期限切れのシンデレラ-天使#1-
天使#1、山口沙蘭。
激務でカサついた指にそっと差し込まれるルビー。
その真意を尋ねるべく相手を見ると、わかるだろ? とでも言いたげな瞳にぶつかった。
「――沙蘭、結婚しよう。一生大事にする」
私がこくりと頷くと、その端正な顔をくしゃりと歪めて男が泣いた。
滲む視界の中、私は彼の美貌をしっかりと目に焼き付け――
「んぬぉうっ!? ――ま、またあの夢ですか……」
私、山口沙蘭二十四歳独身は、薄汚い煎餅蒲団から飛び起きました。
この二十四年間、異性どころか同性とすらまともに仲良くなれず、そのコミュ力の低さからか、就職にも失敗。ほぼ毎日奴隷のような労働環境でアルバイトをしています。
この世界でジョブなしはまともな扱いを受けません。
一応双剣のスキルは習得したのですが、ハンターにもソルジャーにもなれず、かといって受付嬢にもなれなかったのです。
おかげで始まりの街でNPCに混じって一定の動作をするだけの安い仕事しか残っておらず、こうしてあくせく働いているのです。
「ああっ!? もうこんな時間です! このままだと遅刻してしまいます」
私は慌てて支度をしました。今日は午前からなのです。やっと巡り合えたお仕事なのに、簡単にクビになる訳にはいきません。
――急いで支度をしている間、ふと思いました。
なぜ私はぼっちなのでしょう。なぜジョブを手に入れられなかったのでしょう。
いくら落ちこぼれでも、必ず何かのジョブが見つかります。
凄いかどうかで比べることはあれど、無職はまずいません。
無職っぽい人は“流浪人”だとか“遊び人”だとかそういったジョブ名になります。
しかし私はそれすらつきませんでした。
これはバグなのでしょうか。
――それとも、誰かが狙ってやったことなのでしょうか。
「仕事が終わってからでいいから、少し話がある」
私の手を掴んだ人は、決意を固めた目でそう言いました。
あと数分で今日の仕事が終わる……そんなタイミングで私はとても見目麗しいアバターの方に話しかけられたのです。
腰までのストレートロン毛。アルビノ。細長いつり目つり眉。中性的な蛇顔。目立つ犬歯。ガリヒョロの身体。病弱そうな白い肌。桜貝のような爪。低くて甘い声。俺様ヘタレな性格。
――性癖ビンゴなんですけど……!
いや、最後は完全に妄想なんですけど、それでも外見がドストライクなことには変わりありません。
なぜそんな好みドンピシャな男性が私を引き止めたのでしょうか。
理由が全くわからなくても、約束を果たさなければならないことだけは確かです。
私は終了時間になると急いで更衣室へ行きました。
しかしその更衣室で足止めをくらい、私はすぐに彼の元へと行けなかったのです。
「なんでアンタなんかがあのお方に呼び止められるのよ!」
「確かにそれは私も疑問です」
私が思った通りのことを言うと、ふざけんじゃないわよと相手が余計怒り狂いました。
「あのお方はねぇ、この世界の最高権力……“運営”の双璧なのよ! そんな方がただのバイトなんかに……なんで……!?」
私の頭は彼女の発したある単語に強く反応しました。
……運営……? うっ頭が……。
何かが頭の端にひっかかっているような、思い出せそうで思い出せない、そんな感覚。
今世ではただの一般人で、天下の運営様とは全く接点がありません。
勿論前世の記憶などというものはありません。普通、今世が始まる瞬間にデータの消去を行うのです。
……もしかしたら、何かのバグで消去漏れがあったのかもしれません。
だとしたら運営の方に話しかけられたのも納得です。バグによる間違いを正すために、私に接触したのでしょう。
きっと私のジョブが何をやっても空白なのも、バグでしょうし。
「私にバグが見つかったのでしょう。きっとそれを修正するために話しかけたんだと思います」
「な、なーんだ。そんなことだろうと思ったのよねぇ。アンタ、アラだらけだし」
ぐっ……自分でわかっていて改善できない欠点を指摘されるとやはり傷つきますね……。
でも安心したのか私を呼び止めた方々は私を解放してくださいました。
「す、すみません! 遅くなってしまいました」
私服に着替えたあと、私は急いで指定された場所に行きました。
性癖ドンピシャの彼は自分から呼び出しておいてとても驚いた顔で私を見ていました。
「……ああ、いや、こないかと思っていた。その、お前も一応女なんだし、男の呼び出しにこうもホイホイついてきてもらっちゃ困る。もっと警戒してくれ」
その方は少し離れた位置からそう忠告しました。貴方が呼び出したのでしょうと怒りたくなる気持ちもありますが、正論なので言い返せません。
この世界では男アバターと女アバターの数が違いすぎるのです。それによって多数決で世論が男に有利に傾いています。
現在は法により厳しく管理されていますが、それでも男アバターの中には未だに“相手が女アバターなら何をやっても罪にならない”と思い込んでいる人がいます。
運営さんがステータスやジョブ、属性やスキルなどといったものを外見に影響されない形にしたことで、現世に比べて男女の力の差はなくなったのですが、それでも性格はこの世界に登録する前のものとほぼ変わりません。よって力の弱さを隠すように高圧的に他人に接する男というものが巷に溢れました。
この運営さんはもしかしたらそういう男に意地悪なことをされるから気をつけろと言いたいのでしょうか。
「あ、お気遣いありがとうございます。その……運営さんは私にどんなお話があるのですか? もしかして、前世の記憶が消えていないバグのことですか?」
運営さんは今度はふたりともびっくりして立ち上がりました。その驚き様に私がびっくりしてしまいます。
「……な、お前……! もしかして思い出して……? いや、でも、“前世”ってことはかなり部分的に思い出している可能性が……」
ロン毛の運営さんは痛そうに頭を揉みました。
うんうん唸っています。
「沙蘭! お前のそのアバター、左手の薬指にルビーの指輪があるのがわかるか?」
運営さんが突然ガバッと顔を上げて私に尋ねました。
「はい。やっぱりこれ、ルビーだったんですね。火属性の最上級を持ち主に付与する……」
「そう。そして台座は俺と対になる。この意味がわかるか?」
そっと自らの左手を見せ、その薬指にはまったルビーに口づけながら、運営さんは不敵な笑みをこぼしました。
……ああ、この角度。最高に格好良いです。
「い、意味……ですか?」
うーんと私はチュートリアルである学校の記憶を探しました。
確か、属性付与の宝石を対になった指輪にするのは人生をかけた契約の魔具を作る時だけ……。つまり有り体に言えばペアリングは双方の合意のもとに行われる結婚の儀式にしか使わないのです。
つまりつまり、私とこの方がルビーのペアリングをしているということは……私達は結婚しているということです。
「わ、私は貴方とは初対面で……結婚したいだなんて思ったことがないのですが」
夫になる人が深く傷ついた顔をしていました。
なんだかその顔を見ているとこっちまで切なくなってきます。
「――そうか、お前は俺のこと、覚えてねぇんだよな。自分に前世がいくつあるのかもわかんねぇもんな。でも、俺は全部覚えている。初対面の時、お前はガサガサの肌で会社に寝泊まりしていたよな。俺が告白した時、お前は仕事を優先したよな。やっと両想いになれた時、お前は俺に“蛇みたいにしつこい”と言っていたよな。結婚してすぐ、お前は家事に疲れていたよな。――全部全部全部全部覚えているぞ……! やっと見つけた、もう離さない。お前に逃げられたくなくて、俺は何もかもを手にいれた。力も地位も権力も、金も顔も全て全て! お前の理想を全て叶えた。この世界では俺はお前から本気の愛を貰えると思っていたのに……バグなんて、そりゃないぜ……」
運営さんは美しかった瞳からハイライトが消え、狂ったように独りよがりな台詞を撒き散らしていました。
もうひとりの運営さんがそっと背後から彼を羽交い締めにしました。
「落ち着け! レディに不安を与える生き物にだけはなるな! いいか? お前の努力はお前のためだ。見返りを他のやつから求めるな。沙蘭ちゃんは被害者だろ。八つ当たりで女泣かせるようなやつに惚れる女はいない。嫌われたくないなら甲斐甲斐しく丁重に扱え」
優しい運営さんは、ヤンデレになった運営さんを大人しくさせたあと、何かを操作していました。各分野のトップしか使わない端末です。それのさらに最上級。
ダカダカと激しく手を動かして端末を操作した彼は、よし行こうと私にワープゾーンを被せました。
――ア、それ、地面に出す以外にも使えるんですね……。
気づいたら、私は知らない場所にいました。
沢山の機械と、それらが作動する音。
無機質なもの以外には私達しかいない。そんな場所でした。
「自己紹介がまだだったね。僕は井上彰人だ。この世界を作ったプロジェクトの現場総指揮兼、代表取締役社長……かな?」
「俺は井上旭斗。こいつの二歳下の弟で、現世では色々あって産業医をやっていた。……クソッ、なんでこんなこと」
旭斗さんは私に名乗ることを不服に思っているようです。
「――ふーん、“産業医”ねぇ」
彰人さんが意味深に呟きました。兄弟の職業を知らなかったなんてことはあり得ません。きっと、私には言えないことなのでしょう。
「いいだろ別に。元はそういう名目で来たんだから」
何も知らない私はただポカンとするしかありません。私に限らずこの世界のほぼ全員が前世以前の記憶を消されているのですから。
前世どころか、“生身”の世界のことなど最早神話のレベルです。
「えーっと、ゴホン。僕達は今、バグに巻き込まれているんだ。全部は言えないけれど、複数のバグで、それを運営として解決していかなければならない。でも、そのひとつが“運営の記憶がロストする”というものだから困っていたんだ。運営が記憶を失っているとそもそもバグを修正する手段がない。そこで僕達は場当たりでかつて運営だった人物を探していた」
「……つ、つまり、私がその記憶をなくした運営のひとりなのですね?」
世界に目を向ければ何も不都合なことなどないように見えるのですが、私にジョブが与えられないのはおかしいと思っていました。
それはバグだったのですね。
私がそのことを伝えると、ふたりは違うと言いました。
「それは運営は一般的な職業に就くことが禁止されているからだよ。本来なら君は運営として世界の監視とバグの修正、アップデートなどをする仕事をしなければならない。でも記憶がないせいでそれをしなかった。よって君は無職扱いなんだ」
ふたりは私に職業を開示してくれました。
ジョブの欄には確かに“運営・特殊”と書かれていました。
「記憶がないのは仕方ねぇ。だがなくても運営としてやっていける。お前にはバグ修正と仲間探しに付き合ってもらうぞ」
旭斗さんはそう言って私の腕を引っ張ると、そのまま手を握り込みました。
「ひょえっ!? あ、あの……旭斗さん?」
手をつかんだまま、社交ダンスでもするかのように私と密着した旭斗さん。
勿論私の心臓はバクバクです。
こんなに格好良くて何もかも完璧な殿方とハグなんて、フリーター行き遅れ女のすることではありません。
「いいから黙ってじっとしてろ。――しばらく、俺がこうしていたいんだ」
左耳に湿っぽい吐息がかかります。ぞわりとして、腰のあたりがなんだか落ち着かない気分になりました。
心臓は今までで一番速くビートを刻んでいます。
……これは私が得意な乙女ゲームとは違うのです。今までやってきたゲームは、所詮プログラムにより作られたイケメンです。しかし旭斗さんは動かしている“本体”がいます。
その本体がどんな方なのか、外見も年齢も性別も、何もかもが謎なのです。
私を騙すためにこういうことをやっているかもしれませんし、あとで金銭やそれ以上のものを要求されるかもしれません。
でも、私はそれでもいいやと思ってしまいました。
それは私の好みに合った人物だからでも、完璧なイケメンだからでもありません。
……なんだか、私を抱きしめる腕が不安におびえているようで、吐息に涙が混じるようで、抱きしめるというよりもすがっているように感じたからです。
それに、私はこの面倒臭い男を知っているような気がするのです。
何度もアバターを作り変える世界でこういうことを言うのはおかしいと思いますが、身体が覚えているのです。
“重圧に堪えられない”と無言で震える、弱虫で怖がりな男を。本当はこんな仕事をしたくないと、甘いお菓子を作って生きていたいと愚痴っていた、甘えん坊な男を。優しすぎて“あの計画”に最後まで反対していた男を。
「――もう、旭斗さんはいくつになっても甘えん坊さんですね。……“あの日”もこうやって私に抱きついて……抱きしめてやっていると言い訳して、すがって泣きじゃくって……二十八歳の男とは思えませんね」
私がそう言うと旭斗さんは真っ赤な目を見開いて、そこからぽろぽろと真珠を溢れさせていきました。
それはまるでふたりですごした甘い記憶のようで、宝石のような大切な時間をなぜ忘れてしまったのだろうと私は後悔の涙を流しました。
「俺は、お前にこのままでいいと言われて救われた。お前は俺の救世主だった。女神だった。でも反面、そんなお前に甘える訳にはいかないとも思った。男だからとか、大人だからとか、そういう理由じゃなくて、ちゃんと強くなってお前を守りたかった。ベータテストの時、お前に俺のアバターを作らせて、お前のアバターを俺が作って、せめてここではふたりで理想の夫婦になろうなって約束したのに……それは叶わなかった。悔しくて、寂しくて、お前に会うまでにあらゆる面で完璧になる努力をした。途中で何度も無駄な足掻きだと思ったが、お前に会えて、これで良かったとわかった」
私が生身の頃の記憶を思い出したと知ると、旭斗さんは全てをさらけ出しました。
会えない時間が濃縮した愛が重すぎます。
質量がとんでもないことになって最早ブラックホールです。
一七七センチのでっかいわんちゃんが猛烈にじゃれてきます。
服が何枚か脱げました。
アレ……? ここ、彰人さんがいたような……。
元気なわんちゃんの勢いは止まりません。もうすぐお子様お断りの展開になりそうです。
夫婦なんでそういう関係なのですが、ここでは駄目です。危ないです。
「あ、旭斗さん! 求愛行動はどうか全年齢向けの範囲内に収めてください!」
私がそう叫ぶと彰人さんが全力で止めてくださいました。
……いろいろあって余裕がなかったので今までそういう気持ちが湧きませんでしたが、彰人さん×旭斗さんが久々に見られて、裸を見せた甲斐がありました。
羽交い締めってハグですよね。眼福眼福ありがたや。
私がもそもそと服を着ている間にお仕置きは終わったようです。
どんなドSもドMに変える彰人さんの鬼畜力は相変わらずすさまじいですね。いやはや、桑原桑原。
「沙蘭ちゃん、聞いてる? 妄想は結構だけど、お話はちゃんと聞こうね」
「えっ? はい!? どんな話でしたっけ?」
私が妄想にふけっている間に何か言われたようですが、気づきませんでした。
「はぁ、やっぱり。あのね、だから、君も僕達と運営として活動するって話。みんなで同じ家に住んで、この世界の総支配人として生きるの」
「えええええっ!? き、聞いてませんよぉ!」
彰人さんの言う通り、私の空白のジョブはいつの間にか“運営・特殊”になっていました。