24話 決断
トマの墓の隣に腰を下ろし、空を見上げる。
時刻は午後10時、本来なら空を見上げれば星空が見えるはずだが、
鬱蒼と生茂る木々に阻まれ、何も見えない。
唯一の光源はスキルポイントを消費して習得した『ライト』の光のみ。
この場所では人の声はもちろん、獣の声すら聞こえない。
なんとも寂しい所に墓を作ったものだと思う。
酒を飲みながら、トマのことを振り返る。
あの時、トマは命乞いも死への恐怖も語ることなく、
ただリゼットさんの心配をして、自分に後を託して死んでいった。
「なんとかする、か……」
ほとんど勢いのままに言った言葉。
だが、自分だってリゼットさんのことは心配であるし、
何より自分の言葉を嘘にしたくない。
リゼットさんはこれからどうするのだろうか……
ミレーユさんは彼女と話をすると言っていた。
彼女とどんな話をしているのだろうか?
彼女は何を望むのだろうか?
そして、自分はどうしたいのか。
ミレーユさんに任せっきりも良くない。
彼女が言っていた様に、自分の方でも何が出来るか考えるべきだ。
「……まず、この町からリゼットさんを離すべきだよな」
この町の住人のリゼットさんに対する疑念の根は相当に深い。
部外者である自分が、それは間違っていると訴えたところで彼らの認識が変わるとは思えない。
彼らは鉱山の事件を含め、この町で起きた不幸の全てをリゼットさんが原因だと考えている。
特に今回の事件は多くの住人が死んでいるため、
リゼットさんへの風当たりは相当にきつくなる事は想像に難くない。
ならば、一番簡単なやり方はリゼットさんをこの町から離すことだ。
「しかし、問題はその方法とその後なんだよな……」
リゼットさんはこのブルード鉱山に縛られた奴隷だ。
移動の自由はない。
もし勝手に町を出たりすれば、逃亡奴隷として追っ手を差し向けられることになるだろう。
それに、仮にこの町を出たとして、その後どうするのか。
この世界は死がすぐ隣にある極めて過酷な世界だ。
自分がこの世界に来て、1ヶ月と少し。
この短期間の間に一体どれだけの人間の死を見てきたことか……
少なくとも両手の指では、到底足りない。
そんな世界で奴隷の少女が一人で生きていけるなんて、とても考えられない。
「あー、こんな所にいた!
ソージ、あんた部屋で休んでるって言ったよね!
探したじゃない!」
「ミレーユさん?どうしてここに?」
「リゼットに聞いたのよ。
つーか、どうしてじゃないわよ。
リゼットとの話で結果が出たから伝えに来たに決まってんでしょ」
「あ、すいません。
自分でもどうしたいか考えようと思ったら、自然とここに来てました。
……それで、結果はどうなりました」
「うん、結局はあなた次第ってことね。
リゼットはあなたの決定に従いますと言っていたわ」
そう言うと、ミレーユさんは自分の隣に腰を下ろす。
「自分次第、か……」
「そう。それで、ソージはどうしたいの?」
「自分はリゼットさんをこの町から離したいと思います。
そうですね……まず、リゼットさんを奴隷身分から開放する方法はありますか?」
リゼットさんをどうするにしても問題になるのは奴隷という身分だ。
奴隷でなければ、移動も自由になるし、この町を出た後もやりようがあるだろう。
「無くは無いけど難しいわね。
例えば……ゼロから開拓した村の最初の入植者は奴隷でも平民になれるわ。
要は国に対して大きな貢献をすれば奴隷身分から開放されるけど……
リゼットにとっては現実的では無いわね。」
「なるほど……」
確かに難しいな。
「ソージはこの町からリゼットを離したいのよね?
だったら簡単じゃない。」
そう言うとリゼットさんは持っていた鞄の中から一切れの紙を取り出す。
『奴隷 売買契約書』
それは、リゼットさんの売買契約書。
その契約書の内容はリゼットさんを大金貨3枚で売るという内容だった。
大金貨1枚が日本円換算でだいたい10万円になる。
つまり、30万円程度で一人の少女の一生を買い取ることができるということだ。
買い手の名前は記入されていない。
「この町の町長とは話を付けてきたわ。
値段交渉は私の方で勝手にやっちゃったけど……
今回の依頼のあなたの取り分が大金貨42枚程度でしょ?
大金貨3枚程度なら余裕よね?
後はソージの名前を書いて終わり。
これで……リゼットは貴方のものよ」
そう言ってミレーユさんは自分に契約書を渡す。
「……」
なるほどな、自分がリゼットさんを買い取ればいいのか……
だが、そう簡単には行かないのだ。
自分は奴隷と言う制度に関しては、特に肯定も否定もしない。
この世界は魔法があるといっても、基本的には中世レベルの発展具合だ。
魔法は全ての人間が使えるわけではなく、現代のような機械化が出来ているわけでもない。
この世界では、まだまだ人力に頼るところが大きく、
そうなると安価な労働力としての奴隷は必要だ。
だから、奴隷を購入することに対する忌避感は、それほど大きくは無い。
問題は別の所にある。
その問題とは、奴隷を購入するということは、同時に奴隷を養う義務が生じるという点だ。
しかし、それは難しい。
別にリゼットさんを養うだけの金が無いわけではない。
問題なのは、自分はまだ現実の世界に帰ることを諦めていないということだ。
現実世界に帰るのなら、この世界の住人であるリゼットさんを連れて行くことは出来ない。
つまり、リゼットさんを奴隷として購入するのなら、
現実世界への帰還を諦めるということになる。
だが、昨日会ったばかりの人間に対して、そこまでするのか?
一時の感情に任せて、自分の人生を棒に振ろうとしていないか?
では、どうする。
リゼットさんを奴隷として購入し、この町から離れた後、
別の人間にリゼットさんを売るか?
それは有り得ない。
そんな無責任なことをするぐらいなら、自分が引き取る。
だが、それでは自分は元の世界に戻れない……
「……」
どうするべきか?
手に渡された契約書をじっと見ても、その答えは出てこない。
「え、そんなに悩むこと?
……もしかして、実はリゼットのこと嫌い?」
ミレーユさんは訳が分からないと言った様子で問いかける。
「……ミレーユさん、以前、自分がなぜここにいるか分からないという話はしましたよね?」
「ええ、言ってたわね。」
「自分には、本来帰るべき場所がある。
だが、そこにはリゼットさんを連れて行けません……」
しかし、それではリゼットさんはどうなる?
鉱夫がリゼットさんを殴った場面を思い出す。
あれは手加減無しの本気だった。
あの時は自分が咄嗟に庇い、回復魔法もかけることで何とかなったが、
もし、自分がいなかったらどうなっていたか……
普段から重労働に従事している男の本気の打撃だ。
当たり所が悪ければ、死んでしまうこともあるだろう。
そして、あれはたまたま起きた不幸な出来事でも無いだろう。
なぜなら、あまりにも自然だったのだ。
普通、大の男が少女を殴るのに、一切の加減も躊躇も無く殴れるか?
自分なら殴れない。
だが、彼らにとってはそれが普通になってしまっている。
こんな状況では、自分達が居なくなった後のリゼットさんがどうなるかなど、
想像もしたくない。
しかし、それでリゼットさんを優先すれば、
自分が現実世界に帰ることを諦めることになる。
現実世界への帰還、か……
現実世界に帰ることを諦めていないと言っても、
実際には何の糸口も掴めていない。
そもそも、本当に戻る方法があるのかも分らない。
また、なぜ自分がこの世界にいるのか、その原因すら分かっていないのだ。
認めたくは無いが、現状では戻れる確率は低いと言わざるを得ない。
もしも……もし、この世界に残るとしたら何が問題か。
1つは、家族や友人と二度と会うことが出来なくなることだ。
家のことについては、兄の宗市に任せておけば良いだろう。
友人については、悲しくはあるが仕方がない。
元々、就職のために上京してからは、学生時代ほど深い付き合いではなくなっていた。
仕事については、ちょうどプロジェクトが一段落したところだ。
必要な資料は会社のサーバに置いてある。
きちんとした引継ぎは出来ないが、まあ問題はないだろう。
他には、何があるだろうか?
……だめだな。
この世界に残る前提で考えている以上、自分の中では既に結果が出ているのだ。
だが、それでも即答できないのは、最後の問題のせいだ。
それは自分自身のことだ。
このゲームのキャラクター『ソージ』を武井宗次として認めることが出来るのかということだ。
この『ソージ』のキャラクターを作成し、ここまで育てたのは自分自身だ。
それには少なくない時間を費やしているし、愛着もある。
ゲームとしてなら、確かにこの『ソージ』はプレイヤーである『武井宗次』の分身と言っていい。
そして、今この『ソージ』を動かしているのは『武井宗次』の意識であることは間違いない。
しかし、だからと言って現実の自分である『武井宗次』と『ソージ』を同じとしていいのか?
この身体は確かにすごい。
力は強く、剣の腕は達人クラス、さらに魔法も使える。
それに比べて、現実世界の自分は非力だ。喧嘩すらした事は無いし、魔法も使えない。
だが、それでもその非力で取るに足らない平凡な人間こそが自分なのだ。
決して勝ち組では無かった。
思うように行かないことも多かった。
でも、だからこそ一つ一つ色々なことを積み上げて来たのだ。
そうして例え平凡でも今まで28年間、ずっと過ごしてきたのだ。
このキャラクターは自分が大学生の頃に作成した、せいぜい10年程度だ。
重みがまるで違う。
……だが、それは言ってしまえば、自分だけの問題だ。
自分が我慢して飲み込んでしまえば、それで済んでしまう。
結局の所、自分を優先するのか、リゼットさんを優先するのか、
選択肢はこの2つなのだ。
町でのリゼットさんを思い出す。
トマの最後を思い出す。
「くそ……」
正直に言えば、失敗したなと思う。
自分は彼女達に深く関り過ぎたのだ。
自分はリゼットさんを見捨てられない。
このような状況で自分を優先した行動が取れない。
そもそも、ここで見捨てると言う選択が出来るのなら、
トマの遺体を探す為にダンジョンに入るようなことはしない。
一度、目を閉じ大きく深呼吸を繰り返す。
『本当にそれでいいのか?』
そんな自分自身の問いを心にしまう。
ゆっくりと目を開ける。
「……自分が本来いるべき場所にはリゼットさんは連れて行けません。
だから……自分はここに残ります。聖騎士のソージとして」
ミレーユさんから受け取った契約書に自分の名前をしっかりと書き込む。
「こんなに真剣に奴隷の売買契約をしている人間は始めて見たけど……無理してない?
この話を持ち込んだ私が言うのもなんだけど、我慢して無理をしてもお互いに良いことは無いわよ」
ミレーユさんはこちらの事情が分らないため、困惑しているようだ。
しかし、分らないなりに自分のことを心配してくれている。
「確かに、一片の悔いも無いとは言えませんが……
それでも自分の選択には責任を持ちますよ」
現実世界への悔いはある。しかし、この選択をしたことに後悔はしない。
「それなら、いいけど……
そこまで真剣に考えているなら、こっちにもサインしてしまいなさい」
そう言ってミレーユさんは鞄からさらに一枚の紙を取り出す。
その紙に書かれているのは……
「婚姻届?
いやいやいや、ちょっと待ってくださいよ!」
それはリゼットさんとの婚姻届だ。
「あなたはリゼットを奴隷から解放したいのよね。
リゼットを奴隷から開放することはできないけど、いくつか抜け穴はあってね。
1つは、婚姻契約を結ぶこと。
こうすれば、リゼットはあなたと夫婦でいる間は、平民と同等の待遇を受けられるし、
あなたとリゼットとの子供は平民として暮らしていける。」
「いや、しかし……」
「しかし、じゃないつーの。
むしろそこまでリゼットの事を考えているのに、リゼットを奴隷のままにしようというの?」
「う……む……」
確かにそうだ。
奴隷として受け入れるのか、妻として受け入れるのかで言えば、
後者の方が良いだろう。
「……そうだな。どうせここまで来たのだ。
分りました。結婚しますよ、リゼットさんと」
「よく言った。えらい! 」
「えらい、じゃないですよ……人ごとだと思って……
しかし、リゼットさんに何て言えばいいんだ……
今日、婚約者の葬儀をやったばかりなんだぞ……」
キリキリと胃が痛み出す。
「うん?
リゼットに言う必要は無いわよ。ほら」
そう言って、ミレーユさんは森の中の一点を指す。
……そこには、リゼットさんがいた。
「リゼットさん! いつからそこに!」
「もちろん最初から」
リゼットさんに代わり、ミレーユさんが答える。
「なっ!!
ミレーユさん……やりやがったな……」
「私はお膳立てをしただけ、決断したのはあなた。
それとも今から白紙撤回する?」
ミレーユさんはしれっと悪びれることも無く、言い放つ。
くそ、確かにそうだ。
自分は自分の意志で決断したのだ。
この期に及んで、誰かのせいにするような真似はしない。
「しませんよ。さっき言ったでしょう、自分の選択には責任を持つと。
それはそれとして、覚えてろよ……」
「そうね、覚悟しておくわ。
でも、私のことは後でもいいでしょ。
リゼットに何か言ってやりなさい。」
立ち上がり、リゼットさんに向き合う。
くそ、こんな状況で気の利いた言葉なんて出てこない。
だが、ここで無言で居るわけにはいかない。
覚悟を決めて口を開く。
「……聞いていた通りです。
自分はあなたを妻として迎えたいと思います。
自分と一緒に来て下さいますか?」
リゼットさんの長い金色の髪が揺れ、リゼットさんは顔を上げる。
リゼットさんの顔からは肯定も否定も読み取れない。
ただ、自分の心の中を見抜こうとするかのように、
青い瞳がまっすぐにこちらを見ているだけだ。
「それは……私のため、ですか……
それとも、トマのため、ですか……
……本当に……よろしいのですか?」
リゼットさんからは、自分の問いに対する答えではなく、
質問で返された。
確かにその質問は当然だ。
自分の話を最初から聞いていたのなら、
自分が迷っていたことは知っているのだから。
リゼットさんの目は真剣だ。
その目からは、私を理由にしてはいけないという思いが読み取れる。
この選択は誰のため?
きっかけは間違いなくリゼットさんだ。
トマとの約束という後押しもある。
現実世界に対する未練も完全に断ち切れたわけではない。
だが、見捨てたくないとそう思う自分の心に嘘はない。
ならば、自信を持って答えればいい。
「はい、誰のせいでも、誰かのためでもありません。
自分がそうしたいと思ったからです。
だから、もう一度言います。
リゼットさん、自分と一緒に来て下さいますか? 」
「ソージ様は……変わらない、ですね……
そう言って、トマの遺体も、探して下さいましたね……
……分りました。
不束者ですが、よろしくお願いします……」
そう言って、リゼットさんは小さく微笑んだ。
こうして、自分の初めてのクエストは幕を閉じた。
次の日の朝、馬車はブルードの町を離れ、第2都市アウインへと向かっていた。
自分の隣には、リゼットさんがいる。
リゼットさんの荷物は少なく、ダンジョンに入ったときの装備と薬草を幾つか持ってきているだけだった。
そして、リゼットさんは腰まで届く髪を切り、今は肩の辺りでばっさりと切り落としていた。
リゼットさんの表情は、あの町に居たときに比べて、
ほんの少しであるが、影が消えたように見える。
それが自分の選択の影響であるのなら、それで良かったと思う。
しかし、ギルドの依頼を請けたら、
嫁が出来て、さらにこの世界で生きることを決断することになるとは思わなかったな……
客観的に見れば、金髪、碧眼のエルフの美少女を嫁にすることが出来たのだが、
人生ままならない物だ。
空を見上げると、雲1つ無い晴天の青空が広がっている。
まあ、この世界で生きると決めたのだ。
いつまでも、くよくよと悩んでいても仕方が無い。
これからのことを考える。
自分は現実世界への帰還を諦め、この世界で生きると決めた。
しかし、この世界の探索は続けるつもりだ。
この世界で生きると決めた以上、
目が覚めたら現実世界に戻っていたでは困るのだ。
なぜ自分がこの世界に来ることになったのか、
その原因は突き止めなければならない。
でも、まあ、まずは帰ろう。
これからのことは、二人で考えて行けばいいんだから……
これにて、第1章は終了です。
次話は1章の補足として、ソージが悩んでいる間の、
ミレーユとリゼットの話を予定しています。