105話 夜
日が落ちようとしている。
冬のアウインの日の入りは速く、周囲は徐々に夜の闇に閉ざされようとしている。
気温も一気に下がっていき、刺すような肌寒さに身震いする。
南部地区から西部地区に戻る道すがら、住民達は火を起こし、料理を行い、傷を治療し……
そして、遺体を教会に運び、略式の葬儀を行っていた。
自分が把握しているだけでも、この戦いの死者は20人以上。
実際には、その倍はいるであろうし、重軽傷者を含めれば軽く100人を超えるだろう。
それでも、まだ戦いは終わっていない。
むしろ、ここからが本番だといってもよいだろう。
夜は奴ら……アンデッド達の時間だ。
『PM 5:10 アウイン西部地区城壁』
主戦場である西部地区城壁に自分は戻ってきた。
「皆、生きてるか!!」
「おう、なんとかな」
そこには特大巨人の相手を任せていたアンナとカグヤの姿があった。
二人とも戦闘で服が汚れているが、大きな怪我はなさそうだ。
城壁の外を見ると、件の巨人が胸に大穴を明けて、文字通り地面を血で染めていた。
どうやら二人は無事に巨人を倒せたようだ。
「ふふん……まあ、ボクにかかれば巨人の一人や二人、よゆーよゆー」
そういうと、カグヤは薄い胸を張って得意顔で答える。
「はん、よく言うぜ。
『バニシング・レイ』で両腕が吹き飛んで、ビービー泣いてたくせに」
「う、だって仕方ないじゃないか!
純粋な神官に転職したから、魔法が簡単に使えると思ったんだよ!!」
「それで、腕が吹き飛んでだから世話ねーわ!
つーか、あたしの心臓にも悪いから止めてくれよ」
「むぅ……」
カグヤは頬を膨らませる。
「まあまあ、二人とも無事で良かった。
そういえば、リゼットは?」
「……」
「……」
二人は可哀想な者を見るような目で、自分の後ろを指差す。
「何だその顔は?まさか、リゼットに何か!!」
後ろを見ると、そこには普通にリゼットが居た。
特に怪我などもしていない、しかし、その……見るからに怒っていた。
しまった、と思ったがもう遅い。
自分は、黒騎士……堕ちた聖騎士『マルク』をリゼットの狙撃で倒している。
ということは、当然、あの滅茶苦茶な戦法を見られているということで……
「私は……ここから、ソージさんの戦いを、見ていました」
『私怒ってます』と、オーラを出しながらリゼットは言う。
「本当はもっと速く加勢出来たけど……ソージさんの邪魔になると思ったので……
だから、我慢していました」
「はい……すみません」
「ソージさんは、身体の半分を斬られました」
そういって、自分の左腕をペチペチと叩く。
「はい……斬られました」
あの黒騎士に踏みつけられて、鼻と前歯が折れていました」
そう言って、鼻をさわり、頬を引っ張る。
「はひ……おれまひた」
「私はソージさんの無茶によって救われました。
だから、ソージさんに戦いを止めろとは言いません」
「はい……心配かけてすみません」
ひたすら平謝りモードで頭を下げる。
「止めろとは言いません。……だから、もっと周りを頼ってください。
私も、アンナさんも、エルさんも……ソージさんの為なら命を懸ける覚悟はあります。
……そうですよね?」
そう言うと、リゼットはアンナに向かって視線を向ける。
その目はマジだった。
「お、おう!!」
「ボクも、ボクも!!」
リゼットの視線に、アンナはびくりと肩を震わせ、
逆に名前が上がらなかったカグヤは、手を上げて自己主張する。
「……カグヤさんは、駄目です。
ソージさんと同じで……目を離すと死でそうなので……」
「がーん、ボクはリゼットさんにそんな風に思われてたんだ……」
カグヤはがくりと、うなだれる。
そんなカグヤに構わずに、リゼットは自分の目を正面から見据える。
「……そういう訳で、もっと私達を頼って下さい。
それとも私達は、ソージさんにとって邪魔ですか?」
「いや、そうではないが……実際、マルクとの戦いでも助けて貰ったばかりだ。
ただ……出来ればリゼット達を危険な目に合わせたくはない」
今回のリゼットはいつも以上に、こちらに踏み込んでくる。
もちろん、リゼットの言ってることは分かるし、自分も逆の立場なら同じことを言うのだろう。
「……それで、ソージさんだけが危険な目にあって、死んで……
私達だけ生き残ってどうなると言うのですか?
私はソージさんのために死ねると、そう言ったはずです。
……私はソージさんが死んだら、死にますよ」
リゼットの目は笑っていない。
冗談で『死にたい』と言う人はいるが、彼女の場合は絶対に違う。
彼女には絶対にそうするだろうという凄みがある。
なぜ、そうなるのか。
考えてみれば、いや、考える必要もなく分かっていたはずだ。
リゼットにはもう帰る場所も、待っている人も、もういない。
だからこそ、彼女は迷わず実行するだろう。
元より奴隷の少女、それを自分が買い取って妻にしたのだった。
ああ、そうか……リゼットは自分の『妻』だったか。
忘れていた訳ではない。
リゼットとはブルード鉱山の事件以来、ずっと一緒にいたし、
彼女のことは大事だと思っている。
しかし、その関係を夫婦かと言えば、そうではないだろう。
正直に言えば、自分はリゼットが自分のことをどう思っているのか、よく分かっていない。
「……」
言葉に詰まる自分に対して、リゼットは言う。
「もしかしたら、ソージさんにとって……
私はまだ、可哀想なエルフの娘……なのかもしれません。
ですが、私は、違いますよ……私はソージさんの妻で、あなたがどういう人間なのか、知っています。
だから、必要なら『このような』手段も、使います」
つまり、リゼットは彼女自身を人質にして自分を脅迫しているのだ。
お前が死ねば、私も死ぬぞ、さあ、どうするんだと自分に選択を迫っている。
当然、自分がリゼットを見捨てるという手段に出れないことを知っての上でだ。
「……まったく、女は怖い。
分かった。頼らないといけないところは頼る、それで良いだろう」
「もっと頼ってくれても……良いのですよ」
「それでも、最初から最後まで頼るのはな……
リゼットが女の武器を使うというのなら、こちらも男の武器を使わせてもらうぞ。
こんなプライドとか名誉とかクソ喰らえと思っているような男にもな……意地があるんだよ」
「はい、良くも悪くもその意地が、ソージさんですから」
そう言うと、リゼットは微笑んだ。
「むむむ……」
なんかリゼットに綺麗に丸め込まれた気がする。
そんな風に思っていると、ふとアンナとカグヤがニヤニヤと見ているのに気付く。
「ふっ……あたし達のことは気にせずに続けるが良い」
「かー、辛いわー!!
目の前で喧嘩し出したかと思ったら、イチャつき始めて辛いわー!!」
「よし、俺は皆を頼ることにしたぞ!!
だから、お前ら二人で邪教徒をぶっ殺してこい。今すぐにだ!!」
『Boooo!!』
自分の言葉に二人は親指を下に向けて、ブーイングをする。
ったく、仲が良いなお前ら。
そんな風に騒いでいると、その騒ぎよりもより一層大きな声が西部地区の城壁に響く。
「ははは!!新たなドラゴンスレイヤー、俺、ここに参上!!
何だお前ら、余裕だな!!
まあ、オレも超余裕だったけどな!!」
そう言って、ドヤ顔のレオンは彼の聖騎士団の副団長に肩を支えて貰っていた。
どうやら、彼は自分ひとりで立っていられないほどの怪我を負っているようだ。
装備している聖騎士の装備も、傷つきボロボロであった。
「って、レオン!!
大丈夫か、回復は必要か!!」
「いえ、お構いなく総大将殿。
団長がいつもご迷惑をお掛けしています。
それはともかく、アンデッド・ドラゴンの討伐成功しました。
怪我人は10名、死者ゼロ、我々の勝利です!!」
『おおお!!』
その報告に城壁に詰めていた兵士達も、まるで自分達のことのように歓声を上げる。
「ふぅ……一時はどうなることかと思いましたが、何とかなりましたね。
ああ、ソージ。いえ、総大将殿。
巨人の突撃と同時に、こちらに押し寄せていたアンデッドの軍団も殲滅は完了しています」
やや疲れた顔であるが、シモンもきっちりと仕事をこなしていた。
「よし、これで敵の攻撃は凌ぎきったか」
自分も胸をなでおろす。
城壁の外の特大巨人とアンデッド軍団、街の中に放り込まれたアンデッドの戦士達、
アンデッドドラゴン、堕ちた聖騎士『マルク』。
犠牲は出てしまったが、それでもこの同時攻撃を凌ぎ切ったことは大きいはずだ。
そんな自分に、新たに声がかかる。
「おや、皆さんおそろいで何やら良いことがあった様子。
ちょっと乗り遅れちゃいましたか?」
そこには、地下水道の守りを任せていたエルの姿があった。
「エル、どうしたんだ?」
「いえ、ご主人様の読み通り、地下水道にはゴーレムと冒険者の襲撃がありました。
これに対し、当初の予定通りブラックファングが迎撃に当たり、無事撃退完了しましたので、そのご報告を」
「そうか、被害は?」
「損害は軽微、死者はいません。
もちろん六重聖域にも被害無し。
それとご主人様の言いつけ通り、捕虜の確保も出来ています」
「おお、パーフェクトだエル!!
さすがブラックファングと言ったところか」
その言葉に、エルは薄い胸を張ると尻尾をブンブン振りながら答える。
「ふふん!!
まあ、我等の本拠地での戦いですし!
当然の結果という奴ですね!!
私も捕虜を3人ほど捕まえましたよ!!」
「おお、それはすごいな」
「ふふん!!」
エルはさらに仰け反らんばかりに胸を張る。
まあ、何はともあれ皆が無事だったのは何よりだ。
「……とは言え、喜んでばかりも居られない。
まだ、ラスボスが残っている」
サフィア河近くにある敵の本陣に視線を向ける。
一連の事件の主犯であり、自分と同じフラグメントワールドのキャラクター、
レベル99の純粋神官『量産型救世主1号』の身体を乗っ取った邪竜使い『エミール』。
奴の二つ名である邪竜は倒した。
それ以外の、考えうる障害についても、おおよそ排除したはずだ。
それでもまだ敵は撤退せずにそこにいる。
敵の本陣に陣取っていたアンデッド軍団もその数を大幅に減らしていた。
その数500、いや100もいないのではないのか?
その状況においても、なお撤退の動きはない。
もっともモンスタークリスタルを使えば、モンスターは補充できる。
見た目の数には騙されてはいけない。
しかしそれでも、モンスタークリスタルの多くは、
アンデッドドラゴンから投下された分で、ほとんど使っているはずだ。
少なくとも自分ならそうする。戦力を小出しにする必要はないのだから。
おそらく残りのモンスタークリスタルの数は、多くてもアイテムフォルダに収納できる999体までだろう。
約1000体はまだ多いが、それでも最初は1万体から始まった敵の戦力を、1日で10分の1に出来たことは大きい。
普通の軍隊では3割の喪失で組織的な行動不能、つまり『全滅』となるが……
敵本陣に撤退の動きはない。
そして今は『夜』……アンデッドの時間だ。
撤退しない以上、まだエミールはやる気だ。
だが、ここから逆転できる策がまだあるというのか……
『PM 5:30 アウイン西部地区城壁』
日は完全に沈み、空には月と星が輝く。
逢魔時は終わり、アンデッド達の時間である夜がやってきた。
同時に敵の本陣が移動を開始した。
エミールは残り100体程度のアンデッドを引きつれ、ただ真っ直ぐ前進する。
……何を考えている?
「まあ、いい。
敵が何を考えていようとも、やることは変わらない。
十分に注意して、油断せずに迎え撃つ。
魔術師隊、攻撃!!弓兵隊も続け!!」
『おおお!!』
こちらの兵士の体力はまだ持っている。
防衛戦の唯一と言って良い利点は、ここには強固な防御壁があり、十分な補給物資があり、彼らの家族も居るということ。
交代で休息を取れるし、負ければ後はないので士気も高い。
こちらの射程に入ってきた邪教徒の一団に一斉に魔法や弓が降り注ぐ。
それはさならがら、暴風の如し。
しかし……
『報告!!敵は無傷です!!
敵の魔法障壁に阻まれて、こちらの攻撃が通りません!!』
その報告通り、敵の邪教徒の障壁はこちらの攻撃をすべて弾き返し、何食わぬ顔で敵は前進を続けている。
「これは……そうか、レベル差か!!」
邪教徒エミールのレベルは99。さらに支援魔法のスペシャリストである純粋な神官職。
その圧倒的なレベルと魔力によって作られる障壁は、こちらの攻撃の一切を通さない。
エミールのレベル99に対して、この城壁の兵士達のレベルは30~40程度。
そのレベル差は50以上にもなる。
MMORPGにおいて、10レベルの差は戦術で覆すことが出来る。
しかし、20レベルの差にもなれば、余程相手が下手でなければまず勝てない。
レベル50の差では、もう絶望的だ。
仮に魔法障壁を使わずに、素で攻撃を受けたとしても大したダメージは与えられないだろう。
「そうか……そうだな……簡単なこと、だったのか……
レベル99という絶対的なレベル差、それだけで良かったのか……」
無論、この世界には急所による致命的な一撃は防御を貫通してダメージが入る。
だから、自分はレベル99のアリスに勝つことが出来た。
だが、逆に言えば急所をしっかりと守り通すことが出来るのなら、正面から押し通るのが最も効率的だ。
相手は単なる貴族の娘だったアリスではない。
これまで裏で暗躍し続けてきた百戦錬磨の邪教徒エミールだ。
それが出来る自信と実力があるのだろう。だが――
「……舐められたものだな。
ああそうだ。俺のレベルは、たかが76。
その差は20レベル以上もある。
だが、同じくレベル76のカグヤも居るし、リゼットやアンナ、エル達もいる。
20レベルの差は、倒せないレベル差ではない」
そもそも、この世界はMMORPGであるフラグメントワールドを基にした世界。
そして、MMORPGは協力プレイが前提のゲームだ。
一人で倒せない相手も、皆で力を合わせれば良い。
「まあ、それでもレベル99が脅威であることに変わりはない。
……ここが勝負どころだな。
カグヤ、最悪の場合は……分かっているな」
カグヤの中にある膨大な魔力を暴走させて、敵諸共吹き飛ばす。
絶対に邪教徒に勝たせてはいけない以上、最悪の場合はそれを実行しなければならない。
しかし、カグヤはそれが当然だと頷いた。
「もちろん、それがボクの使命だし、お父さんを恨んだりはしないよ。
というか、ボク一人で行ってこようか?」
「馬鹿を言うな。
この戦いの目標は、一人の犠牲ではなく、全員で戦い、そして勝つことだ。
奥の手は使わないなら、それに越したことはない」
「まあ、ボクも出来れば死にたくはないしね。
じゃあ、行こうかお父さん」
「ああ……だが、その前に」
リゼット、アンナ、エル、彼女達の前に歩み出る。
「俺とカグヤはこれから邪教徒エミールに対して、直接戦闘を挑む。
……それで……えーと……最悪、死ぬことになるかもしれないが……皆の力が必要だ。
……頼っても……いいんだよな」
自分の意地など、この状況において何の価値もない。
自分とカグヤだけでエミールに戦いを挑むのは……正直言って不安が残る。
自分が先程言った通り、勝ちを目指すのならリゼット達の力が必要だ。
彼女達を外すなどあり得ない。
だが……最悪、負けた場合は彼女達を巻き込んでの自爆となる。
それでも、リゼットは微笑んだ。
「はい、それで良いのだと、私は思います」
「そうそう。ていうか、そこは『黙って俺について来い!』だろー」
「そうです。例え地獄の果てまでも、お供しますよご主人様!!」
非常に情けない、打算にまみれた考えではあったが、彼女達は着いてきてくれる。
ならば、こちらも腹を括って行くしかない。
「よし、じゃあ行くぞ!!
シモンとレオンはここから指揮を頼む。具体的な指示内容は任せる。
なんか良い感じにやってくれ」
「は、随分適当な指示だな。だが、それで良い!
ここは俺らに任せて、お前らはお前らのことだけ考えていればいいんだ!!」
「そうですね。後のことは僕達にお任せください」
レオンとシモンは力強く頷いた。
だが、彼らに見送られ決戦に向けて動き出そうとした直後。
邪教徒エミールは杖を掲げ、何かしらの呪文を唱えた。
その瞬間――
――世界は月の光も届かぬ、闇に包まれた。
次話からラスボス、邪竜使い『エミール』戦になります。