ込む以外の選択肢なんてあるのかよ?」
「ソージ様はこの事態を見越した上で、調査を願い出たのでしょう?
あなたの邪教徒を嗅ぎ付ける嗅覚と、邪教徒を殲滅せんとする意志は本物だ。
邪教徒を殺せるならば、私は喜んであなたの剣となり盾となりましょう」
2人は当然と言った様子で、そう答える。
「いやいや、お前ら俺を何だと思ってるんだ?
邪教徒を嗅ぎ分ける嗅覚なんてねえよ。
完全に予想外だ!
っていうか、何でこんな分かりやすく異界が発生してるんだよ!
普通、もっと、こう隠すだろ!」
その疑問に、エリックは普段の整った顔を獰猛に歪ませ笑い、答える。
「逆に罠を張って待ち構えていた、ということでしょう。
なに、気にすることはありません。
邪教徒には、この様な驕り高ぶった者は多い。
罠ごと踏み潰せばよろしい」
「そーそー。
あいつら腐りかけの死体のくせに、無駄に偉そうだからな。
何だよ?ソージは乗り気じゃないのか?」
「別に……やらなきゃいけないなら、やるさ。
ただし、俺らの目的は第5開拓村の調査。
情報を生きて持ち帰ることが仕事だろう?」
異界化した第5開拓村に向けて視線を向ける。
異界というものは、この世界とはまた違った法則が働いている。
中に居るだけで体力が奪われたり、特定の属性が強くなったり、弱くなったり……
ただ言えることは間違いなく、こちらに不利なアウェイでの戦いを強いられる。
非常にリスキーだ。
「だから、『第5開拓村は異界化していた』という情報だけを持ち帰ることも、
選択肢の一つだ。
まあ……子供の使いじゃあるまいし、持ち帰る情報が『異界があった』だけってのもな……
一番最悪なのは、異界に入って俺らが全滅してしまうことだが……
エリック、教会には今回の調査は報告済みだよな?」
自分の質問の意図に気が付いたのか、エリックは頷く。
「はい。今回の調査は非公開ですが、異端審問官の正式な作戦として、
シモン様より発令されています。
つまり、仮に我々が失敗した場合は、ここに何かがあると分かるわけです。
後頭の憂いなく戦えますね」
「うぉーい!!縁起でもねぇ!!」
エリックの発言に対して、アンナは即座に突っ込みを入れる。
確かに、縁起は悪い。
「……まあ、それなら無駄死には無いか」
だが、これで最悪は回避できそうだ。
「ちょっと、ソージまで!!」
「俺は無敵の聖騎士って訳じゃないからな。
もちろん死ぬつもりはないが、それはそれとして、最悪の状況も考えるさ。
それよりも、アンナは大丈夫か?
最悪、アンデッドスライムとの再戦もあるぞ?」
アンデッドスライムとの戦いでは、アンナは醜態を晒している。
彼女の高いMPや魔法は頼りになるが、戦力として数えて良いか不安が残る。
今見ている限りでは、特に恐れは無いようだが、大丈夫だろうか?
「……大丈夫だよ。
爺さんの遺産の事も、アンデッドスライムの事も、そしてアタシ自身の事も、
ソージには借りばかりが増えてるからな。
ここらで清算してやるよ」
そう言って、彼女は豊満な胸を張る。
彼女の言葉の通り、その眼には恐れは無いように見えるが……
「本当に?大丈夫?
怖くても恥ずかしくなんかないぞ?」
「うるせー!、うるせー!
アタシが行くっつたら、行くんだよ!!」
一応、念のために聞いてみたが、
アンナは顔を赤くすると、ゲシゲシと足を蹴ってくる。
「ちょ、やめろ!
あーもー……じゃあ、異界に仕掛けることでいいんだな」
「はい!」
「おう!」
自分の言葉に2人は力強く返事をする。
こちらの意見は纏まった。
結局、ここに異界がある以上、放置は出来ないのだ。
季節も冬が近づき、しばらくは第5開拓村に来る事が出来なくなる。
リスクは高いが、叩けるうちに叩くのも悪くはないだろう。
結論が出たことでアンナとエリックを連れて、ブラックファングの所に戻る。
すると、彼らはざわざわと落ち着かない雰囲気だった。
何だ?と思っていると、エルが慌てて走ってくる。
「た、大変です。お兄様が!エンが!!
一人で異界の中に入ってしまったみたいなのです!!」
「何!!」
ブラックファングの団員を見渡すと、確かにエンの姿がない。
さっきまでは居た筈だ。
「あの野郎……どうしてこう堪え性がないかな……」
異界の中に入ることは決定しているから別に良いが、
やっぱりアウインに帰ろうって話になったらどうするつもりだったんだ。
「すみません!
ですが、今回の依頼は我が父『ジン』の遺品回収で……
私もそうですが、何よりお兄様は、今回の遠征に思い入れが強く……
どうか!危険を承知でお願いします!!お兄様を助けて下さい!!」
エルは縋り付くように、懇願する。
その姿に、不謹慎だが、少し安心した。
初めてエルと合った時のエンに対する仕打ちはちょっと酷いんじゃないかと思っていたが、
彼女はきちんと兄の心配をしているようだ。
なら、あれはちょっと過激なスキンシップなのだろう。
エルを落ち着かせるために、頭をなでる。
「心配しなくても、大丈夫だ。
こちらも異界に入るということで、結論は出た。
もちろんエンも助ける。
というか、エルの父親ってジンさんだったんだな……」
『父に、託された』という言葉から、第5開拓村の遺族だとは思っていたが、
まさか元ブラックファングのリーダーだったジンが父親だったのか。
まあ、でも彼女の父親が誰であろうとやることは変わらない。
「よし、皆、戦闘準備だ」
自分の声に従い、リゼット、アンナ、エリックがそれぞれ装備を整える。
それを横目に確認しながら、エルに視線を向ける。
「……異界の中は危険だが、エルも来るか?」
「はい!!
行かせて下さい!!」
エルは顔を輝かせ、力強く頷く。
「分かった。それとレノさん!」
ブラックファングのまとめ役のレノさんを呼ぶ。
彼はまだ若いが、他の団員とは異なり落ち着いている。
「はい、我々はどうすれば良いでしょうか」
「私たちはこれから異界に入ります。
ブラックファングの団員達は、ここで1日間。
馬車を守って貰いたい。
誠に申し訳ないですが、『死守』でお願いします」
異界があるせいで忘れそうになるが、
ここは本来モンスターで全滅しても可笑しくない程度には、モンスターが強い。
異界の外にいれば、安全というわけではないのだ。
そして、攻撃は最大の防御を体現するブラックファングの戦い方は、
攻めには向いているが、守りには向いていないだろう。
でも、だからこその死守だ。
仮に異界の破壊が完了したとしても、馬車がないと帰りが非常にきついことになる。
帰還手段の守りも重要な役目なのだ。
「そして、仮に一日経っても私達が帰還しない場合は……あなた達だけでアウインに帰還して下さい。
そして、これをレンさんに渡して下さい」
そう言って、先ほど急いで書いた報告書をレノさんに渡す。
まあ、その内容は『第5開拓村に異界があった』以上の内容は無いのだが……
彼は自分の目を真っ直ぐに見つめると、迷い無く答える。
「分かりました。
我らは我らの役目を果たしましょう。
ソージ殿もご武運を……そして、エンとエルを頼みます」
そう言うと、レノさんは拳を突き出す。
彼の拳に、自分の拳を当てる。
「はい、お互い生きて帰りましょう」
レノさんに背を向け、異界の前に立つ。
メンバーは、リゼット、アンナ、エリック、エル……
彼らは既に装備を整え、自分を待っていた。
自分も3日分の水と食料が入ったバックパックを背負う。
「よし、では異界に突入だ!」
自分たちは異界の中に一歩を踏み入れた。
ぞわり、と体が震え、空気が、世界が一変する。
思わず顔をしかめるような、死臭と血の匂い。
空は黒く染まり、淀んだ空気は、身体を内から腐らせるかのようだ。
濃厚な死の匂い、異界の中は既に生者の世界ではなく、死者の世界であった。
足元を見ると、腰まで届く背の高い草が生えているが、
その草も黒く染まり、生命の温かみは感じない。
視線を前に向けると、少し離れた所にエンが呆然と立ち尽くしていた。
見た所、彼の体に怪我はなく、無事なようだ。
「良かった。おい、エン!
やる気があることはいいことだが、単独行動はやめろ、マジで死ぬぞ!」
強い口調でエンに注意する。
自分だって怒鳴りたくないし、彼の気持ちも分かるが、これだけは言って置かなければならない。
今は異界という、通常の常識が通用しない世界に居るのだ。
1人の勝手な行動が、全員の身を危険に晒す。
だが、彼は自分の声に反応することはなく、ただ呆然と前を見つめる。
「エン……?」
「何で……何でなんだよ……
ズイのおっさん……リク……
何で……こんな……」
「何を言って……?
これは!!」
エンの視線の先。
500メートル程離れた所には、石を積み上げて作った簡易的な城壁と、村の門が見える。
その門の前には、肌が青白く変色した2体のワーウルフが佇んでいる。
彼らは、ボロボロの皮鎧を身に纏ってるが、門番としての勤めを果たさんと、
辺りを警戒をしている。
幸い、こちらにはまだ気づいていない。
だがそれも当然だ……彼らには両の目が無かったのだから。
青く変色した肌は所々、腐り落ち、肌の避け目からは白い骨が露出している。
だが、それでも彼らは……まるで今まで『そうしてきたように』第5開拓村の門を守っている。
彼らの守る門は元は木製だったのだろう。
長年の風雨に晒され、腐り落ち、既に門としての役目を終えている。
その朽ち果てた門からは、村の中の様子が伺えた。
村の中には、同じようにボロボロの衣服をまとったゾンビ達。
だが、それはブルード鉱山で遭遇したゾンビ達とは決定的に違っていた。
手に鍬を持ち、村の中の畑を耕す男のゾンビ。
井戸の前で、何やら談笑をしているかのように集まっている女のゾンビ。
そして、彼らの間を縫うように走り回る子供のゾンビ……
彼らは本能のままこちらを襲ってきたゾンビではない。
彼らはまるで、自分たちが『死んでいることに気づいていない』かのように、
この第5開拓村で生活していた。