爆発・女の子・アルバート
光――爆発。そう思った。
体の芯まで震えるような爆音と、閃光。部屋じゅうが煙のようなものに包まれた。僕は両手で頭を抱え込むようにして、ソファの前に転がっていた。まばたきもせず、眼前で渦巻く〈もや〉を見つめる。きいんと耳鳴りがして、なにも聞こえない。驚きと恐怖で、声もでなかった。うそだろ?
僕はテレビの方向を睨みつけた。ゲーム機が爆発したのか?
いったいなんで? 信じられない。
「にゃーう」煙の中からかすかにアルの声が聞こえた気がした。
そうだ、さっきまでアルが足元に――。
「アル!」僕は咳きこんだ。「アル、大丈夫か!?」
僕は片膝立ちで起きあがりながら、身体中を撫でまわした。どこにも痛みは感じていなかった。いいぞ。
「アル、こっちにおいで!」目を凝らした。
もうもうと立ちこめる煙の中からは、なにも出てくる気配がない。くそ。
僕は膝立ちのまま両手を振り乱して、かすみのような煙をかきわけた。煙は、腕を軽く動かすだけで消し飛んでいく。咳き込むような煙ではなかった。まるでドライアイスが入った容器に放り込まれたような気分だ。僕はすり足でゲーム機の方へ近づいてアルを呼んだ。悲観的思考が染みついたこの頭では、床に臥せって動かなくなったアルの姿が簡単に想像できてしまった。かんべんしてくれ。
体中から不快きわまりない汗が吹き出す。僕は前のめりで四つん這いになりながら、煙の中へと進んだ。
ふと、馴染み深い音を聞いた気がした。
空耳だと思った。爆発の衝撃で鼓膜がどうにかなってしまったのだ。
ごろごろという喉を鳴らす音。
アルバートが――いいや、どの猫もほとんどかわりなく――甘えるときに出す声に違いなかった。立ち込める煙が、時間切れだとでもいうようにさっと消えていく。
「アル……?」
声が心なしか震えていた。驚くことに、家具はほとんど壊れていなかった。それどころか、無傷のローテーブルの上には、ゲームコントローラーが何事もなかったかのように転がっていた。そしてその横には、スナック菓子の空き袋。さっきのは爆発じゃあないのか? だとすればあの閃光や衝撃……けたたましい音はいったい?
三十二型テレビが、以前と変わらぬまま、煙をかき分けるように現れた。
現れたのはテレビだけではなかった。
猫耳だ。
違う。前にTV番組で見たことがあった。猫耳のついたウールの帽子。それと――
信じられないことが起きて、幻覚を見ているのかも。いや、きっとそうに違いない。信じられなかった。
僕の目の前には、女の子がいた。猫耳の帽子をかぶった女の子がいた。
女の子は、テレビの前で膝を抱えてしゃがみこんで、わが愛猫アルバートの頭をごしごしと撫でていた。アルは満足そうに目を細め、尻尾をぱたぱたさせている。
「えっ……なにが……なんで?」
ばかみたいな、しどろもどろで途切れがちな言葉しか出てこなかった。
煙は晴れていき、しゃがんでいる女の子は、その輪郭をはっきりさせた。知らない子だった。いや、知ってる知らない、という問題じゃあない。なんで、どうやって、この子は部屋に現れたんだ? 僕の口は開きっぱなしだった。
女の子は、アルの頭をやさしく撫で「いい子ね」とつぶやいた。そうして、ゆっくりと顔をこちらへ向けた。僕は四つん這いのまぬけな体勢のまま彼女と目があった。やっぱり知らない子だった。
彼女は、何歳くらいだろう。少なくとも自分より五つは年下だろうか。感情の読めない表情で僕を見つめていた。整った顔立ちは――こんな状況にもかかわらず――素直に可愛いと思った。彼女の着ている、ぴったりとした色鮮やかなパーカーは、その細身を際立たせていた。どこかの学生なのだろうか、インナーはよく見えなかったが、スカートはどこか学校の制服に見えなくもない。
僕は彼女と目があい、どきりとした。濃い青緑――エメラルドグリーンとでもいうのだろうか。深く美しい色をしていた。外国人なのだろうか? 僕たちはしばらくの間、無言で見つめあっていた。心臓が早鐘のように脈打ちだす。
少女は静かに立ちあがった。感情のない表情で僕を見下ろしている。
「あの……」どうしよう? 「きみ、誰? なんで――」
「――あんたなの?」彼女が割り込んできた。高く透きとおるような声だった。
「え?」
「使ったのは、あんたなのね?」
「なに、なんのことか……」
僕はどもりながら言った。
少女は、僕から目線を外し目を細めた。唇の線を歪めながら、聞こえないような小声でつぶやく。「おかしいな……」
「ここ……僕のうちなんだけど」僕は見下ろされている感じが我慢できずに立ちあがった。そのとき、少女が革靴を履いたままであることに気づいた。土足じゃないか。「うちにどうやって入ってきた? あれ、さっきの爆発、きみが?」
「おかしいな……」彼女は僕の方へ目を据えて、また言った。
「おかしい?」
「あんた、法環の文字、見えた?」
「ほ、ほうかん?」
少女は、僕に背を向けて再びしゃがみこんだ。足元には、愛すべきわがゲーム機がそのままの姿で残っていた。よかった、爆発したわけじゃないんだ。ゲーム機は、ディスクを吐き出していた。さきほど入れた白いディスクが見える。少女はディスクの穴に人差し指を突っ込んで取り出した。
「これ」
彼女はトランプのカードを持つみたいに、ディスクを僕の方へ向けた。指紋べったりだな、と思ったのはいうまでもない。
「そのCDがどうかしたの?」
「やっぱり知らないでやったのね。それで、見えるの?」
「なにが?」いったいこの子は、ひとのうちに勝手にあがりこんで、横柄な態度でなにをわめいているんだろうか。僕は少し苛立ちながら少女とディスクを見比べた。「見えるってなんの――」
そこで僕は息をのんだ。白いディスク表面に散りばめられた、きらきらと光る文字を見つめる。心なしか、さっきよりも光が強い。少女の手のひらで、文字が揺らめいているような気がした。
「やっぱり、見えるのね?」
「この光る文字のこと? なんなんだよ、それ」
少女はため息をついた。
「にゃーう」アルが彼女の足元に絡まったまま鳴いた。なんてこった。なついてるぞ、こいつ。
「そうね……こういうときは、オメデトウ、なのかしら? あんた名前は?」
「僕は――」名乗りそうになって、漫画のキャラクターみたいに首を振った。くそ、そうじゃないだろう。「お前こそ、いったい誰だ? 名前は? 家は? 僕のうちに勝手に土足であがりこんで。わけのわからないことを言ってさ。目的はなんだ? アル、こっちにきなさい」
「わたしを呼んだのは、あんた自身よ」
少女は肩をすくめ、アルを見つめた。アルも少女を見つめ返して鳴き声をあげた。
「僕自身?」いったいなにを言ってるんだこいつ。
彼女はアルを見つめて頷いた。
「あらそう、アルバート。ありがとう。彼は一日ずっと寝てたんだ?」
「ちょっと、なんでお前。まてよ、おい。いやそれより、なんでそれ……」
僕はしどろもどろになった。
なんだ? なにか、おかしい。
僕には、少女がまるでアルと会話しているように見えた。猫と。それに今、アルバートって。なんで知ってるんだ? 僕がしゃべったのだろうか。いや、それはない。彼女が目の前に現れてからずっと、僕は〈アル〉としか呼んでいなかった。普段だって、アルバートと呼ぶことはまずないのだ。
「アルバートの方が詳しいわね。しっかりした子」少女は僕の顔も見ずに言った。「あんたの名前、ケンっていうのね」
彼女はアルを優しく撫でた。アルはごろごろと喉をならす。「にゃーう」
「嘘だろ。猫と……」ありえない。僕は心のなかでくり返した。
「こんどブラッシングしてあげるね」
少女はそう囁き、アルの鼻をツンとつついた。そして今度は、その輝く緑の瞳で、覗きこむような視線を僕へ投げかけてきた。
どくん。――僕は信じられないくらい近くで、なにかが脈動する音を聞いた。まるで心臓をえぐり出し、ひざまずいて差し出しているような気分。
この感覚って、畏れ……なのか? そんな、ばかばかしい。
少女は言った。
「わたしの名前は鹿羽。鹿羽ルイ。はじめまして、袈浦ケンさん」
2013/08/26 一部修正しました。