馬語 アタマークの話
馬語を話せるという世間の誤解を解こうとは思わん。
馬語が分かる奴という事で妙に尊敬されるし、何やら不気味と思ってくれるおかげで人が寄ってこんからのう。 人付き合い程煩わしいものはない。 馬の世話をしている方がよっぽどましじゃ。
馬の気持ちなら分かる。 馬は素直だから難しい事なんて何もありゃしない。 じゃが、馬語を話せると言われるようになったのは読唇術のおかげじゃ。 昔近衛にいた時兵士に読唇術を心得ている奴がいての。 そいつの馬を世話してあげたらお礼に教えてくれたんじゃ。
騒がしい厩や馬場にいたら声なんか聞こえん。 みんな辺りを気にせず馬に本音を言う。 そんな時読唇術が出来ると何かと便利じゃった。 ただ馬にしかしゃべっていない話が筒抜けだと驚かれ、驚いた奴が他の奴らに話す。 それでいつの間にか馬語が話せると思われるようになったんじゃ。
儂は長年様々な名馬の世話をした。 それに乗る剣士にも実に様々な方がいらっしゃる。 近衛軍ともなればほとんどの剣士が高貴なお生まれじゃ。 身分が高いだけに見栄や世間体を気にして「自分に相応しい名馬」をお求めになる。
ふん、何が自分に相応しい名馬じゃ。 そりゃ足が速ければ名馬と呼ばれるじゃろう。 そんな馬ならいくらでもいる。 じゃがお前さんはその馬に相応しいのかい?
そもそも近衛兵なら儀仗兵として務める事が多いんじゃ。 気性が荒い駿馬はいくら足が速くたってそんなお役目には向かん。 それより足は遅くたって気性の安定した馬の方がいい。 それに乗り手との相性だってある。
じゃがそんな向き不向きを考える剣士なんぞおらん。 みんな金にあかせて駿馬を手に入れる。 近衛剣士は皆金があるからのう。 で、素直に従わぬ馬を散々いじめ、挙げ句に気性が合わんと売り飛ばす。 その繰り返しじゃ。
主に嫌われた馬の悲哀が伝わってくるが、儂の馬でもないのに売り飛ばすのを止める事は出来んし。 やさぐれた馬の機嫌を直すのは根気がいる。 次の主がその苦労を買って出てくれる事なぞ、まずない。 二束三文で売り払われ、それを二、三回繰り返せば、ただでも引き取り手がいなくなる。 となれば次は馬肉じゃ。
これ以上そんな馬の行く末を見るのが嫌になって近衛を辞めたんじゃ。 散々慰留されたがの。
近衛を辞めた途端いろいろな所から誘いが来たが、儂は故郷の近くの小さな牧場でただの馬丁として食って行くつもりじゃった。 ヘルセス公爵家から誘われた時も最初は断ったんじゃが。 奉公したくないなら、せんでもいい、馬場に遊びに来い、と誘われての。 見るだけのつもりで東に行き、そのまま居着いて十年になる。
ヘルセス公爵自らなかなかの乗り手でいらっしゃるし、何より貴族には珍しく馬の気持ちが分かる御方でのう。 馬の世話だけでなく買い入れや馬の老後をどうするかも全て儂の好きに決めてよいと言われて気持ちが動いたんじゃ。
今回次代様に御一緒させて戴いたのは北は名馬の産地として知られているからじゃ。 ジンドラ子爵家には毎年見に来ていたが、北には他にもいい牧場がそちこちにある。 そう聞いてはいたんじゃが、今まではあまりの長旅になるからと諦めていたんでな。
北軍に来て、まず厩舎を見せてもらった。 そこで北の猛虎の馬を見てみたいと言ったら専用の馬はいないという返事じゃった。 共同厩の中の空いている馬に適当に乗るんじゃと。 それには少々驚かされた。
金がないからか? しかしオークを殺しているんじゃろう? それでなくたって軍対での優勝の後、次々と昇進を重ねて今では中隊長じゃ。 しかも独り身なら馬を買う金がないとは思えんが。 不思議じゃったが、いないというなら仕方がない。
「それなら六頭殺しの若の馬はどれなんじゃ?」
「それも共同厩の馬」
「な、なんじゃと。 御自分の馬がない? 伯爵家の若様なのに?」
「若のお気に入りならいるぜ。 あれ」
その兵士が指差した方向には、どへーっとした面構えの馬がいた。
「ホマレっていうんだ」
いや、あれはないじゃろう? 駄馬とまでは言わんが。 まさかヴィジャヤン伯爵家は意外に貧乏じゃったとか?
いくら実家に金がなくとも若様はオークを何頭も殺していらっしゃる。 それだけでも相当な賞金が手に入ったはずじゃ。 賭や酒、女の類に金遣いの荒い御方とかの悪い噂も聞かんし。 お父上は皇太子殿下相談役で、兄のヴィジャヤン伯爵はヘルセス公爵令嬢と御結婚なさった。 実家に送金して金欠という事情があるとも思えんが。
ひょっとして外見は駄馬じゃが中身は名馬なのか? そう思って乗ってみたらやっぱり見かけ通りじゃった。 他にいくらでもいい馬がいるのに、なぜこの馬?
どうにも不思議でホマレの世話をさせてもらったんじゃ。 そこでこんなに幸せそうにしている馬を見るのはなんとも久しぶり、て事に気付いたんじゃ。 特に若様と一緒に走ってきた後のホマレときたら、よっぽど楽しかったんじゃろう。 その気持ちが儂にまで伝わってほこほこ嬉しくなるほどじゃ。
ところがある日若様はいかにもお疲れの御様子での。 言う事を聞かないホマレを相手に苦労なさっているのが見えた。 馬は乗り手の気分に敏感じゃ。 それでなくとも昨日走っていないんじゃからホマレの気分も荒れている。
珍しく若様が、馬肉にするぞ、とホマレに悪態をついた。 いつもの儂なら若いもんの悪態なんぞ聞き流す。 見所のある奴になら説教してもいいんじゃが。 ちょっと悪戯心が起きての。 若様に近寄ってホマレの「通訳」をしてやったんじゃ。
どうやら若様は儂が馬語を話せるという噂をまるっと信じていらしたようで。 りんごで一生懸命馬の御機嫌を取り取り、ホマレにぺこぺこ謝り始めた。 まるで浮気を責められた亭主そっくりじゃ。
いやー、あれには笑ったのう。 後で、じゃが。
儂に馬をいじめた事をなじられれば気味悪く思う奴はいても馬に謝った奴はおらなんだ。 若様は儂の指摘に気を悪くされたようでもなく、それはそれは御丁寧に通訳のお礼までおっしゃって下さった。 そのうえ若饅頭まで戴いては少々後ろめたい気はしたが。 老いぼれのした事じゃ、と勘弁してもらおうかのう。
次代様がいつまでここにいらっしゃるのか知らん。 じゃが儂は北に残る。 儂も年じゃ。 娯楽の一つもなくては年寄りなどやってられんて。




