33話 課題と魔法
「ソージに、やってもらいたいことがあるんだけど」
南部教会に所属することを決めた自分に対して、ミレーユさんは語る。
「はい、何でしょうか?」
「あなたには南部教会が、一般向けの教会ではないと言ったけど、
今、あの教会が閉じているのは、別の理由があってね。
南部教会の司教、アンナがずっと職務放棄をしているのよ」
「はぁ……職務放棄ですか?」
職務放棄ということは、つまりボイコットということだろ……
司教、つまり南部教会のトップが職務放棄か……
職歴ロンダリングに、司教の職務放棄。
この南部教会は大丈夫なのだろうか?
一応、自分の就職先になるのだが、不安になってくる。
まあ、最悪冒険者として喰っていければ良いか。
「そう、もう彼此1年になるわね。
あなたには、アンナに職務復帰をするように説得を行って貰います。
……10日以内に」
「ええ……
何で自分がそんなことをしないといけないんですか。
しかも、10日以内って……」
自分は元プログラマーで、今はパラディン(聖騎士)だ。
ネゴシエイター(交渉人)ではない。
そもそも、自分はつい最近まで、ミレーユさんに教会について教わっていた身だ。
教会上層部について詳しい情報を持っているわけではないし、コネも無い。
しかも、10日以内という期限付き。
幾ら何でも無茶振りが過ぎる。
「あら、これはあなたの為でもあるのよ」
自分の為?
そう言われても訳が分からない。
「どういう事ですか?」
ミレーユさんに聞き返すが、そこで空気が変わる。
彼女の顔から表情が消える。
「……教会はあなたの事を信用していない」
感情の無い声で、ただ事実を述べるように断言する。
「……」
緊張が走り、背中に冷や汗が流れる。
自分がこの世界において異質であると言うことは知っている。
そんな自分に、この世界の事や神官の事について教えてくれたのは、
他ならぬミレーユさんだ。
「言ったよね。神官は必ずどこかの教会に所属している。
それに、あなたの剣や鎧は、高司祭の試練を受けたものだけが着用を許される装備。
この試練にも、あなたが参加した記録はない」
「……」
まずいな、非常にまずい。
自分がこの世界の事について、無知なのは記憶喪失だと言い訳が出来ても、
記録に名前がない事は誤魔化せない。
「お前は何者だ!!」
「ッ!!」
ミレーユさんの一喝に、全身から冷や汗が流れ、
心臓がバクバクと早鐘を打つように鼓動する。
「……って、いうのが教会の意見ってわけ。
フフ、驚いた?
大丈夫、私はあなたの事、信用してるわよ」
今までの張り詰めた空気から、普段のミレーユさんの調子に戻る。
「お、脅かさないで下さいよ……」
「って、言ってもね。
あなたが不審者なのは変わらないし。」
「ぐ、ぬ……」
「ついでに言うと、私は教会からあなたの監視役に命じられているのよね」
「なるほど……
そうか、だからか……」
さらりと、何でも無い事の様にミレーユさんは語る。
だが、それで納得ができた。
今まで、ミレーユさんが自分に対して教会の事を教えてくれた理由、
そして、彼女が自分達を自分の家に泊めていた理由が。
「言っとくけど、私があなたに便宜を図ったのは教会に言われたからじゃないのよ。
私は信用してるって、さっきも言ったでしょ。
大丈夫、教会にはソージの事を、3割増しで美化して報告してるから」
「……それはそれで、どうなんですかね」
有り難い様な、有り難くない様な……
しかし、ミレーユさんの真意が分からない。
彼女はいつもの余裕のある顔で、顔色から狙いを読むことはできない。
彼女は何をどうしたいんだ?
「……なぜ、そのことを自分に話したんですか?」
「言ったでしょ?
私はあなたを信用してるって。
私としては、あなたが教会に処分されるのは面白くないのよね。
だから、私の事情を話して協力した方が良いでしょう」
「教会の意向を無視しても、ですか?」
ミレーユさんは感情だけで動く人間ではない。
ただ自分を信用している、それだけの理由で、教会の意向に反するリスクは犯さないだろう。
そこには彼女なりの『利』があるはずだ。
「教会にも色々な派閥があるのよ。
例えば、冒険者をしている神官と教会で働く神官ね。
冒険者は実力主義、仕事が出来るなら過去は問わない。
それに、あなたは変人であっても、悪人ではないでしょ?」
教会も一枚岩と言うわけではないのか。
ミレーユさんは冒険者ギルド側の神官だ。
そして、自分は短い期間ではあるが、冒険者ギルドに対して実力を示した。
冒険者ギルド側から見れば、多少怪しくても高レベルの冒険者を手放すことは、したくないということか。
確かに筋は通っている様に思える。
しかし……
「なぜ、そこまで信用してくれるんですか?」
いくら実力主義だと言っても、最低限度の信頼関係は必要なはずだ。
「えー、それはちょっと傷つくなぁ……
アウイン水場の戦闘からブルード鉱山まで、一緒に戦った仲じゃない。
あなたの行動を見れば、あなたがどういう人間かは分かるもの」
ミレーユさんは、じとっとした目で非難するように言う。
「なるほど……では、ミレーユさんは自分に味方してくれると」
「ええ、あなたが良き神官であろうとするのなら、ね」
とりあえず、ミレーユさんは自分の事を味方してくれるようだ。
だが、完全に信用するのは危険だろう。
ミレーユさんは、自分が良き神官である内は味方すると言ったのだ。
基準が曖昧であるし、自分は良い神官と言うわけでもない。
アウイン水場にしても、ブルード鉱山にしても。
自分は、自分が正しいと思った行動をしたのであって、
別に神官として正しい行動をしようとした訳ではないのだ。
しかし、逆を言えば自分のこれまでの行動は正しいと、
ミレーユさんに評価してもらえたのは嬉しく思う。
「……それで、話は戻るけど。
ブルード鉱山から戻ってきてすぐに、教会でソージの対処を検討する会議があってね。
そこで決まったのは、あなたに課題を出して、それを解決させることで、
教会への忠誠を見ることになったのよ」
「なるほど……それでアンナさんの説得に話が繋がる訳ですか」
つまり、アンナさんの説得はミレーユさんからの依頼ではなく、
教会からの課題と言うわけだ。
「そういうこと。
だから、実質あなたに拒否権は無いのよね」
「しかし、それなら何でもっと早く言ってくれなかったんですか?
あと10日しかないんですよ」
ブルード鉱山から戻ってきて、約3週間が経過している。
それこそ、ブルード鉱山から戻ってきてすぐに教えてもらえれば、
一ヶ月程度の時間があったのに……
「仕方が無いでしょ。
説得以前に、ソージは神官のことについて、知らな過ぎなんだから。
それに、途中でギルドの依頼でいなくなっちゃうし」
「そう言われると……
……そうか、ギルドの依頼!
あれは自分が信頼できる聖騎士だという評価になりませんか」
開拓村のゴースト退治の依頼では、異界の解除に、アンデッドになった冒険者、
ゴーストになった幼女と様々な問題に直面した。
これらの事柄は、邪教徒やアンデッドと敵対する教会にとっても無関係ではない。
ブルード鉱山の事件では権利を放棄してしまったが、
今回の事件は自分が解決した事件だ。
自分の成果として権利を主張しても良いはずだ。
「そうね、実際のところ、教会の方もソージ自身が問題になるとは思っていないでしょうね。
でも、信頼関係は1回や2回、事件を解決したからといって、すぐに生まれるものではないでしょう?
特に教会の人間は私と違って、あなたと面と向かって話をしている訳ではないからね」
それは、つまり今回のアンナさんの件を解決しても、
しばらくは教会にこき使われると言う事か……
正直言って不満が無いわけではないが、自分はこの世界で生きると決めたのだ。
自分一人なら最悪どんな所でも生きていけるが、リゼットが居る以上、
教会から目をつけられている状態は良くないだろう。
「はぁ……分かりました。
自分にどれだけ出来るかは分かりませんが、
アンナさんの説得の件、受けさせて貰います」
「ええ、私も協力するから頑張りましょう」
差し出されたミレーユさんの手を握り返す。
自分にどこまで出来るか分からないが、
ミレーユさんも協力してくれるのだ、出来る限りはやってみよう。
そのためには、まず今回の事件の詳細を知らなければならない。
「アンナさんの説得についてなんですけど……
もしかして、南部教会の先代司教の死に関係があるんですか?」
まず、気になった点を質問する。
「……あなたはどこまで知ってるの?」
ミレーユさんは質問に答えず、静かに聞き返す。
その目は真剣で、自分の質問が的外れではないことが感じ取れる。
「知っていると言う訳ではないですが、
アンナさんが職務放棄を行ったのが1年前。
先代の司教が亡くなったのも1年前。
無関係と考える方がおかしいでしょう」
「そうじゃなくて、先代の話をどこで聞いたのかって話よ。
私、先代の司教について話した記憶は無いわよ」
「そうですね。先代の司教については、普通に教会近くの住民に話を聞きました。
まあ、街中の人間に話しかけた事は、伊達ではないということです」
「……さすが、変人。
そんなことをやってるから、教会に目をつけられるのよ」
自分の言葉に、ミレーユさんは顔を引きつらせながら答える。
「……まあ、良いわ。
それで、ソージはこの件について何を知ってるの」
「いえ、何も知らないですよ。
自分が知っているのは、一年前に先代の司教が亡くなった。
その後、南部教会は閉じてしまった、それだけです。
アンナさんについては、まったく知りません」
「なるほど、何でも知っているわけではないのね」
「そりゃそうですよ。教会の内側については自分は詳しくないです。
それはミレーユさんが一番知っているでしょう。
アンナさんはなぜ職務放棄をしたんですか?」
結局、ここが分からないと、自分も何から手を付ければ良いか分からない。
ミレーユさんは、自分にアンナさんの説得を頼んだが、
しかし、その割には核心部分については、何かぼかしているように思う。
彼女は銀髪の髪をいじりながら、少し考えると答える。
「職務放棄をした理由は、もちろん教えて上げるけど、アンナに対して変に先入観を与えたくないのよね。
アンナには話は通してあるから、まず説得とか考えずに、アンナに会ってみなさい」
「ふむ……分かりました。
では明日、南部教会に行ってみます」
「ごめんなさいね。
アンナは私の神学校時代の同期でね。
この件に関して踏み込むのは、ちょっと慎重になっちゃうのよ」
ミレーユさんは神妙な面持ちで答える。
その様子から、どうにも厄介な事情がありそうだ。
まあ、彼女がそう言うのなら、ここで根掘り葉掘り聞き出すのは野暮だろう。
南部教会で何が起きているのか、アンナさんに何が起こったのかは自分の目で確認しよう。
「さて……それじゃ私の話は終わったし、ソージの魔法を見ましょうか」
そう言って、ミレーユさんは部屋から外に出ようとする。
「ミレーユさん、どこに行くんですか?」
「どこって、ソージが覚えたい魔法って範囲魔法でしょ。
なら外に決まってるじゃない」
「もう夜ですし、ここじゃだめなんですか?」
今のアウインでは、昼間は暖かいが、夜はそこそこ冷える。
自分のせいでミレーユさんが風邪など引いたら大変だ。
「魔法が暴発して部屋を吹き飛ばしたりしない自信があるなら、ここでも良いわよ。
ただし、部屋を吹き飛ばしたりしたら……分かってるわよね」
そう言って、ミレーユさんはにっこりと笑うと杖を握り締める。
顔は笑っているが、目は笑っていない。
「あっ、はい。外に行きましょう」
自分も部屋を出ると、そのままミレーユさんの家の庭に移動する。
ミレーユさんの家には、アウインの東部地区。
冒険者や平民が主に暮らしている地区にあるが、
この地区では庭付きの家は珍しい。
まあ、庭といっても外国のような広々としたものではない。
日本の家のような、小さな庭である。
「さて、じゃあまず魔法を使ってみて」
精神を集中させる。
今回使う魔法は、聖域。
魔法の使用には、イメージが重要であることは分かっている。
今回イメージするのは、内と外を別ける境界線。
結界とは本来そういうものだろう。
ブルード鉱山で見た、ミレーユさんの聖域。
開拓村で見た邪教徒によると思われる結界。
それらをイメージし、自分の周囲1メートルに、頭の中でぐるりと円を描く。
その線の内側には、アンデッドは入らせない。
イメージが固まったところで、呪文を唱える。
「――我が聖域は不浄なる者、その一切の進入を禁ず――サンクチュアリ!!」
足元から魔法陣が浮き上がり、自分がイメージした円に沿って、光が溢れる。
「ぐっ!!」
本来なら、ここで光が安定し、聖域の完成となるのだが……
溢れる光は一向に収まらず、自分のMPをがりがりと削り続ける。
満タンだったMPは、たった3秒程度で半分まで減少した。
「やめ!!」
ミレーユさんの言葉で、蛇口を閉じるように魔力の流れをカットし、頭の中からイメージを消す。
すると、聖域は霧散し、周囲は夜の暗闇に包まれる。
「ふぅ……まあ、こんな具合で、どうにもうまくいかない。
ミレーユさん、どうですか?」
MP消費による僅かな頭痛を感じつつ、ミレーユさんに魔法の出来を確認する。
「……聖域の構築がなってないわね。
独学でそこまで出来るのは大したものだけど、
ソージの聖域は見かけだけのハリボテで、中身が無い。
それが魔法の失敗の原因ね」
ミレーユさんは真剣な表情で、そう分析する。
ハリボテで中身が無い、か……
どうにも抽象的で、要領を得ない。
そもそも、中身とはなんだろう?
「ソージは聖域の境界部分ばかり意識してない。
それじゃ、だめなのよ。見てなさい」
そう言うと、ミレーユさんは杖を構える。
「聖域は、聖なる光で空間を満たしていくの。
それが結果的に、内と外を別ける境界になる。
――我が聖域は不浄なる者、その一切の進入を禁ず――サンクチュアリ!!」
その呪文と共に、ミレーユさんを中心に光が広がっていく。
そして、ミレーユさんの周囲に光が行き渡ると、その光は膨張を止めて徐々に安定していく。
「どう、分かった?」
「なるほど、理屈は分かりました。
やってみます」
ミレーユさんの魔法を見て、自分が勘違いをしていた事が分かる。
確かに、自分は境界部分に目がいっていた。
境界線が先にあるわけではなく、光で満たされた結果、境界ができるのだ。
ならば、イメージを一新し、次こそは成功させる。
「ちょ、だめ!今日はだめ!
あなたMPが半分になってるのを忘れたの!」
魔法を再度使用しようする自分に対して、ミレーユさんは慌てて止める。
「あ、しまった」
いつもは、アイテムコマンドからMP回復ポーションを使用して、
MPを回復しているが、ミレーユさんの前では使えない。
そうなると、MP回復ポーションを口から摂取するしかないが、
効果が薄い上に、回復まで時間もかかる。
これでは彼女の言う通り、今日はもう魔法が使えない。
「あと、今日は仕方が無いけど、魔法の練習はMPが70%を下回らないようにしておきなさい。
でないと、肝心なときに魔法が使えないわ」
自分が魔法を使わないといけない状況の多くは、人命が危機に瀕している場合である。
最近までミレーユさんの治療の手伝いをしていたので実感できるが、
確かに、その様な状況で魔法が使えないのはまずい。
「ふむ……そうなると、ほとんど練習が出来ないな」
「そう、魔法の習得が難しい一因ね。
魔法の習得には、センスや魔力も重要だけど、それに専念できる環境も必要なのよ。
でも、そんなことが出来るのは、成人前の子供か引退した老人、
後は働かなくてもいい大貴族ぐらいなものよね」
「なるほど……
気長にやっていくしかないな」
「そうね、ソージはセンスは悪くは無さそうだから、
後は繰り返し練習するしかないわね」
ミレーユさんの言葉に頷き、今日の魔法の練習を終了した。
しかし、彼女には気長にやっていくしかないと答えたが、
自分のチートを用いれば、MPはいくらでも回復できる。
もちろん、MP回復ポーションと練習時間を確保する必要はあるが、
自分にとってMPの残量は問題にならないのだ。
ミレーユさんからのアドバイスもある。
ならばあとは、ひたすら反復練習を行えば、
短期間での魔法の習得も可能だろう。