義兄弟
無事国境のヒーロン検問所に辿り着いた。 まだ朝といっていい。 検問所の兵士によるとフェラレーゼから女性入国者はまだ一人も通過していないとの事。 間に合ったと思う。 お出迎えを無事に済ませるまで安心は出来ないが。
ヒーロン検問所には道の両脇に大きな塔が建っている。 兵士が塔の上からフェラレーゼ側を監視しており、かなり遠くまで見渡せるようになっているので登らせてもらった。
緩やかな丘の上の塔から眺める紅葉がとてもきれいだ。 この辺りで雪が降るのはまだ先のようで、身軽な旅装の旅人達が行き来している。 ヒーロン経由で国境を越える人はあまりいないから人はまばらだ。
しばらくして遥か彼方から馬に乗った騎士の一団が近づいてくるのが見えてきた。 二十二人いる。 それとは別に二十五人の北軍兵士の軍服を着た一団が丘の麓に現れ、待機するのが見えた。
「師範! フェラレーゼの方は二十二人、待ち伏せしている偽北軍は二十五人です!」
「くそっ。 検問所を通り過ぎる前に王女様を誘拐するつもりか」
俺と師範は塔を駆け下り、国境線を越えようとした。 すると検問所の兵士が叫ぶ。
「お待ち下さい! 国境を越えるには許可証が必要です!」
「そんなものを手に入れている時間はない!」
師範が怒鳴り返し、検問所の障害壁をぶち破ろうとしているところにヘルセスとメルハウス中隊長がやってきた。 俺が急いで塔で見た事を繰り返すとメルハウス中隊長が言った。
「皇国兵士が許可証なしに越境したら宣戦布告とフェラレーゼから見なされます。 それを防ぐため、検問所の兵士は無許可の越境者は全て殺すよう命令されているのです」
そう言われて師範が応える。
「王女様を誘拐されたら責任を取らされ俺の首が飛ぶのは間違いない。 どうせ死ぬのならあいつらを道連れにさせてもらう。 その後でなら俺を好きに殺せ」
兵士の止める手を振り切って駆け出そうとする師範をヘルセスが止めた。
「待たれよ。 私はフェラレーゼ国王陛下より事前の許可無き入国のお許しを戴いている。 私が行って王女様に危急をお知らせ申し上げよう」
「それをあそこにいる二十五人が指を銜えて黙って見ているとでも言うのか? お前が殺されたら責められるのは若なんだぞ!」
師範の怒声に臆する色も見せず、ヘルセスが言う。
「私の家族の入国も許されている。 サダ、お前は私の義弟だ。 付いて来てくれるか?」
「はいっ!」
「それなら若、俺の妹と結婚しろ!」
「はいいっ??」
「そうすりゃ俺は若の義兄。 ヘルセスの弟の兄なら俺も家族だろ。 いいな?」
畳み掛ける師範に俺はもう反射的に返事をしていた。
「は、はいっ!」
俺達三人は馬に乗り、一斉に駆け出した。 ものすごい速さで先頭を駆けるヘルセスに師範と俺は必死で追いすがる。
昨日も思ったけど、ヘルセスの乗馬の腕には舌を巻いた。 おそらく早駆けをやらせたら北軍の誰にも負けないだろう。 それ程抜きん出ている。 そりゃ乗っている馬も上等という事はあるが。 こいつには何の取り柄もないと思っていた俺って本当に人を見る目がないよな。
フェラレーゼの騎士団が偽北軍兵士の前で立ち止まったのが見えた。 偽の兵士達は全員馬から降り、挨拶しようとしている。 そこに向かってヘルセスが大音声で呼ばわった。
「我が名はレイ・ヘルセス、ヘルセス公爵家継嗣なり! そこにおわすは以前、貴国の西の庭でブレンカの花言葉を教えてくださった御方とお見受けする。 尊き知遇に甘える無礼の程、御容赦下さいますよう。 我が兄弟の名を騙る不埒者がいると聞き及び、急ぎ馳せ参じた次第。
ここなる兵士は我が義弟、六頭殺しの若と聞こえし北軍小隊長サダ・ヴィジャヤン! その義兄、北の猛虎の二つ名を持つ北軍中隊長リイ・タケオ!!」
ようやくヘルセスに追いついた俺は弓に矢をつがえ、師範は腰の「珠光」を抜き放つ。 二十五人の偽兵士は北の猛虎と聞いた途端、慌てて馬に乗り、蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。 追いかけようとするフェラレーゼの騎士を師範が止めた。
「追うまでもありません。 あの者どもは使い捨ての駒。 首尾よく指定の所へ戻ってさえ口封じのため殺される運命と思われます。 首尾が悪ければ尚の事。 だが今追いかけた所で真の雇い主に辿り着く事は出来ないでしょう」
そこに爽やかな女性の声が聞こえてくる。
「ヘルセス殿。 お久しゅう」
「このようなお目もじになるとは、不本意至極」
ヘルセスは馬から下りて深々と兵士としての最敬礼をした。 俺と師範もそれに倣って下馬し、同じ礼をした。
「なんの。 仔細は知らねど、ヒーロンより入国せよ、とはどうやら皇太子殿下の御指示ではなかった様子。 なればあわやの危機より救われた事は明白。 ありがたき事よ」
「勿体なきお言葉。 どうぞこのまま国境線を越え、御入国下さい。 あちらに御身を守る警備の兵士も控えてございます」
「名乗りを上げただけで賊を追い払える勇者がここにいるというに更なる守りとは。 殿下も御心配が過ぎよう」
王女様はころころ笑われた。
さすがはフェラレーゼの第一王女様。 あやうく誘拐されるところだったというのに肝が据わっていらっしゃる。 間に合ったからいい、というものじゃない。 こんな危ない目にあったのは皇国の所為、とお叱りの言葉になる事もあり得た。
それにヒーロンにいる正規のお迎え部隊は七名だけ。 後は東軍一個小隊五十名とメルハウス家の私兵二十名だ。 こんな少人数で皇太子妃殿下を迎えるなど不敬もここに極まれり、と不手際を責められて当然の有様と言える。 いくらそれが俺達の所為ではなくても。
フェラレーゼ国にしてみれば殿下の御指示に従ってここまで来た。 なのにこんなお寒い出迎えでは面子を潰されたも同然。 王女様がお怒りのあまり、このままお国にお帰りになる事だってやろうと思えば出来ただろう。
現にお見送り側の隊長で五十半ばの立派な風采の騎士は王女様に何度も聞いていた。
「王女様、本当にここでお別れしてもよろしいのでしょうか。 これではあまりに話が違います」
「皇太子殿下の御指示が真でなかった事は殿下の責任ではない」
「しかし騙されたのは我らの責任ではございません。 状況が異なる以上、国境でお別れする約束も反故にすべきでは」
「ジュランザ。 くどい! わらわは皇国へ嫁ぐ身。 皇国兵士に守られるのが筋であろう。 そうあらねばならぬ。 なに、フェラレーゼにまで勇名を馳せた剣士がわらわと共に居るのじゃ。 そなたは心を安んじて帰るがよい」
そのお言葉によってジュランザと呼ばれた騎士はようやく引き下がった。
王女様の信頼溢れるお言葉はありがたかったが俺達は更に気を引き締めた。 百剣が側にいないヒーロンで安心するのは早過ぎる。 まだどんな襲撃が計画されているか分からないんだから。 間に合った安堵と寝不足で気を失いそうになる自分を叱咤した。
後で考えれば考える程、数えきれない薄氷を踏んでいた。 どれか一つにでも手違いがあったら、と思うと今でも冷や汗が流れる。
幸いヒーロンからエダイナまで襲撃や事故は何もなく、無事正規のお出迎え部隊と合流する事が出来た。 王女様の乗馬の腕も大したもので、思ったより早くエダイナに到着したから遅れらしい遅れを出さずに済んだ。
その後は全てオラヴィヴァが書いた台本通り。 エダイナから晩秋の皇都への道の途中では何事もなく、予定していた日に待機していた近衛兵へ身辺警備を移譲する事が出来た。
任務を解かれた翌日の朝、俺は爆睡させてもらった。 トビもこの日ばかりは一日中俺を起こさずにいてくれた。
あ、俺、ヒーロンでちゃんと結婚届けに署名したから。 妻の分は兄である師範が代筆し、証人欄にはヘルセスとメルハウス中隊長が署名してくれた。
師範の妹の名前はリネという。 かわいい名前だな。
呼ぶなら、リネちゃん? リネさん? いや、リネ? リネ。
うん、それでいこう。 これから家族になるんだもんな。
てへっ。 結婚しちゃったぜ。