追う 猛虎の話
「よお、参謀総長」
中隊会議が終わり稽古に行こうとしたらポクソン中隊長が俺に声を掛けながらにやりと笑う。 俺達はそのまま連れ立って道場へと歩き始めた。
「何です、その参謀総長と言うのは?」
ポクソン中隊長は訝しげに聞き返した。
「何です、とは何だ。 本人にまだ打診もしていないと言うのか?」
「打診って。 何の打診でしょう?」
「知らぬは本人ばかりなり、てやつか?」
「一体何の話です?」
「公爵家継嗣に会っただろう?」
「若の側に張り付いている近うよれですか。 声は掛けられましたよ」
「今回そいつが入隊した真の目的は、お前をヘルセス軍に勧誘する事にあるという噂だ」
「へえ。 そんなお誘い、一言も聞いていませんがね」
笑いを拭い去り、ポクソン中隊長が言う。
「お前の方から挨拶に行こうとは思わんのか?」
「なんで俺が新兵に挨拶に行かなきゃならないんです?」
俺の返事にポクソン中隊長が心底呆れたと言わんばかりの顔を見せた。
「相手は仮にも公爵家次代だぞ? 公爵になるかならぬか分からない継嗣じゃない。 正真正銘のお次様。 公爵にまだなっていない今でさえ色々な事をやろうと思えばやれる御身分だ。
このまま北軍にいたって中隊長で頭打ちな事くらい、お前も承知しているだろうに。 来て下さいと請われている今の内に公爵軍へ移り、いずれは参謀総長に、と思わんのか?
公爵軍ともなれば給金は北軍将軍の十倍という話だ。 中隊長クラスでも北軍の四倍出すと聞いたぞ。 しかも穏便に呼び寄せる為にお前と親戚の娘を結婚させ、姻戚関係を結ぼうとするだろう。 持参金付き貴族の美人妻! どうだ、畏れ入ったか!」
ポクソン中隊長とは道場で共に過ごした年月こそ長いが、今まで金や昇進、ましてや妻の事など話した事はない。 いきなり生臭い話を持ち出され、俺の方こそ呆れてしまった。
「畏れ入ったかって。 何も言われていない内から、どう畏れ入れって言うんです?」
ポクソン中隊長は、ちょっと考えて言った。
「ふうむ。 今の所はお前の方から寄ってくる事を期待して様子を見ているのかもしれん。 だがいくら待っても来ないとなれば向こうは動いてくるぞ。 長期滞在のつもりではいるらしいが。 公爵家次代が長々北の田舎に巣くってもいられんだろうし」
「別に誘われたって行く気はないです」
「地位と金と女を用意すると言われてもか?」
「地位、ねえ。 ヘルセス軍には平民に指揮されて嬉しい軍人ばかりがいるとでも? 給金は確かにくれるんでしょうが、つまりそれだけこき使われるって事なんじゃないんですか。 御存知のように俺は剣以外の取り柄はない男です。 他にあれもこれもやってくれと言われたってやれません。 最初は剣だけ振ってりゃいいと言うかもしれませんが。 仮にも参謀総長なら参謀総長の仕事をやらなきゃ文句が来るでしょう?
ここは給金は安いが、剣だけ振り回していたいという俺のわがままを聞いてくれる。 偶にオークを狩って臨時収入っていうのもあるし。 贅沢しなけりゃ金を貯めるのに苦労はしません。 暖かい所に遊びに行った奴らはみんな、金が羽を付けたように飛んで行ったと言ってましたよ。 何でもかんでも高くて。
それに俺は結婚する気なんかありません。 百歩譲っていつかするとしても貴族のお姫様とか、そんな面倒くさい女房はごめんです。 何かある度に父上や母上が顔を出すんじゃおちおち夫婦喧嘩も出来やしない。 話があっても遠慮させてもらいます、て事で」
ポクソン中隊長が大きくほっと安堵のため息をもらした。
「何なんです? ポクソン中隊長までそんな根も葉もない噂を信じていたんですか?」
「いや、私は根も葉もない噂だとは思わん。 公爵家継嗣を入隊させるに足るほどの理由が他にない。 お前がヘルセスに行けば当然若も付いて行くだろうし」
「……案外そっちが本命なのかもしれませんね。 若だって前に勧誘されている。 その時断ったんでしょう?」
「うむ。 考えてみれば若はお前が理由で断ったようだしな」
「俺ですか? それもあるかもしれませんが。 それだけじゃないと思いますよ」
「他に何か北に留まる理由があったか?」
「なんというか。 あいつはもうすっかり北の水に馴染んでいるって感じがするんです。 寒がりですがね。 何しろ股引の三枚重ね」
因みにこれは俺があてずっぽうで言ってる訳じゃない。 若と風呂に入った奴らが確かに三枚だったと証言している。 俺の言葉に頷きながらポクソン中隊長の顔にようやく微笑みが浮かんだ。
「あれには参った。 隣に座った奴が短パン、はまだいい。 あの若の、笑いの決め手はやっぱ雪だるまだよなって」
思い出しただけでおかしくなって俺達はひとしきり笑った。
あれは初雪が降った日の事だ。 若が股引の三枚重ねをはいてきた。 一枚なら分かるが三枚重ねる必要がどこにあるという気温なのに。 しかも若は、皆の笑いを誘っているのは隣に座ったデュシャンの短パンに付いている雪だるまのアップリケと思い込んでいた。
正直な所、北軍に入隊したからと言って、いや、軍対抗戦で勝ち、昇進した後でさえ俺の中に北軍に対する愛着があったとは思わない。
故郷ではないどこかへ行きたい。 ただそれだけの理由で俺は北軍に入隊した。 それ以外の職など家出した農民の俺にはなかったから。
親に反対され家出同然で入隊したとは言っても、生まれ故郷や育ててくれた父母に不満があった訳じゃない。 だが俺にとって故郷での時間はあまりにもゆっくり単調で、それがたまらなく俺をいらつかせた。
農家の長男として学ばねばならないのは多い。 春の段取り、夏の日差しの有効活用、季節の移り変わりにすべき事、冬支度。 秋の収穫が終わっても来年の準備をしておかなきゃ食うに困る。 なのに俺は剣を振り回してばかりで家業を顧みなかった。
入隊してもしばらくの間親は、特に父親は、俺がいつか帰って来る事を諦めていなかったらしい。 さすがに小隊長になり中隊長まで昇進してしまえば、帰って来るのは死んだか怪我をした時と諦めがついたようで。 最近になってようやく、元気で生きていさえしてくれればいい、と弟の嫁に漏らしたと聞いた。
剣で身を立てるつもりではいたが、どこかが傭兵として雇ってくれるなら北軍でなくてもよかった。 貴族に傭兵として雇われるには十八では若すぎ、北軍しか行く所がなかったから北軍に入隊しただけで。 強ければどこに行こうと尊敬されると思っていたし。
その考えが若の入隊以来、少し変わったような気がする。 俺もこれほど名が知られるようになれば勧誘だって来るし、やる事さえ同じならどこに行っても構わないと言えば構わない。 なのに恐らく若は北軍から離れまい、そう思っただけで俺もここから動く気になれない。 という事は、北軍に愛着が生まれたと言うより若が理由なのかもしれない。
若のどこがこんなにも俺を惹き付けるのか? 不世出の弓の才能だが、それがどうした。 俺にはやれない事だと感心はするが、だからと言っていつも側にいたいという気持ちになるもんじゃない。 あいつの側にいたら爵位や金が手に入るという訳でもないし。
ではあの物怖じしない態度か? 俺が近寄っただけでびくつく奴を見慣れているからか、平気で俺の側に寄って来るあの態度は見ているだけで面白いと言えば面白いが。 それだけだ。
だが、あの目。 あの、何事も正確に見切る瞳。
なぜかあの瞳に見つめられていると思うだけで俺は迷わず己の道を進めるような気がするんだ。
俺だけなら誘われてもヘルセス軍に行く気はない。 けれどもし若がヘルセス軍に入隊するとなったら。 きっと、あの瞳を追わずにはいられないだろうな。




