47話 水底より這い出るもの
「なんだよ……あれ……」
地上に出た自分達が見たもの。
それは、アウイン南部地区の下水道の辺りから、ゆっくりと起き上がる黒い物体。
その物体の大きさは、アウインの中央部からでもはっきりと見える程の巨体。
大きさは50メートルは下らない。
とてつもなく巨大な黒い物体。
それは――巨大なスライムだった。
アウイン中央通り。
そこはアウインの東西南北の合流地点であるため、
平民から商人、貴族まで多くの人々が集まる。
普段は多くの馬車が通り、屋台や露天商が商売を行い、賑わっている。
しかし、今はそれが一変していた。
大通りには、逃げ惑う人々で埋め尽くされ、
悲鳴と怒号が飛び交っている。
それも、当然だ。
アウインの街をぐるりと取り囲む外壁の高さは約20メートル。
この外壁によってモンスターは街の中には入れない。
だが、モンスターの大きさは、50メートルを超える巨体。
それが街の中にいきなり現れたのだ。
壁の中は安心安全。
アウインの街に住む住人達の当たり前の前提が、崩れ去ってしまったのだ。
「一体、あのモンスターは何なんだ?」
目を凝らして、敵のステータスを確認しようとするが、
ここからでは距離が遠すぎて、ステータスは覗けない。
ステータスは対象から10メートル程度の距離まで近づかないと見えないのだ。
あのモンスターは何なのか?
そもそも、なぜ街の中にモンスターが……
いや、今は考えている場合では無い!
「皆さんは、安全なところに非難してください!
自分はちょっとあのモンスターを見てきます!!」
「ちょっと、ソージ!!」
ミレーユさんが呼び止めるが、構わず走る。
一体どこに安全なところがあると言うのか?
自分で言っておいて何だが、心当たりは無い。
とにかく、まずは情報だ。
あのモンスターの正体が分からないことには、対処も出来ない。
アウインの中央通りから、南部地区に向かって走り出したが、
モンスターから逃げようとする住人達によって、すぐに前に進めなくなってしまった。
この人の流れに逆らって、前に進むのはかなり難しい。
だからと言って、人々をなぎ倒して前に進むわけにも行かない。
「くそ!人が多い!
……ならば!」
中央通りからの最短ルートを諦め、一旦脇道に入る。
このアウインには地下に無数の水道が走っており、
街の中には、その入り口が数箇所存在している。
ギンさんから、その場所は聞いていた。
確か、この近くにある橋の下から地下道に入れたはずだ。
目的の橋に着くと橋の上から飛び降り、
川の縁に作られた足場に着地する。
橋の下には、確かに地下水道への入り口がある。
しかし、その入り口は鉄格子で閉ざされていた。
「今は緊急事態だ……ふん!!」
鉄格子に向けて全力で蹴りを入れると、大きな金属音を立てて、
鉄格子はあっさりと破壊された。
「よし、行くぞ。ライト!!」
スキルコマンドから『ライト』の魔法を選択し、光源を確保する。
先程の様な大きな揺れが起きる危険はあるが……仕方が無い。
今はとにかくあの黒いスライムに近づかなければ。
ライトの魔法の明かりを頼りに、地下水道を進む。
地下水道内の床は湿っており滑りやすいが、注意していれば問題なく走れる。
地上でのロスを取り戻すことは出来そうだ。
それにしても、なぜあんなモンスターが?
魔法の失敗か?
いや、そんなことはないはずだ。
魔法は正しく発動していた。
そもそも六重聖域の魔法は、召喚の魔法ではないのだ。
仮に失敗しても、モンスターが出てくることなんて無いはずだ。
自問自答しつつ進んでいると、徐々に異臭が強くなっていく。
アンデッドが出てきたのは、南部地区の下水道のところからだった。
順調に目的地に近づいているようだ。
「ああ、この道は以前通った。
ここを左に曲がれば、地下墓地があるはずだ。
……地下墓地……まさか!」
ギンさんの話を思い出す。
ビクトル氏を殺害した暴漢を殴り殺し、死体を下水道に捨てたこと。
いや、そもそもアンナのボイコットが始まってからは、
貧民街の死体は下水道に捨てられていたのだ。
浄化されずに放置された遺体は、アンデッドになって蘇る。
この世界で聖騎士として活動する中で、何度も聞かされた言葉だ。
「もしかして……あの巨大な黒いスライム!
あれは『廃工場のアンデッドスライム』か!」
フラグメントワールドがゲームだった時のことを思い出す。
アンデッド属性のスライムには、1つ心当たりがあった。
それは『廃工場』のフィールドボスである『アンデッドスライム』だ。
『廃工場』と言うのは、アウインのずっと東に行ったところにある、
機械種族『オートマトン』の領域内にあるダンジョンだ。
オートマトンとは、フラグメントワールドにおいて、
古代文明が作り出した命を宿した機械生命体。
ヒューマンやエルフ、ドワーフと同じくゲームで選択できる種族の1つだ。
そして、廃工場とは古代人が残した工場跡という設定のダンジョンであり、
そこのボスとして出てくるのがアンデッドスライムだった。
しかし、ここはアウインであって、廃工場ではない。
ゲームとこの世界の差異なのだろうか?
いや、まだあのモンスターがアンデッドスライムだという確証は無い。
とにかく、早く地上に出て確認しなければ。
地上への階段を駆け上がり、南部地区、貧民街に出る。
その瞬間目に映ったのは、真っ黒い液体で出来た水の柱だった。
その柱は直径1メートル程度もあり、石畳で出来た地面を貫通していた。
その元をたどると、20メートルほど先に黒い巨体があった。
この目の前にある黒い液体の柱、それはあのモンスターの触手だったのだ。
「何て、でかさだ……」
モンスターの体長は50メートル以上。
現実世界で言うなら、マンション15~16階相当。
その身体は、まるで水で壁だ。
身体は光も通さない程の黒く濁り、
目や触覚のような感覚器官は見当たらない。
巨大なスライムは、その表面を波打たせると、
次の瞬間、目の前にあるのと同じ、直径1メートル程度の触手を発射する。
その触手の先にあった家は、レンガで出来た家だったが、
まるで紙のように無残に破壊された。
「くそ、ここにはスーパーロボットも、怪獣王も、光の巨人もいないんだぞ!!」
スケールがまるで違う。
とてもではないが、一個人が相手に出来る大きさではない。
「とにかく、ステータスの確認だ」
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Lv:6@
Na前:アn.ッドsラ+ム
H/:F13A0*
M}:X
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「ステータスバグ!! また、あいつらか!!」
このあからさまな邪教徒臭!
ブルード鉱山、第六開拓村、そして今度はアウイン。
くそ!!
いい加減にしろよ!!
頭に血が上っていくのが分かるが、怒り狂ったところで事態は解決しない。
落ち着いて、ステータスを確認する。
ステータスは文字化けしているが、
読める範囲では、アンデッドスライムの名前が当てはまりそうだ。
おそらく、邪教徒がアンデッドスライムに何か細工をした上で、
この下水道に放ったのだろう。
そして、誰にも知られずに下水道で成長していたのだ。
少なくとも、この一年はアンナがまともに浄化を行っていない。
そこを狙ったのか、それとも偶然か。
それは分からないが……
捨てられた死体を食べて、ここまでの大きさになったのだ。
そして、六重聖域の結界によって炙り出された。
「くそ、下水道にあんなのが居たなんて、気付けなかった!!」
六重聖域を発見してから今日まで、地下で作業をしていたのに……
気付けなかった。
もしも、その時に気が付いていれば……
「誰か! 助けて!」
「誰か! 止めろ! この離せ!」
「くそ! 後悔は後だ!」
後悔の念を振り切り、声のした方向に走る。
南部地区大通り。
南部地区の中央を通る一番大きな道路だ。
もっとも大通りと言っても、
西部地区や東部地区のそれとは異なり、道幅は狭い。
さらに、今は無数の瓦礫で散らばり、走るのも苦労する。
そして、そこに居た。
正面からアンデッドスライムを見据える。
アンデッドスライムは、地下水道を破壊して地上に出ると、
無数の触手を伸ばし、辺りに叩きつけていた。
その様は、溺れた人間が、バタバタともがいているかのようだった。
実際、敵のHPバーは僅かではあるが、減り続けている。
それは皮肉にも六重聖域が正しく機能していることの証左であった。
だが、その結果はどうか?
破壊された家の壁には倒れた柱の下敷きになった男が血を流し倒れていた。
HP:0
道路にはスライムに潰されて、内臓を撒き散らした死体が3人分。
HP:0
HP:0
HP:0
「くそっ!!」
この世界は酷く残酷だ。
もしかしたら、生きているかもしれない。
そんな希望すら、無いなんて……
「聖騎士様……た、助け……」
声がしたのは、スライムの足元。
身体の半分がスライムに埋まっている。
その男はなんとか脱出を試みるが、スライムはまるでビクともしない。
アンデッドスライムの特性は、物理攻撃に対する強力な耐性と、
バッドステータス『毒』の付与だ。
HP: 25/49
男の顔色は悪い。毒が回り始めている。
「うおおおおお!!」
聖剣を抜き、一気に距離を詰め、男を捕らえている周辺のスライムごと切り払う。
手ごたえは無い。
見たままの液体の身体は、特に抵抗もなく刃を通す。
だが、スライム本体には大したダメージは与えられない。
辛うじて聖剣に宿った光の属性がダメージを与えているだけで、
物理的なダメージは無いに等しい。
しかし、ダメージは与えられなくとも、剣を通すことで切り離すことは出来る。
「早く、逃げろ!!」
男の身体を引っ張り出すと、飛び散った液体は本体に戻り、瞬く間に元に戻る。
「くそ!
身体を一時的に切り離すことは出来ても、ほとんどダメージが通らない!」
ゲームの時もそうだったが、このアンデッドスライムと戦うにあたって物理攻撃は相性が悪い。
ダメージを与えるためには、強力な魔法が必要だ。
「聖騎士様!うちの子が!助けて!」
「何?」
思考を切り替え、女性の声に従い辺りを探すが見つからない。
女性の方を見ると、彼女の視線は上を向いている。
「っ!!あんなところに!!」
それは自分の目線より上。
地上から5メートル程の位置に、スライムに飲み込まれかけた子供が二人。
年齢は7歳から5歳程度。
母親と思われる女性の声に反応は無く、ぐったりとしている。
HP:3/10
HP:4/12
まだ、生きている!!
だが、身体の小さい子供は大人よりも毒の回りは速いはず、
早く助けないと!!
「その子達は自分が助ける!
だから、あんたは早く逃げろ!」
子供の母親に呼びかけながら、
自分は瓦礫の山を足場にして、家の屋根に飛び移る。
「うおおおお!!」
そのまま、屋根の上を走り抜け、足を強く踏み込み、
スライムに向かって飛ぶ。
一瞬の浮遊感。
そして、その直後、狙い通りに二人の子供の近くに落ちる。
「くっ!」
落下の勢いのまま、下半身がスライムに埋まる。
スライムの中は妙に生暖かく、下水道の異臭が合わさり、
生理的な嫌悪感が湧き上がる。
「おい!二人とも大丈夫か!」
二人の子供は意識はなく、こちらの声に反応しない。
唇は紫色に染まり、肌の色も血の気が引いて青白い。
早く治療しなければ、命にかかわる。
「まずは、ここから出ないと」
二人の子供をそれぞれ左右の手に抱いて、足を必死に動かすが、
その場から、まったく動けない。
「くっ! 自分ごと飲み込む気か!」
まるで、底なし沼のようだ。
身体は離れるどころか、むしろスライムの中に沈んでいく。
このままでは、3人まとめてあの世行きだ。
「こうなったら――」
焦る気持ちを押さえ込み、精神を集中させる。
光が自分を中心に広がるイメージ。
「――我が聖域は不浄なる者、その一切の進入を禁ず――サンクチュアリ!!」
体内の魔力が光に変換され、こちらを飲み込もうとするスライムを押し返す。
自分の聖域の魔法は未だ未完成だ。
光の聖域は安定することなく、霧散してしまう。
だが、今はそれで充分。
スライムの身体から脱出することには成功した。
足場をなくした身体は、高さ5メートルの位置から投げ出された。
しかし、レベル74の強化された身体なら、着地にさえ気をつければ問題ない。
二人の子供を離さないように、しっかりと抱きかかえる。
だが――
身体がぞくりと震えた。
全身を包み込むかのような明確な敵意。
スライムには目のような感覚器官は無い。
しかし、今、自分が目をつけられたのだと直感的に理解した。
理屈は分からない。しかし、絶対的な確信がある。
あのスライムにターゲットとして認識された。
それ自体は、むしろ構わない。
もし敵の注意を引くことが出来るのならば、逃げ回っていれば六重聖域のダメージで倒せるし、
人通りの少ない所に誘導できれば被害も減らせる。
この様に敵の動きをコントロールできれば、出来ることは増える。
「だが、今はまずい!!」
両手には意識の無い子供を抱え、さらに逃げ場の無い空中だ。
そう思った時には、既に手遅れだった。
目の前のスライムが波打つと、そこから自分に向かって触手が勢い良く放たれる。
自分一人なら盾で防げば問題ない。
しかし、今はそれは出来ない。
「間に合え!!マテリアルシールド!!」
頭の中でショートカットを起動する。
その瞬間、光の障壁と触手が衝突する。
「がぁ!!」
景色が一瞬にして流れていく。
光の障壁は破られることは無かった。
しかし、踏ん張るものが何も無い空中では、障壁ごと触手に弾き飛ばされた。
それでも、手の中の子供は離さない様に、しっかりと抱きかかえ……
そのまま受身も取れずに地面に激突した。