隠れ蓑 リッテルの話
「リッテル軍曹、どういうおつもりですか?」
トビが小声とはいえ、きつい口調で話しかけてきた。 俺はしれっと答える。
「隠れ蓑が欲しいかな、と思ってさ」
「隠れ蓑?」
「そう。 おまえと若の間には主従関係以外何もねぇ、と世間に思わせるための」
「私と若の間には主従関係以外何もありませんが?」
「と、周りが思ってくれねぇとしたら?」
ふうっとトビがため息をつく。
「そこでマッギニス上級兵とのBL疑惑、という訳ですか」
「まあな。 お前と奴は出来ていると皆が思ってくれれば好都合、てやつだ」
「それなら相手がマッギニス上級兵である必要はないのでは? 若の部下の三人は全員かわいい顔立ちをしていますし」
「マッギニスの実家の影響力を侮るな。 今、北軍兵士の中であいつの実家以上の力を持つ奴はいねぇ。 これは将軍閣下を含める。 もちろん若の家もだ。 いや、皇国全部を見渡してもあの一族と正面からぶつかりたい奴はそういねぇだろう。
近衛将軍を輩出しているので有名なだけじゃねぇんだ。 皇国最大手の武器商人として軍需の要という要を握っている。 どこの貴族だろうと武装しなきゃ安眠出来ねぇ。 最新の武器を揃えておくのは貴族の常識だ。 奴らを怒らせて武器を売り渋られたらどうする。 闇ルートを使っても入手は可能だが、正規の二倍、三倍の金をふんだくられるだろ。
お前に何かを仕掛けたらマッギニスを怒らせる、と思えば襲うのに二の足を踏む。 家訓が、報復は倍返し、なんだぜ。 敵に回して無事で済む相手じゃねぇ」
「いざとなれば私は若のために命を投げ出す事くらい何でもありません」
「そこが狙われる原因だ」
「そこ、とは。 どうしてでしょう?」
「若の為なら火の中水の中と思っている奴を、あの若が見捨てると思うか? それは敵にもばればれと思った方がいい。 そこをうまく利用しよう、と誰だって考える」
「一体どう利用すると言うのです?」
「例えばお前が誘拐されたとする。 お前は死ぬ気でいようと、じゃあ勝手に死ね、と若が言うか? その時無茶を止める奴が側にいればいいが、お前を一人で助けようとして飛んで火に入る夏の虫となったらどうする」
「それは。 確かにあり得る事ではありますが、私に限った事ではありません。 若は御自分の周りの者、誘拐されたのが誰であれ我が身を犠牲にしても救おうとなさるでしょう」
「と知っているのはお前だけ。 他の奴らは主が奉公人のために自分を犠牲にするとは思わねぇ。 だが自分の愛する奉公人なら別だろう? それでなくとも若は従者希望の奴らを片っ端から断っている。 お前がいるから、と言ってな。 伯爵家の正嫡子なら従者が三、四人いたって当たり前なのに。
しつこく断られりゃ誰だって普通の主従関係以上の何かがあると思うさ。 そのお前が不慮の事故で死ぬか従者が出来ない体になったら? 従者の空きが一つ出る、て訳だ。 その空きに自分が入れるという保証でもない限り、いきなりお前を消そうとする奴はいねぇと思うが。 念の為、マッギニスの愛人という保険を掛けておけば安心だ。
俺だってよ、若がまともな上官だったらここまで心配なんかしやしねぇ。 だけどあれじゃあね。 お前に何かあったら若の後始末をするのは俺の役目になっちまう。 それが目に見えているからな。 簡単に死なれちゃ困るんだよ」
「しかしいくら噂を流そうと私とマッギニス上級兵ではあまりにあり得なさすぎて信じる者などいないでしょうに」
「喧嘩するほど仲が良い、てな」
「何ですか、それは」
「蓼食う虫も好きずき、て事もある。 お前とマッギニスが納得してくれるなら事は簡単だ。 人は自分の目より噂の方を信じるもんさ。 今まで通り口喧嘩するぐらいで構わん。 人は痴話喧嘩だと思うだろう。 偶にひそひそ話でもすりゃ完璧だ」
トビは心底嫌そうな顔をする。 頭が悪い奴じゃねぇんだが。 世間を騙す、て事に慣れていねぇ。
「マッギニスはすぐにのってくれたぜ」
「……理屈は分からないでもありません。 では、どのようにしてその噂を流せばよいのです?」
渋々ながらも、のってくれるか。 そうこなくちゃ。
「簡単だろ。 若便りを使えば」
「若便りになぜ私とマッギニスの噂を載せる必要があるのでしょう?」
俺は思わず、ちっ、と舌打ちした。
「おい、まさか俺に原稿書いてくれと言う気じゃねぇだろうな。 こう見えても忙しいんだぜ。 今日俺の所にねじ込んで来たのだって若がお前に何か言ったからじゃねぇのか。 それを書きゃあいい。 直しぐらいは入れてやる。 ものは言いようってやつだ」
三回ほど俺に書き直しをさせられたが、トビはなんとか若便りを書き終えた。
「二日。 小隊会議の後、タマラ小隊長は若より、びーえるとは何か、との御質問をお受けになった。
剛胆で知られるタマラ小隊長ではあるが、この御質問はあまりに予想外。 大きな衝撃を受け、絶句なさった。 しかしすぐさまお気を取り直され、若に御質問の理由をお訊ねになった所、トビとマッギニス上級兵はびーえるの関係という噂を小耳に挟んだ為、言葉の意味を知りたかった、との御返答。
タマラ小隊長はその場で、それは事実無根、耳を傾けるべきではない噂である、とお答えになった。 但し、言葉の意味に関しては、びーえるとは知らずにいても人生に何の支障も不便もないもの、とのみお答えになり、直接の御回答を避けられた。
万が一、若がどなたかに同様な御質問をなさった場合、びーえるという言葉など聞いた事もない、とお返事下さる気遣いが望まれる」




