39話 診療所
シモンとの面会を終えた後、貧民街の見回りをして帰宅する。
夕食後、ミレーユさんに大司教と面会出来ることになったと報告した。
「シモンは随分思い切った事をしたわね。
それで、ソージは大司教にビクトル氏は聖人だと認めさせる、勝算はあるのかしら?」
「生憎、そんなものは無いですよ。
1年前のあの日、先代司教を聖人に指名しなかった事について、不正は無かったのか。
それを聞きに行くだけです。
だが……自分は大司教の事を知らな過ぎる」
だから、大司教との面会のある3日後まで、彼がどのような人物であるのかを調べるつもりだと、
ミレーユさんに説明する。
「ところで、ミレーユさんから見た大司教とはどんな人物ですか?」
そう言えば、ミレーユさんから見た大司教の印象は聞いた事がない。
自分の質問に対して、彼女は髪をいじりながら、うーんと唸る。
「……どうと言われてもね。
私は冒険者ギルド側の神官だからね。
直接会話したことも数回しかないし、知っていることは上っ面の情報だけよ。
私から見た印象は、いかにも学者肌って感じの生真面目なお爺さんね。
まあ、大司教も人間なんだし、魔が差すこともあるんじゃない?」
大司教には余り関心が無いのか、適当な感じで印象を述べる。
「ふむ……そうですか」
彼女は冒険者側の人間であり、積極的に大司教に肩入れするメリットは無い。
そんな彼女の評価においても、悪い話は出てこない。
それにしても、学者肌か……
ミレーユさんの語った大司教の印象に、気になる言葉があった。
学者と言うと自分の場合、大学の教授や研究員を思い出す。
自分の専攻は情報工学であったため、宗教からは随分と隔たりがある。
まあ、ここで言う学者とは、神学の学者のことなのだろうが……
それでも学者と大司教では、うまくイメージが繋がらない。
「彼はどのような経歴で、大司教になったんですか?」
「ああ、ソージは知らないのよね。
彼は元は神学者なのよ。
あなたは神学校で学んでいた時の記憶はある?」
「いえ、さっぱりです」
首を振り、否定する。
「そう、まあいいわ。
神官になるためには、神学校で学ぶ必要があるの。
学ぶ内容は、マーヤ教の教えから、歴史、洗礼や葬儀等の儀式、あとは魔法かな。
その様な神官に必要な知識や技能を、6年ほどかけて学ぶわね」
魔法を学ぶという所がこの世界の独特な部分だが、
それ以外では、現実世界での専門学校と同じようなもんだな。
「そこを卒業すると、進路が別れるわね。
教会に勤めたり、冒険者として布教に出たりするんだけど……
その進路の1つに大学があってね、より専門的な研究を行ってるわ。
彼はそこで魔法の研究を行っていたのよ」
「……魔法の研究、ですか」
科学とは対極にあるような魔法だが、どんな研究を行っているのだろうか?
自分も魔法の練習中なので、ちょっと興味がある。
「そうね。ソージは私達が使う魔法の始まりは……知らないわよね。
神様は人が困難に直面した時、必要な力を授けてくれる。
それが魔法の始まり」
そう言うと、ミレーユさんは壁に掛けられていた杖を手に取る。
「だから昔は同じヒールの魔法でも人によって、詠唱の呪文はバラバラだったの。
冗談みたいな本当の話で、昔は踊りながらヒールをやる人もいたのよ。
それを神学の学者さんが研究して、効率の良い詠唱を選び出したの」
「なるほど、興味深い。
ミレーユさんの踊りヒール、見てみたいです。
もちろん、学術的な意味で」
冗談でそう言った瞬間、視界が揺れる。
「ぶっとばすわよ」
「いたた……叩いた後に言わないでくださいよ」
「今のは、ソージが悪い。
でも、ちょうどいいわ、見てなさい」
そう言うと、ミレーユさんは杖を構え精神を集中させる。
「――痛いの痛いの飛んでゆけ――ヒール」
ミレーユさんの魔法は発動し、叩かれた頭から痛みが引いていく。
「マジかよ……本当に回復した」
「まあ、おまじない程度の効果しかないから、実戦では使えないけど」
ミレーユさんは杖を仕舞うと話を続ける。
「話を戻すけど、大司教は魔法の研究をしていたのよ。
彼が得意としているのは聖域などの結界の魔法ね。
私がブルードで見せた聖印を結界の核とする魔法は、彼が考案した方法なのよ」
ああ、通常の聖域の魔法は術者を中心にしか結界を展開できないが、
あの方法では術者が離れても、結界を任意の場所に維持することが出来る。
なるほど、あれは大司教が考えたものだったのか。
「そんな感じで、他にも幾つかの魔法の改良の功績が認められて、大司教に任命されたの。
ま、邪教徒の討伐だけが、教会の功績じゃないと言うことね」
「なるほど、魔法の改良か……」
聖域の魔法で出来たのなら、他の魔法にも改良の余地があるのかもしれない。
今は無理だが、落ち着いたら考えてみよう。
「……さて、私が教えて上げられるのは、こんな所かしら。
私の話が役に立てば、幸いだけど」
「十分ありがたいですよ。自分では知らないことも聞けましたし」
頭を下げ、ミレーユさんにお礼を言う。
「そう、それなら良かったわ。
それじゃ、私はそろそろ寝るから。お休みなさい」
そう言うと、ミレーユさんは自室に戻る。
「はい、おやすみなさい」
自分も挨拶を返し、自分とリゼットに割り当てられた客間に移動する。
こうして、今日の活動は終了した。
翌日、課題の期限まで残り7日、
大司教との面会まで残り2日となった。
日課となった魔法の練習を行い、朝食を済ませると出かける支度を行う。
「ソージさん、今日は、鎧ではないんですね」
「ああ、今日は診療所に行く予定だからな」
シモンから貰った大司教の予定表を思い出す。
その中身は、プライベートな内容は無く、中央教会で叙階式を行ったり、神学校で挨拶を行ったりと、
調べれば誰でも分かるような内容だった。
その中で、大司教が最近訪問していたのは診療所だった。
なぜ、大司教が診療所に訪問したのか。
その理由は、今から2ヶ月前になるアウインの水場でのモンスター襲撃事件。
その被害者の慰問である。
あの時の事は、今でも胸に引っかかっている。
――傷跡から流れ出る血、食いちぎられた腕。
自分はあの時の自分に出来るベストを尽くしたと思っている。
しかし、今の自分ならもっとうまく出来たと、そんな意味の無いことを思ってしまうのだ。
「え……どっどこか、悪いんですか?」
あの時の苦い記憶を思い出し、黙り込んだ自分に対して、リゼットは手を伸ばす。
自分の額に細い手が触れる。
「……リゼットの手は、ひんやりとしているな」
その冷たい手が、今は心地が良い。
ぐだぐだと悩んでいても、過ぎ去ってしまった事はどうしようもない。
結局、今出来ることをやる、それだけなのだ。
「熱は……無い?」
「ああ、体の方は大丈夫。
今日は診療所に、ちょっと手伝いをしに行くのさ」
本当の目的は大司教の人柄を探ることだが、それだけを聞きに行っても、
また不審者として扱われるのがオチだろう。
なので、診療所の手伝いをしつつ、それとなく聞き出そうという作戦だ。
その為、今回は防御力重視の鎧ではなく、魔力重視の修道服。
さらに、回復魔法の効果を高める『神官の杖』も装備している。
ゲーム時代には、もっと強力な杖も持っていたのだが、
その杖は自分のセカンドキャラクター用に送ってしまっていたので使用できない。
ただし、何があるか分からないので、鎧や剣はショートカットに登録済み。
必要なら一瞬で、装備の変更が可能だ。
リゼットに対して、行って来ますと挨拶をしてミレーユさんの家を出る。
「ここか……」
アウイン西部地区、西部教会の隣にある診療所に移動する。
診療所は2階建ての石造りで、外装は白色で統一されている。
そして、ドアには月と太陽のマーヤ教のシンボルが飾られている。
この事から分かるが、この世界では医療は神官の領分なのだ。
「あの……何か御用でしょうか」
修道服とは異なる白衣を着た、若い女性の神官に声をかけられる。
「突然、すみません。
私は南部教会所属のソージと言う者です。
もしよろしければ、ここで私に修行をさせて頂けないでしょうか?」
ステータスを表示し、自己紹介を行う。
この世界では神官は、街の住人にヒールをかけて回る修行がある。
仏教で例えるなら辻説法、ゲームとして例えるなら『辻ヒール』の様なものだろう。
その様な修行方法があるので、こうして訪ねる事自体はおかしな事ではない。
「レベル74!!
そのようなお方が、ここで修行を?」
……問題は、高レベルの神官がする修行法ではないということだ。
「……私はアウイン水場の襲撃時にあの場にいました。
しかし、お恥ずかしい事ですが……突然の事で、十分な勤めを果たすことが出来きませんでした。
そこで、一から自分を見詰め直そうと思った次第です」
「あ……すみません。心中お察し致します。
所長に取次ぎますので、どうぞ中にお入り下さい」
彼女は、まずいことを聞いてしまったと、申し訳なさそうな顔で謝罪したが、
本来、申し訳ないのはこちらの方だ。
自分の言葉に嘘はないが、本当の事でもない。
本当にここに来る気があるなら、もっと早くに来るべきなのだ。
確かに自分はあの場に居たし、治療も行ったが……逆を言えばそれだけだ。
魔法は万能ではない。
自分の魔法やミレーユさんが使うような高レベルの回復魔法ならば兎も角、
一般人が使う程度の魔法では、大きな怪我の完治には相応に時間が掛かる。
彼女達はあれからずっと、被害者達の治療を行ってきたのだ。
せいぜい、一回治療をしただけの自分に、今更出る幕などない。
だが、ぐだぐだと悩むのは止めたのだ。
自分は善人ではないとしても、自分が正しいと思ったことをやるだけだ。
だから、そのためには人に迷惑が掛からない範囲で、何だってやる。
その後、所長の許可も下り、一日お手伝いをさせて貰った。
「ソージ様、重症一名。屋根から転落、両足と腰を骨折しています!!」
「ソージでいいです!
なんで屋根から……ああ、大工?
くそ、命綱はきちんと付けとけよ!!」
診療所に重症の患者が運び込まれると、にわかに騒がしくなり、
さながら戦場のような空気に包まれる。
「まったく、アウインの水場を思い出すな」
「すみません、ソージさん。
私達の分まで治療をして貰って」
「いえ、気にしないで下さい。
冒険者ギルドで治療の手伝いはしてましたし、これも修行の内です」
最初は、アウイン水場での被害者達にヒールを掛けて回る予定であったが、
大司教が慰問に来た際に、ほとんどの患者は回復させていたそうだ。
未だにこの診療所に残っている被害者達も、回復魔法を使う必要も無いほど回復していた。
つまり、本当に自分の出る幕はなかった。
それならと、診療所の神官達のお手伝いをしていたのだが……
いつの間にやらお手伝いではなく、普通に診療所の一員として外来患者の治療を行っていた。
この診療所に運ばれてくる患者は主に、職人や商人であり、
先程までは、モンスターに襲撃された行商人の一行の治療をしていた。
そこにさらに追加で患者が運ばれてきた、というのが今の状況だ。
「両足の怪我はそれほどでもないが……腰は酷いな」
運ばれてきたのは、がっしりとしたガタイの良い若い男だった。
落ちたときに釘でも引っ掛けたのか、足には大きな傷が出来ており血が流れ出ている。
非常に痛そうであるが、これだけなら命に別状のあるものではない。
しかし、腰は酷い。
添え木で固定された腰から下は、力なくだらりと垂れ下がっている。
おそらく、腰の骨どころか神経まで損傷しているだろう。
現実世界でならこのまま下半身不随は免れないだろうが……ここには魔法がある。
「ソージさんすみませんが、腰の骨折に対して治癒をお願いします」
「分かりました」
患者に対して、神官の杖をかざし、頭の中で腰の骨をイメージする。
損傷した骨が修復していく様をイメージ……いや、だめだ。
骨だけならばともかく、神経までもとなると、
ただのプログラマーだった自分では明確なイメージが出来ない。
即座に呪文詠唱式の魔法を諦める。
「――清浄なる神の光よ、傷を癒せ――ヒール!」
呪文だけは唱えた振りをして、頭の中でショートカットを起動する。
淡い光が患者を包み、今まで反応の無かった足がピクリと動く。
「良し!!
足の方はどうします?」
「こちらは命に別状はありません。
傷を針で縫合し、ポーションを塗っておけば大丈夫です」
若い神官は、針と糸を取り出し、縫合の準備を始める。
「MPには余裕がありますし、足の治療もしましょうか?」
確かに命に別状はなさそうだが、それでも重症には変わりない。
しかし、若い神官は首を振る。
「温存して置いてください。それに、何でもかんでも魔法に頼るのは良くありません」
患者を前に、冷徹なまでの判断が下される。
だが、それが正解なのだ。
自分はアウイン水場で片っ端からヒールを使用し、MP切れ寸前になっていた。
激しい頭痛はしていたが、目の前の苦しんでいる人々を見捨てることが出来なかった。
その事自体は今も間違ってはいないと思うが、それではプロとは言えない。
MPの消費は最低限に押さえる。
その変わり、MPを消費しない薬や縫合等を行う。
メリハリを持った治療を行う、この診療所で働く神官達はプロだった。
「はぁ……マジで疲れた……」
あの患者の後も、何だかんだで治療を行い、そのまま夜になっていた。
体力、気力、そしてMP……色々限界だった。
今日一日で分かったことは、ミレーユさんや冒険者ギルドで働く高レベルの神官は『強い』ということだ。
レベルの高さはMPの高さに繋がり、それはヒールの使用回数に繋がる。
この診療所は一般庶民向けで、ここで勤める神官のレベルは10~20程度だ。
このレベルは冒険者ギルド内では、駆け出しレベルだ。
冒険者ギルドでは、レベル30程度で中堅の冒険者と言われている。
このレベル差は、回復魔法の使用回数に2倍程度の差が出てくる。
では、冒険者の神官が素晴らしくて、ここの神官はだめかと言うとそうではない。
冒険者の神官は、レベルが高く、MPも多いが治療は雑だ。
怪我をしたら、とりあえずヒール、そんな感じだ。
その点、この診療所で働く人間は、薬や魔法に頼らない医療技術にも長けており治療が丁寧だ。
そして、診療所内で、皆がお互いのMPを把握し合い、
魔法を使うか、薬を使うかを判断している。
そこは、やはりプロフェッショナルなのだ。
「ソージさん、お疲れ様です。
今日は助かりました、ありがとうございます」
今朝、自分に声をかけた神官がお礼を言う。
もともと自分は今日一日だけの手伝いであり、それも終わろうとしていた。
「いえ、こちらもお役に立てて良かったです。
あの……先日、大司教が尋ねてきたそうですが……」
我ながら、強引な話題転換である。
しかし、仕方が無いのだ。
今日一日、会話のタイミングを計っていたが、患者の治療でそんな時間は無く、
結局そのまま解散の流れになってしまったのだ。
「はい。確かに訪問されていましたよ」
「その、大司教はどうでしたか?」
不思議そうな顔の神官に対して、構わず質問をする。
「そうですね……
患者さんに一人一人声を掛けて回られて、大司教自ら治療を行っていました。
それに、私達にも労いのお言葉を下さいました」
そのように語る神官の顔には、純粋な尊敬の感情が見て取れた。
その顔や言葉からは建前やおべっかは感じられなかった。
「そう……ですか。
ありがとうございました」
お世話になった診療所の神官達に挨拶をして、診療所を後にした。
明けて、翌日。
課題の期限まで残り6日、
大司教との面会まで残り1日となった。
今日は、中央教会の敷地内にある大学に行って話を聞いてきた。
しかし、大司教に対する皆の反応は、昨日の診療所の神官と同じだった。
誰もが大司教は、真面目で高潔な人物だと語る。
時刻は夕刻になり、空が紅く染まる。
中央教会では、夕方になっても多くの神官達が忙しそうに仕事をしている。
「はぁ、やっぱり……不正は無かったのかなぁ……」
そんな中をふらふらと歩いていると、前方に知った顔を発見した。
聖騎士エリック、いや、異端審問官のエリック。
彼は教会の暗部組織の人間だと言う。
だとすると、一般的な神官達は知らない裏の事情にも詳しいはずだ。
リスクはある。
下手に突いて、薮蛇になっては目も当てられない。
「……だが、話を聞いてみるか」
ここで会ったのも何かの縁だ。
リスクを嫌って逃げ回っていては、何も得られない。
そもそもだ、自分は別にやましい事をしようとしている訳ではない。
ならば、堂々と聞けば良いのだ。
「こんにちは、エリックさん。今お時間よろしいですか?」
エリックの進路を塞ぐように、彼の前に立ちはだかる。
……まあ、やるだけやってみようか。