信頼 ポクソンの話
タケオ特務隊長一行は夜のうちにヒーロンへと出発した。 後をよろしく頼むと頼まれはしたものの、私は特務隊長室で彼らの帰りを待つ以外何もする事はない。 不在の特務隊長の代わりに書類や手紙に署名するぐらいがせいぜいだ。
手持ち無沙汰なせいか次々悪い想像ばかり思い浮かぶ。 マッギニスを相手に世間話でもして気を紛らわせたいが、彼の手はものすごい速さで動いている。 四方八方に手配しているようで忙しそうだ。
「私がいない方がいいか?」
「いえ、ジンドラ子爵令嬢に伝達せねばならない事があります。 それが終わるまではいらして下さい」
言われるままそこにいた。
呼び出しに応じて現れた令嬢にマッギニスが言う。
「リオ殿、夜分大変申し訳ございません。 ですが緊急な予定変更がありました。 王女様は明日の夜、ヒーロンより陸路で御到着になられます。 侍女はおそらく一人か二人。 三人以上ではない。 部屋の手配はこれから私が致しますが、細かいお心遣いはリオ殿に御采配戴きたい。 エダイナに明後日到着の御一行は予定通りお迎えします」
まるで全部確定事項であるかのように伝える。 指示は簡潔明瞭な方がいいとは言っても端折り過ぎではないのか?
「畏まりました。 では侍女の数は最低でも二十二名になるのでございますね。 委細、お任せ下さいませ」
子爵令嬢は落ち着いてマッギニスの指示を受け取り、退室した。
部外者である令嬢に誘拐事件を話す必要はない。 しかし旅程と人員の変更は確定した訳ではないのに。 慎重なマッギニスらしくない先走りだ。
「マッギニス。 明日の夜、は確かなのか?」
「確かです」
「何故そう思う? 現時点では一行がヒーロンに無事辿り着けるかどうかさえ分からんというのに」
「タケオ隊長が襲撃はない、とおっしゃっておられましたが」
「それは、単なる予想だろう?」
「確実同然の予想です。 誘拐犯はフェラレーゼ側を安心させるため検問所に入る直前、王女様御一行がまだフェラレーゼ側にいる内に接近を図ると思われます。 検問所が遠目に見えるくらいの所で。 そこまで来ればヴィジャヤン小隊長の目が見逃すはずはありません。 あの目に見られてしまえばあちらの負けが確定します」
「仮にそうなったとしても明日の夜ここに着くには王女様御自身が馬の早駆けをせねば無理だろう?」
「王女様は乗馬の名手と聞いております」
「そうなのか?」
「ヘルセスを御存知なのも確かその繋がり」
「そう言えば、あの近うよれ、馬に乗れるのか?」
「は?」
「あ、いや、ヘルセスが馬に乗れたのがちょっと意外でな」
「ヘルセス公爵は代々名騎手として知られております。 読み書きを習う前に馬に乗る事を家訓とするのだとか」
「ほう」
「それでは他にも手配すべき事と皇都への報告などがございますので、これにて失礼させて戴きます」
「口上の練習とか、やらんでもいいのか?」
「ヘルセスがやる事をなぜ私が練習する必要があるのでしょう?」
「……そうだな。 いや、引き止めて悪かった」
あの疑う事しか知らぬマッギニスが見せる揺るぎなき信頼。 あそこまで完全に一体誰を信頼しているのだ? 不思議な気持ちで退出するマッギニスの背中を眺めた。
それにひきかえ私の胸中は不安ではち切れそうだ。 相手の目的が襲撃なら分かる。 師範に返り討ちにされて終わりだろう。 だが事は誘拐。 しかもただの誘拐ではない。
未然に防ぐ事が出来るのか? 防げなければ賊と斬り合いになるだろうが、そこで勝ったとしても感謝されるとは限らない。
相手は王女様だ。 身柄は御無事であっても、やれやり方が無礼だの前例に従わないのと師範にはどうしようもない事を責められ、結局首が飛ぶ事になるかもしれない。
私が身代わりになれればいいが、私どころか将軍の首でさえ代わりにならない恐れがある。 これが両国間の政治問題に発展し、解決出来ないまま開戦となったら?
いずれにしろ剣での戦いではないのだ。 師範を信頼するには無理がある。
ヘルセスを信頼する事だって私には出来ない。 昨日や今日入隊したばかりで目的も自軍の利益ではあっても北軍のためではないだろう。 そもそもこの情報だってどこまで本当か。
ヘルセスだけではない。 今回この任務に就くまで私はマッギニスの事もよく知らなかった。 実家の事は有名だから知っていたし、次男が切れるという噂なら聞いていたが。 ただ短い期間とは言え重要な任務を共に遂行し、準備や行動を共にすれば知れる事は数多ある。 沈着冷静。 一事が万事、運や偶然、ましてや不確定な情報を頼みにする男ではない事が窺えた。
マッギニスが信じているのなら王女様が明日ヒーロンに、そしてその日のうちにエダイナに御到着なさる事は確実のような気はする。 しかしその信頼の根拠は若の目。 私だって若の流鏑馬の正確さは知っているが。 若には結構おっちょこちょいな所や抜けている所もある。 彼の目しか頼みにするものがないのに、あそこまで確信が持てるものか?
待てよ。 そういえばいつだったか。 道場の窓から遥か彼方の小隊の行進を見ていた事があった。
「あれはどこの小隊だ?」
それが分かるような距離ではなかったが、ついそう呟いたら私の側にいたモイが少し離れた所にいた若に声を掛けた。
「若! あれ、どこの小隊だか分かるか?」
「第二十五です」
若は、ちらっとそっちの方を見ただけで、そう答えたのだ。
どこ小隊も小隊旗を持っており、その旗には隊番号を示す数字が縫い込まれている。 だがその数字は手の平の大きさだ。 旗が翻るのは見えても肉眼で数字が読めるなどあり得ない。
でも若には読めたのだ。 あの距離から。 そしてタケオ隊長には今、あの目が一緒に付いている。 確かにあの目なら偽北軍兵士の一団を見逃すはずがない。 そう考えると何だか胸に溜まった不安が軽くなっていくような感じがした。
待つ身はつらいが果報は寝て待てという。 私は寝所へと向かった。