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弓と剣  作者: 淳A
昇進
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呼び声

 リッテル軍曹はいつもどこを探してもいない。 小隊会議にはかろうじて顔を出してくれるが、それって週に一回だ。 上から伝えられた注意事項、申し送りを伝え、休みを取りたい隊員がいるかとか確認するだけ。 三十分もしないで終わる。

 会議が終わり次第、リッテル軍曹はさっと消える。 行かないでと言いたいが、では何か用かと聞かれれば、ありませんと答えるしかない。 だって小隊長にはなったけど、小隊長としてやれと言われている事は今まで通り弓の稽古だけなんだ。

 部下も転属前の任務の引き継ぎが終わるまで今まで通りでよいと俺の直属上官となったオンスラッド中隊長に言われている。 どの部下も簡単に後釜が見つかるような仕事じゃないらしく、引き継ぎは終わっていないし、いつ終わるかも分からない。 だから小隊としての任務はまだ何もやっていない。 だけどいつまでもこれで済むはずないよな?


 初めて小隊長をやってみて俺はちょっとびっくりしている。 小隊長とは部下にああしろこうしろと命令する人だと思っていた。 そんな事俺には出来ない。 だから何をどう命令したらいいのか、リッテル軍曹に聞くつもりだった。

 もっとも振り返ってみれば自分が平の兵士だった時ソノマ小隊長からああしろこうしろと命令された事はない。 お前は何も考えず弓の稽古をしていればいいんだと言われ、その通り弓の稽古を毎日やっていた。 新兵が全員やらねばならない行進の全体練習とか掃除当番くらいなら俺もやったが。

 大きな声じゃ言えないが、本物の小隊長には色々やらなきゃいけない事がある。 勉強しなきゃいけない事も。 でもほとんどは部下が五十人もいるから必要な事だ。 五人しかいなくて、しかもそれぞれ既に担当している業務がある。 となると俺が新しく考えなきゃいけない事は特にない。

 だから小隊長になっても俺の日常は大体今まで通り。 新兵がやるべき掃除当番とかはやらずに済むようになったが、その代わりオンスラッド中隊長との面談や中隊会議に出席するとか書類に判子を押す仕事が増えたから差し引きゼロ。 弓の稽古をする時間が増えた訳でもない。


 メイレ、リスメイヤー、フロロバは一応射手になったから偶に一緒に稽古する事もある。 だけどメイレはしょっちゅう手術で呼び出されているし、リスメイヤーは薬の調合に忙しいとかで弓の稽古をするのは朝の一時間だけだ。 フロロバは色んな人から呼び出され、そっちこっちに顔を出しに行く。 稽古をしている方が珍しい。 弓は俺の部下の中で一番下手なのに。 でも呼び出すのは俺より偉い人ばかりだから行くなとは言えないし。

 リッテル軍曹とマッギニス上級兵に至っては的場に来た事なんて片手で数えるくらいしかない。 他にちゃんとした仕事があるらしく、いつも忙しそうにしている。 第八十八隊は射手もいる歩兵部隊だから弓の稽古はしたくなければしなくてもいいんだけどさ。 なぜか部下が何をやっているのか上官の俺が全然知らないんだ。

 もちろん何をしているのか聞いた事はある。 それに対するリッテル軍曹の答え。 

「ちょっとな」

 マッギニス上級兵。 

「日常業務です」

 それじゃ何が何だか分からないだろ。 かと言ってそれ以上突っ込んで聞く勇気は出なかった。 俺は上官なんだぞ、部下が何をしているか知らないでどうする、と思わない訳でもないが。 知った所で俺が何か手伝えるって訳でもないし。

 自室で仕事をしていると聞いたから部屋へ行ってみた事ならある。 リッテル軍曹の部屋は箱で一杯だった。 寝る場所なんかないくらい。 どこで寝るの、と聞いたら、駐屯地の外に自宅があるんだって。 その時箱の一つを運ぼうとしていたから、手伝おうかと言ったら断られた。

「小隊長。 お気持ちは有り難いんですがね、壊れたら弁償して下さいよ。 金なら捨てるぐらいある御方だ。 部下に損をさせて知らん顔、なんて真似はなさらないと思いますが」

 そこまで言ったら脅しだろ。

 マッギニス上級兵の机の上にあったのは書類や手紙で壊れ物じゃないが、やっぱり触る気にはなれなかった。 どれもすごく上質の紙だったから。 誰から来たのか知らないが、差出人が高貴な御方である事は間違いない。 マッギニス上級兵が書いている途中の返事も難しい漢字がいっぱいで、何を言っているんだか分からなかったし。 下手に触って汚れたからお前が書き直せと言われたらすごく困る。


 ところでマッギニス上級兵も消えると言えば消えるが、毎日午前中の約一時間半、俺に軍規や軍の構成、どの大隊がどんな役割を果たしているかについて細かに教えてくれる。 そんなの単なる小隊長で、しかも小隊長で頭打ちの俺に教える必要があるとも思えないのに。

 そもそも上級兵に過ぎないマッギニス上級兵が、どうしてそんな事に詳しいの? 冬のための食糧備蓄倉庫がどこに何か所あるかなんてソノマ小隊長だって知らないと言っていた。

 この授業にはトビも同席しているが、授業は明らかに俺の進度に合わせている。 トビは俺よりずっと頭が良いから一度教えたら二度繰り返す必要はない。 マッギニス上級兵は必ず俺に前回の授業で教えた事に関して質問し、ちゃんと理解しているかどうかを確認する。 そして俺が覚えていない事や誤解している事があると、また説明してくれるんだ。


 極秘なんじゃないの、と思うような武器情報とかも次々教えてくれるから、マッギニス上級兵に聞いた事があった。

「どうしてそんな事まで教えてくれるの?」

「間もなく必要になると思われますので」

「間もなくって、いつ?」

「分かりません」

 マッギニス上級兵に分からない事が俺に分かるはずはないからそれ以上聞かなかったが、気になって部屋に戻ってからトビに聞いてみた。

「なあ、トビ。 間もなく必要になるって、どういう意味だと思う?」

「来るべき若の昇進に備えて、という事なのでしょう」

「来るべき? 俺、もう昇進したけど?」

「次の昇進の事を申し上げております」

「次なんてある訳ないだろ」

「ございます」

「な、何、その確信」

「若が今回小隊長になったのは、いきなり中隊長にする訳にはいかなかったからです」

「えっ? そんな事、何も聞いてないよ?」

 なぜかトビがそっとため息をついた。 

「マッギニス上級兵が授業の中で軍規を説明した時、昇進に関する事項がございました」

「ああ」

「その中に、役付になると特進、つまり小隊長が中隊長を飛び越えて大隊長になる特別昇進を認めない、という一項があった事を覚えておられますか?」

「は? えーーと。 そう言えば、そんな事があったような気もする。 でも俺と何の関係もないだろ」

「ございます」

「どこが?」

「中隊長より下の階級の軍人が皇太子殿下から感状を戴いた場合、中隊長への昇進が約束されております」

「はあ?」

「平の兵士が皇太子殿下より感状を戴くなど前例のない事で、そのために若はまず小隊長に昇進した訳ですが、いずれ中隊長に昇進なさる事は決定済みなのです」

「そんな事、誰から聞いたの?」

「マッギニス上級兵が授業中に説明なさった事柄を繋ぎ合わせれば、そうなります」

「中隊長なんてとんでもない。 そんなの無理。 小隊長だって出来るかどうか危ういっていうのに」

 出来ない事をやれと言われても、俺、困るんだけど、とトビに文句を言いそうになったが、それを言った所で仕方がないと気付き、口をつぐんだ。


 なんだかなあ。 北軍に来てからの毎日ってほんと、濃い、ていうか。 思いがけない事の連続だ。 思わずため息をついて窓から空を見上げた。

 そこには抜けるような北の青空が広がっている。 振り返ってみれば、あの軍対抗戦の会場で北の猛虎に出会った事が、そもそもの始まりなんだよな。 あちらは俺の事知らないんだから出会ったと言うより、こっちが一方的に見ただけなんだが。

 偉大な英雄って偶々傍にいただけの人の人生さえ、とことん変えてしまう。 でっかいうず潮みたい。


 今でも俺の脳裏にあざやかに蘇る。 あの会場で聞いた北の猛虎の咆哮。

 来い。 すぐに来い、と俺を呼んでいるかのような。 あの人の側に駆けつけなくちゃ、て気持ちにさせられた。

 そんなはずはないのに、さ。


「昇進」の章、終わります。


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