ゆうべはおたのしみでしたね-天使#1-
ぬくぬくのお布団で時間も気にせず惰眠を貪る。これ以上の贅沢がこの世にあるのでしょうか。
スプリングの効いたベッド。厚みのあるマットレスに、どこまでも柔らかく身体を包み込む敷布団。
触り心地の良い毛布。柔らかくて軽い、保温性に優れた羽毛布団。
首の形に合った低反発の枕には、パイル地のカバー。
程よい湿度と温度、気圧。心を落ち着かせるアロマに、間接照明だけの薄暗い室内。うっすらかかっているのはクラシックでしょうか。
……そのどれもが私に上質な眠りを提供していました。
――ええ、はい。それはもう今から数時間前から。
昨日彰人さんと旭斗さんにドナドナされた私は、自宅へ帰ることなど許されず、あれよあれよと言う間に井上さんちの子になりました。
……同居、いや、同棲ですね。私は旭斗さんと結婚しているので当たり前ですが。
生身の頃はともかく、この世界では浮気や離縁は死を意味します。命を担保に強力な力を得る行為なのです。こういうと利害の一致で契約結婚する方がいそうですが、愛し合うことが条件なのです。
愛し合うもの同士が命をかけて契約することで属性を得ることができる。それがこの世界の結婚です。
属性攻撃ができるようになるためには結婚が必要不可欠なのに、既婚者はあまりいません。
それは男がこの契約を守れないからです。
浮気をすれば死亡という一文に尻込みする男が大半で、いくらメリットがあってもやろうとは思わないそうなのです。
……それなのに旭斗さんは私と結婚しました。しかも最も値が張る最上級の石――属性宝石で。
これがどういうことか、わからない私ではありません。
――つまり、旭斗さんは浮気どころか他の女はそもそも眼中にないぜ! ということなのです。病むほど私を愛しているのです。一般的なヤンデレとは違い、監禁などの危害を加える様子はありませんが、カレーに血ぐらいは入っていそうです。セーターに髪の毛が入っていそうです。
――あと、あまり明るい時間帯にこういうことを言いたくはないのですが、ゆうべのおたのしみがアレがソレで滅茶苦茶激しくて蛇みたいにしつこくて、壊れるほど愛されてしまいました。これで三分の一も伝わっていないなんて嘘です。
今、私の目の前に横たわっているのはビスクドールです。マネキンです。高性能抱き枕です。
……決して昨晩私をヒイヒイ言わせた男ではありません。そう信じていればこの状況も怖くありません。
こんな神格化されそうな美しい生き物が、あんなねちっこい意地悪をするはずがありません。
お布団に入る前まではただの弱虫オカンだったのに、急に獰猛な肉食獣になるなんて詐欺です。
おかげで生身の頃の記憶が部分的にしか思い出せていないことを知りましたが、できれば違う方法で気づきたかったです。
倦怠感と全身の鈍痛で布団の付喪神と化している私は、旭斗さんと鼻先が引っ付く距離で寝るという拷問から抜け出せません。
ヒエエッ、か、顔が近い! お肌つるつる真っ白! 睫毛バッサバッサ! 相対的に私の粗が目立ってしまう!
痛む身体に鞭打ってなんとかベッドから離脱しようとしましたが、あと少しというところでおケツをがっつり掴まれて引き戻されました。
あ……ほんのり揉んでるこの人。
「あ、旭斗しゃぁん……!」
「ん、おはよう。回復魔法かけてやるから、好きなタイミングで起きていいぞ。……なんなら一日中こうしてるか?」
ハグからキスから囁きの三コンボ。ぐぎぎ……昨晩傷めた腰に響きます。
「お、起きますよぉ。うう……この季節のお布団のヌクモリティは抗い難き悪魔の囁きですぅうっ……」
旭斗さんは私の腰をすりすり撫でています。
痛みと重さが減っていくので、多分回復魔法なのでしょう。
お医者さんらしい特性だと思います。回復特化。
旭斗さんは元々お医者さんで、アバターもそれに合わせて衛生兵のポジションです。運営のジョブは特殊と書かれた部分をコロコロ変えることができるのですが、旭斗さんは回復担当のようです。
生身の時同様に体力と攻撃力、防御力はそこそこなのですが、魔力量と回復系魔法の種類が豊富なのです。
お医者さんの知識と力はそういうことに使って欲しいのです。決して昨晩のような“お医者さんごっこ”のために医師を志した訳ではないでしょうから……。
いや、本当に。
「――おはよう」
記憶がなかったぶん、久しぶりに彰人さんの目力を
感じます。彰人さんは彫りが深くて眉毛が凛々しくて、冷たい目は時々アサシンのようになります。
生身の頃とアバターの外見が変わらないのですが、なんで穏やかな目に変えなかったのか不思議です。
普段から意識して笑顔を振り撒いているようですが、時々素に戻ると滅茶苦茶怖いです。
「あ、あの……おそようございます」
私が恐る恐る挨拶をすると、彰人さんはニパッと笑顔に切り替えました。
「うん。沙蘭ちゃん無理してない? あいつならどんな我儘もきいてくれるだろうから、嫌いなやつを屠れとか、某国を制圧しろとか、自分のために国を作ってプレゼントしろとか言って良いんだよ?」
全てできる人から言われると洒落になりません。
私は慌てて否定しました。
「わ、我儘なんて言いませんよ! むしろ旭斗さんと一緒にいられるだけで贅沢なことです」
あんな、キラキラサラサラふわっふわの大天使ちゃんと同じ次元にいられるだなんて、なんという僥倖!
キリリと格好良くキメた時も、ふにゃりと萎れてうるうる涙目の時も、みんなみんな心がぴょんぴょんします。存在の全てが尊いです。生まれてきてくれてありがとうございます!
「――だってよ。良かったね、旭斗」
「ほえっ!?」
私が鼻息荒く旭斗さんの良さを語っていると、いつの間にか背後にご本人がいました。
お恥ずかしい。
「……なんつうか、照れるな」
旭斗さんはお返しとばかりに同じテンションで私を褒めました。
旭斗さんの気持ちが良くわかりました。滅茶苦茶恥ずかしいですね、これ。
「こんだけお互い好きあってるのにラブラブっぽさがないのも不思議だね」
「彰人さんはまだお嫁さんを見つけていないのですか?」
私の質問に彰人さんは少しだけ顔を歪めて、またすぐに人を食ったような笑顔に戻りました。
失言だったのかもしれません。
「……まだだよ。沙蘭ちゃんが初めて。だから焦ってるんだ」
彰人さんは私にもわかるようにポップアップ画面を出して見せてくれました。
そこには運営としてこの世界にアバターを作ったメンバーの名前と天使ナンバーと呼ばれる運営を示すコードネームが書かれていました。
今はリーダーである彰人さんと、#0の旭斗さん。それから#1の私だけしかそろっていません。
私達の名前の横には仲間に戻ったことを表すように羽根のマークがついていました。
私の名前の横には注釈がついていて、“記憶が曖昧”と書かれています。
うう、思い出せなくてすみません。
「他のメンバーを探すのは大変そうですね」
「いや、これから限定イベントを何度か繰り返してランキング上位者を当たってみるよ。アバターや名前は知っているから、どこにいるのかさえわかればこっちのもんだ」
そういえば私達はゲーム大会で各部門の首位を獲得したという理由でこのプロジェクトに呼ばれたのでした。
ということは彼らが得意とするゲームでランキングイベントを行えば必ず上位に食い込むはずです。
ちなみに私が得意なのは恋愛ゲーム。相手や主人公の性別に関係なく、相手からの好意を手に入れるゲームが得意なのです。
……もちろん、お子様お断りのゲームだってバッチコイです。
彰人さんはリズムゲーム、旭斗さんはパズルゲームが得意です。
世界大会でぶっちぎりの一位を取るくらい得意です。
彰人さんは基本どんなゲームでも難なくやってのけます。
身体を動かすゲームも、頭を使うゲームも、それ以外も、簡単にクリアしてしまうのです。
勉強ができて運動ができて、仕事ができてお金持ちで、外見が格好良い。そんな彰人さんは一周して逆に女の子にモテません。
遠慮されているのです。かくいう私も面倒だと思います。
彰人さんはそもそも過去に色々あって性格がひねくれているので、女の子を好きでいながら、避けているのです。
いつも人付き合いでは一線を引いている彰人さんが、唯一心から愛した相手というのが愛歌さんです。
もちろん私達も仲間なのでそれ相応の信頼を得ているのですが、恋愛ともなれば別です。
彰人さんのたったひとりの運命の人は一体どこにいるのでしょうか。
――
G井上彰人○
0井上旭斗○
1山口沙蘭○(記憶が曖昧)
2松本彩弥香
3黒木弘太
4渡部沙希
5佐藤功貴
6古賀連
7天本仁
8山下聡也
9後藤紗季乃
M石田愛歌
――
彰人さんの端末は運営専用です。勿論旭斗さんも旭斗さんに合わせたそれを持っています。しかし私の端末は一般人用ではないのですが運営用でもありません。
私がそれを言うと、彰人さんはいろいろな機械をいじって私の端末を最新式の運営用に変えてしまいました。
「使い方はわかるよね。もし面倒なこととか、やりにくいことがあったら、遠慮なく僕に言うんだよ」
この世界にログインするための必須アイテムである端末は、個人を識別するため、運営が管理しやすくするため、お金やその他権利を管理するために存在します。
ギルド登録や武器の購入などに役立つほか、IT創世期に使われていたという“携帯”や“パソコン”のような役割も担っています。
両手首と首にそれぞれ巻き付いていて、持ち主の意思に合わせて自由に操作することができます。
情報を取り出す時はホログラム画面がポップアップして、場所を取らずに色んな人に見せることができます。
彰人さんは私の端末を最新式に変えたあと、運営として必要なデータを私の端末にダウンロードさせました。
「ところで、なんで天使なんですか?」
「出典は明らかじゃないけれど、大昔から何かの物語を創ったり、世界を創ったりした人物のことを神と呼ぶらしいんだ。だからこの世界では僕がその“神”ということになる。そしてその部下にあたる君達のことは天使って呼ぼうと思ったんだ。可愛いし大切だし」
新しい端末に入っていた装備セットに、天使をモチーフにした衣装がありました。
どちらかというとアイドルに近いものでしたが、まあ“偶像”ですし、間違いではないですよね……。
ちなみに私はこの年齢でこんなにきゃぴきゃぴした格好をしたくはありませんがね……。