6話 大惨事
赤い……
視界は赤に染まる。
食いちぎられた腕。食い破られた腸。
ボールのように転がる頭。
潰され、砕かれ、元は人だったものが地面に染みのようにこびりついている。
食い破られた腸からは血とともに排泄物があふれ出し、周囲に悪臭が立ち込める。
商人の馬車が横倒しなり、商品だった荷物が散らばっている。
水場は流れ出た血で赤く染まる。
「あ……ああ……」
意味のない言葉口から漏れ出す。
昨日までは確かにあった人々の賑わいは、今は見る影もなく真っ赤な血に塗りつぶされていた。
甘かった、今更ながらそう思う。
この1ヶ月、ダンジョンに潜り、モンスターを殺すことにも慣れたと思っていた。
ダンジョンでは力尽きた冒険者の死体も幾度か目にしてきた。
自分はこの世界に慣れたと思っていた。
ゲームだったらトレインはただの迷惑行為。
だが、それが現実になるとこうなるのか。
視界がぐらぐらと揺れる。
足に力が入らない。
「リフレッシュ!」
不意に光に包まれる。
一面に広がる血に当てられ、混乱していた頭から熱が引いていき、正気に戻る。
『リフレッシュ』
状態異常を回復する万能治癒魔法。
自分は習得していない高レベルの神官系専用スキル。
「……ミレーユさん?」
そうだった、自分はなぜここに居るのか思い出す。
後ろから付いて来ているはずの彼女の姿を確認しようと振り向くが、
視界にあるのは握りこまれた拳だった。
「ぶっ!!」
その拳は、まるで吸い込まれるように自分の顔に突き刺さる。
「目、覚めた?
戦場で棒立ちなんて、死にたいの?」
修道服の袖を巻くり上げ、腕を回しながらミレーユさんは遠慮なく言い放つ。
「ええ、まあ……
おかげさまで……」
崩れ落ちそうになる体に活を入れ、起き上がる。
全面的に悪いのは自分だが、もう少しやりようはないのかと思うが
その言葉を飲み込む。
実際、不本意ではあるが先程までの混乱は治まり思考はクリアだ。
周りを見る余裕もできた。
まず、何よりも確認しなければならないのは敵のモンスターは何なのかということだ。
城門から南東方向。
そこに体長3メートルを超える巨人が冒険者の集団と戦っていた。
緑色の体躯はトカゲのように鱗に覆われ、両腕には冗談みたいに長く鋭い大きな鍵爪を持ち、
口からは大きな牙がはみ出し、額には大きな角が一本生えていた。
「魔人……いや、劣性種か」
魔人はレベル70を超す最強格のモンスターだが、レッサー種はその言葉通りの劣化版だ。
それでもレベル50のモンスターであり、一般人が太刀打ちできるものではない。
自分が相手をする分には雑魚だが、こちらの世界の冒険者ではベテランでも一人で相手をするのは厳しい。
まして、一般人ならば出会った瞬間に死を覚悟しなければならないモンスターだ。
「糞、レッサーとはいえ、何でこんな所に魔人がいるんだよ!
場違いも大概にしろよ!」
RPGで言えば始まりの村に、いきなり終盤の敵が出ていているようなものだ。
改めてその理不尽を思い知る。
「ええ、そうね……でも、考えるのは後。
行けそう?」
「大丈夫、行けます。」
怖くないといえば嘘だが、
だからと言って、今更この惨状を見捨てて逃げ出すこともできない。
幸い自分には力があるのだ、やれるはず。
頭の中でメニュー画面を呼び出し、装備タブを選択する。
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[装備]
右腕:ムーンライトセイバー
左腕:聖騎士の盾 改
頭:聖騎士の兜 改
体:聖騎士の鎧 改
装飾品1:高司祭の聖印
装飾品2:プロテクトリング
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自分の装備はイベントで得た聖騎士専用装備。
悪魔系のモンスターが使用する『闇』属性に対して
強力な耐性を持ち、闇属性に対する攻撃力を上げる。
さらに、HP/MPを底上げし、回復魔法の効力を高める。
防御力だけで見るならば、もっといい装備はあるのだが、
聖騎士専用装備だけあって、エンチャントとされている効果は高い。
まあ、この世界の聖騎士は、聖騎士の鎧か修道服を装備しているため、
それに合わせて装備しているという理由もあるのだが。
装飾品2のプロテクトリングは防御上昇の効果を持つアイテムだ。
迷いの森のゴブリンキングは物理攻撃しかしてこないので、
その対策として装備していた物だ。
上級聖騎士の鎧は魔人との相性が良いためこのままで行く。
だが、プロテクトリングを外し、クールリングを装備する。
クールリングは混乱のバットステータスを無効化するアイテムである。
ミレーユさんのリフレッシュはバットステータス全てを回復する魔法だが、
クールリングで無効化できるのは混乱のみ。
しかし、今はそれで十分。
これは先程の血を見て混乱していた自分をミレーユさんがリフレッシュの魔法で
治してくれたことを教訓としての装備変更だ。
自分はまだ戦闘になれていない、それは認めなければならない。
戦闘中の混乱がまずいのはミレーユさんの言葉通りであるが、
次も彼女に治療を頼むわけにも行かない。
自分で対策できるのなら、自分でやるべきだ。
クールリングを装備することで、気持ちが落ち着いていくのが実感できる。
とはいえ、それで戦場の空気に慣れた訳ではない、
恐怖は完全には消えないが、だいぶマシになった。
「行ける!」
もう一度、気合を入れるために一喝する。
「そう、ならいいわ。
……こっちよ。付いてきて」
戦場を見回したミレーユさんは南西方向、戦場とは真逆の方向に走り出そうとする。
「ちょっ、ミレーユさん!
戦わなくていいのかよ!」
思わず突っ込みを入れるが、ミレーユさんは顔だけをこちらに向け反論する。
「戦場を良く見なさい。敵は強敵だけど冒険者も負けてない。
あの魔物共も彼らに任せていれば、いずれ殲滅できる。」
冒険者の集団は壁役の戦士が魔人の攻撃を受け止め、
神官が戦士の傷を癒し、魔術師や弓兵の遠距離攻撃が魔人に炸裂する。
レベル50という脅威に対し、連携を取ることでレベルの差を補っている。
パーティとしての役割が機能しており、それは彼らが敗走することなく
踏み止まっていることを示していた。
さらに、城壁の上からも支援の魔法や弓矢が降り注ぐ。
じりじりと冒険者たちは魔人たちを押し返し始めていた。
「分かった?彼らのチームプレーは魔人相手にも負けていない。
私達が行っても、むしろ足手まといよ。
それよりも私達にしかできないことをしましょう。」
「自分達にしかできないこと……」
「私達は神官。癒しの魔法の使い手。
私たちの戦場は、こっちよ。」
ミレーユさんが目線で指し示すのは冒険者たちが魔人と戦っている反対方向。
よく見ると戦場の隅に横倒しになった馬車や壊れた建物などを使って、
簡易的なバリケードが作られていた。
そのバリケードの中には怪我をした人々が寄せ集まっていた。
バリケードの周りには血の臭いをかぎつけてきたのか、
ゴブリン等の低レベルモンスターが集まり襲撃を仕掛けているが、
バリケードの周りにいる冒険者に各個撃破されている。
だが……
彼らの上空、30メートル程。
そこにはドラゴンのレッサー種。ワイバーンが獲物を狙う目でバリケードの中の人々を見ていた。
簡易的なバリケードのため、上空への備えなどあるはずもない。
ワイバーンもレベル50のモンスター。
あんなものが突っ込んだら、一溜まりもない。
周りにいる冒険者たちはゴブリン達の相手に忙しく、気づいていない。
「くそ!」
そこまで考えたところで、反射的に走り出す。
同時に上空のワイバーンが翼を大きく打ち鳴らし、急降下を始めた。
「陸上経験者舐めんなよ!」
学生時代の得意種目は長距離だったが、それでも中学、高校と陸上をしてきたのだ。
走り方は身体が覚えている。
さらに、レベル70を超す身体は、漫画やゲームに出てくる超人のレベル。
周りの風景が瞬く間に後ろに流れていく。
ようやく、周りの冒険者はワイバーンの存在に気が付いたが間に合わない。
俺がやるしかない。
「うおおおおおお!」
剣を構え、倒れた馬車を踏み台にし、飛び上がる。
ワイバーンはバリケードの中にいる人間にしか目が行っておらず、俺には気づいてさえいない。
「行ける!」
ゲームだった時と今での違いに急所攻撃がある。
どんなに体力があろうとも首を落とせば一撃で絶命させることができる。
「おらぁ!」
大上段から剣を振り下ろす。
「くそ、浅い!」
だが、剣は首の半ばで止まってしまった。
自分のスキルは剣戦闘レベル5、天才が何十年も努力してようやく届く達人の域にある剣が止められた。
首の切断が無理だと判断し、空中でワイバーンに対し蹴りを叩き込む。
蹴りを入れられたワイバーンは衝撃でバリケードの外側に弾き出される。
自分自身も蹴りの反動を利用し、バリケードの外側に着地する。
ワイバーンは大ダメージを負ったが、まだ死んでいない。
「普通にやれば、首を切断できたはずなのに!」
剣を握る手が震える。
飛んだり跳ねたりは出来たのに、いざ攻撃という場面で力が乗り切らなかった。
それも当然か。
クールリングにより混乱は防いでくれるが、
緊張や恐怖、焦りといった感情が無くなった訳ではない。
アイテムにより混乱を防いでいるだけで、根本的に度胸がついた訳ではないのだ。
心の萎縮は体の萎縮につながり、達人の剣を鈍らせた。
ワイバーンが身体を起こし、こちらを睨み付ける。
ワイバーンの口からは黒い瘴気が漏れ出していた。
『竜の息吹』
ドラゴン系の持つ範囲攻撃。
このブレスを食らったとしても自分は平気だ。
聖騎士の装備は闇属性攻撃に耐性がある。
だが、バリケードの中に居る人たちはどうなる。
あんなものをここで使われたらバリケードごと吹き飛ばされてしまう。
「や、やめ……」
蹴りを入れたことで、ワイバーンと離れてしまったことが裏目に出た。
遠距離攻撃を持たない自分には、止めることができない。
……間に合わない……
「やらせるかってんだ!」
そこに一人の戦士が割って入り、ワイバーンの首を切り飛ばした。