7話 神官としての戦い
ワイバーンの首を切り飛ばした剣士。
燃えるように赤い髪と瞳を持つその男は片手で剣を握り、
もう片方の手はだらりと垂れ下がり血が流れていた。
……その腕は本来曲がらない方向に曲がってしまっていた。
剣士は顔を苦痛に歪めつつも、剣を一振りし剣に付いた血を払う。
「おう、助かったぜ……
なんだ、前にギルドに来た変人じゃねえか。」
その男には見覚えがあった。
この世界に来た時に色々と質問をした冒険者の1人だ。
「俺は変人ではない。ソージだ。
……いや、今はどうでもいい。
治療するから腕見せてみろ。」
「へっ、なんだ、あんた良いやつだったんだな。
俺の名はアルフレッドだ。
ああ、治療なら俺は後でいい。」
赤髪の冒険者アルフレッドは首を振り、バリケードの方を向く。
「この中に俺の依頼人がいるんだ。
怪我をしている、彼らを先に治してやってくれ……」
先程と打って変わって、その声には悔しさが滲んでいた。
「しかし……」
彼の腕も十分に重症と言える。
確かにすぐに死の危険がある訳ではないのだろうが、このまま後回しにしていいのだろうか?
正直判断に迷う。
「アルフレッド。
確認するわ。回復はいいのね。」
そこへ、いつの間にか後ろから追いついてきたミレーユさんが念を押す。
「姐御……
ああ、俺は大丈夫だ。
それよりも彼らを助けてやってくれ、頼む……」
どう考えてもやせ我慢のはずだ。
捩れた腕は痛々しく、見ているこちらのほうが痛いぐらいだ。
「分かったわ。行きましょう、ソージ」
自分よりも依頼人の方を優先する、当たり前といえば当たり前だが、
自分がいざその状態になったときに、ここまで気丈に振舞えるか分からない。
「おい、アルフレッド。
その辺に落ちている木の枝で折れた腕を固定しろ。
多少はましになるはずだ。
あと、あんただって十分重症だからな。後で治療するからな!」
それだけ一気にまくしたてると、自分もミレーユさんの後に続く。
自分は専門的な医療知識なんて持っていない。
知っているのは学校の授業や、会社の避難訓練で習った人工呼吸や応急手当の方法ぐらいだ。
今の自分にはフラグメントワールドの回復魔法だけが頼りだ。
この状況で素人に何が出来るというのか。
正直不安でしょうがないが、
バリケード内から聞こえてくる呻き声や泣き声を聞いていると、そうも言っていられない。
ミレーユさんと共にバリケードの中に入る。
「これは……」
バリケード内、その5メートル四方の空間には
行商人とその家族と思われる非戦闘員が20人程度固まっていた。
全員大なり小なり怪我をしている。
おそらく無事な人間は自力で城門まで逃げたのだろう。
この中にいる人々は怪我で動けず取り残されてしまったのだ。
「私は重傷者の治療を行います。
ソージ、あなたは回復魔法は不得手でしょう?
あなたは軽症者をお願いね。」
軽症者と言われても、この場にいる人々の怪我は軽くない。
そもそも自分だけで逃げれる人間はとっくに逃げているのだ。
既に意識を失っているのか、ぐったりと横たわっている人間だけでも4人、
さらに腕や足が食いちぎられた人もいるし、アルフレッドのように
手足が折れているものもいる。
さらに、この場で治療が行えるのは自分とミレーユさんの2人だけ。
そのうちの一人の治療にミレーユさんは取り掛かったが、
瀕死の4人のうち3人は放置されたまま。
これでは一人救う内に残された3人は死んでしまうのではないか?
「……やるしかない!」
意を決して瀕死の人間の一人の前に立つ。
自分が使える魔法はヒールのみ、さらに前衛型の聖騎士だ。
魔力、MP共に低く、回復魔法はおまけのようなものだが、
そんなことを言ってられる状況ではない。
行商人と思われる中年の男は背中に大きな傷があり、
そこから流れた血で地面には水たまりができる。
おそらく魔人の爪にやられたのだろう。
顔は既に青色を通り越し土色となり、素人目には死体に見える。
行商人の家族であろう女性と子供が必死に揺さぶっているが反応はない。
「ああ、騎士様!主人を助けて下さい!
私と子供を助けるために……」
こくりと頷きつつ片膝を突き、怪我の状態を確認する。
失礼なんていってられる状況ではないので、ステータスを勝手に覗き見る。
「くっ…」
背筋に嫌な汗が流れた。
ステータスに表示されたHPは1。
HP、命の残量。
あれが0になると死ぬのだ。
客観的に示される数値は、簡素であるにもかかわらず、
どうしようもない絶望を見せ付けてくる。
迷っている暇はない。
「くそ!まだ、死ぬなよ!」
脈拍の確認だの、人工呼吸だのそんなものをしている場合ではない。
頭の中にメニュー画面を展開。
そこから予めショートカットに登録していた魔法を選択する。
選択する魔法は『ヒール Lv5』。
使用するスキルはレベルによって効力や使用するMPが異なる。
小さな傷ならレベル1のヒールで十分だが、この男は瀕死の重症だ。
ヒールレベル5ならば300程度のHPを回復することが出来る。
ステータスから確認した男のHPの最大値は53。
十分に回復できるはずだ。
「ヒール!!」
癒しの光が男を包み込み、それまで身動きひとつしていなかった体が、
ビクリと反応する。
だが……
「くそ、なぜだ!傷の治りが悪い!」
商人のHPは最大値53に対して、現在5。
自分が使える最大Lvの回復魔法を使ったにも拘らず、その回復量はたったの4。
「なぜ……」
落ち着け!考察は後、回復量が少ないなら回数をこなせば問題ないはずだ!
「もう一度、ヒール!!」
再び癒しの光が現れると、背中の傷がふさがり顔に血の気が戻る。
メニュー画面から見れるHPも25まで回復。
今度の回復量は20。
回復量はやはり少ないが、HP自体は半分程度まで回復した。
これなら死の危険からは脱したはずだ。
「これで問題はないはずだ。
悪いが怪我人はまだいるから全快までの回復は出来ない。」
「いえ、ありがとうございます!」
「ありがとう!騎士様!」
行商人の妻と子供の感謝の声を受け、立ち上がる。
一人目の怪我人を何とか救えたが、まだまだ怪我人は多い。
まずいな……MPが足りるか……?
瀕死の人間を回復するにはヒールLv5が2回。
そして、そのヒールLv5が使えるのはあと8回。
前衛型の聖騎士は魔力、MPはそれほど豊富ではない。
重傷者一人に対して思った以上のMPを消費した。
優先順位をつけてやらないと、MPがすぐに足りなくなるだろう。
「次、すまないが軽症者は後回しだ!
重傷者から先に見る!」
ミレーユさんからは軽症者を見るように言われたが、
やはり重傷者から見るべきだろう。
そのミレーユさんの方を見ると、3人目の重傷者の治療を開始していた。
「あなたが決めたのなら好きにするといいわ。
やるのなら気合を入れなさい!失敗しましたでは済まされないんだから!」
「はい!」
声を上げ、気合を入れ直す。
そこへ声がかけられる。
「おい、私を治療しろ。
私は王国でも屈指の商人だ。金はいくらでも出す。」
声をかけた男は、この取り残された集団の中では珍しく
質の良さそうな服を着ており、丸々と太っていた。
なるほど、金はありそうだが、見たところ細かい擦り傷はあるが目立った外傷はない。
金があろうが関係ない、重要なのは怪我の度合いのみだ。
「すみませんが、今は時間が惜しい!
治療はあとで行いますので、道を空けてください!」
くそ、時間が惜しいというのに。
「待て!
わしじゃない!
この子だ。馬車に挟まれて怪我をしているのだ!」
そう言ってその商人は指を指す。
そこには、確かに馬車が横倒しになっているが、子供の姿はない。
「……どこです?
まさか、馬車の下敷きに!」
行商人が使う馬車は多くの荷物を積むために、荷台は大きく重量もかなりあるはずだ。
これに潰されたとすると、残念だが……
「ここにいるだろう!
この子だ!」
「もしかして……馬?」
そこには、馬車と共に横倒しにされた馬がいた。
その馬の上には馬車の荷台が圧し掛かり、足を押しつぶしていた。
「馬ではない。パスカルだ!この子は……」
確かに重症だろう。馬にとって足の骨折は死にも等しいという。
だが……
「後回しだ!
周りを見てみろ!重傷者はまだいるんだぞ!」
この男にとってこの馬は大事な馬なのだろう。
それはこの男を見れば分かる。
しかし、例え家族に等しい存在だとしてもやはり変わらない。
時間もMPも有限である以上、優先順位は付けなければならないのだ。
商人を無視し、他の重傷者の治療にあたる。
手足の骨を折られた者、モンスターの爪により腕を切り裂かれた者。
症状が重い人から見て回り、なんとか治療を施す。
骨折ならば回復魔法で治療できたが、切断された腕は元には戻らなかった。
「……すみません。これが自分の精一杯です……」
どうしようもない。現代医療の知識を持つ医者ならば、手術で腕を縫い合わせることも
出来たかもしれないが、自分には知識もなければ技術もない。
ヒールで回復しなければ打つ手は無かった。
「気にしない……で……
死ぬよりも…ましだから……ありがとう……」
立ち上がり次の治療に向かおうとするが、一斉に声がかかる。
「騎士様!次はこっちに来てくれ!女房が足怪我してんだ」
「待ってくれ、うちの子はモンスターに噛まれたんだぞ!」
「ちくしょう!イテェ!早く治療してくれよ!」
瀕死の重傷者の対処が終わったことで、
今まで我慢していた人々が我先にと声を上げる。
状況はひどく悪い。
パニックになる寸前、素人にははっきり言って荷が重い。
周りからの声により、焦らされ精神的にもきついが、なによりもMPが厳しい。
自分なりにMP計算をしつつ、やってはいるが、
回復量が人によって異なるせいで計算がずれていく。
ゲームの時は回復量は自分の魔力値に影響は受けたが、
相手に対して回復量が変わるなどということはなかった。
この世界に来てから自分に対して回復魔法を使ったときは問題なく回復していた。
「くそ、ロスが大きい!
このままでは、全員分のMPが持たない!」
フラグメントワールドにはMP回復アイテムやHP回復アイテムがある。
MPが尽きてしまったのならアイテムを使えばいいのだが、
昨日まで迷いの森に遠征していたため、回復アイテムのストックは少ない。
朝のうちに補充しておけば良かったが、今となっては後の祭りだ。
今更嘆いても仕方ない。
「くっ……」
ぐらりと、視界が歪む。
MPとは精神力。MPが半分を切った段階で頭痛がしだし、
10%を下回った今では、頭を万力で握りつぶされるような痛みが襲う。
……休憩するべきだ。
このままでは怪我人を救う前に自分が死んでしまいそうだ。
MP減少による頭痛は立っていることも出来ないぐらいで、堪らず膝を付く。
しかし……まだ、目の前に怪我人がいる以上倒れることは出来ない。
薄れそうになる意識でアイテムを選択、最後のMP回復ポーションを使用する。
「これで、まだ行ける……」
MPは30%程度まで回復。
依然として頭痛は消えないが、MPさえあれば回復魔法は使えるのだ。
ふらつく体で何とか立ち上がろうとしたその時……
「応援が来たぞ!城の守備隊と神殿からの神官団だ!」
戦場に響く大音声に歓声が上がる。
「ああ……
助かったのか……?」
全身から力が抜け、その場に崩れ落ちた。