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弓と剣  作者: 淳A
公爵家継嗣
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貧乏くじ  モンドー北軍将軍の話

「やむを得ないかと存じます」

 カルアがいつもの冷静さを見せて言う。

 そりゃあ、やむを得ない。 分かっている。 分からざるを得ない。 元々皇国軍は貴族またはその子弟というだけで入隊を拒絶する事など出来ないようになっているのだ。 加えてこの推薦状。

 ただの推薦状ではない。 ヘルセス公爵。 皇太子殿下御相談役にして先代ヴィジャヤン伯爵。 当代ヴィジャヤン伯爵。 差出人の名前の煌びやかさだけで否応もない。 それら全てを合わせたより更に重い皇太子殿下からのお言葉付き。


 しかし公爵家継嗣。 思わず天を仰ぐ。 正直な所を言ってしまえば入隊など迷惑千万。

「ふん。 どうせ若を勧誘しに来たのだろう」

「何度勧誘しても手紙を送った程度では若がうんと言わないからでしょう。 ここには憧れの猛虎がいる、と。 若もああ見えて中々頑固な所があります。 ただ面と向かって頼まれたら押しに弱いという性格でもあり。 それが知られたのではないかと」

「猛虎と言えば。 ヘルセスは以前タケオを誘った事があったな?」

「はい。 三年ほど前になります。 頑固となるとタケオも若といい勝負。 しかし若の気持ちが動き、若と一緒ならどうだ、となれば、その頑固も揺らがないとは申せません」

「北の宝を盗みに来た盗人め。 と、面と向かっては言えんが。 どうにか門前払いする手だてはないものか」

「門前払いした所であの二人を勧誘したいのはヘルセスに限った事でもありません。 ヘルセスがいる内はヘルセスへの遠慮で二人への勧誘が減ると考えられますが。 ヘルセスが帰った途端、元に戻るでしょう」

「確かにな。 勧誘ならどちらにも山のように来ていたし、人気に衰えは見えん。 陰謀まがいの勧誘はなくて済んでいたが。 それは皇軍兵士を引き抜くのにあからさまな真似をしては陛下の御機嫌を損なうからに過ぎん。

 それにしてもヘルセスめ。 学ぶ価値のあるものなど何もない所へ継嗣を送り込むとは。 全く忌々しい」

「姻戚関係が出来た事で大胆になったのでしょう」


 公爵家ともなれば広大な自領を警備するため数千人を越える規模の兵力を持つ。 巨大すぎる軍備は皇王陛下の心証を悪くする恐れがあるという事で公称兵力が一万を超える所はない。 だが領内の各都市には自警団や火消し隊の名目で人員が配置されている。 いずれも兵士として戦闘訓練を受けている者ばかりだ。 それに兵の数こそ少ないが、貴族軍はどこも最新の武器と少数精鋭を誇る。

「ヘルセスは公称六千五百だったか?」

「はい。 実際の兵力は凡そ一万二千。 他の公爵家に比べれば少ないながらヘルセスの騎馬部隊は国内最強と評価されております」

「正直な所、軍備に無関心に見えたヘルセス公爵がここまでするとは思わなかった。 若は義息の実弟だが、だからと言って何をしても許される訳ではないだろうに。 引き抜きに成功したとしても陛下からの御下問に何と申し開きする気か」

「あちらは手順を踏むと思います。 春には消える雪でもない。 二人を自領に招待し、そこで親戚の娘と見合いをさせ、結婚。 妻にヘルセス領への転居を強請らせるとか。 長期戦を覚悟しているのでしょう。 それでしたら陛下の御不興を買う事もないですし」

「御不興に思し召されたとしても止めるのは難しかろう。 私がこの入隊を止められずにいるように」

「ともかく万が一怪我でもされた時の対処を考えねばなりません。 第一駐屯地に限っても毎年千人近くの兵が事故や病気で退役しております。 たとえ事件性はなかろうと何かあった時に放置する事は出来ないでしょう。 簡単な怪我でさえ再発防止と、誰がやったどうして起こったの詮索をする事になるかと。 病死となれば、それが原因不明である場合毒殺ではないのか、と大騒ぎになる事が予想されます」

「何が起ころうと苦情や怨言は言わぬ、と誓約書を持って来たではないか。 それを言葉通りに受け取って知らぬ存ぜぬを通す訳にはいかぬか」

「本人に問題にする気はなくとも周囲が黙っているとは思えません。 周囲も誓約書を書いた訳ではないので」

 本日何度目かのため息を漏らした。 事と次第によっては職を失う者や不名誉除隊になる者も出るだろう。 そういう目にあったとしても公爵家継嗣に関わった事が身の不運と泣いて諦めるしかないのだ。


「いきなり公爵家継嗣を受け入れろと言われても受け皿がない。 それは嘘でも誇張でもないのだがな」

 皇国軍は表立っては誰も言わないが、国の失業対策も兼ねている。 さすがに近衛ともなれば誰でも入隊出来る訳ではないし、東軍の審査も厳しいらしいが。 その他の軍は健康な成人男子であれば問題なく入隊出来る。 北軍なら文盲であろうと入隊に支障はない。 高貴な方々をお守りする役目がある訳でもなければ次代の陛下に軍の詳細を学んで戴くための体制や設備が整っている訳でもないのだから。

「取りあえず貴族用兵舎へ入れるしかありません。 よろしいですね?」

 貴族用兵舎と言っても名ばかり。 造りは普通の兵舎と変わらない。 四人部屋を貴族一人で使っているというだけだ。 まあ、兵舎に住んでいる人数が他に比べ少ないから静かだし、貴族同士の親交も深められると好評だが。 それは北には子爵と男爵しか住んでいないからでもある。 下級貴族は上級貴族のような一般とかけ離れた生活はしていない。

「あそこにヘルセスを住まわせる? どんなに掃除をした所で元がお粗末な兵舎だ。 公爵家継嗣を犬小屋に入れる気か、不敬極まる、と文句を言われるだろう? 美麗を尽くした別邸を提供される事までは期待していないだろうが」

「さればと言って何ヶ月いるつもりか分からないヘルセスのために兵舎を新築する訳にもまいりません。 いずれ爵位を継ぐのですから何年もいるはずはないですし。 金がどうこうより間もなく冬。 どれ程急いだ所で建て始めるには春を待つしかなく、下手をすると建て終わったと同時に本人は帰国となる事さえあり得ます」

「だが既存の貴族用兵舎に入れたら他に住んでいる兵士がいる。 問題となるだろう?」

「なるでしょう。 公爵にお近づきになる絶好の機会です。 相当数の貴族が死にものぐるいとなるはず。 最悪の場合、貴族の子弟同士で血を見る争いになる事も考えられます」

「内輪揉めによる負傷者も十人や二十人では収まらんかもしれんぞ」


 侯爵以上の貴族なら皇王族の誰にでも理由を申し立てずにお目通りが叶う。 皇王陛下へのお目通りともなれば、さすがにそう簡単にはいかないが。

 これが伯爵以下だと皇王族へのお目通りを申請しても、まず理由が審議される。 その理由に対する許可が下りなければ侍従長の手元に日程のお伺いが届く事はない。 皇王陛下に対しては、お目通り申請の権利さえない。 伯爵以下の貴族は公侯爵の誰かを通して申請するしか手だてがないのだ。

 爵位の違いからくる権利権益の違いはこれに止まらない。 公爵家継嗣と子爵男爵では貴族と平民以上の差があると言える。 北軍で貴族と言えば子爵もいるが男爵がほとんどだ。 上級貴族との付き合いに疎い彼らがヘルセスと隣同士に暮らして問題が起こらなかったら不思議だろう。


「ここは若の指導力に期待するしかありません」

「指導力? そんなものがあったのか?」

「存知ません。 ある事を期待するしかない、という意味です。 猛虎人気のおかげでマッギニスを始め侯爵庶子や上級貴族と姻戚関係がある者、伯爵の子弟も入隊するようになりましたが、まだ少数。

 軍は軍。 相手は新兵だ、と私が言うのは簡単ですが。 平民出身の兵士に向かって、お前は上官なのだからヘルセスに命令しろと言っても遠慮が先に立つでしょう。 彼らにしてみればヘルセスは雲の上の人。 単なる新兵として扱う事など出来るはずもなく。

 しかも本人はお蚕ぐるみで育てられ、周りに過剰な気遣いをさせないために気遣うなど思いつきもしない。 若以外に上官が務まる者はおりません」

「まあ、私にしたところで現在の爵位は子爵に過ぎないからな」

 ただ将軍職を拝命したおかげで退職後は準公爵に叙される。 準爵位は子孫に継承する事が出来ないというだけで正爵位と同位だ。 宮廷内での扱いも公爵と同等となる。 つまり爵位だけで言えば私とヘルセスは同位。 だが裏を返せば彼と同位なのは北軍では私しかいないのだ。


「若の隊を指定してきてくれたのだけは有り難い。 そもそもそれ以外どこにも入れようがない。 先代も当代伯爵も、それを予想して推薦状を書いたのかもしれんな」

「他の者に迷惑がかかるよりは、というお気遣いはあるのでしょう。 しかし若にとってこれは殿下の身代わりとなって殺されかかった以上の貧乏くじ」

「公爵家継嗣に振り回されたところで感状の一通も貰える訳ではないのだからな。 上からも下からも文句を言われ、その板挟みとなるだけで。 それは向こうも分かっているだろうに。 全く遠慮のない」

「そこを敢えて、の入隊です。 それ程なりふり構っていられなかったという事かと」

「若を北から連れ去りたい者はヘルセスに怪我を負わせ、若の責任問題にするくらいの事は考えるだろう。 そやつらにしてみればヘルセスに感謝してもしきれんな」


 恨み言は尽きないが、ヘルセスはもう到着している。 何かが起こると知りつつ将軍の権威をもってしても変え難い状況だ。

 己の無力さにため息をつきながら私はヘルセスが待つ将軍補佐執務室のドアを開けた。


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