ヒーロン
夜、お出迎え部隊は無事エダイナに着いた。 王女様が御到着なさるのは明後日の昼過ぎだから充分余裕だ。 これからが真剣勝負になる訳だけど、ここに辿り着くまでの準備だって大変だった。 それを何とかやり遂げた隊員達の気分は明るい。
行軍中に行われたアタマークの特訓は厳しいと言えば厳しかったが、どうしてそういう風にした方がいいのか理由を必ず説明してくれたので本番の時にもまごつかずやれると思う。
取りあえず今は王女様の御到着を待つばかり。 準備に追われて全然なかった心の余裕が、ちょっとだけ生まれた。
「せっかくここまで来たんだし、明日エダイナの観光でもしようか? リッテル軍曹。 どこかいいとこ知らない?」
「宿の周辺と皇都への道を見回りしとけば一石二鳥じゃないですか。 ここからちょっと行った所にうまい飯屋が集まっている一角があるって聞きましたよ」
そこにフロロバが駆けつけて来た。
「小隊長。 緊急呼び出しです。 今すぐ特務隊長のお部屋へいらして下さい」
何か事件があったとは聞いていないのに? と不思議だったが、ともかく師範の部屋に行った。
部屋にはポクソン副隊長とヘルセス、マッギニス上級兵がいた。 師範に促され、ヘルセスが言う。
「私の手の者が本物の王女様は僅か二十名の護衛、侍女一名と共にヒーロンへ向かっているという情報を持ってきた。 なんと王女様自ら馬で御旅行されているのだとか。 御到着は明日の昼。 明後日エダイナに到着するのは王女様の影武者という事だ」
ヒーロン? ヒーロンは俺の記憶が正しければエダイナと同じ国境の町で、ここから馬で飛ばせば半日程度で着く。 とは言っても二百人の兵士が街道を馬で突っ走るなんて真似が出来るかどうかはまた別だけど。 もうとっくに夜だし。 今すぐ出発すれば間に合うかもしれないが。
しかもここにはマッギニス上級兵の実家が手配してくれた馬車三十台がある。 夜中に馬車で早駆けなんて無理。 ヒーロンはエダイナよりずっと小さい町だから道路だって整備されていないだろう。 朝一で出発し、どんなに急いだとしても向こうに着くにはおそらく丸一日かかる。 明日の昼には間に合わない。 どっちにしても今まで練習に練習を重ねていた段取りが全然使えない、て事だ。
ま、まずいじゃーん。 どうするの!?
内心慌てふためく俺をよそに師範は顔色も変えずヘルセスに聞いた。
「情報の信憑性はどれぐらいある?」
「私と共に王女様にお会いした事があり、影武者の事も知っている者からの情報だ。 間違えた、とは考え難い」
師範同様、表情の読めない顔でヘルセスが答えた。 息苦しいまでの沈黙が部屋を覆う。 それを破ったのは師範だ。
「ポクソン副隊長。 影武者であろうとその御方は予定通りエダイナに到着なさる。 筋書き通りにお迎えしない訳にはいかない。 特務部隊指揮の全権を渡すから代理特務隊長としてお迎えして欲しい。
若、ヘルセス、俺はヒーロンへ向かう。 三人だけで突っ走りたい所だが連絡係が要るし、王女様の護衛がたったの二十名ならその中に医者や薬師がいるとは思えない。 ヒーロンから本隊に合流するまでの宿の手配もせねばならん。 ウィルマーがいた方が助かる。 と言う訳で俺と若、リッテル、メイレ、リスメイヤー、フロロバ、ヘルセス、ウィルマー。 合計八名で王女様をお出迎えに行く。
問題がなければ影武者到着前にエダイナに戻れるはずだが、エダイナを出発する予定時刻になっても俺達が戻らなかった場合、俺達を待たずに出発する事。 こちらは全員馬だ。 途中のどこかで本隊に合流出来るだろう。
マッギニス。 お前は残り、もし俺達が戻らなかったらヘルセスがやるはずだった事は全てお前がやれ。 俺達の出発は今夜、この会議の後すぐだ」
ポクソン副隊長がすかさず言う。
「タケオ隊長! いくらなんでもそれは無謀だ。 それにヒーロンの方が影、或いは単に情報の行き違いだったらどうする?」
「その場合とんぼ帰りでエダイナに戻る。 明後日のお出迎えに間に合うように。 だがヒーロンが影である可能性は少ない」
「それはなぜ?」
「本物がエダイナにいるのに影武者をヒーロンからこっそり入国させる意味がない。 本物より先に到着したかったのだとしてもエダイナから入国すればいいだけの話。 誰かが皇太子殿下のふりをしてヒーロンに行けと王女様に命じたとしか思えない。 国境とは言え小さな町だ。 人目が少なくて済むし、常駐兵もそういないだろう」
「しかしこれが罠で、あなたが少人数でヒーロンに駆けつける事を予想し、途中刺客が待ち伏せしているとしたら?」
「何かしら罠はあると思うが、刺客を使った襲撃ではないだろう。 夜に少人数で突っ走る一行を襲うのは難しい。 これが俺をおびき寄せる為の罠ならヘルセスを経由して仕掛けるという不確実な方法は使わないはずだ。 それに俺と若の二人で三十二人の刺客を仕留めた事は知られている。 同じ失敗を繰り返したい奴はそういないだろう」
そこでマッギニス上級兵が口を挟んだ。
「敵の目的は王女様の誘拐でしょう」
「な、なんだって?」
俺は思わず大声で叫んでしまったが、俺以外でびっくりしている人はいない。
「フェラレーゼ側に北の猛虎の顔を知っている者はいないか、いたとしても遠目に見ただけだと思います。 似た外見の男を雇い、我こそは北の猛虎、と待ち合わせ場所で名乗らせれば特に疑う事もなく付いて行くでしょう。 あちらの警備は皇国内には入ってこないという約束ですから直後に罠と気付いたとしても追い駆けて来る事は出来ません。
そして誰かが誘拐された王女様を救う。 救った者は皇国、フェラレーゼ、どちらにも大きな恩を売った事になり、ついでにお出迎えに失敗した者の首を飛ばせるという筋書き」
マッギニス上級兵の冷静な分析に皆が頷く。 俺は思わず恐ろしさに身震いした。 どうして中隊長に過ぎない師範がお出迎えの隊長に指名されたのか? 最初からお出迎えが失敗するように計画されていて、その責任を取らすため、というならつじつまが合う。
こんな危機に直面しているというのに師範は顔色一つ変えずに言う。
「誘拐を阻止するにはヒーロンで誘拐犯より先に王女様にお会いするしかない。 こちらには王女様の顔見知りがいるんだからお会いしてしまえば後は何とでもなる」
「ヒーロンに御到着なさる方が本物なら当然それを知って待ち構えている奴らがいる訳だろう? 連れて行くのが若の小隊だけとは、いくらなんでも少人数過ぎる。 せめて隊の半分を連れて行くべきだろう」
ポクソン副隊長がそう師範に言った所で俺が口を挟んだ。
「あのう、これを東軍のメルハウス中隊長に話して、東軍小隊長を一人、俺達に同道してもらうようにお願いしてもいいですか?」
「「「え?」」」
「メルハウス中隊長は出来るだけ俺達の便宜をはかるように、叔父さん、いえ、東軍副将軍から命令されているとおっしゃっていました。 東軍小隊長が一緒ならヒーロン駐在の東軍小隊長に警備の兵を貸してくれと突然頼んでも大丈夫だと思うんです。
現地に既にいる兵なら夜通し早駆けした事から来る疲れもありませんし、東軍兵士なら一般の兵士でも儀仗礼を習得しているでしょう。 急に王女様のお出迎えに駆り出されても少しまごつくぐらいで大きな失礼はないのでは?」
何しろ覚えなくてはならない事だらけで俺達は役割を全部分担した。 口上の代わりをやれ、と今夜言われて明後日出来るマッギニス上級兵は特別だ。 他はそんな器用な真似なんて出来ない。 お出迎え隊を今二つに分けたら大きな混乱が起こる。 いてもいなくても混乱がないのは俺の小隊ぐらいだ。 俺がヘルセスを守るという約束をした所為で碌なお役目が回って来なかったから。
緊急事態なんだし、借りられる助けはこの際何でも借りてしまった方がいい。 ヒーロンからエダイナまでの警護なら一個小隊あれば充分だろう。
俺の提案にマッギニス上級兵が賛成してくれた。
「確かに東軍一個小隊がいれば充分な威嚇となります。 出来れば二個小隊欲しい所ですが。 私の予想では偽猛虎がお出迎えに用意するのは二十人か三十人程度でしょう。 ヒーロンは町としては小さいとは言え北に近いから退役した北軍兵士やその親類が相当数おります。 大人数の偽北軍兵士が徘徊していたら目立つ事を怖れるはず。 けれど兵数があまりに少なすぎてはフェラレーゼ側に不審を抱かれる恐れがあります」
それを受けて師範が言った。
「今の時点ではヒーロンの方が本物。 王女様は北の猛虎がヒーロンに出迎えに来ると思っていらっしゃるという前提で動く。 その情報がなんらかの理由で俺に届かなかった。 そして届いていない事を知っている者がいる。 こちらの動きはある程度読まれているだろう。 どこまでその裏を掻く事が出来るか、だ」
師範の言葉の後、俺はすぐさまメルハウス東軍中隊長に話をしに行った。 するとメルハウス中隊長自ら一緒に行く事を申し出て下さった。 ヒーロン出身の小隊長と共に。
「ヒーロンには只今一個小隊しかいません。 全員をお貸ししたいのは山々ですが、全員が持ち場を離れた後で何かありましたら問題が複雑化する恐れがあります。 そこで私の実家、メルハウス伯爵家の別荘に駐在している警備兵を動員してもよろしいでしょうか。 常時二十人程おります。 その者達でも構わなければ全員お貸し出来ますし、合計五十名とする事が可能です」
「ありがとうございます。 それぐらいの人数がいればなんとか急場を凌げるでしょう」
「又、エダイナ駐在の五個小隊に、すぐ私達の後を追わせます」
メルハウス中隊長のその申し出は師範が断った。
「いや、それは有り難いが多過ぎる。 エダイナには俺達の動きを探っている敵の間喋がいるかもしれない。 その人数が急に持ち場から離れたら相手に警戒されるだろう」
「では朝を待ち、普通演習の名目で二個小隊をヒーロンに向けて出発させるという事でしたら如何?」
「非常に助かる」
「お役に立てて何よりです」
俺達はその夜のうちにヒーロンへ向かった。 間に合いますように。 ただそれだけを願って。
途中メルハウス中隊長の別荘で二時間ほど仮眠を取らせてもらい、馬を替えた。 帰りは王女様がここにお立ち寄りになるだろう。 それでトビが別荘に残り、準備をする事になった。
ヒーロンの朝焼けは、とてもまぶしかった。
 




