37話 大司教補佐官 シモン
南部教会に初出勤してから1日が経過し、課題の期限は残り8日となった。
現在の時刻は午前5時。
まだ日の出前にもかかわらず、飲食店の店員が仕込みを行い、運送業者が荷造りを行っている。
街は徐々に動き出そうとしていた。
「――我が聖域は不浄なる者、その一切の進入を禁ず――サンクチュアリ!!」
最近の日課となりつつある魔法の練習。
ミレーユさんの言う通りに自分を中心に光が広がっていく様子をイメージし、
実際に魔力を光に換え自分を中心に広げていく。
「く……」
ゴリゴリと削れて行くMP。
イメージは問題ないはずだ。
聖なる光はイメージ通りに自分の周囲に広がっていく。
しかし、光は空間に留まることなく、すぐに霧散してしまう。
その為、消えた光を補填するために、さらに魔力を消費することになる。
まるで栓の抜けた風呂に水を入れるような感覚だ。
注いだ傍から流れてしまう。
現状は流れ出す量よりも注ぐ量を増やすことで、聖域を無理やり維持している様な状況だ。
大量に消費するMPに目を瞑れば、聖域の形は出来ているが……これでは意味が無い。
本来の聖域とは、アンデッドが進入できない結界を張って、
休息をとったり、体勢を整えたりするのに使用する補助的な魔法だ。
だから、結界を維持するためのMPが、自然回復量を上回ってしまっては意味が無いのだ。
「はぁー……
聖域の起動に、MP100程度。
さらにその維持に5秒間にMP1か。
全然だめだな」
しかもこれは単純な計算で、実際にはもっと厳しい。
ただでさえ聖域の維持には神経を使うのに、MPが減ると頭痛が発生し、集中力が鈍る。
そして、MPの変換効率が落ちていき、さらにMPを消費する。
そんな悪循環に嵌ってしまう。
ちなみに、ゲームだった時の聖域の消費MPは12で、持続時間は3分。
さらに、結界の維持にはMPを消費しない。
これを完成とした場合、MPの削減、つまり魔力制御の習熟が必要だ。
元々、自分は魔法など無い世界から来ているため、魔力をただぶっ放すことは出来ても、
細かい制御はどうにも苦手だ。
ミレーユさんから魔法の習得には年単位の時間が掛かるとは聞いていたが、
確かに聖域の習得にはそれだけの時間が掛かりそうだ。
「……果たして、それだけの時間をかけて聖域の魔法を覚えることに、価値はあるのかってところだな。
一応、MPに目を瞑れば、聖域そのものは張れている訳だから、
ここで区切って別の魔法の習得に移るのも手だな……」
このソージのキャラクターはソロで活動することを前提に作成したので、
基本的に複数のキャラクターを対象に取る魔法は習得していないし、
パーティー向けの補助魔法なども一切無い。
しかし、この世界に来てからパーティーを組んで戦うことも増えてきている。
ゲームだったときは、半端にスキルを習得することは非効率だった。
だが、もうここはゲームではないのだ。
出来ないから、非効率だからとそのまま放置していて良い話ではない。
「……まあ、聖域の魔法の練習を始めて、1週間で結論を出すのはまだ速い。
とりあえず一ヶ月は続けてみるか。
それで手ごたえが無ければ、改めて検討しよう」
魔法の練習が終わり、皆で朝食を取る。
今日の予定は、昼の12時に大司教補佐のシモンと会うことだが、
それまで時間があるため、一旦南部教会に行くことにする。
聖堂の分厚い扉を開け中に入るが、相変わらず人の気配はない。
「やれやれ、東部地区の教会では神官や信徒が居たのになぁ……」
ミレーユさんの家がある東部地区にも教会はある。
そこでは、朝から信者がお祈りに来ており、神官達はその相手をしていた。
まあ、エセ神官の自分に、信徒の相手をしろと言われても困ってしまうんだが……
「……と言っても、ここではまず聖堂の修理が必要だがな」
昨日の戦闘で破壊された聖堂は、マップ移動で元通りと言うことも無く壊れたままだ。
「しかし、これ誰が修理の段取りを取るんだろう?
教会にも事務とか経理をやる人はいるんだろうが、
ここには、アンナと自分しかいないぞ……」
壊れた教会の修理をしようにも、どの業者に修理を頼むのか、
予算はどれぐらいか、工期はどれぐらいか……こういった決定や選択を行わなければならない。
教会の課題を解決しないといけない以上、余計なことに時間は使いたく無いが、
しかし、これを余計な事と済まして良いのかどうか。
「まあ、説得が成功するにしろ、失敗するにしろ、8日後には答えは出るんだ。
それまで保留だな」
そう結論付けると隣の宿舎に向かう。
「……ん?」
アンナの部屋の扉の前には、大きく膨れた皮袋が1つ置かれていた。
手に持ってみると、ずしりと重く、中からはジャラジャラと金属音がする。
「……なんだ、これ?
って、金貨じゃないか!」
皮袋の中には、ぎっしりと金貨が詰まっており、袋の下にはメモが置かれていた。
『本気でここで働くつもりなのか?
その気があるなら好きに使えよ』
「……好きに使えよって、幾らなんでも無用心すぎるだろ。
ここって警備員もいないから、実質誰でも入れるのに」
気を取り直して、金貨の枚数を確認する。
大金貨が10枚、小金貨が100枚。
日本円に換算すると、およそ200万円ぐらいか。
「金を貰えるのは嬉しいが、ポンと渡されても困るんだよな。
だいたい、これは何か月分の予算なんだろう?」
その辺りの事をきちんと話し合いたいが、ドアは相変わらず閉ざされており、ノックをしても反応が無い。
剣を抜き、剣スキルを発動させて気配を探る。
……じっとその場から動いていないようだが気配はある。
つまり、居留守である。
「仕方ない。 とりあえずメモは読んでいるみたいだし、また書置きを残しておくか。
……よく考えればこうして書面でのやりとりは出来るんだよな。
なら、これで職務放棄を解決したとは……言えないよな、やっぱり」
雑務はそれで良いとしても、結婚式や葬式では通用しない。
まあ、一般向けではないこの教会で、結婚式や葬式をやっているのかは知らないが。
「しかし、扉一枚挟んで書面でやり取りとは、何とも虚しいな」
目の前に居るのに、電子メールでやり取りする様なものだ。
電子メールでも意思の疎通は出来るが、実際に会って話をしないと伝わらないものはあるはずだ。
「まあ、今は考えていても仕方が無い。
とりあえず、この大金をどうしよう。
持って回る訳には行かないし、金庫とか無いのだろうか?」
宿舎の中を見回ってみるが、特にそれらしいものは無かった。
この宿舎は、2階建ての建物であり、1階には食堂やトイレ、風呂場などがある。
宿泊用の個室は1階が5部屋。2回が10部屋。
現在使われているのは、アンナの部屋だけだった。
「ふむ、ここには金庫がありそうだが……鍵が掛かってるな」
宿舎の中の一室に、司教室と書かれたプレートが掲げられている部屋がある。
そのプレートには同時に『ビクトル』と名前が書かれていた。
「先代司教ビクトル氏が亡くなった時には、既にアンナが司教だったはずなのにな……」
そう言えば、アンナの部屋は普通の神官用の部屋だった。
この辺りの細かい事情を知らないと言うのが、何とも厄介だと思う。
自分には知らないことが多すぎる。
「……仕方ない。この金貨はアイテムフォルダの中に入れておこう」
ステータスからアイテムコマンドを使用し、金貨をアイテムフォルダの中に格納する。
こうして堂々とチート技を使えるのは、ここが無人だからだ。
「無人、か。
この宿舎はこの教会に勤める神官用のものなんだよな。
それなら、自分が使ってもいいよな」
宿舎の一室に入る。
中は埃が積もり、蜘蛛の巣が張られている。
敷かれたままの布団は取り替える必要はあるが、
それ以外の机や本棚はしっかりとした造りをしており、
掃除さえすれば十分に使えそうだ。
現在は、アンナしか使っていないのだ。
1つぐらい自分が使ってもいいだろう。
自分が個室を欲している理由は、自分一人でいる時間がないからだ。
今はミレーユさんの家の客間を使用させてもらっており、リゼットとは同室だ。
リゼットと一緒に居るのが嫌という訳ではない。
チートの事はリゼットにも話していないため、アイテムフォルダの整理や、ショートカットの登録は、
人の居ない時にこそこそと行っているのだ。
こうした理由から、人目を気にせずにチート技が使用出来る個室が欲しいのだ。
「良し、2階の角部屋を貰おう」
アンナの部屋の前に、その旨を記した書置きを残すと勝手に掃除を開始する。
シモンと会うのは、昼の12時。
それまでは自分の部屋(予定)の掃除を行っておこう。
「……さて、昼の12時に満腹亭だったよな」
アウイン西部の商業地区。
そこに紅く塗られた外装に、丸々と太った豚の看板が下げられている。
『満腹亭』
商業地区にある、ごく普通の定食屋である。
店の外から中を覗くと、店内は多くの客でごった返していた。
客層は大工などの職人や馬車の運送業者など、主に肉体労働に従事している者が中心である。
その様子は高校の学食を思い出す。
「聖騎士のソージ様ですか?」
店に入ると、こちらが何かを言う前に給仕が話しかけてくる。
「ええ、聖騎士のソージです」
「お待ちしておりました。こちらにどうぞ」
給仕に案内され、2階に上がる。
一階は主にカウンター席とテーブル席であったが、2階には個室が並んでいた。
その部屋の一室に案内される。
個室と言っても、そう大げさなものではない。
元々がレストランではなく、定食屋のような店だ。
華美な装飾などは無く、室内には6人ぐらいが使えそうな大きめのテーブルが置いてあるだけだ。
「はじめまして、ソージさん。
僕は大司教補佐官のシモンです。よろしくお願いします」
室内に入ると、眼鏡をかけ、白色の修道服を着た青年が挨拶を行う。
緑色の髪に緑色の瞳。
身長は170センチ程度。
童顔の顔には柔和な笑みを浮かべており、
爽やかな青年という印象を受ける。
「南部教会の聖騎士、ソージです。
よろしくお願いします。
あと、ソージで構いません」
「それでは、ソージ。僕の事もシモンとお呼び下さい」
お互いに挨拶と握手を交わす。
「どうぞ、席についてください。
ソージ、昼食はまだですか?」
「ええ、まだですが……」
それは良かったとシモンは言うと、手元にあったベルを鳴らす。
するとこの店の給仕が食事を運んでくる。
「……これは」
運ばれた料理には見覚えがあった。
底が深い皿の中には白いスープが入っている。
その料理は、ホワイトシチューだった。
しかし、なぜこの料理がここで出て来るんだ?
ミレーユさんは見たこともない料理だと言っていたし、自分もこの世界に来てから見たことはない。
もっとも、この店に来たのは初めてなので、自分とミレーユさんが知らなかっただけで、
元からあったのかもしれないが……
だが、このタイミングで出てくるのは偶然にしては出来すぎている。
「この店で売り出す予定の料理で、ホワイトシチューと言うらしいですね。
何でも異国からやって来た、とある聖騎士が作ったらしいとか」
「へぇ、誰が作ったんでしょうねぇ……」
思いっきり自分の事じゃないか!
なら、このシチューはこの店のオリジナルではなく、自分が作ったシチューのコピーだ。
あのシチューを作ったのは、あの日だけで知っているのは、リゼットとミレーユさんだけ。
だとすると、レシピを流したのは、間違いなくミレーユさんだ。
しかし、これはあれか?
お前の事は作った料理まで把握していますと、そういうメッセージか?
「ああ、すみません。僕はミレーユからあなたが作ったと聞いています。
もちろん、知っているのは僕と彼女だけですよ」
こちらの緊張を解くように、落ち着いた口調でそう述べる。
「……ならいいのですが。
一応、確認しておきますが、シモンは自分の味方をしてくれる。
それは間違いないですか?」
「はい、間違いはありません。
あなたが聖騎士として正しくある限り、僕もミレーユもあなたの味方です。
……せっかくの料理が冷めてしまいますので、頂きましょうか」
『太陽の女神サニアよ、あなたの尊いお恵を私達は感謝し、いただきます。
月の女神ルニアよ、私達の糧となりしもの達に、慈悲をお与えください』
食事のお祈りを行うと、スプーンを手に取る。
シチューをかき混ぜ、具を確認する。
中に入っていたのは、ニンジンに鶏肉、玉ねぎ、ジャガイモ。
やはり、自分が作ったものと同じだった。
シチューをスプーンで掬い、口に運ぶ。
味はやや塩気が強い気がするが、十分好みの範疇であり、悪くない。
「……うん、良く1日程度で再現できたものだ。
しかし、なぜこの店なんだ?」
西部地区にはこの店以外にも多くの飲食店がある。
ホワイトシチューは、この満腹亭のような定食屋でなくても、
きちんと作れば高級レストランでも出せる料理だ。
「深い意味はないと思いますよ?
この店はミレーユの実家が経営している店の1つなんです。
だから、ただ作らせてみただけだと思います」
「なるほど、商魂たくましいなぁ」
そういえば、ミレーユさんは商人の生まれだと言っていたな。
それにしても、シチューを出した意味は特に無いのか、まったく紛らわしい。
「しかし、良かったのですか?
あなたの様子から推察するに、このメニューはミレーユが勝手に作ったものなんでしょう?
僕は商売のことは良く分かりませんが、きっと売れると思いますよ」
シモンは申し訳なさそうに言う。
「まあ、まったく惜しくないかと言えば嘘になりますが……
別に口止めはしてなかったですからね。
それに、自分はレシピを知っていても、それを実際に販売する店も人脈もないですから」
確かに、料理チートのネタが1つ潰れてしまった。
しかし、今後この店に来ればシチューが食べられるようになったと考えるなら、そう悪い話ではない。
自分にとって料理チートの目的は、この世界の貧弱な料理のレパートリーを増やすことだ。
もちろん、その過程で自分にお金が入ってくる方が望ましいが、それは必須ではない。
……それに、そもそも自分はそんなことをしている場合では無いのだ。
「ただし、別にシチューで商売をするのは勝手ですけど、
面倒くさいことになりそうなので自分の名前は出さないで下さいね」
「ええ、それはミレーユも分かっていますし、僕の方からも話すつもりはありません」
そうして、シモンもシチューを口に運ぶ。
「……本当に異国から来たのですね。
僕は結構食べ歩きはするんですけど……
エルフの野菜料理、ドワーフの炒め料理、ワーウルフの肉料理……
それらを含めても初めて食べる味です」
シモンはシチューを味わうと、感慨深く頷く。
「シモンは日本やジャパンといった国の名前は知らないですか?」
知らないとは分かっているが、一応聞いておく。
分かっていたが、シモンは首を振る。
「いえ、僕の知る限りそのような名前の国も都市も知りません。
ソージ、記憶の方は戻りましたか?」
「さっぱりですね。自分が日本という国で生まれたことは覚えています。
しかし、なぜ聖騎士になったのか、なぜアウインにいたのかはさっぱり分かりません」
嘘は言ってないが、本当の事でもない。
そんな自分の言葉に対して、シモンは顔を曇らせて言う。
「ソージは、記憶が無くて不安ではないですか?」
そう問いかけるシモンの声からは、本気でこちらを気遣っているのが分かる。
隠し事をしていることが後ろめたく感じられるが、
本当のことを言うわけにも行かない。
「不安が無いわけではないですが、もうここで暮らしていく決心はしました。
いつまでも不安だと言っているわけにも行きません」
そう、だからこそ教会の課題もやるのだ。
食事もひと段落した。
そろそろ、本題に入るべきだろう。
一年前のあの日、何があったのかを
長くなったので、一旦ここまで。
続きは明日、投稿します。