いつかの記憶-???-
いつかの誰かの記憶。
完全にくるところを間違えたな、と思った。
求職中に偶然見つけた破格の求人広告。あの時疑えばよかったと、あとから思ってももう遅い。
度重なるお祈りに心も身体も疲弊していた。だからこんな、すぐにおかしいと気づけるはずのことにも気づかなかったんだ。
就職面接だと思って向かった場所には、明らかにカタギじゃない方が座っていた。
「どうぞ気を楽にしてください。……なんて、やめやめ、こんな堅苦しいの。僕の柄じゃない。ちょっとゲームでもしようか」
目の前でふんぞり返った強面の男は、私の顔を見てすうっと目を細めた。
悪い目つきがますます悪くなる。とても怖い。いったいどんな恐ろしいゲームを始めるつもりなのか。拷問紛いのことをされたら堪えられない自信があるぞ。
「え、は……? な、なんのゲームですか……?」
「さあ、なんだろう。君はどんなジャンルが得意かな?」
そう言って立ち上がった男は私に隣室に行くように促した。
恐る恐るそちらに向かうと、そこは立派なシアタールームだった。
大きなスクリーンには私がいつもお世話になっているゲームブランドのロゴ。
映画館のようなふかふかのリクライニングチェアが数台ある横には、無線のコントローラーがあった。
――つまり、そういうことである。
薄暗い部屋の中、男の虹彩が日本人とは違うことにようやく気づけた。
どんな修羅場をくぐり抜けてきたのか、顔中にできた傷跡。
彫りが深く鋭い眼光。
酷薄そうに歪んだ唇。
不思議な色の虹彩。
そのどれもが見る者に恐怖心を植え付けているのに、私はこの状況で彼を恐ろしいとは思えなくなった。
「ロールプレイングゲームでいいかい?」
そう言ってぎゅっと目を細める彼が悪い人であるはずがないと、確かに私はそう思ったのだ。
きっとこの人はこの外見で苦労している。
ゲームを用意する背中からは少年のような無邪気さしか感じられないのに、あの顔だけで全てが恐怖に染まる。
人とまともに会話できるだけで楽しいといった様子に、私は思わずにやけてしまった。
タイミングよく振り返った彼がそれを見て固まる。
そしてじわじわと時間をかけて赤面するのを見守りながら、ああ、この人はなんて可愛いのだろうと、心に温かいものが広がった。
私は可もなく不可もない、至って平凡な女だった。
偏差値も運動神経も、芸術センスも性格も何もかも平均的な普通の女だった。
金持ちでも貧乏でもない家に生まれて、虐げられることもなく、かといって祭り上げられることもなく、外見も周囲に簡単に溶け込んでしまうようなぱっとしないものだった。
そんな私が就職活動の末に踏み込んだ先は、魔王城だった。
今どき流行りの異世界転移ではない。これは比喩的な表現だ。
魔王の名前は***。
この業界では知らない人がいない、超大物だ。
彼は就職面接とは言い難いアレで大層私を気に入ったらしく、そのまますぐに正社員になれた。
社長自ら面接とは、今思えば私はなんて失礼なことをしたのだろうとヒヤッとする。
私は社長秘書としてこの魔王城に勤めることになった。
社長はかなりの傑物だが、身体的に難があって、常人とはできることが違う。
一秒間に三桁の数字を沢山見せるとすぐに足した答えを言ってみせるのに、人の顔を見分けられない。
目隠しをしても反響音だけで障害物を避けてみせるのに、人混みで話しかけると気づいてもらえない。
写実的な絵を簡単に描いてみせるのに、利き手で書いても足で書いたようなガタガタの文字を書く。
そんな彼が社長として生きていけるようにアシストするのが私の役目だ。
社長は毎日私に感謝の言葉をくれた。
彼は子供のようなワンマンさの中にもちゃんと優しさと礼儀がある、一本芯が通った男だ。
――そして、社長は徐々に私との距離を詰めてきた。
一年二年と年を重ねていくうちに、私との彼の関係は、社長と秘書という言葉だけでは言い表せないものになっていった。
いくつもの夜を共にして、彼が何に怯え、何に傷つけられ、どうなってしまったのかを知った。
顔だけだと思った傷跡は、全身にびっしりとあった。
怖くはなかった。
ただ、悲しかった。平気なふりして笑う彼が、とても可哀想だった。
「僕は君といる間だけ、可哀想じゃなくなるんだ」
ベッドで掌を重ねて、彼はそう言った。
「だって僕の“可哀想”はみんな君に移っちゃうから……。僕なんかに好かれて、可哀想。幸せな未来が潰されて、可哀想」
彼は全て諦めたように、微笑んだ。
彼が言いたいことはわかる。でも私はそれでも彼と一生添い遂げることを不幸だとは思わなかった。