怖い奴
なんで貴族の従者って主より怖い人が多いんだろう? 怖いという言い方は正しくないのかもしれないが。
まず、トビ。 怖いよな? 俺より怖いのは当たり前としても、俺だけが怖いんじゃないよな? そんな質問、他の人には聞けないでいるけど。
マッギニス上級兵にも怖い従者が二人いる。 マッギニス上級兵より怖いなんて、そりゃ人間じゃないだろう、と思うかもしれない。 でもちゃんと人間なんだ(と思う)。 人外というものがこの世にいると聞いた事はあっても見た事がない俺には比べる術もないが。
マッギニス上級兵が入隊した時から付いてきた方の従者の名前はヘイゲルという。 なぜ怖がられているのかといえば、マッギニス上級兵が入隊して何年も経つというのにヘイゲルを見たと言う人はどこにもいないからだ。 それで幽霊従者と呼ばれている。
幽霊を見たという兵士は結構いるが、ヘイゲルを見たという兵士はいない事を考えると正確なあだ名とは言い難い。 もっとも俺は彼をちらっと見た事が二、三回ある。 それを他の兵士に言ったらすごく驚かれて、ひょっとして若には霊能力があるのかとか、他にも幽霊を見た事があるかとか、いろいろ聞かれた。
答え。 どちらもありません。
だから彼はいる。 それは確かだが、いつもどこにいるんだろう?
例えば俺がマッギニス上級兵の部屋で話し込んでいるとする。 はっと気がつくと机の上には熱いお茶が出されているんだ。 その時はまだマッギニス上級兵に従者は一人しかいなかったから持って来たのはヘイゲル以外ではあり得ない。
だけど兵士の部屋にドアはたった一つしかないし、マッギニス上級兵の部屋だって同じ作りだ。 そのドアに顔を向けて座っている俺に気付かれず、誰かが部屋に出入りするなんて不可能なはず。 なのに俺の頭の中のどこを探っても彼を見た記憶はない。
な、怖いだろ? 熱いお茶で人をぞっとさせるなんて氷の視線でぞっとさせる主の上をいってるよな?
マッギニス上級兵が俺の隊に来た後、一ヶ月ぐらい経ってからモンティックという名の従者が加わった。 モンティックは普段よく見かける。 それはいいんだ。 問題は、なぜか人の隠し事をよく知っているという事だ。 しかも詳しーーく。 まるでその場で見ていたかのように。
実はさ、俺は以前パンツを汚した事があって。 恥ずかしいものだからトビの外出中に自分でこっそり洗濯した事があった。 それをモンティックはトビにちくったんだ。
後でトビから、これでもかって言うぐらい、がっつりこってり怒られた。 モンティックめ、と恨みがましく思ったが、まさかこんな告げ口された、お前の従者を叱ってくれ、なんてマッギニス上級兵に言えないし。
だからってモンティック本人に文句を言ったらどんなしっぺ返しがあるか。 たとえ後ろ暗い事なんか何もしていなくても人に知られたくない秘密の一つや二つ、誰にだってあるだろ。 それをばらされたら、と思うと怖くて何も言えない。 それで結局泣き寝入りというか、そのままにしちゃっている。
だってその洗濯、自分の部屋でやったんだ。 ドアも窓も閉めていたし、帰って来たトビが気付かなかったくらいきちんと後を片付けたのに。 モンティックは俺がついでに手布巾を洗った事まで知っていたんだぜ。 どうしてそこまで分かったの?
ほら、今、怖い、て思っただろ? 他に何を知っているんだろ、とか思うよな? あれもこれも知られていたりして、とかさ。
極めつけがヘルセスの侍従として付いて来た従者四名だ。 筆頭従者の名前はオラヴィヴァという。 北軍ではただの従者でも公爵本邸に戻ればオラヴィヴァは侍従長なんだって。 侍従長補佐がヴァンチュウ。 上級侍従のレーチャー。 同じく上級侍従であるパイルという序列らしい。
公爵家侍従ともなれば只者のはずはない。 それは覚悟していたが、彼らはその覚悟さえ上回った。 隙のない身のこなしで相手を即座に見極める。 気遣うべき人か無視してもいい人なのか。 それはトビだってうまいが、トビより卒がない、て感じ。 気遣かわれたか無視されたかを相手に感じさせるかさせないかもきちんと計算しているみたいだから。
トビより優秀だなんて、もう人外か人外の親戚以外ありえないだろ。 外見は普通の人間だけど。 人間と見分けがつかない人外なんて、それこそ恐怖の対象以外の何者でもない。 そして彼らがどれほど怖いか、儀礼の特訓を受けて骨の髄まで分からされた。
儀礼特訓の初日。 まずレーチャーが模範となる動作をやってみせた。 美しくよどみなく流れる動きでなされる入室、御挨拶から退室。 俺達は全員それをやってみるように、と言われた。
俺達の挨拶を一通り見た後、四人が少し離れた所に行き、こそこそ相談し始めた。 無理であろうな、不可能です、諦めが肝心、とか言っているのが聞こえる。 どうやら完全な駄目出しを食らったようだ。 ここに集められた兵士はほとんどが貴族の子弟なのに。
そりゃ俺みたいなちゃらんぽらんのわからんちんだって伯爵の三男じゃないか、と言われればそれまでだけど。 文盲の平民兵士じゃあるまいし、家でそれなりの躾も作法も見知っている。 俺から見たらみんな結構ちゃんとやっていたと思うんだ。
但し、皇王族や外国の王侯貴族への挨拶を既に習得している侯爵と俺以外の伯爵子弟はこの儀礼訓練を免除され、実家や東の貴族との連絡や準備をしている。 ここにいるのは全員子爵か男爵子弟、または平民の剣士だ。 お手本のような流れる美しさに欠けるのは仕方がない。
皮肉な事に俺達の中で唯一褒められたのは平民出身のフロロバだった。 あいつ一体、どこであんなに優雅なお辞儀を習ったんだろう?
相談から戻ってきたオラヴィヴァが言った。
「残念ながら一年や二年で何とかなるというレベルではございません。 しかしお役目はお役目。 何が何でもこなしてこそお役目。 付け焼き刃でも何でもやりとげてしまった者の勝ち。 ならば目につく所、必要な所だけ徹底的に、という戦法で参ります」
彼の顔に浮かぶ決死の覚悟はさしもの北軍百剣をびびらせた。 だけどそれよりも怖いものが俺達を待ち構えていた。 それは一度見た事は忘れないという、オラヴィヴァの驚くべき記憶力だ。
彼は過去のお出迎えの詳細を全て記憶していた。 誰が何をやったかだけじゃない。 何を着ていた、馬の数、お荷物の数、途中どこにお泊まりなった、その宿では何をした、何を食べたの果てまで。
という事は、もし今回何か間違いをしでかしたらそれは彼の頭の中に永久に消えない記憶となって残るのだ。 みんな恐怖で真青になっていた。 俺は何も感じなかったが。 もうとっくに恐怖の限界を超えちゃっていたから。
オラヴィヴァはその記憶力を縦横無尽に使い、今回のお出迎えであり得る流れを台本にした。 全員に粗筋を説明し、各場面で誰が何をするかを割り振った。 俺達はそれぞれ自分の役割で言うべき台詞と行うべき動作だけを徹底的に習得させられた。
ヴァンチュウ、レーチャー、パイルもいずれ劣らぬ記憶力の持ち主だ。 彼らはオラヴィヴァよりずっと若いから覚えている量は少ないようだったが。
記憶力だけでもすごいのに、パイルの筆記の速度には驚いた。 何か自分なりの法則があるのだろう。 オラヴィヴァが口頭で伝えた事は全て翌日ちゃんと紙に書かれ、それぞれの台詞付きで役割を務める兵士に届けられた。
俺が貰ったのはたったの一ページだけど兵士は二百人いる。 しかも一ページで済んでいるのは俺ぐらいで、他のみんなは複雑な役割と長い台詞があったりするし、五人一緒にする役割もある。 全部の台本を合わせたら千ページを軽く越えているだろう。 俺が一生かかっても書き終えられない分量だ。
台本はありがたかったけど、たった一日のオラヴィヴァの特訓で全員まるで師範に十日連続でしごかれたかのようにぐったりとなった。 でも手にした台本を読めばヘルセスの従者達がたったの一晩でどれほどの仕事をこなしたかが分かる。 きついと文句を言う者は一人もいなかった。 まあ、文句を言ったらどんなしっぺがえしを食らうか分からないという恐怖が理由だったのかもしれないが。
特訓期間中、そっちこっちで怖い奴には逆らうなという囁きを何度も聞いた。




