賞金
目が覚めたら見慣れた顔。 トビが俺を心配そうに見つめている。
「今、何時?」
「朝の八時です。 食欲はございますか?」
「うん。 腹ぺこ」
そう言っていつものようにさっと起きあがろうとしたら、ぎんぎんの筋肉痛に襲われた。
「いっでっ、でっ、でええっ」
特に足と肩がひどい。 右腕なんてちょっと動かしただけですごく痛くて思わず涙が零れた。 慌てず騒がずトビが言う。
「筋肉痛に効く軟膏をもらってあります。 まずそれを塗りましょう。 お食事はすぐにベッドまでお持ちします。 どうぞそのままで」
そして俺の肩から腕の筋肉を手際よく丁寧に揉みほぐしながら、すーすーして気持ちいい痛み止めの薬を塗り始める。 俺はあっけにとられてトビを見つめた。
誰、この人。 何、この扱いの違い。
俺が知っているトビは、言われた事はやるが言われない事はやらない奉公人だった。 痛み止めを持って来いと言われれば持って来るし、塗れと言われれば塗ってくれる。 だけど言わなくともマッサージを始めるとか、薬や食事を持って来るという気配りをされた事なんて今まで一度もない。 それは俺が一目見れば分かる擦り傷や切り傷を付けていた時でもそうだった。
もちろん父上、母上、兄上達に対してそんな真似はしない。 言いつけられた事だけじゃなく、その先を読んで動いていた。 要するに、俺にだけ塩対応だった訳。 それは知っていたが、そんな差別待遇を不満に思った事はない。 トビが俺の家に仕えて十年経つけど、俺に仕えている訳じゃない事ぐらい知っていたから。
奉公人の忠誠は主にだけ捧げられている。 俺は主の三男だから蔑ろにはされなかったが、俺より主に命令された仕事をこなす方が先なのは当たり前だ。 後回しにされたからって長年一緒に暮らしている間にトビの忠誠心を疑った事はない。
そもそも奉公人は口に出して言わなくても主の思惑や優先順位を割と正確に知っていると思う。 だから父上が三男は穀潰しと思えば、俺に頼まれた事は最低限言われた事しかやらなくても不思議じゃない。
父上が俺を愛していないとか、そういう事じゃなくて。 父上にも母上にも沢山愛しんで戴いた自覚はある。 だけどそれと伯爵家にとって俺が何かの足しになっているか、今はならなくても将来なるかは全く別だろ。
実家にいた時、俺が頼んだぐらいじゃトビにやってもらえない事だってよくあった。 宿題の答えを教えて、と頼む方が間違っていたのかもしれないが。
父上に叱られているトビを見た事は一度もない。 仕事の出来を褒められている所なら何度も見たが。 しかも出過ぎた真似はしない。 賢い、素早い、正確。 真面目で忠実。 理想の奉公人。 それがトビだ。
今回の旅だって、もし父上から俺が北に行こうとしたら止めろと命じられていたら、トビは俺がどんなに騒ごうと北への旅を止めていただろう。 そうは言われていなかったから文句を言いながらもここまで付いて来てくれたんだ。
そしたら俺の勝手な寄り道に付き合わされた挙げ句、あわやオークの餌食。 そりゃ北の猛虎のおかげで命拾いはしたが。 起きたら家に帰るまで愚痴られ、どこが痛もうと自業自得と嫌みを言われ続けると思っていた。
人間、一度生死の境を彷徨うと性格が変わるとか聞くけど。 それ?
うーーん。 だけどあのトビだぞ? 危ない目にあったのだって別に今回が初めてという訳じゃない。 確か病気で死にそうになった事もあった。 でも奉公に来た日から昨日まで何があろうと俺に対する態度に変わりはなかったのに。 オークに追いかけられたくらいで性格が変わるだなんて。 あり得なくね?
突然態度が変わったトビにびっくりして気づくのが遅れたが、俺は見慣れぬ部屋にいた。
「ここ、どこ?」
「北軍駐屯地の客用兵舎です」
「へえ。 なかなか居心地のいい部屋だけど、一晩いくら? もっと安い部屋へ移らないと金が底をつくんじゃない? もうついていたりして。 泊まってしまったものはしょうがないけどさ」
「朝食付きで一晩千ルークです。 一ヶ月泊まったとしても帰りの旅費に問題はありません」
安っ。 それを聞いてほっとした。 足りなかったら軍から給金の前借りをさせてもらおうとか、余計な事を言わないでよかった。
トビが持って来てくれた朝飯を食べたが、これだけで千ルークするんじゃないの、と思うくらい豪華だった。 北は物価が安いんだな。 ま、給金も安いんだろうけど。
食べ終わり、ようやく人心地が付いた所で気が付いた。
「あ、そう言えば。 命の恩人にまだお礼を言っていない」
んもう、遅いよ、俺ってば。 北の猛虎に、なんて礼儀知らずな奴だ、と思われたりして。
「若、お体は? 動いても大丈夫ですか?」
「痛いけど、ゆっくり動けば大丈夫。 どこに行けばタケオ小隊長に会えるのか聞いて来て」
「畏まりました」
すぐに出掛け、戻って来たトビが朗報をもたらしてくれた。 オークを倒すと賞金が貰えるんだって。 なんと一頭に付き五十万ルーク!
「若は六頭倒しましたので、三百万ルークの賞金となります」
おおっ。 俺にとって生まれてこのかた見た事もない大金だ。
「助かった! これで父上に気兼ねなく入隊出来る」
見栄を張る気なんて少しもないが、貴族出身だと裸で入隊という訳にはいかない。 それでなくとも北は冬が長い。 防寒具は必須だ。 俺の実家は温暖な西南にある。 旅行用の防寒衣料ならあるけど、耐寒性の武器や武具を一つも持っていない。
ヴィジャヤン伯爵家に伝わる武具や甲冑だったら腐るほど倉庫にあり、いくつかくすねても分からないと思うが、みんな鉄製だ。 冬にそんな物を身に付けて外に出たらあっという間に凍死するだろ。 つまりあれこれ買い揃えなきゃいけない。 それには金が要る。
だけど父上はきっと俺が北軍へ入隊する事に反対する。 他にましな所がいくつもあるんだから。 家名の恥とまでは言わないかもしれないが、その程度の軍にしか入隊出来ないだなんて世間に顔向け出来ない、どうしてもと言うなら裸で入隊しろ、と突き放されるような気がする。 入隊支度金なんて一ルークも期待出来ない。
俺をかわいがってくれているおばあ様に泣きつくという手もあるけど、それはやりたくない。 おばあ様は商才のある御方だからお金に困ってはいないが、兄上達が初月給でおばあ様にお小遣いをあげた時とても喜んでいらした。 その時、俺も大人になったらおばあ様にお小遣いをあげると約束したんだ。 なのに小遣いをあげるどころか強請るの? それってちょっと、と言うか、かなり恥ずい。
入隊すれば飯と部屋はあてがわれる。 平民の新兵は武器を軍から借り、給金を貯めて追々自分の物を買っていくんだって。 それで俺も金が貯まるまで貴族である事を隠して入隊するつもりでいた。 最低必要な防寒具だけ貯めた小遣いで買うか、防寒着も借り物で済ませばいい。
でもこの賞金があれば父上からお金を貰えなくとも入隊に必要な物が買える。 いやー、案ずるより産むが易しだぜ。
明るい気持ちで北の猛虎にお礼に行こうとしていると、カルア将軍補佐と名乗る鋭い風貌の軍人がいらした。 俺から詳しい事情を聞くと熱心に入隊を勧めてくれて。
「入隊同意書に今すぐ署名するなら宿舎と三食は全て無料にしよう。 給金も今日から支給する」
なんと。 宿舎と飯がただで今日から給金! 北軍って結構太っ腹?
「そ、それはすごく助かります! あの、では、その、オークの賞金が戴けると聞きました。 それを戴けたら入隊に必要な物を買います。 その後に入隊するという事で、よいでしょうか?」
「これは銀行口座開設申込書だ。 ここに署名だけすれば手続きはこちらで済ませておく。 ただ入金が確認出来るまでに一週間程かかるから先に必要な物を買うといい。 全て北軍が支払うから後で領収書を提出するように」
「えっ。 でも、俺、まだ満十八歳になっていません。 それまで正式入隊は出来ませんよね?」
「誕生日は今月なのだろう? 大した日数がある訳でもない。 待つ必要はなかろう。 こちらは仮入隊同意書として今日の日付にし、もう一通を正式入隊同意書として誕生日の日付にしておけばよい」
おお! 至れり尽くせり。 軍が必要な物を買ってくれるだなんて。 こんなうまい話ある? 一番嬉しいのはオークの賞金だけどな。
トビが、本当にいいんですか、みたいな視線を投げて寄越したが、こういう事は相手の気が変わらない内に決めておくに限る。 あやうく死ぬ目にあった事なんかきれいに忘れ、その場で全ての書類にサインした。
ふふっ。 幸先のいいスタートだぜ。