諜報員 フロロバの話
色白でおちょぼ口、小太りで運動神経の鈍そうな俺を見て、子供の頃から金庫破りという特殊な訓練を受けた諜報員と思う奴はまずいない。 俺は普段からこの体型を保つように気を使っている。 目立たず、警戒されずに目的地に侵入するために。 ムキムキに鍛えられた男を見れば人は無意識に警戒するものだから。
この童顔のおかげで俺を警戒する奴なんて今まで一人もいなかった。 だからデュガン侯爵家に潜入し、どこかに隠されてある恐喝のネタを盗む任務に選ばれたんだ。
今まで様々な貴族の家に諜報員として入り込んだ事はある。 だけどいずれも情報収集が目的で、こんな風に危険な仕事はかえって珍しい。 向こうだって馬鹿じゃない。 もし俺の目的がばれたら殺される事は確実だ。
下手な動きは俺の命だけじゃなく俺が属している「皇国の耳」全員の命を危険に晒す。 それで俺が一から十までしなくても済むように何人かの諜報員が協力して取り組む事になった。
まず俺の前に潜入していた諜報員が恐喝に使われているのは手紙である事を突き止めた。 手紙なら隠せる場所なんていくらでもある。 それだけに手紙がどこに隠されているのかを知らないと、雇われた家にはなかった、じゃ簡単に盗めない。 そこでもう一人、別の諜報員が場所は本邸。 おそらく主の執務室という状況証拠を掴んできた。 俺はその後を受け、侯爵家本邸の下働きとして雇われた。
侯爵ともなると上級の奉公人は代々勤めている者ばかりだ。 下働きでも紹介状があったぐらいじゃ簡単に雇われたりしないが、デュガン侯爵はいろんな商売を手広くやっている。 何軒もの店を所有しているし、景気が良くて別邸も沢山あるから仕事を選ばなければどこかに雇われる事はそんなに難しくない。
侯爵本邸は城と言っていい。 侯爵本邸だけでも下男は三百人以上働いている。 数ある別邸を含めれば千人以上雇っている大所帯だ。 そこまでいくと下男や調理場の仕事を始めた新顔なんて珍しくもない。 本邸の部屋数は三百を越えるが、下男なら掃除をする目的でほとんどの部屋に入れるし、金庫や隠し扉のある部屋は限られている。
とは言え侯爵の執務室はとても広く、置いてある金庫は大小合わせると二十個あった。 そのどれにブツが入っているのか、当たりを付けるのに時間がかかったが、その後は簡単だ。 下男が掃除をしに主の執務室に入ったって誰もおかしいとは思わない。 もちろん入るのは真っ昼間。 夜中に金庫破りなんてしたら殺してくれと言っているようなものだからな。
侯爵家に雇われて三ヶ月が経った頃、俺は無事に手紙を盗んで仲間に手渡した。 金庫の中には封筒がまだ残っている。 代わりに白紙を入れておいたから侯爵が中身を読もうとしない限り手紙が盗まれている事に気付く事はない。
という訳で任務は無事に終わった。 でも侯爵家といういい働き口をあっさり辞めたりしたら人の注意を引く。 俺は更に三ヶ月働いた。 そして父が死んだ、という知らせを受け取る。 俺の親父は五年前に死んでいるけどな。 奉公人の親が生きているか死んでいるか確かめに行く程暇な奴はいない。 そして残された母親の面倒を見るために辞めた。 俺の母さんが十年前に死んでいる事は誰にも言ってないから大丈夫さ。
帰ってからいくらもしないある日、「皇国の耳」の首領直々のお呼びがあった。 俺は調理場で雇ってもらえるように料理を一通り習っている。 下男や従者として雇ってもらうために貴族の習慣や言葉使いなどの作法も習得した。 金庫破りは俺の得意中の得意だが、それ以外にも得意な事はいくつかある。
幅広い役目をこなせるおかげで結構使い勝手が良いらしく、今まで任務が途切れた事はないからすぐ次の任務を命じられても不思議じゃない。 ただ任務はいつも上司のアフダル隊長から通達されていた。 首領から直接命令された事なんて一度もないからその点は不思議だった。 今度の任務は今までになくでかい、て事か?
理由は分からなかったが、なんとなく期待に胸を膨らませて出頭した。 まずデュガン侯爵邸での任務を無事遂行した事に対する丁寧なねぎらいのお言葉を戴き、お茶を御馳走になった。
首領がおもむろにおっしゃる。
「フロロバ。 お前は確か今年二十歳になるはずだね」
「はい」
「諜報員を辞める気はないかい?」
「え?」
「そして北軍に新兵として入隊する。 これは諜報員としての任務ではない。 フロロバ個人の意志で入隊する。 だからその先どうするかはお前次第だ。 退役するまで勤めてもいいし、途中で気が変わったから辞めると言うならそれでも構わない。
諜報員としての退職金は五十万ルーク払う。 それとは別に、入隊するなら支度金五十万ルークをあげよう。 これは私からの餞別と思ってくれれば良い。
代わりに入隊後、私の息子であるサダの近況と周辺の出来事を逐一報告してもらいたい。 お前の情報が役立った時は心付けを、それとは別に年末に謝礼を送る。 だがそれ以外は兵士としての給金がお前の全収入になる」
北軍兵士? しかも任務ではない? あまりにも意外な申し出だ。
「その、理由をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「サダが六頭殺しの若という二つ名で呼ばれるようになった事は知っているね?」
「はい」
「実は皇太子殿下暗殺未遂事件の際、あの子は殿下の影武者となり、暗殺を未然に防いだ。 その所為で事件の黒幕から恨まれる羽目になってね。 また私が予想外のお役目を頂戴した事で政敵の思惑もあるし、弓の名手としての人気もある。 元々あの子は自分の周囲に気配りが出来る性格でもない。 なのにいつの間にか複数の者達から狙われる標的になってしまったのだよ。
今度サダの小隊長昇進が決まった。 それで周りを誰で固めるかが問題になったという訳だ」
「情報収集と報告でしたら諜報員として入隊しても出来ますが? 若の部下に配属して戴くよう首領から北軍将軍閣下にお願いして戴ければ問題はないのではありませんか?」
「諜報活動というのは簡単に見えるような仕事でも大変危険だ。 怪我では済まない事もある。 それだけに長期間の任務を与える時は諜報員の安全をどう確保するか、非常に気を遣う。 ましてや終わりが見えない任務など、今まで私は誰にも与えた事はない。 これからもないだろう。
だがサダの部下が毎年入れ替わったら周囲に奇異の念を抱かせる。 たとえ期間を二年か三年に延長したとしても。 しかし数年、事によると退役まで何十年もの任務となると、自分が望んでやるのでもない限り続くまい。
入隊したくない場合、従来通り諜報員として活躍してもらう。 どちらを選んだとしてもお前にとって人生の岐路とも言うべき選択となろう。 よく考えた上で返答するように」
俺はその場で決心したが、せっかくのお言葉だ。 一晩ぐらいは考えてもいいか、と思い直した。
次の日、北軍へ入隊したいと首領に申し上げ、退職金と支度金の両方をありがたく戴いた。 首領はああおっしゃったが、俺にとってこれは諜報員としての任務以外の何物でもない。 しかも面白そうだ。 面白そうな任務に終わりがないからといって文句を言う奴はいない。 面白くなければいつでも勝手に辞めていいと言われているんだし。
ぽかぽかの懐と共に北軍へ向かう俺の足取りは軽い。




