1話 はじまり
「そろそろ覚悟を決めないと行けないか……」
この世界に飛ばされてから1ヶ月が過ぎた。
寝て起きたら夢だったということもなく、
神様や黒幕が出て来るようなこともなく、
この世界に来ることになった原因も、
元の世界に戻る方法も分からない。
「はぁ……フィールドのボスを撃破したが……
何のイベントも無し、か……」
辺りを見回すが、視界に写るのは一面に広がる森林のみ。
人の手が入っていない天然の森林は、無秩序に木々が生えており、
昼間でも薄暗い。
ゲームだった頃は、ボスを撃破すると効果音と共にエフェクトが表示されていたのだが……
今は特に変化はなく、暗い森が広がるばかり。
うんざりとした思いを抱きつつ、足元に視線を移す。
そこにあるのはこの森林の主であったモンスターの死体。
フィールドボスとしては序盤で戦えるモンスター。
レベル30の『迷いの森のゴブリンキング』である。
丸々と太った巨体を持ち、魔法は一切使わず、力任せに斧を振り回すだけのモンスターであるが、フィールドボスというだけあって、体力・攻撃力・防御力は中々に高い。
プレイヤーのレベルが30の場合5人パーティで挑むような敵だが、
残念ながら自分にはパーティを組めるような伝手は無かったため、ソロで撃破した。
まあ、ソロと言っても自分のレベル72であり、装備もレベル相応に揃えてある。
レベル差と装備の差があれば強引に押し切ることも可能であり、
実際そうやって勝ちを得た。
ゲームであった頃、倒した敵は一瞬にして姿を消し、
代わりにドロップ品が現れていた。
しかし今では一向に消える気配はなく、
それどころか、切り裂かれた手足からは血が流れ出ており、
辺りに錆びた鉄のような匂いが立ち込めている。
当然ながらドロップ品も現れない。
「まあ、望みが薄いとは思っていたが……」
レアドロップがあるわけでもなく、
フィールドボスである以上の価値はない敵だが、
それでも他のモンスターとは明確に区分されるフィールドボスである。
倒せば何か無いかと思ったんだが……何もない。
「これからどうするか……」
この世界に来てから、自分に思いつく限り異世界脱出の方法を試してきた。
ゲームの頃にあったイベントを起こしてみたり、
街中のあらゆるオブジェクトを調べてみたり、
街の人に片っ端から話しかけてみたり、
酒場や図書館、冒険者ギルド……
その他、情報が得られそうなところは思いつく限り当たってみたが成果なし。
この1ヶ月の間で寝食を削ってまで
調査を行ったが、結局取っ掛かりすら見つからなかった。
もちろんまだ試していないことなど幾らでもあるが、
いい加減に疲れてしまった。
「ふぅ……」
よろよろと適当な切り株に腰を下ろす。
休憩の体制を取るとHPとMPの回復が始まる。
ゴブリンとの戦闘で生じた小さな切り傷程度なら、
座っているだけで塞がっていく。
座っているだけで回復するのは便利だとは言え、
今の自分がはっきりと常人ではないと認識させられ、
憂鬱な気分になる。
「どうしてこうなった……」
ぽつりとそんな問が口から出るが、
その問に答えてくれる者は居なかった。
それは1ヶ月程前の話である。
「では、お先に失礼します」
「おう武井、お疲れさん」
上司に挨拶をして、会社から退出する。
そう、1ヶ月前までは、自分こと武井宗次 28歳独身は、
ただの職業プログラマーとして過ごしていた。
あの日は、企画から1年というそこそこ大きなプロジェクトが
どうにか一段落し、久しぶりに定時で帰ることができた。
「おお、外がまだ明るい」
そんな小さな事に感動しつつ、上機嫌で帰路に着いたことを覚えている。
まあ、それも無理は無い。
納期前の1周間はほとんど会社に缶詰状態であり、
帰宅出来たとしても日付が変わってからであったからだ。
「まあ、そんな日々とは今日でおさらばだ」
あの時、俺は3日間有給を取り、土日を含めれば5連休という状況にあった。
「久しぶりにがっつりとゲームが出来るな」
俺の趣味はゲームである。
大学までは筋金入りのゲーマーだったが、
社会人になると、纏まった時間を確保することが難しく、
今では手軽にできる携帯機のゲームしかしていない。
手軽にできるゲームも嫌いではないが、
どっしりと腰を据えて行うゲームのほうが好みである。
そのため、この連休は久々にじっくりとゲームを楽しもうと思ったのだ。
そして、そのゲームに選んだのは、
MMORPG『フラグメントワールド』である。
MMORPG『フラグメントワールド』
剣と魔法のファンタジー世界を舞台にした大手のMMORPGであり、
日本だけではなく世界中でプレイされている。
このゲームは世界観を売りにしており、
作りこまれたグラフィックは現実とほぼ変わらないレベルであり、
歩きまわるだけでも十分に面白い。
また、グラフィック以外にも、このゲームの売りに高い自由度があった。
スキルを取得することで、牧場を経営したり、
食材を集めて料理人プレイをしたりと、
ただモンスターと戦う以外にも色々な楽しみ方があったのだ。
俺は大学時代からコツコツとこのゲームをプレイしていたが、
就職と同時に半ば引退していた。
そんな状況で再びフラグメントワールドをプレイしようと思ったのは、
1周間前に大型のアップデートがあったからだ。
アカウントはまだ残っているし、タイミングもちょうど良かった。
ネタバレ回避のため詳細情報は調べていなかったが、
5日間もあれば十分に楽しむことはできるだろうと、そう考えたのだ。
「よし、帰宅っと」
帰宅すると早速パソコンを起動させる。
「昨日は徹夜だったし、一度寝るべきか……
いや、今はむしろ眠気はないな。
まあ、寝落ち上等だ、やろう」
フラグメントワールドのアイコンをクリックする。
アップデートだけはもう済ませてあるため、
スムーズにゲームは起動した。
本来ならここでオープニングムービーが始まる。
フラグメントワールドは大規模なアップデートの度に、
このムービーが変更されている。
今回はどんなものかと、ワクワクしていたのだが……
「え……何、だ……これ……」
気が付くとそこは自分の部屋ではなく、見知らぬ街の中に居たのだった。
石畳の地面にレンガ造りの建物。
電線も自動販売機もない、古い街並みが広がっていた。
さらに街の人々もどう見ても日本人ではなかった。
赤や青といった髪や瞳を持つ者……
それだけではない。
尖った耳を持った者や、頭から角を生やした者、
尻から尻尾が生えている者もいた。
「……もしかして……
ここは、フラグメントワールド、なのか?」
この世界がフラグメントワールドに酷似した世界であると言うことは、
すぐに分かった。
目の前にメニュー画面が現れ、そこには自分のキャラクターのステータスが映し出されていた。
Lv72
名前:ソージ
種族:ヒューマン
職業:聖騎士
メイン職業:戦士
サブ職業:神官
HP:652
MP:304
メニュー画面にはステータス以外にもアイテムや魔法のタブが有り、
それを選択することでアイテムや魔法が普通に使用できた。
しかし、メニューからはログアウトやコンフィグのタブが消えており、
完全に同じでという訳では無かった。
「ログアウトのタブがないということは……
……戻れないのか? この世界から……」
異世界に召喚されて無双する、そんな妄想をしたことはあるが、
あれは妄想だから良いのだ。
この世界には両親も友人も居ない。
それだけではない、必死に勉強して大学に入り、
就職難の中、苦労して就職したのだ。
その職場で仕事にも慣れ、
大変ではあるが面白くもなってきたところだった。
別にリア充では無かったし、恋人も居ない。
だが、元の世界には28年間築き上げた思い出と成果があった。
それは容易に捨てられるようなものでは無い。
徹夜明けの頭が悲鳴を上げ、
がっくりと崩れ落ちそうになる。
「……って、諦めるには早いだろうが!」
パシンと両頬を叩き、気合を入れて持ち直すと、
現実世界に戻る方法を探すために調査を開始したのだった。
「そうして、今に至るわけだが……」
休憩によって体力は回復したが、腹からぐぅと音が鳴る。
「腹減った……」
ゲームとの差異はここにもある。
この世界では現実と同じように腹が減るし、夜になると眠くなる。
メニュー画面からアイテムタブを選択。
さらに食料タブからサンドイッチと紅茶を選択すると、
サンドイッチと瓶に入った紅茶が現れる。
それを食べながら、今後のことを考える。
現実世界に帰ることを諦めたわけではないが、
簡単には帰れないということも理解した。
この身体はチートだが、腹は減るし睡眠も必要だ。
衣食住を無視して、いつまでも活動し続けることは出来ない。
引き続き現実世界に帰る方法を探すにせよ、諦めてこの世界に居残るにせよ、
生活の基盤を構築する必要があった。
「……仕方がない。一度街に戻ろう」
サンドイッチを食べ終えると重い腰を上げる。
そろそろ、異臭がきつくなり始めたモンスターの死体から、
戦利品をかき集めると森を後にした。