思い込み ジンドラ家家政婦、トミの話
「リオ様、少し落ち着きなさいませ」
今朝からもう何度、嗜め申し上げた事か。 リオ様は言われなくても分かっているわ、と言いたげに一旦お席に着いて下さるが、五分も経たぬ内にまた窓の方をちらちらと眺められる。
やれやれ。 今日は二番目のお兄様であり北軍兵士であるソイ様が月に一度、御帰宅になる日。 リオ様は待ちきれぬ様子を隠そうともなさらない。 私に叱られぬよう盗み見た窓に待ちかねた影が現れると、お止めする間もあらばこそ。
「お帰りになったわ!」
一声叫ばれ、二階の自室から飛び出し、だだだだっと一気に階段を駆け下りていかれた。
ジンドラ子爵令嬢ともあろう御方が。 思わずため息をついた。 なんとあれで御年十八歳。 同い年の御令嬢の中には御結婚なさった御方、その腕に赤子を抱いている御方とて珍しくないというのに。
ただ、この振る舞いだけでお嬢様を判断して欲しくはない。 二年前奥様が病でお亡くなりになられて以来、お若いにも拘らず館の女主人のお役目を立派に果たしていらっしゃる。
私が手塩にかけてお育て申し上げたから多少の贔屓目はあるにしても、聡明で闊達な御気性。 女性としての魅力に溢れ、美しさで近隣に知らぬ者とてなかった亡き奥様に面差しの似た花の盛り。 御結婚のお申し込みも一つや二つではなく頂戴している。 けれどいかに素晴らしい宝玉であっても目立たぬ傷があるもの。
「ソイ兄様、お帰りなさいませ! 『ともびと』はどちら?」
妹に甘くていらっしゃる次男のソイ様は地響きを立てた出迎えのはしたなさを咎めるでもなく。 ほら、と馬の鞍に括り付けてあったサッチェルからくだんの会誌を取り出して差し上げた。
「ありがとう、お兄様! それでは御機嫌よう」
それさえ受け取れば後は用はないと言わんばかり。 リオ様は来た時と同じ足音を響かせ、一目散に自室へと戻っていかれた。
別に六頭殺しの若のファンになるなと言うのではない。 しかしものには限度というものがある。 そんな事より御結婚相手を真剣に探すべきお年になっていらっしゃるのだから。
実は以前、旦那様の御友人でいらっしゃるモンドー将軍様から六頭殺しの若様とのお見合いの打診があり、若様の大ファンでいらっしゃるお嬢様は珍しく大乗り気だった。 残念ながら若様の方にその気がなく、話は立ち消えになったのだけれど。
現実的な旦那様は、上官の友人という程度の繋がりで国民的英雄がしがない子爵の娘を娶ったりはせぬ、と平静を装われていたけれど。 お心の中ではさぞかしがっかりなさった事と思われる。 でも若様のお目に留まる機会を逃したからと言って御結婚相手を探すのを止めてよいものではない。
「ソイ様、お帰りなさいませ」
「トミ、ただいま。 父上兄上にお変わりはないか?」
「はい。 どちら様も御健勝でいらっしゃいます。 しかしながらリオ様の御趣味は少々お諌めする必要があるのでは?」
居間でソイ様にお茶を差し上げながら私はつい差し出がましい事を言わずにはいられなかった。 旦那様はリオ様には特に甘くていらっしゃる。 お叱りやお諌めの言葉など一つも期待出来ない。
継嗣であるラカ様も間もなく御結婚なさるというのに小姑が邸内にいる事を少しもお気になさらない。 御結婚相手はリオ様の御親友、ミミ様だからあまり心配する必要はないとは言えるのだけれど。
「うむ、まあ、な。 トミが心配する気持ちも分かるが。 大した実害があるでなし」
いえ、ございます、と申し上げようとした途端、きゃあああ、と時ならぬリオ様の叫び声が邸内を駆け巡った。 すわ、何事、と身構える私に、ソイ様は冷静におっしゃる。
「読んだようだな」
「何を、でございますか?」
「今月号の会誌に決まっているではないか」
「今月号に何か叫び声を上げるような記事が載っているのですか?」
ソイ様がお答え下さる前にリオ様が二階より駆け下り、大変な剣幕でおっしゃった。
「お兄様、ひどいわ! あれ程何度も美味しい話があれば絶対教えて下さいね、とお願いしておりましたのに! 会誌に載るまでお手紙の一つも下さらないだなんて!! このような重大ニュースを受け取るのに出遅れては私の面目丸つぶれですわ。 それくらいお分かり戴けないのかしら」
地団駄を踏まれるリオ様をあっけにとられて見ている私を他所に、ソイ様は慌てずお答えになる。
「そう責められてもなあ。 そんな噂があるとは全然知らずにいたのだよ」
「もう! お兄様ったら本当に鈍くていらっしゃるのね。 少し見ただけで恋するお二人の間にある何かが感じられませんの?」
「全然感じられなかった。 いや、私だけじゃないぞ。 私の知り合いは全員全く知らなかったと言っていた。 まあ、噂があるという事は何かあるのだろうが。 今そういう目で見てもあっさりしているし。 とても何かあるようには見えない。 もしかしたら噂が広まる前に終わったのかも?」
「ほんっとうに頼りにならないお兄様! 始まった事さえ御存知なかったのに終わった事がお分かりになりますの?
ともかくこうしてはいられないわ。 すぐミミに知らせなければ」
お嬢様はすぐさま部屋を飛び出して行かれ、下男のドウに大声でお命じになった。
「大至急で馬の用意をして頂戴! ミミの家へ行くから」
何が何だか訳が分からない。
「ソイ様。 これは一体、何事でございましょう?」
「今月号の会誌にはな、マッギニス侯爵家次男オキ殿と若の従者とのBL疑惑が載っていたのだ」
「んまあ。 なんとした事」
お嬢様は俗にいうところの腐女子で、同好の士であるミミ様と一緒に同人誌を出していらっしゃる。 若様ファンとは言っても、実は若様と北の猛虎との、何というのだったか。 そう、「もえ」を追求されていらっしゃるのだ。
これに関しても是非旦那様にお諌めして戴きたいのに、同人誌を出すくらいドレス一着分もかからない、と大変鷹揚でいらっしゃる。 旦那様は中身を一度もお読みになった事がないので無理もないのだけれど。
その晩の夕食のお席でリオ様が珍しく旦那様におねだりをされた。
「ねえ、お父様。 この秋の品評会に若様の小隊をお連れ下さるよう、モンドーおじ様にお願いして戴く訳には参りませんか?」
「ふむ。 それは良い考えだ」
リオ様の狙いは御自分の目で噂の真偽を確かめたいだけのような気がするけれど、旦那様は素直に喜ばれた。 若様との御縁談などとうに諦めていらっしゃるとは言っても、若様はまだ一度もリオ様とお会いになっていない。 こういう事は瓢箪から駒という事もある。 お見合いという堅苦しい席を設けるのは無理でも、さりげなく出会う事がきっかけで見初められないものでもないと思われたのだろう。 旦那様は早速根回しを始められた。
ジンドラ子爵家の牧場は名馬を産出する事で知られており、秋に行われる馬の品評会には皇国全域からかなりの数の貴族が、これはという馬を買うために目利きを送ってくる。 モンドー将軍様も大の馬好きで、品評会には必ず毎年自らお越しになり、その時護衛の小隊をお連れになる。 その一つが若様の小隊であっても不思議はない。
北の女性なら誰でも馬に乗るけれど、リオ様は男性と比べても見劣りしない程の乗り手でいらっしゃる。 駿馬を乗りこなす美女を一目見て恋の花が咲かぬものでも。 と、品評会が始まる前から私まで浮き足立っていた。
この年の馬の品評会でリオ様はマッギニス様とお会いした。 どうやらその際、御自分をお二人の愛の隠れ蓑になさって、と申し出たらしい。
翌年、マッギニス様とリオ様は御結婚なさった。 大変喜ばしい事ではありながら、そのような理由での御結婚など大丈夫なのか。 先行きに不安がない訳でもなかったけれど、次々と生まれてくるかわいらしいお子様達のお顔を見て、ようやく胸を撫で下ろした。
ただお子様をお産みになられた後も御自分は隠された愛の隠れ蓑という思い込みは消えていなかったようで。 御結婚後十年経ち、三人目のお子様を嬉しそうにあやされる旦那様を御覧になりながらリオ様が私に、ひょっとしたらあれは本当に単なる噂だったのかしら、とつぶやかれたのには、何を今更、と心底呆れるしかなかった。




