ゲーム・発売日・鈴木(仮)
「ねえ、ケンくんじゃない?」
それはちょうど、僕がゲーム販売コーナーでお目当てのゲームを買った直後だった。エスカレーターまであと数歩というときに、背後から自分の名前が呼ばれた。
僕は職務質問されたときのように、びくりと硬直して、ゆっくり声の出どころを見た。
相手は確実に私服警官ではないといえるほどの、けばけばしい女性。金髪に染め上げた髪にいくつものピアスを付け、いわゆるパンクロックとでもいうのだろうか、黒いジャケットとショートパンツスタイルで、じゃらじゃらと重そうなアクセサリーを身につけていた。指輪にあるトゲは自分を刺してしまいそうだ。顔は好みではなかったが、彼女の履いているネオンカラーのオーバーニーソックスは僕の好みだった。呼びかけてきた女性は、やたら大きな革のショルダーバッグを背負っていた。
このひと誰だっけ。
それが最初に浮かんだ。そしてすぐに思いあたって、心臓が高鳴った。最悪だ。くそ、なんでもう少し早くエスカレーターに乗らなかったのかなあ……。いやそもそも店なんかクルべきじゃなかった。アマゾンにすればよかったんだ。
「どうしたの? ケンくんでしょ?」
「あ……」
僕はしばらく声の出しかたを忘れ、口をパクパクと開いたり閉じたりしていた。
目の前にいた女性は、中学の同級生だった(名字は鈴木だったような気がするが、名前のほうはさっぱり思いだせなかった)。何年ぶりだろう。おそらく、ふだん道で通りすぎても気づかなかっただろう。彼女は、さま変わりしていた。これだから女の化粧ってのは……そう思っているうちに、彼女こと鈴木(仮)は目の前に近づいてきていた。
「げんきー? 何年ぶりかなぁ」
間延びした声。そういえば、昔からこんな喋り方だった気がする。
そもそも、お前とは中学時代に片手で数えるほどしかしゃべらなかったんじゃないか?
「あ、うん。まあ……何年かな?」
「実はさぁ――モト中に会うの、今月二回めなんだよね。多くない?」
「うん、そうだね」どうでもいいな、と思ったのはいうまでもない。
「今日は、仕事休み?」
ほらきたぞ。
心臓が高鳴った。ほらきたぞ。
この質問がこないことを祈ってたのに。
悩むな、ばか。すぐ答えないと変だろ?
「え、ああ……まあね。そっちは?」
「あたし? だってほら、美容院つとめてるじゃん。休みだよー」
僕は半笑いでうなずくことしかできなかった。知らないよ。
「有給とれていいなぁ。あたしんところ、ぜんっぜんとれなくってさあ。それって有給って言うぅ? ケンくんのところは有給とりやすいの?」
「ああ、そう。うん、そこそこ……かな。ちょっと忙しかったかのが落ちついたから――」
僕の返事など興味ないのか、彼女はたて続けに質問をあびせてきた。
「どんな仕事なの? 給料高い?」
十何年ぶりにあって、いきなりなにを聞いてくるんだ、この女は。
僕はどうやれば話題を変えられるか、頭をフル回転させた。
「ネット系の仕事。うん、給料? いや、ぜんぜん。たいしたことないよ。でも、こんなところで会うなんてね。買い物?」
彼女は両手をぱんっと顔の前で合わせると、心底驚いたという顔をした。
「あ! あたしもソレ思ったぁ。ケンくんもゲームやるの?」
「いや、僕はその……発売日のこれ……」
僕は袋からゲームをとりだして、ちらりと見せた。
いつのまにか手の中は汗びっしょりだった。
「シンプルな箱ぉ」彼女は僕の手からゲームのパッケージを取りあげた。箱裏のゲーム紹介画像をじっと見ている。ギャルゲーじゃなくてよかったと思ったのはいうまでもない。「わ、けっこうグロい系? おもしろそうじゃん。どんなゲーム? これってプレステ? 緑色って違ったよね。なんだっけぇ。あ、あたしマリオやるんだよね。超ゲーマーでしょ」
そう言って鈴木(仮)は、けたけた笑った。どこから突っ込めばいいのかもわからない。
「ねえ、ちょっと中見てもいい?」
「え……?」ふざけるなよ。ソフトを開ける瞬間も楽しみのひとつじゃないか。もちろんそんなことは言えなかった。「ああ、うん。きれいにね」
鈴木(仮)は、ばりばりと包装をやぶって、中の説明書を読んでいた。くそ、テープの端が箱にくっついたままじゃないか。本当に、まったくもって今日は最悪だ。厄日だ。
もう絶対にこの店には足を踏み入れるものか、そう決意を固めていたとき、彼女はやたらでかいショルダーバッグを落とすように足元へ置いた。右手に僕の大切なゲームを持ったまま。彼女はしゃがみこんで、器用に片手でバッグを探っていた。彼女がしゃがみこんだとき、ふとバラの香りが鼻をついた。僕は不覚にも、その匂いに少し興奮した。ばか、なにをドキドキしてるんだ。自分を叱咤したが、心臓の鼓動はみるみる早くなっていった。母親以外の女性とこんなにしゃべったのは、何年ぶりだろうか。
彼女は、なにも書かれていない白いCDケースを取り出して、僕へ差し出した。
「はい」
「なに?」
「あたし趣味でバンドやってるんだけど、その曲。聞いてみてよ。宣伝宣伝」
鈴木(仮)はにこりと可愛らしく笑って、僕のゲームが入っていた袋に、それを押し込んだ。「ええと、いくら?」
「なにそれ、タダでいいよ。そのかわり、ちゃんと聞いてみてよぉ」彼女は笑いながら、説明書を箱のなかに戻して(ああ、それじゃシワになるぞ)、パッケージを僕に手渡した。「ありがと」
「うん、べつに」
「超面白そうだね、これ。こんどあたしも買ってみる」
「うん、おもしろいよ」
彼女は重そうなショルダーバッグを、ふん、という声をあげて持ち上げた。あの中身は、全部CDだったりするのだろうか。
「あ、そうだ」ふとは思いだしたように彼女は言った。「同窓会こんどやるから、きてよね」
「えっ」
「じゃあねー」
それだけ言うと、鈴木(仮)は手を振りつつ、エスカレーターを降りていった。
僕は呆然と彼女を見送りながら、いつの間にか体中汗だくになっていた。