青藍の騎士 ヘルセスの話
フェラレーゼ第一王女プラシャント様の侍女の中にはヘルセス公爵家の息のかかった者がいる。 決してお側より離れるな、と申し付けられているその者からの密書に、王女様は馬でヒーロンに向かわれたとあった。 護衛二十名。 お付きの侍女はただ一人。 自分は選ばれなかった、と。
その衝撃。 明らかにタケオ特務隊長はこれを知らない。 どうする?
どうする、とは? もちろん即座に報告せねばならない。 そしてヒーロンにお出迎えに行かねば。
だが報告しなければ? 誰にも何も言わず、私だけが夜陰に乗じてヒーロンに行き、王女様にお会いするという事も可能なのではないか? そしてそのままあの御方を攫って。
何を世迷い言を。 公爵家継嗣ではない自分に何が出来る。 追手も当然放たれよう。 仮に追手から逃れられたとしても我が身一つではあの御方に傅く侍女の一人さえ雇えはしない。
我が妻として市井に引きずり込まれ、あの御方が幸せだとでも言うのか? 幸せではないあの御方を毎日目にして私は幸せだとでも言うつもりか?
そもそも王女様がヒーロンへとおびき寄せられたのは明らかに誰かの企み。 向こうはそれなりの手勢も揃えていよう。 私一人では戦えない。 ならば何を迷う事がある。
私は急いでタケオ特務隊長へ報告した。 私だけでは不可能だった事が次々と可能になっていく。
逸る心で迎えたヒーロンの朝。 検問所で咄嗟に、私なら事前の許可なく入国出来ると嘘を吐いた。 そんな許可など戴いていないが、あの場でそんなものはないと証明するなど誰にも出来ぬ事。 勿論、後で分かるだろうが。
無許可の越境は死刑。 それがどうした? あの御方がむざむざ誘拐されるのを黙って見ているくらいならその場で殺された方がましというもの。 後でどんな刑でも喜んで受け入れよう。 今行かねば間に合わない。 しかし私が単身乗り込んだ所で二十五人いる賊には到底敵わぬ。 私が公爵家の次代である事など、賊にとって知った事ではあるまい。
付いて来てくれるか、という問いにその意味する所を知らず、はいと迷わず答える我が義弟。 あの御方の無事と引き換えにお前の命を捨てようとしている義兄なのに。 彼の瞳に浮かぶ絶対の信頼を見て胸が痛む。 しかもタケオ特務隊長まで付いて来ると言う。 皇国に名立たる兵士の命を犠牲にしても良いと言うのか? だが迷っている暇はない。
許せ、と心の中で叫んだ。 後で起こる詮議の際、この命に代えてもそなたらを守る。
北の猛虎と名乗りを上げただけで逃げ出す賊を見て、どれほど深く安堵した事か。 あの御方は御無事。 我が命を懸けた甲斐があった。
今一度、これほど間近に晴れやかなお顔を拝見する事が出来ようとは。 安堵の後、胸に静かな喜びが湧き上がる。 この微笑みが私だけのものでないからと言って何を悲しむ事があるだろう。 ブレンカの花言葉は「逆らえぬ運命」。 そう告げられてさえ慕う気持ちは止められない。
皇都への道すがら王女様が美しく広がる皇国の町や山野を眺めておっしゃった。
「幸せな国に嫁ぐ私は皇国一の幸せ者」
これからこの御方の幸せは皇国の安寧と一心同体。 内政の安定こそが何よりこの御方の幸せに繋がる。 私は改めて自分の取ろうとしていた道を熟慮し直した。
公爵家序列第一位になれば皇王家に最も近い臣下となる。 いずれ皇国の国母となる御方のいくらかでもお側にありたい、と私はヘルセス公爵家の軍備増強を考えていた。 それには六頭殺しの若、北の猛虎の勧誘が必須、と。
だが内政安定を目指すなら私がすべき事は軍備増強などではない。 このお出迎えの旅は私に新たな道を指し示してくれたような気がする。
明日はいよいよ皇都という夜。 王女様からのお呼び出しがあり、タケオ特務隊長、サダ、そして私へお言葉があった。
「フェラレーゼより知らせが届きました。 此の度の殊勲を讃え、そなたら兄弟へ青藍の騎士の称号を贈るとの事」
青藍の騎士はフェラレーゼに多大な寄与をしたと認められた時にのみ、外国の騎士へ与えられる特別な称号だ。 この称号を持つ者はフェラレーゼに事前の許可なく入国してもよい事になっている。 称号の授与は王女様のヒーロン到着日付け。
我らが皇国皇太子妃殿下の、この深き思いやり。 いずれこのお人柄が普く知られ、皇国の民に愛されるであろう事は疑いもない。
そして私もその一人。